158 最深部を目前に、最後の関門です
セリムたちが六十階層にてオリハルコンの秘密に気付いた頃、ラティスは七十八階層を悠々と進んでいた。
トラップもカラクリ兵も、胸に仕込まれたオリハルコンに魔力を送り込めばすぐさま動作を停止する。
障害となるのは、野生の生物が変貌した魔物のみだが、それすら魔人化した彼の足下にも及ばない。
「これほど楽な道のりになるとは、予想外でした」
迷宮を半分も下った頃、ラティスはオリハルコンに隠された機能に気が付いた。
それからというもの、彼の進行速度は大幅に上昇。
後ろからセリムたちが追いかけてきているが、最深部に辿り着くまで追い付かれることはないだろう。
邪神の力を取り込むのにどの程度かかるかは分からないが、時間的な余裕は十分に作れるはずだ。
そして、目的が済めば邪神の能力の一つである空間跳躍が使えるようになる。
その力を使って大陸にある本部まで跳べば、自らの身の安全も確保出来る。
「ふふっ、全く運が良い。この勝負、私の勝ちです」
物陰から襲い来るカラクリ兵。
ラティスが心の中で停止を命じると、すぐさま動きを止める。
「くくく、あーっはっはっはっは!!!」
迷宮に響く彼の高笑い、彼の歩みを阻める者は誰もいない。
○○○
迷宮に突入して五日目。
野営地点を少し早めに出発したセリムたちは、可能な限り先を急ぐ。
「ヘルメルさん、もしもラティスが先に最深部に到着した場合、どうなるのでしょう」
「まさか、即ゲームオーバーってことにはならないよね?」
隊列の中央で古文書を広げたヘルメルは当該の記述を探すが、
「……残念ながら、邪神の力を取り込む方法やその所要時間は記されてありません」
とのことである。
「当然だろうね。おそらく邪神の力を取り込むなんて理論を考え出したのは、ホースだろうから」
「魔素を取り込む魔人化の技術の応用……ってところでしょうね」
ラティスとヘルメルやキリカのやり取りを直接聞いていたクロエとリース。
二人にとっては、記述が無いことは想定内。
「でも、時間はかかると思う。なんせ邪神の力ってくらいだから、そりゃもう膨大なもんだろ? そんなものを短時間で取り込んだら、間違いなく体が持たないよ」
「下手を打つとあの時のルキウスみたいになってしまう、ってことですね」
クロエの分析にセリムが相づちを打つ中、先頭を歩くソラが声を上げた。
「セリム、モンスター出た!」
背中の白刃を抜き、両手で構えるソラ。
セリムもすぐさま臨戦態勢に入った……ところで、彼女は顔を顰める。
「……蜘蛛さん、ですか」
通路いっぱいを埋め尽くす、びっしりと産毛が生えた巨体。
八本足をカサカサと蠢かせ、五つの目がこちらを見つめる。
膨らんだ腹部は黄色と黒の毒々しい縞模様。
ヘルメルとリースは青ざめながら、クロエに守られて後ろに下がった。
「見たことのないモンスター……っていうか、そのまま蜘蛛さんを大きくしただけですね……。うぅ、嫌です」
「露骨にテンション下げてないで、援護よろしく!」
自身も青ざめながら、ソラは剣を握って突撃する。
「そ、そうですね……。先を急がなきゃいけませんし、早くいなくなって貰いたいですし……」
セリムはポーチからタイマーボムを取り出し、口を目がけて放り投げた。
糸を吐き出そうと口を開けた大蜘蛛。
その中にすっぽりとタイマーボムがハマり、爆発。
体を仰け反らせて怯んだ瞬間、ソラの集気大剣斬が蜘蛛の巨体を真っ二つに断ち斬った。
「おっし、終わり! さあ進もう、先に進もう!」
「ええ、そうですね! 少しでもラティスと差を詰めなきゃですから!」
両断されて中身を垂れ流しながら、ピクピクと足を痙攣させる蜘蛛。
そのグロテスクな亡骸を極力視界に入れないようにしながら、セリムとソラは足早にその場を立ち去る。
リースとヘルメルも青ざめながら後に続き、ただ一人クロエだけが名残惜しそうに何度も振り返った。
「ね、ねえ。アレってセリムも知らない未知のモンスターだったんでしょ? 素材の確保とかしてった方が……」
「無理です!!」
「勿体ないなぁ……。ボクが拾ってこようか?」
「結構です!!!」
