153 止められるのが私だけなら、私は……
キリカに一声かけると、リースは右手をラティスに向けて突き出した。
「フォトンバースト!」
右手のひらに収束した魔力が、白い球体となって射出される。
猛スピードでラティスの眼前まで迫り、
「爆ぜなさい!」
リースが右手を握った瞬間、白い閃光を放ちながら爆発した。
本来は光の魔力で造った爆弾を炸裂させる攻撃魔法だが、ラティスとは絶望的なまでの力の差がある。
しかしダメージは与えられずとも、目くらましの効果は十分。
「行くわよ!」
「……了解」
リースは素早く踵を返し、キリカと共に駆け出す。
先に動いたクロエは、すでに遺跡前の広場を抜け出ようとしていた。
敵は未だ閃光の中、視界を奪われて身動きが取れずにいる。
「これなら——」
逃げ切れる、そう確信した瞬間。
「っぐああぁぁ!!」
隣を走っていたキリカが、凄まじい速度で吹き飛ばされ、遺跡の壁に背中を打ち付けた。
「まさかこの程度で、私から逃げ切れるとでも?」
「そん、な……っ」
キリカを吹き飛ばしたのは、ラティスの蹴り。
いつ回り込まれたのか、リースには彼の動きがまるで掴めなかった。
右腕の肉の刃を喉元に突きつけられ、もはやリースは身動き一つ取れない。
「さて、クロエ様。お姫様を殺されたくなければ、今すぐ足を止めてこちらへ」
「リース!!」
「クロエ、止まっちゃだめ! 私に構わず、ヘルメルさんを連れて早く逃げて!」
「……出来るわけ、ないだろ」
たとえどんな理由があろうとも、リースを見殺しには出来ない。
クロエは足を止め、ゆっくりと引き返す。
「さすが明晰な頭脳の持ち主、賢い判断だ」
「どうして……。ヘルメルさんがコイツの手に落ちたら……」
「それでも、ボクはリースを見捨てられないよ」
リースに笑いかけると、腕の中に抱きかかえたヘルメルに視線を落とす。
「ゴメン、ヘルメルさん。キミとリースを天秤にかけるようなことしちゃって……」
「……いいんです。リースさんの命がかかっているんですから」
ヘルメルは理解した。
クロエの気持ちは、リースに向いていると。
泣き出しそうな気持ちを押し殺し、彼女は気丈に微笑んだ。
「封印がある以上、私の命は取られません。クロエ様の判断は正しいと、私も思います」
「……本当に、ごめん」
ラティスの目前までやってきたクロエ。
ヘルメルを下ろすと、敵を睨みつけながらリースの解放を迫る。
「ヘルメルさんは連れてきた。リースを解放しろ」
「ええ、構いませんよ」
喉元に突きつけた刃を引くと、
「さ、ヘルメル君。どうぞこちらへ」
ヘルメルを招き入れ、手中に収める。
解放されたリースは、すぐさまクロエに駆け寄った。
ヘルメルは異形と化したラティスの顔を見上げ、未だ信じ難い思いの中、問いかける。
「ラティス様、本当にあなたは……」
「ええ、アザテリウムの大司教、それが私の本当の姿なのです。さあヘルメル君、共に解放しましょう、海邪神トゥルーガの封印を!!」
「か、海邪神!? ではここは、海神様の遺跡ではなく、海邪神が封印された遺跡……」
「その通り。我々の目的は命の龍などではない。見当違いの方に防備が固められ、私としては非常に助かりました。おっと、あれは私の進言によるものでしたか。これは失敬!」
額に手を当てて大笑いするラティスの姿は、今まで接してきた理知的で物静かな印象とはかけ離れている。
「あーっはっはっはっはっはっはっは!! ……さて、封印を解くとしましょうか。リース様とクロエ様はその場を一歩も動かぬよう、お願いします。ヘルメル君も、拒めば二人がどうなるか、分かっているね?」
「私たちは人質ってワケ……!」
「くっそぉ……」
従うしかない。
抵抗しても間違いなく、何も出来ないままに無駄死にするだけ。
二人は何も出来ない無力感を噛み締めながら、ただヘルメルの背中を見送る。
「ラティス様、考え直しては下さらないのですか?」
「考え直すも何も、私の考えはずっと変わっていませんよ。それこそ、三元老になる前からね」
「もう、何を言っても無駄なのですね……」
海神の宝珠が扉の窪みに嵌めこまれ、後はヘルメルが祈りを捧げるだけ。
海神の神子は一度だけクロエの方を振り返ると、沈痛な面持ちで扉の前へ。
