024 神話って、ピンと来ないほど壮大ですよね
朝の日差しの中、緊張の面持ちで待つ白いローブ姿の少女。
こちらに歩いてくるソラの姿を見ると固い表情は一転、花が咲いたような笑みを浮かべ、駆け寄ってその手を握る。
「剣士様、今日はよろしくお願いしますね」
「うん、安心して。メリィちゃんはなにがあってもあたしが守るから」
神に仕える乙女と、それを守る剣士の少女。
物語の一節にでも出てきそうな、場面を切り取れば絵画にもなりそうな二人の姿に、やはりセリムの胸は痛む。
それでも、我慢すると決めたのだ。
突然泣きだしたり我がままを言った結果ソラを困らせるのは、もっと嫌だ。
「大丈夫です、我慢ですよ、我慢……」
そもそも何故こんな気持ちになるのか、どうしてあの光景を嫌だと感じるのか、そんな疑問も頭の片隅に追いやる。
別のことを考えようとして、浮かんできてしまったのはあのメイドの姿。
今日の正午に別行動をとっていたマリエールの家臣と会い、情報共有する予定とのこと。
それはいいのだが、それまではお嬢様の寝顔を堪能すると公言して、ベッドの脇で鼻息荒く色んな角度から舐め回すように眺める様子を思い出すと、思わず身震いする。
まさか本当に舐め回したりはしていないだろうか。
「ソレスティアさん、神子を無事に霊峰の頂上まで送り届けてくだされ。ノルディス神の加護があらんことを」
「任せといて! なんせあたしは世界最強になる剣士だから」
「ソラさん、今はそういう感じにふざける場面じゃありません」
「ふざけてないよ!?」
「行って来ます、大司教様」
大司教に見送られ、三人の少女が目指すのは霊峰カザス。
ノルディス神が眠りに着いたと伝わるこの山は、危険度レベル10の危険地帯。
冒険者の立ち入りが制限された禁足地であり、出没するモンスターも駆け出しでは手に負えないレベル。
年に一度、神子の護衛に選ばれた冒険者だけが、立ち入りを許可される。
カルーザスとの距離は三キロもない、目と鼻の先だ。
「あの、セリムさんでしたっけ。本当についてきて大丈夫なのですか?」
昨日のやりとりで、彼女がある程度の戦闘力を持っていることは説明を受けた。
共に旅をしているソラも、問題は無いと言っている。
それでも、胸元にリボンを付けたブラウスの上にふわふわのピンクのカーディガン、そしてミニスカート。
手荷物は小さなポーチ一つだけ。
町に買い物にでも出るような格好のセリムに、メリィはどうしても不安を抱かざるを得ない。
「心配しなくていいよ、メリィちゃん。セリムは本当に強いんだから。それこそバケモ——コホン」
ほんの一瞬、物凄い目で睨まれた。
ソラは咳払いをした後、仕切り直す。
「あたしも何度も危ないところを助けてもらってるんだから。とっても頼りにしてるんだ」
「……剣士様がそこまでおっしゃるなら」
ソラの目から読み取れる揺るぎない信頼。
彼女がそこまで言うのなら、不安ではあるがもう口出しはしない。
「ところでさ、ノルディン教とかノルディス神について聞かせてよ。あたし詳しいとこはあんまり知らなくて」
「私も詳細な部分までは知りません。ちょっと興味があります」
「そうですね、まだ霊峰までは距離がありますし、お話しますね」
少しずつ近づく霊峰を見上げながら、メリィは語り始める。
遥か昔、まだヒトが知恵も力も持っていなかった時代。
この世界は邪悪な神によって支配されていた。
彼ら邪神と、そのしもべたるモンスターが闊歩する世界。
ヒトはその暴威に為す術なく、ただ逃げ惑い、いたずらに殺されるのみ。
そんなヒトの姿を憐れんだ一柱の神がいた。
その名はノルディス。
「はへー、なんか凄い話だねー。本当に昔はそんなだったの?」
「ソラさん、黙って聞いてて下さい」
「ふふっ、続けますね」
地上に這い、ただ殺されていくだけのヒト。
それをひたすらに踏みにじる邪神。
義憤にかられたノルディスは僕たる三匹の龍を従え、邪神たちに戦いを挑んだ。
その戦いは凄まじく、神の力がぶつかり合うたび大地が抉れて山や谷を作り、流れる汗や血が海を作った。
今日の世界の姿は、こうして形作られたのだ。
「なるほど、海がしょっぱいのってそういう……」
