002 放っておいたらこの子、間違いなく死にますね
仰向けに倒れた少女を、セリムは恐る恐る覗きこむ。
爆発の衝撃で目を回してはいるが、目立った外傷などは見られない。
どうやら命に別条は無さそうだ。
「大事は無さそうですね。軽い脳震盪といったところでしょうか」
ホッと胸を撫で下ろすと、彼女はポーチから癒しの丸薬の入った筒を取り出す。
軽く振って手のひらに二粒ほど転がすと、意識の無い少女の上半身を抱き起こした。
「30Gの出費ですが、仕方ないですよね。半分は私のせいでもありますし……」
丸薬を口に含ませてから、竹筒の水筒で水を少量流し込むと、ゴクリ、と喉が鳴った。
詰まることもなく、スムーズに飲み込ませられたようだ。
「これでダメージも大丈夫、熊さんの方はどうしましょう」
首から上が吹き飛んだブラッドグリズリーの死体を眺めながら、セリムは思案する。
牙は頭ごとバラバラに飛び散ってしまったため、取れる素材は爪、毛皮、肉、骨、このくらいだろうか。
とはいえ、解体するとなるとどうしても返り血が付いてしまう。
モンスターを解体するなど想定していなかったため、今日のコーディネートは可愛らしいフリフリの服。
お気に入りを血で汚してしまうのは、なんとしても避けたいところだ。
「ちょっともったいないですが、爪を持っていくだけにしますか」
短剣を抜くと、熊の爪を根元から切り落とす。
ブラッドグリズリーの鋭い爪は優秀な素材。
セリムが普段から愛用するアイテムにも、いくつか使われている。
手足合わせて二十本を剥ぎ取ってポーチに放り込むと、未だに意識の戻らない少女の元へ。
「まだ伸びたままなんですね。仲間もいないようですし、こんな危険な場所に一人で置いていくわけにもいきませんか」
握ったままの剣を鞘に納めてあげると、セリムは軽々と少女を片手で持ち上げて肩に担いだ。
「……全然かわいくないですね、今の私」
本気になれば硬い大岩を素手の一撃で粉々に粉砕出来るこの力。
女の子らしさとは対極の自分を認識するたび、セリムの胸に浮かぶのはモヤモヤした気持ち。
どこか憂鬱な気分で、セリムは町へと引き返していった。
○○○
町に戻ったセリムは、まずクレアの家を訪れる。
目的は当然、美顔クリームの納品。
早さと正確さの両立、それがセリムのおみせのモットーだ。
玄関の扉をノックすると、すぐに丸めの中年女性が登場した。
「あら、あらあらセリムちゃん。まあまあまあまあ、もう出来あがり? 朝に頼んだばかりなのに、ホントお仕事早いわねえ」
「こんにちは、クレアさん。ご注文の美顔クリーム二十個、お届けに上がりました」
「ありがとうね、ホント。主人ったらつるつるになったくるぶしを見せつけてきてね、もう腹立つったらないわよまったく。お前の頭をつるつるにしてやろうかって……あら、その女の子どうしたの?」
セリムの足下に横たわる少女を見咎め、クレアはたぷたぷの首下を震わせる。
セリムは町に入ってから、出来るだけ重そうにお姫様だっこで運ぶ方針に切り替え、クレアの家に到着すると背中が痛くなさそうな場所に少女をそっと横たえたのだ。
腕一本で人一人を運ぶ姿を誰かに見られたくない、そんな乙女心ゆえの行動であった。
「ちょっと森で拾いまして、放っておく訳にもいかず……」
熊もろとも吹き飛ばしました、など口が裂けても言えやしない。
「まあ、大変。お医者さんに連絡する?」
「怪我はしてませんし、癒しの丸薬も飲ませたので、あとは横になってればいずれ目を覚ますかと」
「それじゃあこんなところで立ち話してる場合じゃないわね。待ってて、今すぐお金持ってくるから」
クレアは依頼分の代金を取りに、ドタドタと足音を立てて家の奥へと引っ込んでいく。
ポーチから美顔クリームを取り出しながら待っていると、丁度二十個目を取り出した辺りで戻って来た。
