137 平和な航海に、ハプニング発生です
ジュリーとの会話を終えたセリムは、甲板を立ち去ると早速魔王主従の部屋へと向かう。
貿易船の前の乗組員が全員行方不明になっているという話は、絶対にアウスの耳に入れておかなければならない。
部屋の前に辿り着いたセリムは、アウスを廊下へと呼び出し、事の詳細を伝えた。
「なるほど、そのようなことが十五年前に……。恥ずかしながら、わたくしも存じ上げておりませんでしたわ」
「ベティさんに口止めされてたって言ってましたから。なんにせよ、ますます怪しいです、ロットさん」
彼がオレンの町の総督を外された直後に行方不明になった、貿易船の前乗組員たち。
状況的には限りなくクロに近いのだが、如何せん証拠が無い。
「そういえばベティさんって、どうしてオレンの町を任されるようになったんですか?」
「単純に彼女が非常に優秀だったから、というのもありますが、彼女がオレン出身だから、という理由もありますわね」
「あの人、この町の出身なんですか」
セリムは出発の前夜に少しだけ言葉を交わした程度だが、非常に理知的で頭の切れる女性という印象を受けた。
優秀な人なのだろうと容易に想像が付く。
「ええ。地元の出世頭ともあって、民衆からの人気も非常に高いですわ。ロットの時代は賑わってはいてもどこか窮屈な町でしたが、今は非常に明るい雰囲気のようですわね」
微笑むアウス。
だが、その顔はわずかに陰りを見せる。
「ですが、治安は少々悪くなったみたいですわ」
「治安……。締め付けが緩くなった分、ですね」
「ええ。喧嘩による傷害や窃盗、行方不明者も他の町より多いくらいで」
ロットを排し、ベティを町の長に据えたのはアウスの行ったこと。
その結果、犯罪が増加してしまった。
アウスもこの件については、深く思い悩んでいるようだ。
「その辺りの話も彼女としましたわ。確かにあの町は人の出入りが激しく、人口も魔都に次いで多い。ある程度は仕方ないですし、ギリギリ許容できる範囲ではあるのですが……」
「アウスさん……」
「……失礼致しました。このような話をセリム様にお聞かせしてしまうなど」
心配そうなセリムの視線に、アウスはすぐに微笑みを湛え、優雅にお辞儀をして見せた。
「貴重な情報の提供、感謝致しますわ。では、わたくしはこれにて。何分多忙ですもので」
「お忙しいんですか。マリエールさんと、今後の話し合いですか?」
「いえ、お嬢様の寝顔を、ふひっ、観察するのに忙しくて……、じゅるっ」
「あっそうですかそれは失礼しましたではごきげんようさようなら」
セリムは息継ぎ無しに別れを告げると、青ざめながら足早にその場を立ち去った。
ともあれ伝えるべきことは全て伝えた。
これは本来魔族の問題、必要以上に深入りするべきではないはず。
アウスやマリエールから助けを求めて来るならば協力は惜しまないが、今自分に出来る手助けは精々この程度だ。
「……でも、やっぱり気になりますよね」
それでも、セリムは困っている相手を放っておけない性分。
彼女たちが本当の危機に陥った時には、頼まれずとも手を貸してしまうだろう。
「でも、今は何よりソラさんです」
客室に一人置いて来てしまったソラ。
もしかしたらもう眠りから覚めて、たった一人で船酔いに苦しんでいるかもしれない。
急ぎ自室に戻ったセリムは、扉を勢い良く、かつ静かに開け放った。
「……ソラさん?」
「おっ、セリム。どこ行ってたのさ」
「わふぅ」
「……と、スターリィ」
部屋の中には、ベッドに座ってターちゃんと戯れるソラの姿。
非常に顔色も良く、元気溌剌といった様子。
一眠りしたことで船酔いはすっかり醒めたらしく、そのことについては一安心なのだが。
「ソラさん、もう具合はいいんですか?」
「バッチリ! 全然気持ち悪くないし! セリムの薬と、あとは寝たおかげかな」
「わっふぅ」
ソラの頭の周りをくるくると飛び回り、お腹に顔を擦り寄せて甘えるスターリィの姿。
セリムの顔が、若干だが引きつった。
「そ、それはとっても良かったんですけど……。あの、いつからそんなにスターリィと仲良く……?」
「んにゃ? さっきかな。そういえばあたし全然構ってなかったなーって思って、出てきたところを軽く撫でたらあっさり懐いたよ」
「わふ……」
毛並みに沿って頭から体を撫でつけるソラ。
ターちゃんは気持ちよさそうに目を細め、彼女の膝の上で丸まった。
「……す、スターリィ。私とも仲良くしましょう?」
「…………」
「スター……りぃ……」
もはや無反応。
セリムは膝から崩れ落ち、床に両手を付いてうなだれた。
見かねたソラが必死にフォローする。
「あー、だ、大丈夫だよ! そのうちきっと仲良くなれるから!」
「そう……、でしょうか……」
「そうだよ、きっと。ほら、ペットは飼い主に似るっていうし、もしかしたらこの子もツンデレなんじゃ……」
あまりにも無理やりだと自覚しつつも、セリムを元気付けるためならば。
十分後、セリムはソラの励ましによってどうにか立ち直った。
○○○
風の魔力石が起こす風を推進力に変え、大海原を吹きぬける風も後押しし、船は順調に海を行く。