「茶々入れなくていいですって」
気が遠くなるような長い長い戦いの果て、ノルディスは邪神達を大地に、海に、空に封印した。
そして自らも力を使い果たすと、自らの寝床である山にて、いつ覚めるともしれない眠りに着く。
最後に残ったわずかな力を、地上に残ったヒトに託して。
こうしてヒトは力と知恵を手に入れ、人間と魔族に分かたれた。
邪神のしもべたるモンスターは、ノルディスの結界により特定の場所に閉じ込められ、三匹の龍は悠久の時を越えて今なおこの世界を見守り続けていると伝わっている。
「こんなところでしょうか。どうでしたか、剣士様」
「んー、スケールが大きすぎてよくわかんなかった!」
「神様の話ですからね、ピンと来ないほど壮大でした」
メリィは話を終え、セリムとソラが口ぐちに感想を言い合う。
「でもさ、龍とか邪神とか、なんかわくわくするね。どのくらい強いんだろう、戦ってみたいな!」
「今のソラさんじゃ、一瞬で消し飛ばされますよ」
「じゃあセリムなら戦えるの?」
「冗談言わないでください」
世界最強の称号を不本意ながらも持ってはいるが、神話の存在に勝てると思う程自惚れてはいない。
ポーチの素となった次元龍も常識外れの強さだったが。
「さすがに私も海や山を作れたりはしませんよ」
「そっかー、セリムより強いのかー」
「そもそも実際にいたのかどうかも——あっ、メリィさん、ごめんなさい。ノルディン教の神子の前でこんな話……」
「いいですよ、セリムさん。そんなに気を使わなくて。それよりも、霊峰カザスの境界がもうすぐです」
話をしているうちに、目の前まで迫った聖地。
岩肌が目立つ山だが、険しさはそれほどでもなさそうだ。
広がる裾野も砂利や岩が多く、森は見られない。
「おっし、ここからはあたしが先頭に立って進むから、メリィちゃんはあたしの後ろに隠れてて」
「しんがりは私が務めます。後方からの襲撃にも備えなければなりませんから」
「はい、お二人ともお願いします」
ソラが先頭、少し離れてメリィ、最後尾にセリム。
この陣形でしばらく進むと、まずソラが空気の変化を感じ取った。
「おっ、この感じ。境界を越えたね。メリィちゃん、ここからモンスターがでるから気を付けてね」
「は、はいっ! いよいよ初めての危険地帯、少し怖いです……」
おっかなびっくり一歩一歩足を運び、メリィも境界を越える。
「なっ、なんか変な感じがしました! 今のが境界なんですね」
「馴れないと気持ち悪いよね。あたしも最初はびっくりしたなー」
「セリムさんはどうでしたか?」
「わ、私ですか!? わたしが最初に……」
突然話を振られたセリムは、あの時のことを思い出す。
裸にひん剥かれ、泣き叫ぶ自分を抱えて森の奥まで連れて行き、放り投げて去っていく師匠の背中。
薄暗く一人っきりの森の中、充満する殺気、すぐ側に迫る命の危機。
「さ、最初、さいしょ……」
「あ……。メリィちゃん、その話はセリムにはしないであげて」
「は、はい……。あの、何があったんですか?」
「ちょっとね……。トラウマになってるみたいで……」
「はぁ、はぁ、さいしょの……」
フラッシュバックする記憶に、虚ろな目で震えるセリム。
見かねたソラは、彼女のもとまで駆け寄って抱きしめる。
「はぁ、……ソ、ソラさん……?」
「大丈夫だよ、セリム。今はあたしがいるから、一人じゃないから、ね?」
「あ……、ごめんなさい、私……」
ソラの腕の中で落ち着きを取り戻したセリム。
あそこまで取り乱してしまうとは、思っていた以上に心の傷は深かったようだ。
「私のことはもういいですから、今はメリィさんを守ってあげてください」
「でも……」
「ソラさんに心配される程、やわじゃありません。今はお役目に集中してください」
「……うん、わかった」
そっと離れると、心配そうな視線を向けつつメリィの側へと戻る。
「剣士様、私聞いてはいけない質問を……」
「気にしないで。セリムも別に怒ってないし、ね」
ソラは再び先頭に立つと、周囲を警戒しつつ進む。
麓に広がる荒涼とした風景は、ここが本当に聖地なのか疑いたくなる程に殺風景。
時々セリムの方に目をやるが、どうやら彼女はいつもの調子に戻ったようだ。
