143 危うく死にかけただなんて、リースには言えないよね
五色の魔砲撃によって、ギガンテラの巨体は跡形もなく消し飛んだ。
機巧自体は完成していたが、実戦で敵に浴びせるのはこれが初めて。
期待以上の戦果と勝利を手にし、クロエは上半身を起こしてニヤリと笑う。
「へ、へへっ、ざまあみろ……、げほごほっ!」
しかし、勝利の代償はあまりにも大きかった。
破滅的な一撃によって内臓を痛めたクロエは、口から血を吐き散らし、仰向けに倒れ込む。
地面に寝転んだ衝撃で、折れた肋骨にも鋭い痛みが走った。
「あ……っぐぅぅぅ!」
「クロエ様っ!」
脇腹を押さえて悶え苦しむクロエ。
すぐさまヘルメルが駆け寄り、傍らに屈んでその手を握る。
「あぁ……っ、こんな、私のために、こんな大怪我を……!」
「あ、あはは……、ちょっと、カッコつけ過ぎたかな……、がはっ!」
「ダメです、もう喋ってはダメ……!」
涙ぐむヘルメルの顔が、次第にぼやけていく。
握られている手の感覚が次第に失せていき、彼女の温もりすらも、もはや感じられない。
——あぁ、これもう死ぬんじゃないか?
まいったな、ボク、こんなところで死ぬつもりなかったのにな。
とんだドジ、踏んじゃったなぁ……。
ヘルメルが何かを叫んでいるが、その言葉すら聞き取れず。
こんなことならリースに告白しておけば良かった、などと後悔を抱きつつ、クロエの意識は深い深い闇へと落ちていった。
——あれ?
なんだか、身体が暖かい。
それに、痛みも嘘のように引いて……。
もしかして、あの世に来ちゃったとか?
身体を包む温もりと心地よさ。
クロエが目を開くと、そこは天国——などではなく、先ほどまで戦場となっていた崖際の広場。
ヘルメルがクロエの体を強く強く抱きしめ、癒しの波動が二人の体を包みこんでいる。
身体を苛んでいた激痛は嘘のように消え去っており、砕けた肋骨も元通り。
口内に出来た切り傷すら影も形も見当たらない。
「これって、回復魔法……。キミ、ヒーラーだったのかい? しかもここまでの効果、かなり高レベルじゃなきゃ出せないはず」
死に至りかねない程の重傷をここまでの短時間で完璧に治癒するとなると、相当の魔力が必要。
ところがヘルメルは身体を離すと、首を横に振って自嘲混じりに答える。
「私のクラスは治癒術師ではありません。それに危険地帯に踏み入ったことすら無い、レベル1の無力な女なんです」
「なら、この回復量は……」
「これは海神様の加護。命を司る龍である海神様の癒しの力、そのほんの一片が、神子となった者に授けられるのです。もちろん、海神様の力そのものには遠く及びませんが……」
「ほんの一欠片……、それでこの力か」
片鱗程度でこのレベルのダメージを完治させるとなると、海神様とやらの治癒能力はどれほどのものなのか。
もしかしたら死人すら蘇らせてしまう力を持っているのでは、そんな絵空事すら頭に過ぎる。
「なるほどね、そんな大層な力を持った龍がいる遺跡、狙ってくる輩がいるのも頷けるか」
そして、龍の力を狙っているであろう敵は、まず間違いなくホース本人かその関係者。
先ほど倒したギガンテラという男の異形の容貌は、ソラから伝え聞いたブロッケンの変身した姿と酷似していた。
ホースが関わっていないと考える方が不自然だ。
本来ならば捕縛して情報を聞き出すべきだったのだが、レベルは明らかに向こうの方が上、殺らなければ確実に殺られていた。
「この腕輪も、気になるよね……」
クロエは草地に転がる、ギガンテラが左腕に着けていた腕輪を拾い上げ、手にとって観察する。
金色に輝く、センスの欠片も無い悪趣味な腕輪だが、まず驚くべきはその強度。
