147 やっぱり私、戦えません……
時刻は少し遡る。
セリムとソラは襲撃者の男を追って、レムリウスの街中を駆けていた。
男の素早さはソラの全速力と同程度。
セリムならば捕まえられる速度だが、これ以上スピードを出せば街を破壊してしまう。
しかも敵は、複雑に入り組んだ路地裏を何度も曲がりながら逃亡しているため、直線で距離を詰めることが出来ない。
とはいえ、セリムから逃げ切れるほどの速度は出ておらず、ソラもなんとかついてきている。
「このまま敵がバテるまで追い回すか、機を見て捕まえるか。ソラさんどっちがいいですか?」
「早く捕まえようよ、その方が絶対いいって!」
敵のレベルはおそらく、ソラを下回る程度。
このまま追い続けていれば先にスタミナ切れを起こすだろうが、無策で逃げ回っているとは思えない。
「ですね、あまり時間もかけたくありません。ヘルメルさんの方も心配ですし」
時空のポーチの中から鉄鉱石を取り出し、強く握りしめた。
現状、敵の姿は見えず、二人は気配のみを頼りに追跡している。
絶対投擲は視界の中に収めなければ効果を発揮しない。
次に敵の姿が見えた時、思いっきり頭に投げつけてやる。
討伐プランを練りながら路地を駆け抜け、右に曲がった瞬間。
「んにゃ……? セリム、なんか気配を感じないんだけど」
「ソラさんもですか」
敵の気配が、忽然と消えた。
猛スピードで移動した、そんなレベルの話ではなく、文字通り忽然と、唐突に。
「何かまずいです、急ぎますよ!」
襲撃者の気配が消えた場所へ、石畳を壊さない最高の速度で駆けこむ。
そこは袋小路となっている路地裏。
その最奥に、セリムは衝撃的な物を見た。
「あ、れは……!」
「どうしたのさ、セリム! って、アレ、ホースのワープゲート!?」
思わず足を止めてしまったセリム。
一瞬後に追いついたソラも、彼女と同じく見覚えのある、空間に開いた黒い穴を目にする。
ホースの気配は全く感じなかった。
しかし、彼女のワープゲートと完全に同一のものだ。
「やっぱり、あの人が……?」
「考えるのは後! 早く飛び込もう!」
「と、飛び込むって……」
こうしている間にも、ワープゲートはみるみる小さくなっていく。
襲撃者は間違いなく、このゲートの向こう側に逃亡した。
あそこに飛び込めば、きっと敵のアジトまで抜けられるはず。
「……わかりました、行きましょう!」
覚悟を決めたセリムは、全速力でゲートに飛び込む。
ソラも後に続き、彼女の全身が吸い込まれた瞬間、ワープゲートは完全に消滅。
広大な海都から、二人の少女が忽然とその姿を消した。
「あてっ」
ワープゲートから吐き出されたソラは、固い床に頭から突っ込んだ。
「っぷへぇ、酷い目にあった……」
赤くなった鼻を押さえながら起き上がると、そこには異様な光景が広がっていた。
一見するとごく普通の教会、どこにでもありそうな礼拝堂。
だが、ステンドグラスはノルディン教の神話を語ってはいない。
描かれているのは無数の魔物、得体の知れない三体の怪物、そして、天を覆い尽くす巨大な目玉。
「んなっ……! なに、あれ……」
そのステンドグラスを見た途端、ソラの心を得体の知れない恐怖が包んだ。
禁忌を目の当たりにしてしまった、そんな名状しがたい根源的な恐怖。
「そ、そうだ、セリムは……」
「呼びましたか、ソラさん」
礼拝堂の隅、暗がりからセリムがひょっこりと顔を出す。
「そこにいたんだ……。良かったー、別々の場所に飛ばされたとかじゃなくて」
「ほら、いつまでも寝そべってないで、こっち来てください。奥を調べますよ!」
奥へと続く扉を開けて進んでいくセリム。
ソラは急いで起き上がり、小走りで彼女の後ろへ。
「さっきの敵がどこに潜んでいるかわかりません。用心して進みますよ」
「もちろん! 出てきたらソラ様がやっつけるから、セリムは何もしなくていいよ」
「そうはいきませんよ。お遊びじゃないんですから」
敵と遭遇した場合、セリムがワンパンでブチのめせば戦いは呆気なく終わる。
それが最も手っ取り早く、ソラも傷つかない方法、なのだが。
