017 自業自得で落ち込んでる場合じゃないですか?
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんわ」
「いえ……、お元気そうで何よりです……」
畏まって優雅にお辞儀をするアウス。
礼儀正しい口調だが、もう色々と手遅れである。
遠巻きに受け答えするセリムは涙声。
幼女の全身を嗅ぎまくる成人女性の姿は、彼女には刺激が強すぎたようだ。
「マリちゃん、大変な人だね、アウスさんって」
「うむ。だが、これにさえ目を瞑れば完璧なメイドではあるぞ」
「……マリ、ちゃん?」
アウスの眉毛がピクリと動き、睨みを利かせながらソラに詰め寄っていく。
「いくらお嬢様の恩人とは言え、マリちゃん? それはいささか馴れ馴れしすぎるのではありませんこと?」
「あ、あの、ご、ごめんなさい……?」
「良い、アウスよ。余がそう呼ぶ許可を下した、それで十分だろう」
「ははっ、お嬢様のご意思とあらば。ソラ様、どうぞ遠慮なく、これからもマリちゃんと呼んでくださいまし」
「えっと、そうします……」
魔王様の一声で、一転して完璧なスマイルを浮かべるメイド。
ソラは恐怖に後ずさり、背後にいたセリムと軽くぶつかった。
「セ、セリム。あたしもあの人、ちょっと怖いかも」
「絶対危ない人ですよ、次に何をしてくるのかさっぱり読めません……」
二人にとってすっかり恐怖の対象となったメイドは、主人の側で恭しく控えている。
「と、ところでマリエールさん。無事にアウスさんと合流できた訳ですけど、これからどうするんですか?」
「その辺りの予定は全てアウスに一任しておる。アウスよ、どうなのだ」
主の言葉を受けて、どこからともなく手帳を取り出すと、素早くページをめくってスケジュールを確認する。
「はっ、この後は聖地カルーザスにてベルフとベルズの二人と落ち合い、情報共有をする予定ですわ」
「成程、あの姉妹と落ち合う予定か。確かお主らもカルーザスに行くのだったな。短い間だが、旅の道連れとして心強いぞ」
「良かった、まだしばらくマリちゃんと一緒なんだ!」
この場でのお別れも覚悟していたソラ。
行き先が同じと分かると、嬉しそうな声を上げる。
「しばらくの間、よろしくお願いいたしますわ、セリム様」
「は、はいぃ……」
一方セリムは、このメイドと一緒に旅をすることにこの上ない不安を抱いていた。
○○○
空が茜色に染まり、太陽が地平線に沈んでいく。
アウスの襲撃とその後の諸々により、本日の行程は予定の半分程度。
宿場町の宿屋で一晩過ごせると思っていたセリムは、早速の野宿に憂鬱な気分だった。
「はぁ……、私の自業自得なんですけどね、アウスさんが中々目覚めなかったのは。この無駄に強い力が、憎いです……っ!」
「ほらほらセリム、元気出して。ついでに食材も」
野営の準備を整えながら、思わずため息。
幸せが逃げてしまうと自分に言い聞かせ、ポーチの中から野草と生肉、調味料を取り出して並べる。
「ソラさんは元気ですね。その元気、私に分けて下さい……」
「良いわよ、それっ! ぎゅーっ」
後ろからソラに抱きしめられた。
鎧を脱いでいないので柔らかくはないが、ほんのりと甘いセリムの好きな匂いがする。
「ん、ソラさん。もう少しこのままで」
「わかった。んー、セリムって柔らかいよね、いい匂いもするし。これじゃ、あたしの方が元気出てくるよ」
柔らかなほっぺを擦り合わせる。
少しだけくすぐったい、だけどとても心地いい感触。
もう少しだけ、もう少しだけこうしていたい。
太陽が完全に姿を消し、星が瞬き始めるまで、二人は身を寄せ合って穏やかな時を過ごした。
「ん、もう大丈夫です」
「そっか。どう、元気出た?」
「ほんの少しですが。よし、今日も腕を振るいますよ!」