どのような素材で作られているのか、エレメンタルバーストの直撃を受けたにも関わらず、傷一つ付いていない。
そして中心の台座には、見覚えのある黒い魔法石の結晶がはめ込まれている。
間違いなく、ルキウスを怪物に変えたあの魔法石と同一のものだ。
「その腕輪が光ったかと思うと、あの人は怪物のような姿に変身したんです……」
恐怖に声を震わせながら、ヘルメルは回想する。
自分を狙った襲撃者が怪物と化し、護衛を皆殺しにした光景が甦り、彼女の顔が青ざめた。
クロエは不気味極まりない腕輪をポケットの一つに放り込むと、カタカタと震えるヘルメルをそっと抱きしめる。
「あ……、クロエ、様……?」
「怖かったよね、あんな目にあったんだもん、無理もないよ」
子どもをあやすように頭を撫でながら、優しい声色で語りかける。
クロエの温もりと鼓動に安心感を覚え、腕の中でヘルメルの体の震えは次第に引いていった。
「でももう大丈夫だから。アイツはボクがやっつけたから。ね?」
「は、はい……。あの、どうして見ず知らずの私のために、そこまで……? あんな怖い人と戦って、命に関わるような怪我をしてまで、どうして私なんかのために……」
「どうして……かぁ」
確かに言われてみれば、成り行きとはいえ全く割りに合わない行動だ。
実際のところ、流れでそうなってしまっただけだし、なんでこんなことを自分が、とこっそり文句も呟いたものだが。
「色々あるけど……。やっぱり一番の理由は、キミを見捨てて逃げたくなかったから、かな」
ニコリと微笑みながら、クロエは答えてみせた。
ヘルメルを放り出して自分一人だけで逃げれば、あの敵は撒けただろう。
だがそんなことをしてしまえば、もう二度と彼女に顔向け出来ない。
誰よりも大切で大好きな、逃げることを何より嫌うお姫様に。
「キミを見捨てて逃げたりしたら、きっと死ぬより辛い思いをしただろうから。だからこれはボクのためにしたこと。キミは何も気にしないで」
「……お優しいのですね」
「そうかな?」
もしもリースを好きになっていなかったら、もしもオルダに事情を聞かされていなかったら。
その時自分は、同じように命がけで彼女を助けただろうか。
イエスとは言い切れなかったからこその答えだったのだが、ヘルメルは当然そうは受け取らず、ほんのりと頬を染め、瞳を潤ませながら奥ゆかしく微笑む。
「優しいですよ。クロエ様、とっても良い人です。…………おや?」
何かに気付いたか、クロエの顔を見つめていた彼女の視線が、頭の上の方へと移動する。
「頭のそれ……。耳、ですか?」
「——え? あっ、ヤバっ! 帽子飛ばされてる!」
極限状態から解放され、ようやく周りを見る余裕の出てきたヘルメルは、とうとうクロエの獣耳に気付いてしまった。
当のクロエも、エレメンタルバースト発射の余波で帽子が吹き飛んでいたことにようやく気付き、大慌てで辺りを見回す。
「帽子、帽子……! あ、あった!」
草地に転がったゴーグル付きの帽子を見つけるや否や、急いで拾い上げて目深に被った。
「良かったぁ、崖の下とかに飛ばされてなくて……。これを失くしたらボク、街に戻れないとこだったよ……」
「その耳、本当の耳なんですか?」
「あー……、やっぱり気になるよね」
クロエとしては可能な限り触れてほしくない話題だが、ヘルメルはクロエの耳を見ても奇異の目を向けてはこなかった。
彼女の表情を見るに、純粋に疑問を抱いているだけのようだ。
そんな彼女に答えない訳にもいかず、クロエはやむを得ず最大の秘密を明かす。
「……ボク、捨て子でさ。赤ん坊の頃、鍛冶師の親方に拾われたんだ。その時にはもうこの耳だったんだって。きっと生まれつきこんな耳……なんだと思う」
「なぜお隠しになられるのです?」