「お待たせ、はい200G。ちゃんと入ってるか、念のため確認しておいてね」
硬貨が詰まった袋から10G硬貨を取り出して数えると、きっちり20枚。
ありがたく革の財布に納めると、クレアに商品を引き渡す。
「代金の方、確かに頂きました。今後ともごひいきに」
「いいのよ、それよりほら、その子そんなところに寝かせておいたら可哀想じゃない? 早く連れて行ってあげて」
「そうですね、では失礼します」
出来る限り重そうな演技をして少女を両手で抱え上げると、クレアに向けてペコリと一礼。
セリムのおみせに向けて、最低限自然な速さで歩いていった。
大通りに出てすぐ、可愛らしい星やハートが散りばめられた看板が目に入る。
アイテム調達屋、セリムのおみせの看板だ。
住み慣れた我が家のドアにぶら下げたプレートをオープン表示にすると、カギを開けて店内へ。
そのままカウンターの奥にある自室へと向かう。
ピンク色のカーテン、枕元にところ狭しと並べられたぬいぐるみ。
そんな少女趣味全開の部屋の中、セリムは少女のブレストアーマーとガントレット、ブーツを脱がせてベッドに横たえた。
「ふぅ、結構激しく動き回っちゃいましたね。前髪は乱れてないでしょうか」
ようやく一息つくと、姿鏡の前に座って前髪をチェック。
少しだけ乱れた髪を手櫛で軽く整えていると、来客を知らせるベルが鳴った。
「セリムちゃん、居ないのかい」
「はーい、ただ今参ります!」
軒先から聞こえた声に返事をすると、駆け足でカウンターへ。
来店者はこの町で鍛冶屋を営む中年男性のウィルだ。
「ウィルさん、いらっしゃいませ。今日はご依頼ですか?」
「そうなんだよ、魔鉄鋼を切らしちゃってさ。冒険者ギルドに依頼すると時間がかかりそうだし、報酬も高く付きそうで困ってるんだよ」
「普段卸してもらってる業者さんは? 確か格安で譲ってくれるって話でしたよね」
「なんでも腰を痛めたらしくて、二、三カ月は身動き取れそうにないって。もうセリムちゃんだけが頼りなんだよ」
魔力を抵抗なく流す性質を持つ魔鉄鋼は、魔法使いの杖を作成する必需品として大きな需要がある。
この近辺で魔鉄鋼が採掘出来る場所は、レッドキャニオンと呼ばれる、断崖が広がる荒涼とした岩場。
危険度レベルは脅威の30、冒険者ギルドに頼めば高位の冒険者を駆り出すことになり、当然代金もかさむ。
一方で、セリムにとってはこの程度の危険度は話にならない。
鉱石を豊富に採掘できるあの場所は、彼女にとっても宝の山なのだ。
「構いませんよ。ちょっと大変な場所ですが、誰かに助けてもらえばなんとかなると思います」
これは当然ながら嘘。
一人でも余裕なのだが、化け物みたいに強いことをどうしても他人には知られたくなかった。
「助かるよ、お礼は弾ませて貰うから。それじゃあ魔鉄鋼40個の納品、よろしく」
仕事が立て込んでいるのか、依頼を出し終わるとウィルは駆け足で店を後にする。
レッドキャニオンは近場とはいえ、ここから歩いて四時間はかかる距離だ。
すでに時計は正午を回っている。
走ればあっという間だが、いつ目が覚めるとも知れない少女を放ってはいけない。
出発は明日にしておくべきだろう。
依頼内容を忘れてしまわないうちに、鼻歌交じりでペンをメモに走らせる。
「いいお仕事が入りました。素材はたっぷり拾えますし、お礼もたんまり貰えますし。ふふっ」
依頼内容を書き記すと、上機嫌で奥の自室に戻り、ベッドの脇へ。
手持無沙汰となった彼女は、静かに寝息を立てる少女の顔をまじまじと見つめる。
長いまつ毛にピンク色の唇、サラサラの金髪を大きな赤いリボンでまとめたポニーテール。
整った顔立ちには、どこか気品すら感じる。
「こうして見てみると、中々の美少女ですね。まぁ、私には及びませんが」
「……ん、んんっ。ここは……?」
閉じていた青い瞳がゆっくりと開き、彼女はようやく意識を取り戻した。