「おぉ、頑張れ頑張れ!」
ソラの応援を受けて、俄然やる気が出た。
炎の魔力石で焚き木に火を起こし、料理に取り掛かろうとするところ、ふと感じた違和感。
「そういえば、マリエールさん達はどこへ行かれたんでしょう」
「トイレらしいよ。お嬢様のトイレ姿を万一にも衆目に晒す訳には、とか言って、うーんと遠くに行っちゃったわ」
「あぁ、言いそうですね、あの変態さんなら」
そして自分一人だけで、その様子を堪能するのだろう。
深く考えるとまた気分が悪くなりそうなので、料理に集中。
「まずは野草の灰汁抜きですね。お鍋に水を張って、と……」
「うーん、あたしは暇になっちゃった……。ソレスティア様特製のスペシャル料理はセリムに禁止されちゃったし。素振りでもしてよっと」
食材の下ごしらえを始めたセリム。
剣を持ってその場を離れたソラは、ツヴァイハンダーを両手で構えると、一心不乱に打ち込みを開始した。
その一方で、魔王様とその下僕は……。
「ふぅ。アウスよ、濡れたハンカチを」
「かしこまりましたわ」
用を足し終えたマリエールに、メイドは即座にハンカチを渡す。
手を拭ってアウスに返すと、またまた素早く懐にしまった。
間違いなく、このハンカチはコレクション行きだ。
魔王様にとってはいつもの事であらせられるので、もはや気にもなさらない。
「それにしてもちょっと離れ過ぎではないか。街道からかなり歩いたぞ。漏れるところだったではないか」
「先ほども申しましたが、万一にもお嬢様がお花を摘む姿を余人に見られれば、わたくしはこの手を血に染めなければなりませんわ」
現在二人がいる場所は、セリムが野営を準備している地点から一キロ以上離れている。
長い道中の中、危うく漏らしそうになったマリエール。
漏らしたとしてもそれはそれで、という打算がメイドにあったかどうかは定かではない。
「では戻るか。この距離を歩くのは億劫ではあるが」
「ではお嬢様、このアウスめが腕の中に。お運び致しますわ」
「断る。全身を撫でまわされてはたまらん」
下心丸出しの提案を、マリエールは即座に却下する。
「チッ……!」
「待て、今舌打ちしたか。舌打ちしたであろう!?」
「さて、何のことでございましょう」
抗議の声に対し、メイドはすっとぼけて見せる。
小さな体の感触を味わえないことを残念に思いながらも踵を返した彼女は。
「——っ!? お嬢様、お下がりを」
こちらに接近する見覚えのある人影に対し、主を庇う形で前に出る。
敵は一人、コロド近郊で交戦した二人組の片割れだ。
「はいはいどーも、魔王さんとメイドさん。またお会いできて光栄よ」
刀身が反ったカットラスと呼ばれる剣を二本、両手でそれぞれ弄びながら、女はその姿を晒した。
茶色の長い髪を後ろ頭に丸く結んだ、魔族の女。
赤を基調とした露出多めの服を着ている。
「あやつは、余の杖を奪った賊!」
「ノコノコとわたくしの前に姿を現すとは、細切れにされたいようですわね……!」
「賊とはご挨拶だね。昨日会った時も名乗ったのに、覚えててくれなかったなんて。はぁーあ、薄情な話だわ」
右手の剣の切っ先を向けながら、女は改めて名を名乗る。
「あたしはサイリン・マーレーン。今度こそ忘れないでおくれ、お二人さん」
「覚える必要がありまして? 貴女は今からこのわたくしに、挽き肉にされるというのに」
スカートの内側に丸めて納めていた蛇腹剣を取り出し、軽く振るって剣の状態に戻す。
「アウス、余はセリム達を呼んでくる! それまで持たせよ!」
「おっと、そうはいかないよ。フレイムウォール!」
走りだしたマリエールの行く手に、燃え盛る炎の壁が立ちはだかる。
「のあぁっ! くっ、こやつ炎魔法を使うのか……!」
急ブレーキをかけた彼女は忌々しげに壁を睨むが、魔法が使えない今、どうする事も出来ない。