「うーん……、勿体ない……」
クロエはこのメンバーの中でただ一人、虫系統のものに嫌悪感を抱かない。
女王アリの卵管すら平気で抜き取る彼女には、セリムたちの気持ちは到底理解出来なかった。
「クロエさぁ、どうして平気なの、アレ。ドロリと色々垂れてるのに……」
「……ん? 他のモンスター斬っても、色々中身出て来るじゃん。それにみんな、いつも平気で解体してるでしょ?」
「そうじゃなくて、あたしたち虫はちょっとダメだから……」
「そ、そうなんだ……。変なの」
○○○
立ちはだかる機械兵、仕掛けられた罠、高レベルの野生モンスターを相手にしながらの進撃。
ほぼ常人も同然のヘルメルがいる以上、セリムたちはどんなに急いでも、一日に二十五階層の踏破が限界。
五日目は八十五階層まで到達したが、やはりラティスには追いつけない。
セリムたちがやむを得ず野営の準備を始めた頃、ラティスはとうとう海邪神の遺跡最深部に到達。
「ふふふ……フハハハハッ! とうとう辿り着きましたよ、封印の間ッ!!」
レムライア最大の島であるアストラス島。
その近海、海底の更に遥か下。
地下深くに広がる大迷宮の最深部に封じられた海邪神の力が、ついにラティスの手に落ちた。
「フフフフフ……。では、早速取り込むとしましょう」
台座の上に安置された巨大な金色の杯。
円形の杯は規格外の大きさで、その直径は四メートル以上。
その中に満たされた黒々とした液体こそが、海邪神の力。
迷宮を満たす魔素の全ては、この杯の中身から発生している。
杯を持ち上げたラティスは口を付け、その液体をわずかばかり口に含み、飲み込んだ。
「……ウッ、ウグウウゥゥゥゥゥッ!!」
途端に、胸の奥に走る激痛。
身を裂くような苦痛に、彼は杯を手放して床に倒れ、悶絶する。
「うぐああぁぁぁっ、ああっ、はぁ、はぁっ……」
荒く息を吐きながら立ち上がり、杯の中身が零れていないことに安堵すると、
「はぁ、は、はははっ! 成程、簡単には取り込めませんね!」
すぐに状況の分析に入る。
「この巨大な杯の中身、通常ならば全て飲み干すのに六時間といったところでしょうか。しかし、これほどまでの苦痛を伴うとなると、その四倍は見積もらなければならない。つまり二十四時間」
丸一日あれば、海邪神の力を全てこの身に取り込める。
問題は、セリムたちが来るまでに間に合うか。
「タイムリミットはギリギリ、といったところでしょうか。……分析している時間も惜しいですね」
時間的な余裕は無い。
ラティスはすぐさま杯に口を付け、液体を飲み込む。
そして、身を裂くような苦痛に絶叫を上げた。
○○○
潜入六日目。
とうとうセリムたちは、九十九階層にまで辿り着いた。
結局ラティスには追いつけないまま。
ここまで来た以上、間違いなく彼は最下層に到達してしまっている。
「問題は、それだけじゃないんですけどね……」
「ね、ねえ。本当にあたし、アレと戦うの?」
最下層へと繋がる下り階段のある広間。
その階段の前に鎮座するカラクリ兵は、今までのものとは明らかに格が違う。
人型の上半身に馬のような下半身と、見た目はまるでケンタウロスのよう。
その大きさはおおよそ三十メートルほど。
右腕は先端部分が丸みを帯びた筒となっており、何かを撃ち出すための発射口にしか見えない。
「あれ、絶対素早いよ? デカイし、なんか凄いの右腕から撃ってきそうだし。それに急いでるんでしょ? わざわざあたしが時間かけて戦わなくてもよくない?」
「そ、そうですね……。時間がありませんし、早く片付けるに越したことはないですね。私、行ってきます」
この状況、ソラのレベル上げとしゃれ込んでる場合ではない。
一人広間に飛び出したセリム。
彼女の姿をセンサーで捉えたカラクリ兵は、赤いモノアイカメラを光らせて起動する。
「カラクリ兵さん、覚悟してくだ——」
腰に差した短剣を抜いた時、セリムの視界がグラりと歪んだ。
短剣の柄を握る手が汗ばみ、頭の中が空っぽになる。
棒立ちのままのセリムに対し、半人半馬のカラクリ兵は右腕の砲身を向けた。
「あっ、はっ、はぁっ……!」
「せ、セリム!?」