膝を折って両手を重ね、目を閉じて深く祈る。
ヘルメルの体が淡い光に包まれ、宝珠も同じく燐光を纏う。
光は両開きの扉の隙間を伝っていき、ひと際強く輝いたかと思うと、地響きと共にゆっくりと開く。
「おぉ、おぉ……っ! とうとう封印が……!」
重低音を響かせて扉が開ききった。
扉の向こうには、地下へと続く巨大な下り階段。
ラティスは両手を広げて感動に打ち震える。
「はぁ……っ、はぁ……」
「ヘルメルさん、大丈夫!?」
封印の解除は、彼女の体にかなりの負担をかけたようだ。
体を覆っていた光が消えると、ヘルメルは両手をついて肩で息を吐く。
駆け寄ろうとするクロエだが、
「動くなッ! ……と言いましたよねぇ」
ラティスの声に、その足を止める。
「さぁて、海邪神が眠る遺跡の封印は解かれました。私の目的は達成された、ということです。ですが——」
クロエ、リース、そしてキリカ。
順番に冷たい視線を送ると、ラティスは右腕の刃をこれ見よがしに見せつけた。
「もしも私がこの遺跡の奥に行った、ということが、あの世界最強の少女に知られてしまっては非常に厄介だ」
「ラティス……、あなたまさか……!」
「そのまさか、ですよ。あなたたち三人、口を封じさせてもらいますッ!」
まずはリースに向けて。
その身体がぶれ、凄まじい速度で突進を仕掛けた瞬間。
「その方たちを殺したら、命を絶ちます!」
ヘルメルの絶叫が、森にこだました。
ラティスが刃を止めたのは、リースの首から数ミリのところ。
一歩も反応出来なかった。
彼女の声が少しでも遅ければ、首を刎ね飛ばされていた。
リースの背中を冷や汗が伝う。
「……ヘルメル君。どういうつもりかな? 発言の意図が理解できないのですが」
「扉を封印する方法は二つ。一つはあなたの持つ海神の宝珠を用いて、もう一度祈りを捧げること」
「もう一つがあるとは、初耳ですね。是非ともお聞かせ願いたい」
「海神の神子の、命が断たれることです。その時遺跡の扉は閉まり、再び封印が施されます」
魔素が充満し、強力な魔物が巣食う邪神の遺跡。
その内部で神子に万一のことがあった場合、再び邪神を封じるためのための仕組みだ。
「ほう、初めて耳にしましたが、確かに理に適っている。私が調べきれなかったということは、コスタール家にのみ伝わる情報でしょうね」
納得したように頷くと、ラティスは刃を引いた。
「セリムさんを野放しにするのはリスクが高い。しかし、再封印をされてしまっては元も子もありません。いいでしょう」
彼の体から、黒い蒸気が噴き上がる。
体内の魔素を放出し、赤黒い体が肌色に、元の魔族の体へと戻っていく。
剣から通常の形に戻った右腕で、草の上に落ちた直刀を拾い上げて鞘に納めると、彼は遺跡の入り口へと足を進める。
「あぁ、最後に一つ。ヘルメル君が自殺しないよう、しっかりと見張っていてくださいね。まず無いとは思いますが、もし死なれてしまったら私が閉じ込められてしまいますので。それでは、ごきげんよう」
言い残すとラティスは、海邪神トゥルーザが封印された遺跡の中へと消えていった。
彼が立ち去ったあと、リースは膝から崩れ落ちる。
「……リース、平気?」
「平気な訳、ないじゃない。情けなさ過ぎて、いっそ笑えて来るくらいよ……」
そっと彼女の肩を抱くクロエ。
俯いた王女の小さな体は、悔しさからか恐怖からか、小刻みに震えていた。
ようやく立ち直った彼女の心がもう一度折れてしまったら、今度こそ立ち上がれないのでは。
「ヘルメルさん、ごめんなさい。カッコつけて飛び込んでこのざまよ。結局何も、何も出来なかった……」
「リース様……」
「だから……、だから今度こそ、アイツの企みを完膚なきまでに叩き潰す」
そんなクロエの心配は杞憂に終わる。
顔を上げたリースの顔は、勝気な笑みを浮かべ、悲壮さは欠片も感じられない。
むしろ、敵を叩き潰せる喜びに満ち溢れていた。
「ふふっ、おもしろいじゃない。アイツの前にセリムを連れて行った時、どんな顔するか楽しみだわ」
そう、勝利条件は単純。
たとえラティスが邪神の力を手に入れようが、世界最強の少女には敵わないのだから。
「ヘルメルさん、あの遺跡の奥ってどうなってるの? すぐに邪神が封印されている場所まで辿りつけるのかしら」
