021 あの子は今頃、どうしているでしょうか
手を繋ぎながら進むセリムとソラは、次第に大きくなっていく聖地の姿に圧倒される。
大きな岩山の頂点に建てられた大聖堂、その周りを囲むように大小様々な教会、商店、民家の屋根が並ぶ。
教会を中心にして、頂上から麓まで、岩山の表面全てが町となっていた。
「これが聖地かー。間近に来ると迫力というか、圧が違うねー」
「ですね。何度見ても圧倒されちゃいます」
「セリム、前にも来たことあるんだ」
「師匠に連れられて、大陸中を回りましたからね。……最後の方のデタラメに高い危険度な場所の数々は、未だにどこにあるのかさっぱりわかりませんが」
「え、なにそれ。行ったセリムにもわかんないの?」
心底不思議そうに、セリムは首をひねる。
一体あの場所はこの大陸のどこなのか、自分はどうやってあの場所に行ったのか。
思い出してもさっぱり分からないのだ。
「そうなんです。そもそもこの大陸で最高の危険度レベルは65のはず。危険度レベル90の場所なんて、どこにも見当たらないんですよ」
「んー、つまりどういうこと?」
「存在するはずのない場所に連れて行かれた、そう考えるしかないんです。もしくは別の大陸か……」
「むぅ、セリムの師匠って何者なのさ」
「……ロクでもねえ腐れ人間ですよ」
「セ、セリム!?」
普段の様子からは考えられない言葉を、吐き捨てるように言い放った可憐な少女。
慌てて隣に視線を送ると、いつも通りのセリムが可愛らしい顔で聖地を見上げている。
「ん? どうかしましたか、ソラさん」
「えっと……。な、なんでもない……」
「そうですか? おかしなソラさんですね。聖地を前にテンションが上がってしまうのは仕方ないですが、ハメを外し過ぎないように」
人差し指を立てて優しく言い聞かせる様は、完全に通常営業。
ソラは心の中でこっそりと誓う。
もう二度と、彼女の師匠について尋ねたりしないことを。
「そ、そうだ。じゃあさ、王都にも行ったことある……んだよね?」
「ありますけど。そんな恐るおそる聞いたりして、どうしたんですか」
「んん、貴族街に行ったことはさすがにないよわね」
「貴族街ですか、遠目に見た記憶しかありませんね。大きな屋敷が立ち並ぶばかりで面白い場所もありませんし。何より、あの頃の私に自由なんて……」
「あ、もういいよ。思い出さなくていいから。辛い思い出ばっかりなんだよね」
昔の出来事を思い出すたびに、セリムの表情は暗くなる。
彼女に辛い思いをさせるくらいなら、もう昔のことは聞かないでおこう。
そう思い、話題を切り換えようとしたソラ。
ところが、セリムは懐かしそうにくすくすと小さく笑いはじめた。
「ふふっ、いえ、そう辛い思い出ばかりでもありませんでした」
「おぉ、セリムがこの話題で笑ったの、初めて見た。どんなのか聞かせてよ」
「あまり人に話すような内容ではないのですけど。今回だけ、特別ですよ」
軽く目を閉じると、記憶を一つ一つ噛み締めるように、セリムは言葉を紡ぐ。
今から五年前、まだ9歳の頃。
用事があるらしい師匠は、王都の街中にセリムを置いてどこかへ行ってしまう。
華やかな王都の中にあって、髪はボサボサ、ゴツイ防具に身を固めた幼いセリムは完全に浮いてしまっていた。
不安と孤独の中、寂しさに押しつぶされそうな少女。
こんなにも人がいるのに、自分が世界で一人ぼっちのような感覚。
そんな時、一人の少女が声をかけてきた。
「あなた、なんだか凄い格好してるわね」
自分と同じ年頃の少女、しかし自分とはまったく違った。
胸元に大きなリボンの付いた、華やかなピンク色の服。
ボサボサの伸び放題な自分とはまるで違う、綺麗に整えられた金色の長い髪、キラキラと輝く蒼い瞳。
そしてフリルとリボンの付いた、ミニスカート。
「あなたは?」
「通りすがりの貴族の娘よ。あなたは冒険者さん? あたしと年は変わんないみたいだけど」
「私は、冒険者……なのかな。わかんない。師匠にあちこち連れ回されてるの……」
「……あなた、つまらなそうな顔してるわね。知ってる? 王都には色々楽しい場所があるのよ。あたしが連れてってあげる!」
「え、ちょっと……」
少女は強引にセリムの手を取ると、王都の人ごみの中を走りだす。
それからセリムは様々な店に連れ回され、色々な名所を案内された。
初めて味わう甘いお菓子、綺麗な服が並んだきらびやかな店。
