022 この世に同じ顔の人間は三人だけです、きっと
のんびりと周囲の風景を楽しみながら二人が進むのは、上層第二区画。
第三区画と比較すると、立ち並ぶ聖堂はその大きさを増している。
「ほえー、立派な礼拝堂だねー」
「ノルディン教の総本山ですからね。厳密な聖地は、こことは別にあるんですけど」
「へ、そうだったの? じゃあなんでここが聖地って呼ばれてるんだろ」
不思議がるソラに対し、セリムは遠くに霞んで見える山を指さした。
「ノルディス神が最後に眠りに着いた場所、それがあの山です。本来の聖地はあそこなんですけど、危険地帯になっててモンスターが出るんですよ」
「聖地なのに危険地帯? 変なの」
「そんな訳で、あの山には気軽に入れません。だから縁のあるこの場所を聖地としているんです」
「なるほど、ニセの聖地だったのか」
「偽とか言わないでください、睨まれますよ」
問題発言が聖職者や巡礼者に聞こえていないか、周りを見回すセリム。
そんなことはお構いなしに、脳天気にソラは突き進む。
大きく腕を振っているため、繋いでいるセリムの腕も釣られて振り回されてしまう。
「あの……手を繋ぐの、やっぱり止めますか」
「えっ、なんで?」
「自分の胸に聞いてください」
「あぁっ、ホントに離しちゃった……」
繋いだ手が離れてしまい、ソラは残念そうな顔をする。
が、すぐに気を取り直してずんずんと進み始めた。
むしろ寂しさが大きいのは、手を離したセリムの方。
ついさっきまで感じていた温もりが離れてしまい、小さな喪失感が胸を苛む。
後悔しつつじっと左手を見ていると、ソラが感嘆の声を上げた。
顔を上げると、立ちはだかる石壁と、大きく開かれた鉄の門が目に飛び込む。
「セリム、また大きな門だよ! あれが頂上に続く門かな」
「そうです。あの先が第一区画ですね。……ソラさん、全然平気そうな顔してる」
目を輝かせて壁を見上げるソラに、胸がチクリと痛む。
最後の言葉は彼女に聞こえないよう、小さく小さく呟いた。
「たっかい壁だね。向こう側が見えないや」
「いよいよこの先が、聖地のシンボルである大聖堂ですけど……。壁に遮られて見えませんね」
「この門をくぐれば見えるでしょ。それ、一番乗りー!」
ソラが門の向こうへと突っ走って行き、セリムはその場に一人ポツンと取り残された。
「なんですか。これじゃあ私ばっかりが……」
私ばっかりが——その続きの言葉が出てこない。
それを口にしてしまうと、いや、心の中に思い浮かべただけでも、何か、決定的な何かが変わってしまいそうな気がして。
「おーい、セリムー! なにしてんのさ。早くこっち来て、凄いから!」
「……はいはい、今行きますよ」
門の向こう側から元気よく呼びかける声。
返事を返すと、セリムは遅れて門をくぐった。
その途端、吹き付ける強風が髪を乱す。
ここは風を遮る物など何もない、岩山の頂上付近。
直角に曲がった道の先、長い石の階段の上で、ソラはこちらに手を振っている。
「こっちこっち、早く登って来てよ!」
「ちょっと待ってください、ゆっくり行かないと、スカートが……」
なびく髪を右手で、ミニスカートを左手で押さえながら、セリムはゆっくりと石段を登る。
パンツが丸見えになってしまわないように、慎重に一段ずつ。
風のいたずらに遭うことなく、なんとか最後の段まで登りきった。
「ふぅ、無事に来られました……」
「ほらほら、大聖堂! とんでもなくでっかいよ!」
風にポニーテールを揺らして、何故だか得意げなソラ。
セリムも思わず、その威容に息を呑んだ。
「わぁ……、近くで見ると、本当に立派ですね……」
平たくならされた岩山の頂上広場。
その中心に、世界最大の大聖堂は建っていた。
まず目に入るのは、陽光を受けて美しく輝く純白の外壁。
そこには複雑な紋様や見事な彫刻が掘られている。
目線を上げていくと、天を貫くようにそびえる三本の塔。
左右の塔は高さ百五十メートル、中心の塔は二百メートル以上はあるだろうか。
遠くから見えた青色の屋根は、現在地の真下から見ることはできない。