周囲の気配に気を配りつつ、最後尾を付いて来ている。
「もうすぐ登山道だね。山道は二つに分かれてるみたいだけど、どっちに行くの?」
「山頂へは、左の別れ道を行きますわ。右は山の麓を通って、反対側に抜ける道です」
「りょーかい、それじゃ行こっか」
別れ道を左に進むと、緩やかな勾配が始まる。
登山道の道幅はかなり広い。
馬車が二台すれ違ったとしても、なお余裕がありそうなほど。
この場所でなら、戦闘になっても足場に不自由はしないだろう。
「今のところモンスターの気配は無いね。セリム、そっちはどう?」
「異常ありません。何か感じたらすぐ教えますから、ソラさんは前方の索敵に集中してください」
「そうだね、何かあったらお願い」
気を張り詰めながら、一歩一歩山道を登る。
戦えない少女を連れている以上、責任は重大。
山道の景観も麓と同じく、短い草や高い木はまばらに生えている程度。
遠景で見た通り、緑がほとんど見られない岩山だ。
「んー、こんな感じの場所にいそうなモンスターは、飛ぶタイプかな……」
独り言を口にした途端、答え合わせのように、陽光を背に複数の影が飛び来たった。
「おっと! 来たよ、メリィちゃん。出来るだけ安全な場所に隠れてて」
「彼女は私に任せてください。あの程度の敵ならソラさん一人で十分です」
セリムはメリィを連れて、岩陰に隠れる。
彼女が付いていてくれるなら安心、ソラは思いっきり戦える。
「剣士様、お気を付けて」
「安心して見てていいよ! よーっし!」
背中の鞘からツヴァイハンダーを抜くと、魔物の群れに向かい合う。
白い翼の生えた、と言うよりは、白い両翼だけのモンスター。
どこに目があるのか、口があるのか、さっぱりわからない奇妙な姿。
それが十匹程度の群れで、滑空しつつ突っ込んでくる。
「あのモンスターは見たことがありませんね。この山の固有種でしょうか」
「大司教様から聞いています。あれはエンジェルウィング。危険度レベル11のモンスターです」
「11ね、だったら負ける気がしないわ!」
得物を握って、白い翼の群れへと突っ込む。
飛び跳ねながら剣を縦に振るい、まず一匹を斬り裂いた。
真ん中で両断されたエンジェルウイングは地に堕ち、少しの間翼をバタつかせて動かなくなる。
血が吹き出すあたり、無生物系のモンスターではなさそうだ。
「まず一つ!」
着地して体勢を整えるソラに、魔物の群れは魔力を解き放つ。
風魔法で放ったのは突風、吹き飛ばして崖から落とすつもりなのだろう。
「そんなの効くかーっ!」
もとより力の差は歴然、そのような突風は、今のソラにはそよ風にしか感じない。
物ともせずに群れへと再突入し、剣閃の下に二匹目を斬って捨てる。
残り八匹、エンジェルウィングは密集して中空に飛び上がり、矢尻のような陣形を取った。
魔力を解き放ち、先頭の個体に風の刃を密集させる。
「剣士様、お逃げください! それはそのモンスターの奥の手……!」
「奥の手かー、なら正面から破ってみたくなるよね!」
メリィの忠告に、むしろソラの闘志は昂った。
こちらに目がけて突進を仕掛けてくる白翼の群れ。
ソラは逃げようともせず、剣に闘気を集中させる。
「あの程度、これで十分! 闘気収束ッ!!」
群青色の刀身が、透明な気の刃に包まれる。
切断力の上昇した剣を両手で構え、最上段に振りかぶった。
八匹のエンジェルウィングが、一つの風の矢となって目前に迫る。
「くらえッ、気鋭斬ッ!!」
闘気の刃が振り下ろされ、風の矢尻とぶつかり合う。
拮抗は一瞬、群青の剣が風の刃を突き抜けた。
風は霧散、白い翼は次々と刃に突っ込み、斬り伏せられては赤く染まる。
わずかに生き残った二匹が、一目散に逃げ去っていった。
「ふぅ、ま、こんなもんかな」
闘気収束を解除し、剣を背中の鞘に納める。
周囲にも敵の気配は無いようだ。
「おーい、メリィちゃん。もう出てきていいよー」
「剣士様……」
岩陰から出て来た神子は、うっとりと呟きながらソラの元へ。
「素敵でしたわ。剣士様の戦う姿、惚れ惚れしました……」
「にひひ、そうかな。なんか照れるね」
メリィはソラの手を握り、至近距離でその顔を見つめる。
セリムは必死に、我慢我慢と自分に言い聞かせた。