「いえ、あの奥は広大なダンジョンになっていて、海底の奥深くまで伸びています。踏破するには一週間はかかる広さです。更には邪神の放つ魔素が充満しているので、この国では考えられないほどの強力なモンスターが巣食っているらしいです」
ヘルメルの説明を聞き、リースは口角を上げた。
時間的な余裕は十分、レムリウスに引き返すどころか、一日開けても十分に間に合う。
空はすでに茜色、パレードが午前中の出来事だったと思い返すと、非常に長い一日だった。
「まずは海神の遺跡に行きましょう。あそこを警備しているメイドさんや、兵士たちに伝えないと」
「だね。それからセリムたちにも知らせて。……オルダさん、知ったらショックだろうなぁ」
「あの方、とっても人が良さそうだものね……」
真相を知った時の反応を思い浮かべて、今から可哀想になってくる。
「よし、急ごう。ヘルメルさん、またボクが抱えていくよ」
「はい、お願いします」
神子はやはり頬を染め、クロエにお姫様だっこされる。
首に腕を回し、胸に顔を埋めて。
しかし、それ以上はもう望まない。
クロエの気持ちが、リースに向いていると分かってしまったから。
彼女の想いを変えてやろうなど少しも思わない、それがヘルメルという女性だった。
「そこのあなたも、一緒に付いてきなさい」
「……わかってる。もう逃げるつもりはない」
キリカの目的は、何よりも生き延びること。
邪神に対する未練など、最初から持ち合わせていない。
ここで彼女たちに逆らう理由は何も無かった。
「随分派手に吹き飛ばされてたけど、私たちのスピードについて来れる? あなたが良ければ、神子様みたいに抱えてあげてもいいわよ」
「問題無し。痛覚は遮断されている」
「……そ。愛想のない娘ね」
表情を変えないまま、二度三度と手足を曲げて状態を確認する。
問題無し。
キリカが頷くと、それを合図に三人は海神の遺跡へと駆けだした。
○○○
「な、な、な、なんですとぉぉぉぉおおぉぉっ!? ラティス君が、黒幕だったなんて……っ」
リースとクロエからの報告を受け、オルダは両手で顔を覆って崩れ落ちた。
二人が敵であるキリカと、救助対象のヘルメル、海神の遺跡を警備していた者たちを連れて戻ってきた時、彼は一件落着と安堵していたのだが。
「それでは、私はずっと騙されて……。彼を抜擢したのも、策略にまんまと嵌められて……」
まさに天国から地獄。
上げて落とされたオルダの受けたダメージは、計り知れない。
「オルダ様、落ち込まないでください。騙されていたというなら、私も同じです」
「ヘルメル君……。そ、そうだね。直接拐われて、酷い目に遭ったんだ。君の方が辛いだろうに、済まない……。今は落ち込むよりも、対策を考えるべき時だ」
この事件で最も被害を受けたと言っても過言ではないヘルメル。
彼女に励まされたとあっては、これ以上くよくよしてなどいられない。
オルダは気持ちを切り替え、会議室を見回す。
「皆さま、ご意見があれば忌憚なく申してくだされ」
現在、この会議室にいるのはオルダとヘルメル、そしてセリムたち六人。
キリカは塔の地下、牢に幽閉された。
まず口を開いたのは、リース。
「私の意見は一つよ。こちらの最大戦力であるセリムをぶつける。向こうもそれを、一番恐れていたわ」
「ふむ、至極全うな意見ですが……。どうですかな? セリム様は、それでよろしいのでしょうか」
オルダも同意見だ。
セリムをぶつけることこそ、最善の策。
しかし、当のセリムは浮かない顔をしている。
「つまり……、ラティスさんと戦うってこと、ですよね……?」
「その通りですな。セリム様をおいて、他に戦える者はおりますまいて」
戦いたい。
それがみんなの助けになるのなら、セリムだって戦いたい気持ちはある。
しかし、自信が持てなかった。
ラティスを相手にした時、戦える自信が、微塵も持てなかった。
「私……、私は……」
やらなければいけない。
他の誰にも出来ないのならば、自分が戦わなければいけない。
「私、私……っ、戦いま——」
「あたしに任せて。ラティスの相手は、あたしがする」
無理に自分を奮い立たせて、ラティス討伐を請け負おうとしたセリム。
彼女が返事をかえす前に、ソラが名乗りを上げた。