高台から見渡す色とりどりの町並み。
そして何よりも元気で可愛らしいその少女の姿に、笑う事を忘れていたセリムの顔にもいつしか笑顔が戻っていく。
「その後、突然現れたお家の人にその子は連れて行かれちゃって。結局お互いに名前も言いませんでしたけど、それ以降あの子との思い出が、辛い日々の心の支えになってくれて」
ゆっくりと目を開けたセリムの目は、少しだけ潤んでいる。
「あの子の格好、あれが私の中での可愛さの象徴なんです。世界一可愛かったあの子に近づけるようにって、ずっとミニスカートを履いてるんです」
軽く息を吐いて、セリムは話を終えた。
少しだけ気恥ずかしい、でも懐かしさに心が温まる、そんな気持ち。
短いけれども濃密な時間、間違いなくあの出会いが人生を変えてくれた。
「……ソラさん?」
話を終えたのに、彼女からは何の反応も無い。
思えば相槌もコメントも無し。
騒がしい彼女には珍しく、ただ黙って聞いているだけ。
怪訝に思って彼女の顔を覗こうとすると。
「うひゃっ!」
何故か思いっきり抱きしめられた。
「ちょっと、ソラさん! 往来のど真ん中でいきなり何するんですか!」
頬を赤らめつつ、抗議の声を上げるセリム。
道行く旅人や巡礼者がこちらをチラチラと見ていく。
恥ずかしさと困惑で、頭の中は完全にパニック状態に。
力いっぱい抱きしめられて、ソラの表情も確認出来ない。
何も言わずに突然抱きしめるなんて、普段のソラと比べてもあまりに突拍子も無い行動だ。
不意に我に帰ると、ソラは小さく呟いた。
「えっと、ごめん、なんだか堪らなくなっちゃって……」
「なんですかそれ、意味がわかりません! とりあえず離れて下さい、恥ずかしいですよ……」
セリムの懇願に、ソラはやっと体を離す。
その顔を見て、セリムはさらに驚いた。
彼女の顔は紅潮し、目が潤んで今にも涙を零しそうになっている。
「な、なんて顔してるんですか」
「えへへ、なんでだろうね。ホント、なんでだろう」
「ほら、可愛らしい顔が台無しになる前に、涙を拭きましょう」
ハンカチを取り出し、ソラの目元を拭く。
彼女はとても幸せそうな顔で、セリムのするがままになっていた。
「はい、拭き終わりました。ホント、変ですよ。いつも変ですけど、今のソラさんは輪をかけて変です」
「むぅ、あんまり変とか言わないでよー」
「いいえ、変です。突然泣いたりして。理由を教えてくれますよね」
「ゴメンね、それは言えないの。うん、まだ言えない。もうちょっとだけ待ってて」
「……本当に変なソラさんです」
間近で見つめ合う二人。
そして、彼女達に突き刺さる視線。
その気配にいち早く気付いたセリムは、ジト目でこちらを見つめる魔王様と目が合った。
「お主ら、恥ずかしくないのか。天下の往来でそのようにイチャイチャと。そもそも余の存在自体を忘れておっただろう」
「イチャっ……ついてなんかいませんっ! ソラさん、無駄に近いです! 離れて下さい」
「おっとと、セリムから近づいてきたのに……」
真っ赤な顔でソラを引き離すセリム。
唇を尖らせつつ文句を垂れるソラだったが、セリムのあまのじゃくっぷりも分かってきた頃。
自分に素直になれない彼女を、可愛いとすら思っている。
そうしてまたしばらく歩くと、彼女たちはとうとう聖地カルーザスの入り口に辿り着いた。
岩山を直接削って作られた長い大通り、それは螺旋状に岩山の周囲を回りつつ、頂上の大聖堂へと続いている。
「到着であるな。アウスよ、余は宿を取ってゆるりと休む。聖地にはもう何度も足を運んでおるからな。見るような場所も残っていない」
「かしこまりました。お嬢様のお世話はわたくしにお任せ下さい。快適な一日をお約束しますわ。そして忘れられない一夜も——」
「それは要らぬ」
メイドの欲望をシャットアウトしつつ、マリエールは聖地に足を踏み入れた。
セリム達もその後に続く。
民家や商店が立ち並ぶ坂道には、多くの旅人や巡礼者、冒険者が行き交う。
大聖堂を中心に聖職者が集まり、旅人が集まり、人が集まって町となったこの場所は、宗教施設でありながら一大拠点、人口は王国内でも三位に入る程、この場所は賑いを見せている。
「聖地って言うからもっとお堅い感じをイメージしてたんだけど、普通の町と雰囲気は変わらないね」