魔力エネルギーが砲身に収束し、エネルギーが臨界まで高まる。
セリムは依然、棒立ちのまま。
顔色も悪く、回避しようとする素振りも見せない。
「まずい、セリムっ!!」
物陰から飛び出し、セリムの下へと駆けるソラ。
彼女がセリムの体を突き飛ばした瞬間、収束魔力砲がそれまでセリムのいた位置に、ソラに目がけて発射された。
「ソラッ!!」
「あの子……っ!」
倒れ込んだセリムが、青ざめながらソラに目を向ける。
「ソラさんっ!!」
悲鳴に近い叫び。
もう回避は間に合わない。
ソラは剣を抜き、刀身に闘気を込める。
「あたしは、死なない!」
生きる、その思いを剣に込め、自分に言い聞かせるように叫んだ次の瞬間。
魔砲撃の光の奔流が、ソラの全身を包みこんだ。
「嫌っ、ソラさん、いやあぁぁっ!!」
半狂乱状態で叫ぶセリム。
しかし。
「大丈夫、あたしは絶対、死なないから……!」
集気護盾。
剣を構えるソラの前に展開された透明な闘気の盾が、魔砲撃を受け止めていた。
砲撃が終了すると同時、盾を消したソラはセリムに優しく語り掛ける。
「セリム、気付いてあげられないでゴメンね。モンスター相手でも、戦えなくなってたなんて」
「わ、私……。そう、私、なんで……」
違う、モンスターが原因ではない。
発作が起きたのは、短剣を握った瞬間。
「武器、握ると、ダメなんですか……?」
短剣を握って、ハンスの首を掻き斬ったトラウマ。
あの時の感触が蘇って、前後不覚に陥ってしまった。
「じゃあ私、もう二度と武器を手にして戦えない……」
遠隔攻撃を使えば、戦えるだろう。
龍星の腕輪は今までにも使っている。
ならば素手ではどうか。
立ち上がったセリムは、拳を握ってカラクリ兵と相対する。
「……、……っ」
ダメだった。
生きていたと分かっていても、ホースのあの時の死に顔が脳裏にちらついてしまう。
拳を構えただけで、息が乱れ、背中に汗がにじむ。
「セリム、もういいんだよ」
彼女の前に進み出たソラが、セリムを庇うようにして立ち、刃を構えた。
「もう戦わなくていいから、あたしの後ろで援護してて。そしたらあたし、絶対に負けないから」
「ソラさん……。はい、お願いします。私、精一杯援護しますから」
セリムもソラの背後に立ち、二人は臨戦態勢を取る。
機兵の右腕の砲身が、蒸気を吹きあげながら排熱。
左腕で巨大なサーベルを掴み、四本の馬のような脚で突進を仕掛けてきた。
縦振りに振るわれる、刃渡り十メートル以上の刃。
セリムとソラはそれぞれ左右に飛び退き、攻撃を回避する。
「セリム、さっさと片付けよう!」
「はいっ!」
ポーチからタイマーボムを取り出し、足に標準を合わせる。
このカラクリ兵の最大の長所は、おそらく高機動性能。
馬のような細い脚を一本でも破壊出来れば、戦闘力は大幅にダウンするはず。
「絶対投擲っ!」
左前脚部に向けて真っ直ぐに飛んでいく爆弾。
タイマーがゼロになると同時に着弾し、大爆発を起こす、が。
「全然、効いてませんね……」
爆発が晴れると、脚部には傷一つ付いていない。
やはりタイマーボムで装甲を抜くのは不可能。
ならば、それ以上の火力をぶつければいい。
天翔の腕輪を左手に嵌め、龍星の腕輪を右腕に装着する。
先ほどの魔砲撃を、カラクリ兵はなんの躊躇いもなく撃った。
ならば、周囲の壁にはメテオボムを当たっても崩落しない程度の強度があるはずだ。
「これならどうです!」
セリムは右手をかざし、空間の穴を呼び出した。
そこから飛び出した小さな流星が、セリムの右手を掠めて追尾能力を与えられ、カラクリ兵の足に向けて飛んでいく。
「さすがにこれは避けられないでしょう」
火力も十分、問題なく足を破砕できるはず。
「さあ、吹き飛んじゃってください!」
着弾、そして爆発。
しかし爆煙が晴れると、カラクリ兵の足はまったくの無傷。
「な、なんでですか!!」
「セリム、ソイツはバリア機能を搭載してる! 着弾直前に防御フィールドを展開したんだ!」
「……はい? バリア、ですか?」
「なにそれ」
クロエが安全地帯から飛ばしたアドバイスに、セリムとソラは揃って首をかしげた。