「お嬢様!」
「魔王さんはそこで大人しく見てて下さると助かる。あんたを焼き殺すのも簡単なんだけど、それじゃだめなのさ。肌身離さず身につけてるそれが灰になっちゃ困るからね」
「……お嬢様に対する数々の無礼、万死に値しますわ。楽に死ねるとは思わないでくださいましッ!」
堪忍袋の緒が切れたアウスは、怒りの形相で駆けこんでいく。
剣を鞭状に分解すると、まずは敵の剣を絡め取ろうとする。
「その動き、予想通りっ」
流れるような体捌きで横宙返り、迫る蛇腹剣をひらりと回避して鮮やかに着地をする。
アウスは敵の間合いの外から仕留めるべく、伸びた剣で何度も斬りつけにかかった。
嵐のような連撃は、しかし剣舞のような流麗な動きで弾かれる。
腕の振りに合わせて一定のリズムで襲い来る鞭撃は、敵の戦闘スタイルと相性が悪いようだ。
「ならば、これはいかがでしょう!」
伸びた刀身を一振りで元に戻すと、アウスは接近戦を仕掛けた。
敵の間合いに飛び込み、斬り結ぶ。
相手は二刀、攻撃は刀身で受けずに回避し、鍔迫り合いは避けるよう心掛ける。
一刀で受けられ、もう一刀で斬られるのがオチだ。
「そんなモノなのなのかい、魔王の側近ってのは!」
「貴女こそ、喋る余裕なんてありますかしらっ!」
左右同時の薙ぎ払いを身を沈めてかわし、同時に足下を斬りつける。
サイリンは身軽に飛び跳ねて避け、体を回転させながらアウスの背後へ着地した。
そのまま繰り出された左右から挟み込むように首を狙った斬撃を、前転で回避して距離を取る。
そして背後を振り返りながら、剣を鞭状に変化させて斜め上に薙ぎ払った。
首をほんの少し傾けただけでその攻撃はかわされ、サイリンの髪の毛数本を斬るに留まる。
「これで終わり?」
「そんな訳はありませんでしょう、お互いに」
再び刀身を戻し、顔面を狙った鋭い突き。
これもかわされ、踏み込み過ぎたアウスは敵の間近で多大な隙を晒す結果となる。
「迂闊だね、案外呆気なかったわ」
彼女の胴体を輪斬りにするため、サイリンは二本の剣でトドメに入る。
突きの体勢のまま、この攻撃を受けるしかないと思われたアウス。
その体が重力を無視して足下から浮きあがり、彼女の頭を軸にくるりと回転した。
「何っ!?」
不意を突かれたサイリンは、頭上のアウスに左の肩口を深く斬り裂かれる。
足の裏に発生させた風で体を浮き上がらせ、敵の虚を突いたのだ。
月の夜空に鮮血が散り、アウスは敵の背後に優雅に着地した。
「くっ、少々見くびっていたみたいだね。メイドさん、あなた、ウインドナイトだったのかい」
「いかにも。風魔法、使わせていただきましたわ」
クラス・ウインドナイト。
剣技と風魔法を操る、中距離戦闘に長けたクラス。
風と剣を併せた変幻自在の戦術は、アウスの最も得意とするところだ。
「なるほど、じゃああたしも出し惜しみは無用ってわけだ」
サイリンは剣に魔力を滾らせる。
彼女が操るのが炎の魔力なのは、先ほどマリエールに見せた通り。
「気付いてると思うけど、あたしのクラスはフレイムナイト。炎と風、どちらが強いか比べっこといこうかい」
「比べっこでございますか。謹んで辞退させてもらいますわ。わたくしの勝ちに決まっていますもの」
「減らず口を。その余裕、どこまで持つか試してやる。エンチャント!」
魔法剣士系クラス特有の技能、エンチャント。
属性魔法を武器に宿らせた魔法剣。
二刀の反った刀身が、燃える炎に包まれた。
「あらあら、派手ですこと。ファイヤーダンスの曲芸でもなさるのかしら」
「その涼しげな顔、焼き潰してやるよ!」
炎を纏った二刀で突っ込む敵に対し、アウスはその切っ先を向けて迎え撃つ。
戦いの一部始終を見守ることしか出来ないことに、マリエールは歯がゆさを感じていた。