「そりゃ、変な目で見られたくないし……。だから本当に信用できる人にしか明かさないようにしてる」
耳のことを知っているのは、スミス親方を始めとして、セリムとソラ、それにリース。
それとアモンにも見られていたか。
マリエールとアウスには明かす機会が無かったが、あの二人になら話しても構わないと思っている。
「……なら私は、クロエさんにとって信用できる相手ですか?」
「えっ……と?」
突然の問いかけに戸惑うクロエ。
質問を投げかけたヘルメルの彼女を見つめる眼差しは、真剣そのものだった。
「そうだね……。ヘルメルさんはボクのこと必死になって治療してくれたし、耳を見ても変な目を向けてこなかった。信用出来る人だと思うよ」
「あぁ、良かった……!」
出会って以来初めて見せる、パァーっと華が咲いたような眩しい笑顔。
なぜこんな笑顔を向けられるのか、さっぱり見当も付かないが、クロエは笑い返して見せた。
くううぅぅぅぅぅ〜……。
「あっ……!」
その時、不意に聞こえたどこか間抜けな音。
ヘルメルは顔を真っ赤にしてお腹を抑える。
「こ、これはその……!」
「……ぷっ、あはは!」
「あ! ちょっと、笑わないでください!」
危機が去って気が抜けてしまった彼女の胃袋は、まだ昼食を取っていないことを訴えるために盛大に抗議の声を上げた。
大笑いするクロエに対し、ヘルメルは精一杯頬を膨らませる。
「はははっ、ごめんごめん。あまりにもイメージと違った音だったからさ、つい」
「うぅ、はしたない……」
クロエは放熱を終えたドリルランスを折り畳んで背中に取り付けつつ、他に何も転がっていないことを確認する。
忘れ物は無し、敵そのものの捕縛は出来なかったものの、色々と重要な情報も手に入れた。
「じゃあさ、そろそろ街に戻ろうよ。ボクもお腹鳴りそうだし」
「もう、忘れてくださいってば! ……って、え? ひゃっ!」
お腹の音の話題を引っ張るクロエに再び控えめに抗議するヘルメルだったが、その体が突然に、ふわりと持ち上がった。
「あっ、あの……っ」
「大急ぎで戻るから、しっかり掴まっててね!」
「は、はい……」
お姫様だっこで抱きかかえられ、微笑みを浴びせられて、ヘルメルはすっかり顔を赤くしてしまう。
勢い良く南の方角へと駆け出したクロエの腕の中、彼女は肩へと回した手にほんの少しだけ力を込め、その胸元に鼻先を寄せた。
○○○
タワーへと続く長い橋の上、ヘルメルを伴って歩くクロエの姿を、見張りの兵士はすぐに発見する。
大勢の護衛と共にいるはずの彼女が、何故かクロエ一人だけを供にして戻ってきた。
この明らかな異常事態はすぐさま二人の元老へと通達され、同時に、会議を終えて彼らと共に会食を楽しんでいた人魔両国のVIPも知るところとなる。
オルダとリースの二人は血相を変え、彼ら彼女ら全員で塔の入り口まで赴き、二人を出迎える。
そのまま二人は会食の席まで案内され、そして今。
「あむ、はむはむまぅ……」
ヘルメルは、もの凄い勢いで食べ物を口に運んでいた。
先ほどまで抱いていた清楚なイメージが崩壊し、クロエは絶句する。
「さて、ここならば落ち着いて話せましょう。ヘルメル君、そしてクロエ殿、一体何があったのか、話してくれますね?」
すっかりヘルメルに気を取られていたクロエは、ラティスの言葉に気をしっかりと引き締めて、頭の中で情報を整理する。
「はい、実は——」
そして、マリネライト鉱を探しに出かけ、瀕死の兵士に救援を請われたこと。
ギガンテラという男によって兵士と護衛の冒険者は全滅し、自分も彼女を連れて逃走を図ったが逃げ切れず、やむを得ず交戦、これを撃破したことを伝えた。
「ちょ、ちょっと待って! どうしてあなた、そんなアホっ子みたいな無謀な真似を……!」