体を起こすと、見慣れない部屋の風景に戸惑っているのか、困惑気味に周囲を見回している。
「よかった、気が付きましたか。大丈夫ですか? 自分の名前とか、わかります?」
「あなたは……、ここはどこ?」
「ここはリゾネの町、私の経営しているアイテム調達屋です。森の中であなたを拾ったので、ここまで連れて来ちゃいました」
「そうなんだ……。あたしは確か熊に襲われて、あれ? その後なにがあったんだっけ」
額に手を当てて思い出そうとするが、どうも気を失う直前の記憶がはっきりしない。
彼女が思い出してしまう前に、セリムは慌てて話を進める。
「あ、あの、自己紹介がまだでしたよね。私はセリム・ティッチマーシュ。さっきも言いましたが、この町でアイテム調達業を営んでます」
「セリムね。あたしはソアレス……、コホン。ソレスティア・ライノウズ。訳あって旅の途中なんだ」
「ソレスティアさんですね、よろしくお願いします」
「長いからソラでいいわよ。みんなそうやって呼んでるし」
「では、ソラさんで」
自己紹介も済んだところで、まずは体調のチェック。
「ソラさん、どこか痛いところとかありますか? かなり派手に吹っ飛んでましたけど」
「吹っ飛ぶ? うーん、そうだな……。頭もすっきりしてるし、むしろ絶好調って感じ?」
快活な笑顔を見せてくれたソラに、セリムも思わず頬が緩む。
無事を確認したところで話は本題、ずっと気になっていたことに切り込んでいく。
「それは何よりです。ところで、どうしてあんな危険な場所に一人でいたんですか?」
中級冒険者程度ならパーティを組んで入るべき場所に、なぜこの少女は一人でいたのか。
「それね、実は道に迷っちゃって。地図の通りに進んでたはずなんだけど、全然違う方向に行っちゃったみたい」
「それは……なんというか」
方向オンチさんですか、とは初対面ではさすがに失礼だろう、グッと言葉を飲み込んだ。
「ってかさ、あの森ってそんな危険な場所だったの?」
「危険度レベル15の危険地帯です。私が来なければ間違いなく死んでましたよ、あなた」
「じゅっ……! ま、まあそんな場所から一人で生還出来たあたり、さすがあたしね!」
「ですから、一人では生還出来てないんですって」
——あれですか、この子はアホの子ですか。
「あれ、そんな危険地帯にキミみたいな女の子が一人でいたの?」
「うっ、それは……」
アホかと思いきや、中々痛いところを突いてきた。
一体なんと返すべきか、頭を悩ませる間に、更なる追撃が加えられる。
「っていうか、あの熊どうなったの? キミがあたしを助けてくれたってことは……」
「あぅぅっ……。そうです、私が熊さんを爆殺しました……」
とうとう観念したセリムは、正直に白状した。
「……うえぇぇぇぇっ!? 待って、それホントに!?」
ヒラヒラの服に可愛らしい髪型。
女の子を具現化したかのような目の前の少女が、なんと熊殺し。
信じがたい事実に、ソラは大いに目を剥いて驚く。
「人は見かけによらないって言うか……、セリムって強いんだ」
「強くったってそんなの……、熊さんを一撃で仕留める女の子なんて可愛くないです……」
「うーん、あたしは強いに越したことないと思うけどな」
「ソラさんは、強い方がいいんですか?」
セリムの質問に、ソラは胸を張って答えた。
誰に聞かれても恥ずかしくない、そんな堂々とした態度で。
「もっちろん。あたしの目的は世界最強! この世界で一番の剣士になることなんだから!」
自信に満ちた声で言い切って見せたソラの姿は、なぜだかセリムにはキラキラと輝いて見えた。
「世界最強……、それが、夢……」
「何を隠そうこの旅もその一環! あたしの夢を叶えるための旅なんだ」
「そう、なんですか。……でも最強を目指す割には、熊さんに殺されかけてましたよね」
「うっ……、今はダメでもこれから強くなるんだから! それよりも——」