「ここはまだ、麓の近くですから。ノルディン教の施設が立ち並ぶ頂上付近は、かなり雰囲気が違ってきますよ」
「余はあまり坂を登りとうない。アウスよ、この辺りに丁度良い宿屋はあるか」
「お嬢様、それではあちらなどどうでしょうか。開店記念特別価格とのことで、休憩5G、宿泊7Gとお安くございますわ」
「却下である」
何故聖地にこのような宿泊所を建てたのか。
何故営業許可が出されたのか。
やたらとピンクな宿を指し示したメイドの提案は、即時却下された。
「なんですか、あの宿。ピンク色で可愛いです。ソラさん、私達はあそこに泊まりませんか」
「うん、セリム。もう少し汚れても良いと思うよ。とりあえず止めておこう、ね?」
少女の純粋な瞳を前に、説明出来ない罪悪感を感じつつもソラは断る。
おそらくセリムは、キャベツ畑やコウノトリを信じているタイプだ。
結局二十分ほど登った中腹辺りで、一行は宿を取ることにした。
聖地だけあって豪華な設備が揃った宿、その広いロビーに備え付けられた椅子に腰かけ、一息つく。
「むぅ、割と登ったな」
魔王様はだいぶお疲れのご様子。
アウスが宿の受付を済ませると、彼女は椅子から立ち上がった。
「セリム、ソラ、余は休暇を取る。お主らは余に構わず、好きにうろついて参れ」
「街中であれば、敵の襲撃もありませんわ。ご安心なさって楽しんできてくださいまし」
「はいよーっ、マリちゃん、またねー」
「お疲れさまでした」
手を振るソラと一礼するセリムに見送られ、二人は奥へと消えていく。
ソラは椅子から勢い良く飛び起きると、早速セリムを急かした。
「さあさあ、セリムっ。あたしはまだまだ元気だよ。頂上の大聖堂とかさ、行ってみようよ」
「ほんと、無駄に元気ですね。ソラさんらしいです。いいですよ、私も上層に行くのは初めてなので」
並んで宿を出る二人。
中腹を越えたこの付近に立ち並ぶのは、宿泊施設や土産物店、飲食店など。
麓ほど雑多な空気ではなく、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。
「ね、ね、手繋ごうよ」
「嫌です、お断りします」
「えーっ、なんでさ。さっきはしてくれたのにぃ」
「あれは特別です。特別はそうそう無いから特別なんですよ」
「にしし、そんなコト言って、ただ恥ずかしいだけのくせに」
「うるさいですね。ほら、行きますよ」
「あっ、待ってよー」
歩く速度を早めるセリム。
それでも本気の早歩きで置き去りにはせず、ソラが余裕を持って付いてこれる程度の早さで。
通りの終着点に辿り着いた二人の前に、大きく開かれた鉄の門と石壁が立ちはだかった。
「おぉ、目の前に石の壁と仰々しい門が。開かれてるけど」
「ここからが第三区画ですね。この門から先は宗教施設しかありません」
「第三って何さ?」
「大聖堂がある場所が第一区画、その下にある教会を中心とした場所が第二区画、さらに下にあるのがこの第三区画です。まあ、出来た順番ですね」
「ほえー、よく知ってるね」
感心しながら門をくぐると、周囲の空気が一変する。
危険地帯に入ったようなはっきりと感じる違和感ではなく、どこか荘厳な雰囲気。
岩肌を背にして建てられた教会、それを囲むように建つ礼拝堂や大小様々な建造物。
道を行く人も、巡礼者や神父、シスターが主だった顔だ。
「なんと言うか、身が引き締まりますな」
「ふふっ、それはそれは、殊勝なことで」
背筋をピンと伸ばしたソラに、セリムは苦笑い。
「ここの教会ってさ、普通の町にあるようなのとは違うの?」
「そうですね、私も詳しくは知りませんが、ノルディン教に関わる宝物や歴史的資料、貴重な像などは、ほとんどがこの場所で管理されてるらしいです」
「ふーん、よくわかんないけど特別なんだね」
「その中でも特に大聖堂は、ノルディン教の頂点に立つ場所ですから」
「うぉぉっ、早く行きたい! 行こっ、セリム!」
「わ、ちょっと」
ソラは強引にセリムの手を取ると、参道を走りだす。
その姿に、一瞬あの時の少女が重なった気がした。
「ま、待って下さい、参道は走っちゃダメです」
「おっと、そうでした」
急停止したソラは、そのままセリムの隣に並んで歩き始める。
「あと、手も離してください」
「いいじゃん、このまま行こうよ。ね?」
「……もう。特別、ですからね」
「特別って滅多にないんじゃなかったの?」
「知りません。ほら、行きますよ」