「成り行き上仕方なく……かな」
心配と不安が滲み出た声で問い詰めるリース。
こんな彼女に、危うく死にかけたなんてことはとても伝えられなかった。
「……と、まあ大体こんな感じです」
「ふむぅ、そのギガンテラなる男、海神の宝珠を盗み出した一味と見て間違いないでしょうな」
「でしょうね、オルダ様。状況証拠を見れば、火を見るより明らか。しかし殺してしまったとなると、手がかりは望めません」
「いえ、手がかりは拾って来ました。このポケットと、ここに」
クロエはポケットから取り出した金の腕輪をテーブルに置きつつ、自分の頭を指さして見せた。
腕輪を目にした瞬間、ラティスの眉がわずかに動く。
「……どういうことですかな、クロエ殿」
「そいつ、いくつか気になる単語を言ってたんです。変に訛ってて、聞き取り辛かったですけどなんとか」
「……ほう。それは興味深いですね。是非お聞かせ願いたい」
ギガンテラが迂闊にも口外してくれた重要そうな情報は、全て頭に叩き込んである。
「えっと、まず……。俺はギガンテラ。アザテリウムの司教、やってんだぁ。どうぞよろしく。……って言ってました」
「——っ!? アウス、この訛り……!」
「ええ、これは……」
「ぶっ……、くくっ……!」
内容のみならず、抑揚まで完全に再現して見せたクロエの見事な記憶力。
その口調にマリエールとアウスの顔つきが変わり、リースは思わず噴き出した。
「なっ……、なによその口調……! ぷっ、ぷぅっ……! だ、ダメ……っ、クロエが、クロエがぁ……っ!」
ツボにハマって椅子から静かに転がり落ちたお姫様を尻目に、真面目に話は進む。
「司教、っていうからには、このアザテリウムって組織、宗教的な団体なんじゃないでしょうか」
「ほっほ、一理ありますな」
「ですね。他には、何か言ってませんでしたかな?」
「他にはですね……。こっからだと大体二時間ぐらいかかっかんな、あの場所は。戦った場所で口にした言葉です。奴らのアジトはあの場所から、ボク程度のレベルの足で二時間程度の距離にある、ってことでしょうね」
破滅的な一撃を食らった時に言っていた。
とっくに完治しているにも関わらず、思い出すだけで腹部に鈍痛が走る。
ヘルメルも同じなのだろう。
食事の手を止め、暗い表情を浮かべる。
魔王主従はいよいよ顔を見合わせ、リースは未だに悶え苦しむ。
「なるほど、それは非常に重要な情報だ。では早速捜索の手配をしましょう」
ラティスは部下を呼びつけ、すぐさま指示を出す。
床の上で悶絶していたリースもようやく立ち直り、何事も無かったかのようにすまし顔で席に着いた。
「後はこの腕輪の分析ですけど——」
「一つ、待って貰いたい」
ストップをかけたのはマリエール。
ギガンテラの口調を耳にして以来、彼女の様子は明らかにおかしかった。
クロエもそれは感づいていたものの、話の流れを切るわけにもいかず、ひとまずは触れずにおいたのだが。
「どうしたの、魔王さん」
「その男の口調、余は知っておるのだ」
「え? あのヘンテコな喋り方を、魔王さんが!?」
確かに非常に耳に残る喋りだったが、彼女の真剣な表情はどこかで聞いた、程度の騒ぎではない。
縁の地までを含めて詳しく知っている、そんな様子だ。
「信じがたいのだが、間違いあるまい。だが、念のため確認しておく。オルダ殿、ラティス殿。レムライアの各地域にこのような訛りはあるのだろうか」
「いや、聞いたことがありませんな」
「……同じく」
「やはり、か……」
一旦間を置き、そして彼女は口にする。
「その男の訛りは我が国の北部、ノータモナ地方のもの。つまりそ奴は、我がアイワムズの出身ということになる」