ソラは身を乗り出し、セリムの両手をがっしりと掴む。
「あの熊を一撃で倒したっていうセリムの技、あたしに教えてよ! 一体どんな剣技を使ったのさ!」
「あの、私のクラスは剣士じゃなくてですね……」
「そうなんだ、じゃあ何? 爆殺したって言ってたし魔法使いとか?」
「あの……アイテム使い、です」
「……何?」
「アイテム使い、私のクラスの名前です……」
聞いたこともない名前に、ソラは首をかしげる。
セリムにとっては予想通りの反応。
「んー? 聞いたことないや、そんなクラスがあったんだ」
「そうですよね、ドマイナーですもん」
五歳の誕生日を迎えた時、人は人生最初の大きな選択を迫られる。
この世界を作ったとされる神を祀るノルディン教。
五歳を迎えた子どもは教会に赴き、古代から伝わる神具で三つの可能性を知る。
剣士や拳闘士、魔法使いや魔法剣士など、その人物に眠る様々な才能。
三つの可能性うち、たった一つを自分で選び、それがその者のクラスとなるのだ。
「アイテム使いは一千万人に一人の才能。もし才能があったとしても、全く知られていない上に響きが弱そうなので必ずと言っていいほど選ばれない。そんなドマイナーなクラスなんですよ、これ」
そもそも誰も知らないクラスにも関わらず、師匠は最強の冒険者として名を馳せた昔話を自慢げに語ってくれた。
これは一体どういうことなのか。
師匠の世界最強とやら、もしかしたら自称なのでは。
あの恨み連なる腐れ師匠のことなど思い出すだけで不快なため、出来るだけ考えたくないが、やはりどうしても気になってしまう。
眉をひそめるセリムには構わず、ソラは目を輝かせる。
「でもさ、すっごい強いんでしょ! 熊を一撃で殺すくらいだしさ!」
「熊殺しには触れないでください! 本来は後方支援がメインのクラスなんですよ。私は、その……、ちょっと違うみたいですけど……」
「そっか。……うん、あんまり聞かないでおくよ。強いって言いふらしたくなさそうだし」
「そうしてもらえると助かります……」
ようやく苦手な話題が終わってくれて、セリムはホッと胸を撫で下ろす。
今度はこちらから、疑問に思っていたことに突っ込んでいく番だ。
「ところでソラさん、森と間違えた目的地って一体どこなんですか?」
「レッドキャニオンって言うんだけど、知ってる? 鉱石がたんまり採れるって話を聞いて、あたしの目的の物も採れると思ったんだけど」
「ぶっ……、あ、あそこの危険度レベル知ってるんですか!? 30ですよ、30! 森の二倍!!」
とんでもない答えに、思わずはしたない声を出してしまった。
ダメだ、この少女は放っておけば確実に死んでしまう。
危なっかしくてとても放っておけない。
「そんなヤバいところだったんだ。でも、なんとかなるでしょ」
「なりませんよ! 間違いなく死にますよ!?」
その根拠のない自信がどこからくるのか、一から十まで問い詰めたい気分になるセリム。
「あたしは死なないわよ? 世界最強の剣士になるんだもん。それまでは何があっても死ぬわけないじゃん」
「アホですかっ! あなたアホですね!? ……もう、わかりました。実は私、レッドキャニオンに行く用事があるんです。一緒についていってあげますよ」
止めたって行くと言うのなら、もはやこうするより他はない。
このソラという少女、一人にすれば絶対に行ってしまう。
「ホント!? ありがとう、セリムが居れば心強いわ! よし、そうと決まれば今から……」
「行くのに四時間はかかります。今から行っては日が暮れてしまいますよ。明日です、明日」
明日の採掘行は、思いがけず二人で行くこととなってしまった。
しかし、この用事が終わって自分と別れた後、ソラは果たして一人で大丈夫なのか。
勝手に高レベルの危険地帯に突っ込んで、すぐにでも屍を晒しそうな少女。
あまりにも危なっかし過ぎて、セリムは放っておく気にはなれなかった。