「絶景ですね、これは」
「うん、絶景見えてるよ」
「えっ」
右手をひさし代わりにおでこに当て、左手は大きく反った姿勢を崩さないように水平に延ばしてバランスを取っている。
その状態で、セリムは頭上を見上げているのだ。
よって支えを失ったミニスカートが、強風の中で荒ぶっていた。
「なるほど、今日は青いフリルの……」
「本気で殴りますよ!!!」
慌てて両手でスカートを押さえ、真っ赤になって声を荒げるセリム。
「むぅ、せっかく教えてあげたのにぃ」
「教えるだけで済ませてください、何履いてるとかの説明はいいです! ……もう。風強すぎますし、早く中に入りましょう」
「入れるんだ、この中」
「礼拝堂の部分だけですけどね。普通の教会と同じく一般に解放されてるんです」
今度はうっかり放さないように両手でしっかり押さえながら、入り口へと歩いていく。
風に暴れる長い髪は、後でセットし直さないとどうにもならないだろう。
ポニーテールが揺れるだけのソラを、少し羨ましく思う。
入り口の前に辿り着いたソラは、両開きの大きな扉を開け放った。
「よーっし、たのもー!」
「道場や練兵場じゃないんですから、静かに…………あれ?」
厳粛な空気が漂っているかと思われた礼拝堂の中。
予想に大きく反して、大勢の冒険者でごった返す、ギルドの中と見紛うような騒々しい空間が広がっていた。
「あの、ここってカルーザス大聖堂ですよね。間違えて冒険者ギルドに入ったわけじゃないですよね?」
「だと思うけど……。どうなってんの、これ」
入り口付近で二人が呆然としていると、大きな鉄剣を背負った筋骨隆々なちょび髭つるつる頭の男が近寄って来た。
「嬢ちゃんたち、悪りいが今日は観光日和じゃあねえぜ」
「え、ガデム……さん?」
「ガドムのおっちゃん!?」
唐突に現れた顔見知りに、二人は思わずその名前を呼ぶ。
「ガデムにガドムゥ? 誰だぁそいつぁ。俺の名前はゴドム。一端の冒険者としてちったぁ名を知られた存在よ」
「ゴドム……さん。そうですか、ゴドムさん……」
おそらくあの二人とも赤の他人なのだろう。
思わず顔を覆うセリムを尻目に、ソラは早速質問を投げる。
「なーんだ、人違いか。ところでゴドムのおっちゃん、これって一体なにさ。ここギルドじゃないよね」
「ああ、ここは間違いなくカルーザス大聖堂だぜ。明日は大事なお役目の日だからな、こうして冒険者が集まってるってわけだ」
「うん、全然わかんない。一から詳しく教えて」
「何も知らねえで来たのか。まあいい、心の広いゴドム様が教えてやる。あれを見な」
ゴドムが指さした先、礼拝堂の奥にある祭壇の上に、冒険者ギルドでよく見るサークレット状の装置が置かれている。
「あれってレベル測定機じゃん。やっぱりギルドなんじゃ……」
「正式名称は秤の輪だな。これからアイツがフル稼働することになる。なんせここにいる全員のレベルを測定するんだ」
ゴドムの話によると、これから行われるのは冒険者のレベル測定による選定。
年に一度、聖地である危険度レベル10・霊峰カザスの山頂で神子による奉納の舞いが行われる。
騎士団などの武力を持たないノルディン教は、山頂までの神子の護衛に毎年凄腕の冒険者を雇っていた。
ところが、今年は各地で出没する場違いに強いモンスターの討伐に多くの有名な冒険者が駆り出されて人手不足。
そこで、こうして無名の冒険者を招集してレベルを測定し、最もレベルの高い冒険者一人が、晴れて神子の護衛の任に着く。
「これは大変名誉なことだぜ。それに冒険者としての名前にも箔が付く」
「なんで一人だけなのさ。大勢で行った方が安全じゃん」
「しきたりなんだとよ。霊山で神の眠りを妨げねぇために、血生臭せぇ冒険者は一人だけしか入れないらしいぜ。とは言っても、冒険者じゃなけりゃ着いて行けるみてぇだけどな」
「ほえー、分かった! ありがとおっちゃん!」
「おうよ! ま、間違いなくこの大任はゴドム様のモノだぜ」
最後につるつるの、おそらく自分で剃ったのだろう頭を一撫ですると、ゴドムは立ち去って行った。