「そうなんだけどね。きっとセリムは……」
ソラは半ば確信していた。
あの戦いで、人と戦うことでセリムが心に負った傷は、きっとセリムが思っている以上に深い。
「きっと、戦えないと思うから——」
「……っ! ソラさん、上!」
セリムの声と共に、ソラは刺すような殺気を感じ取った。
直後、薄暗い廊下の天井に張り付いた何者かが、逆手持ちした短剣を突き立てにかかる。
切っ先が到達するよりも早く、ソラは前へと飛び退いた。
奇襲は失敗に終わり、着地した敵はすぐにどこかへと姿を隠す。
一瞬だけ見えた敵の姿は、ここまで追跡してきた黒髪の青年だ。
「消えた? 気配はあるのに……」
気配も殺気も感じる。
しかし、姿が見えない。
ここは長く狭い廊下の中ほど。
廊下の途中に部屋は無く、隠れる場所も遮蔽物も見当たらない。
どうやって姿を隠したのか。
「……そこです!」
気配の発生源を突き止めたセリムは、壁に目がけて鉄鉱石を投げつけた。
石は壁を貫通し、鈍い音と共に敵に命中する。
「ぐぅ……っ!」
短いうめき声が聞こえ、敵の気配は遠ざかっていった。
「そっか、壁の中! どっかに隠し扉があって、そこから中に——」
「そんな話は後です!」
ソラの首根っこを掴んで、セリムは奥へと走る。
廊下に設置された隠し扉と、隠し通路。
あんなものがある以上、ここには他にも仕掛けが施されているに違いない。
「ここで戦うのはまずいです、どんな仕掛けがあるか分かったもんじゃありません!」
廊下を抜け、奥の研究室らしきフロアへ。
重要な手掛かりが眠っていそうだが、残念ながら調査は後回しだ。
脇の石階段を駆け下り、地下の通路へと出る。
「セリム、敵の気配がする! 追って来てるよ!」
「分かってます!」
「っていうか苦しい! そろそろ離して!」
「ごめんなさい!」
首根っこを掴まれて宙ぶらりんの状態から、ようやく解放されたソラ。
彼女が体勢を整えると同時、敵が階段を駆け下りながら投げナイフを二本、投擲してきた。
「このっ……」
ソラは迎撃のため、剣を抜こうとする。
だが、この廊下は狭すぎた。
長さ一メートルを軽く越える大剣を、振り回すほどのスペースが存在しない。
「ヤバい! 防げない!」
「私がいるので、大丈夫です!」
セリムの投げた鉄鉱石が二つ、投げナイフを撃ち落とした。
更に追加で一発、敵の頭部にヒット。
倒れはしないものの、襲撃者は怯み、足を止める。
その間に二人は狭い石造りの廊下を抜け、広い地下空間へと出た。
「ここは……、地下宮殿、でしょうか」
「そんな感じだねー。なんかめっちゃ気味悪い石像があるけど」
石の柱が立ち並び、石の壁と床で造られた、石造りの地下空間。
中央には人が一人寝転べるほどの大きさの祭壇があり、その祭壇を見下ろすように巨大な石像が安置されている。
無数の触手が生えた、イカやタコのような気持ちの悪い石像に、ソラは嫌悪感を露わにした。
「なにあれ、趣味悪っ! 壊しちゃってもいい?」
「……どうなんでしょう」
いくら敵地とはいえ、無意味な破壊活動はいかがなものか。
セリムが難色を示していると。
「神を冒涜する気か、貴様!」
黒髪の襲撃者が地下神殿へと足を踏み入れ、怒声を上げた。
「その御姿こそ、我らが神の偶像! 貴様の暴言、万死に値するッ!」
「うっわ、めっちゃキレてる……」
額に青筋を浮かべながら怒鳴りつける青年の剣幕。
彼は心の底から、この神とやらを信奉しているようだ。
「そんなこと言われてもあたし、あんたらの神とか知らないし。そもそもあんた誰なのさ! どうしてヘルメルさんを狙うのさ!」
「何も知らぬ無知蒙昧な輩に、神の導きを与えてやるも我が使命。いいだろう、心して聞くが良い」
芝居がかった口調と共に、彼は自らをこう名乗る。
「我が名はシュウ。アザテリウムの大神官にして、神の代弁者なり!」
「アザテリウム……」
彼の口にした単語に、セリムは覚えがある。
ソラは忘れているようだが、クロエの証言の中に登場した単語だ。
自分と戦った敵がそう口にしていたと、確かにクロエは言っていた。
「やはりあなた、ギガンテラって人の仲間ですか」
「ギガンテラ、か。ヤツの消息が途絶えて三日、恐らく死んだのだろうな」
「ええ、私の友達が仕留めました」
「仕方ない。ヤツもまた、選ばれし者の器ではなかった、それだけのこと」
「選ばれし者……?」
「神に選ばれし、戦士のことだ」
たったそれだけを、シュウは返した。
発言の真意は気になるが、掘り下げるべき話題は他にある。
「……もう一つの質問です。どうしてヘルメルさんを狙うのですか!」
「知れたこと。我が神の仇敵たる、命の龍を抹殺するためよ」
「龍の、抹殺……」
セリムがビクりと肩を震わせる。
「龍を抹殺すると、どうなるんですかっ!」
ソラが驚くほどの声量で問い詰めるセリム。
もしも、龍の抹殺が取り返しの付かない事態を招くとしたら。
「龍が命を絶たれた時、どうなるか。そこまでは知らん。ただ、我らが神がお喜びになることだけは確かだ」
最悪の返答は免れたが、やはり邪神に利する行為。
師匠への怒りと憎しみ、そして自責の念の中、セリムは固く拳を握った。
「もういいです。続きは牢屋の中で話してもらいます」
セリムの姿が、残像を残して消える。
一瞬で敵の懐に飛び込み、全力で鳩尾に拳を——、
「……っ!」
撃ち込めない。
この拳を放って、本当に敵を殺さずに済むのか。
ハンスが絶命する瞬間が、ホースが痙攣して動かなくなる映像が、脳裏に鮮明に蘇る。
セリムの顔が青ざめ、背中から汗が噴き出す。
このまま拳を突き出して、もし加減を間違えれば。
また、人を殺してしまう。
「敵の前で動きを止めるか、実に好都合!」
小さく震えたまま一歩も動けないセリムに、シュウがナイフの切っ先を振り下ろす。
ガキィィイン!
二人の間に割って入ったソラが、ナイフを斬り払った。
短剣の刃は、最強の刃によって粉々に砕かれ、シュウはすぐさま飛び離れる。
「セリム、しっかり!」
「あ……、ソラさん、ご、ごめんなさい、私……!」
セリムを庇うように敵との間に立ち、切っ先を向けるソラ。
体勢を整えた敵と睨みあいながら、互いにじりじりと間合いを図る。
「私、ソラさんの足手まといに……」
「気にしないでよ、いっつもあたしが助けられてるんだもん」
対モンスター戦では普段通りだが、いざ対人戦となった時、セリムはきっと戦えなくなる、そんなソラの懸念は的中してしまった。
ハンスを手にかけ、ホースを殺してしまったかもしれない、あの戦いで生まれたトラウマ。
寝床を共にする中で、悪夢にうなされるセリムを何度も見てきた。
彼女は戦いに向いていない。
いくら強くても、セリムは根っから普通の女の子なのだ。
「こいつの相手はあたしに任せて。セリムは下がって、後方支援しててよ」
「……はい。でも、気を付けてくださいね」
だから、彼女が戦わなくて済むように、もっと強くなる。
いずれは後方支援すら不要になるほどに。
世界最強の剣士になって、いずれはセリムよりも強くなって、セリムを守れるほどの強さを。
「安心して見ててよ、これでもかなり強くなったんだから」
「話は済んだか?」
シュウは『神託』によって、セリムの脅威度を知っていた。
同時に、その最大の弱点も。
いつも行動を共にしている金髪碧眼の少女。
彼女さえ仕留めれば、その精神は砕け散ると、神託は告げたのだ。
「ならば、始めよう」
左手を天高くかざし、手の甲に紋章が浮かび上がる。
腕輪から魔素を吸収し、シュウの体は異形へと変化を始めた。
体色が赤黒く染まる共通の特徴が表れ、全身が鱗で包まれていく。
両手両足が長く伸び、爪が鋭利に尖り、肘から鋭いヒレが生える。
そして最大の変化が、鋭いトゲが先端に密集した、長く太い尻尾。
四つん這いの姿勢で膝と肘を曲げ、腹部が床につく低姿勢、その姿はまるでトカゲの怪物だ。
「うえぇ、気持ち悪ぅ……。ブロッケンといい、なんでそうなっちゃうのさ」
「気持ち悪い、だと? この力は神より授かりしもの。選ばれし者のみが成れる至高の姿だ! その言葉、取り消してもらおうか!」