「聞いた? 神子様の護衛だってさ。やろうよセリム」
「……あ、はい。そうですか、やりたいんですか、ソラさん。ご自由にどうぞ」
三人目のそっくりさんに出会ったショックから立ち直りきれず、セリムは少々上の空。
この世にいるそっくりさんは三人だけだと言う。
ならばもう、筋骨隆々なちょび髭つるつる頭の男と新たに遭遇することは無いのだろう。
そう自分に言い聞かせ、手近な椅子に腰を下ろした。
「よっしゃ、頑張ってくるね! そこで応援してて!」
「頭に輪っかを通してくるだけですけどね」
入り口近くの椅子に腰かけるセリムは、改めて大聖堂の中を見渡す。
町にある普通の教会の何倍も広い堂内、天井の高さは軽く数十メートルあるだろうか。
白い壁に施された繊細な彫刻や、額に入ったノルディス神の絵画は、当然ながら美術的な価値も高いのだろう。
日の光を受けてきらめく美しいステンドグラス。
そこに描かれたのは、おそらくは神話の一場面か。
老人のような姿をした人物と、三匹の龍のようにも見える生き物。
あまり詳しくないセリムには、それ以上の詳細はわからなかった。
コツ、コツ、コツ。
その靴音が響くと、冒険者たちの喧騒はあっという間に静まった。
祭壇の後ろに立ったのは、威厳溢れる老聖職者。
彼はノルディン教の最高指導者である法王の下に四人いる大司教の一人、メイナード。
「コホン、冒険者の皆さん、本日はお集まり頂きありがとうございます。大司教のメイナードです。ご存じの方も多いと思いますが本日は——」
そこから始まった説明は、概ねゴドムの話と同じだった。
妙に間延びした話し方に眠気を誘われて大きなあくびをするソラに、後ろで見ているセリムの方がハラハラする。
「では、順番に並んでください。一人ずつレベルを測定していきます」
長い話が終わると、いよいよ本題。
広い聖堂内を、長椅子沿いに蛇行して並んだ冒険者たち。
先頭から一人ずつ頭にサークレットをかぶり、レベルを測定していく。
ソラは最後尾、その一つ前がゴドムだ。
「よぉ、嬢ちゃん。結局あんたもチャレンジするのかい」
「うん、自信はあるよ」
「ははっ、そうかそうか。だがな、俺のレベルを見てチビるなよ」
ソラに輪をかけて自信満々のゴドムは、そのちょび髭を二本の指でそっと撫でた。
先頭の方では次々にレベルの測定が完了。
9、7、11、といった数字が聞こえてくる。
「けっ、ショボイ数字だぜ。よくそんなんで来ようと思ったもんだ。嬢ちゃんも時間の無駄だとわかっただろ、さっさと帰んな」
「んにゃ、こんぐらいなら全然平気」
「……ほう」
全く揺るがないソラの自信に、ゴドムの目つきが変わる。
見れば背中の剣もかなりの業物、だが彼の自信も同じく揺るぎはしない。
おそらく自分のレベルを見れば、この少女も諦めるはずだ。
そうして測定は進み、いよいよ残すは後二人。
今までの最高レベルは14、ゴドムは自分の勝利を確信した。
「おっしゃ、測るぜ。お前ら、俺のレベルを見てビビんなよ」
大きな歩幅で堂々と進み出たゴドムは、並み居る冒険者たちに大胆にも勝利宣言。
つるつるの頭にサークレットを通し、小さなモニターに数字が映しだされる。
数字の列は19、断トツトップの数値に、聖堂の中がざわついた。
「へっ、どうだい嬢ちゃん。今度こそ自信喪失だろ」
「んー、どうなんだろ。多分大丈夫だと思うけどあれから測ってないし……、とりあえずやってみるね」
「な、なんだって?」
この数字を見ても、ソラは全く動じない。
とんでもないアホなのか、それとも……。
祭壇の前で測定機を頭につける少女に、ゴドムの喉がごくりと鳴る。
「どれどれ、数字は……。おお、がっつり上がってる。やっぱり至近距離で魔素を浴びると違うのか」
表示された数字は、23。
華奢な少女が叩きだしたこの数字に、大聖堂は大きくざわめく。
「に、にじゅうさん、だってぇ!?」
「あれ、そういえば最高記録だ。順番最後だし、つまりあたしに決定ってこと?」
大きく目を見開き、口をあんぐり開けて固まるゴドム。
ソラは今一つよく分かってない風に、自分を指さして首をひねった。