出港してから数日間は、果てしなく続く青い海と船内の目新しさにテンション高めだったソラだったが。
「セリムぅ……、すっごい退屈ぅ……」
出港から二十六日。
いよいよレムライア近海に差しかかった頃。
変わり映えのしない毎日と狭い船内での生活に、ソラはすっかり飽きてしまっていた。
ベッドに突っ伏したソラは、ひたすら現状への愚痴を繰り返す。
「刺激が足りない……。びっくりするほど何にも起きない……」
「何か起きて欲しいんですか? 航海中に起きるハプニングなんて、嵐に遭ったり海賊に襲撃されたり、船底に穴が開いて沈没の危機とか、あとはモンスターだらけの危険海域に突っ込んだり……。ロクでもないものばっかりですよ?」
「そうだけどぉ……!」
隣に座ったセリムがジト目を向ける。
そんな時、彼女はわずかな違和感を覚えた。
何か不可侵の領域に踏み込んだような、身に覚えのある奇妙な感覚。
ソラはベッドに突っ伏してむくれたまま、特に異変を感じた様子はないが、ターちゃんは顔色を変えてポーチに飛び込んでしまった。
「……今の、なんだったんでしょうか」
「んにゃ? どしたの」
「いえ、なんでもありません。それよりも、退屈だからって暴れないでくださいよ? そんなに暇なら、クロエさんやリースさんとお喋りとかしてくればいいじゃないですか」
「クロエかぁ……。毎日楽しそうだよねぇ……」
クロエは毎日船内の様々な仕組みについて質問を飛ばし、感動しながらメモに取っては読み返す日々。
リースも呆れ半分でそれに付き合いつつ、どこか楽しげだ。
「はぁ……。ねえセリムぅ、ポーチにお菓子無い?」
「ありますけどあげませんよ。お昼ご飯が食べられなくなります」
「ぶぅ」
いじけて頬を膨らますソラ。
脹れっ面のソラの頬を、セリムは人差し指で突っついた。
ぷしゅう、と口で言いながら空気を漏らすソラに、思わず苦笑い。
ソラも釣られて吹き出し、二人はひとしきり笑い合った。
やがてソラはセリムの隣に座り、頬に口づけする。
「ちょ、ちょっと……! 変なことはしないって言ったじゃないですか……!」
「いいじゃん、ほっぺにちゅーくらいさ」
「もう……」
口では拒むものの、セリムはソラに体重を預け、寄りかかった。
ソラも同じく寄り添い、穏やかな時間が過ぎて行くかと思われた、その時。
ズドオォォォォォン!!
「わひゃっ!?」
「あてっ!!」
突如響き渡った轟音にセリムは飛び起き、支えを失ったソラは顔から硬いベッドに勢い良く突っ伏した。
「な、何ですか、今の音!」
「あぐぅぅぅぅ……」
「もしかして、大砲……? ソラさん、甲板へ急ぎましょう!」
「うん……、それとさ、あたし鼻血出てたりしないかな……?」
「出てません、大丈夫です! 念のため武器も持っていきますよ!」
今のセリムの服は、ピンク色の長袖カーディガンに当然ミニスカート。
ソラもシャツとホットパンツの上下という非常にラフな格好。
おおよそ戦闘向きではないが、危険海域に突入してしまったのなら着替えている暇はない。
セリムは短剣と時空のポーチ、ソラは双極星剣・神討を手に取り、部屋を飛び出した。
廊下を駆け抜け、急な階段を素早く駆け登って最速で甲板へ。
「取り舵一杯! 最大戦速で海域から離脱ッス!」
「ヨーソロー!」
「右舷、大砲斉射! 絶対に船には近付けさせるなッス!」
「了解!」
甲板の上では船員たちが慌ただしく動き回り、その中心でジュリーが各方面に指示を出していた。
「ジュリーさん、一体何が……!」
「危険海域に突っ込んじゃって、モンスターの襲撃を受けたッス! しかも敵は大群、非常にまずいッスよ……」
「モンスター……! 私たちで何とかします、行きますよソラさん!」
「おうさ! 早速来たね、ハプニング!」
「不謹慎です!」
大砲が一斉に打ち出される轟音の中、セリムとソラは右舷側の縁に飛び乗った。
海上に砲弾が着水し、白い水柱が上がる。
砲弾の直撃を巧みにかわし、水面から飛び出しては口から水流弾を吐き出す、二メートル弱の巨大な魚が三匹視認出来た。
水の弾丸は船体に直撃するが、さすがにこの程度では動じない。
しかし、一か所に何度も受ければいずれは穴が開いてしまうだろう。
海の魔物の知識は書物で読んだだけだが、セリムはなんとか記憶から呼び起こす。
「あれは確か……、バレットフィッシュ、でしたっけ。口から水塊を吐き出す、魚型のモンスターです。危険度レベルは15程度だったかと」
「15か、楽勝じゃん! よーし、あたしがサクッと、サクッと……」
喜び勇んで剣に手をかけ、ソラは固まる。
遥か遠くを泳ぎ回り、船に水塊弾を吐きかけるモンスター。
あの距離では剣が、攻撃が届かない。
「……サクッと出来ない。どうしよう」
「諦めてください。私がやりますので」
「そんなぁ……」
がっくりと肩を落としながら、すごすごと引き下がるソラ。
セリムはポーチから久々にタイマーボムを三本取り出し、三匹のモンスターに照準を定めた。
右手に持った三本のタイマーボムに魔力を込め、スイッチを押す。
「行きます! 絶対投擲っ!!」
カウントダウン開始と同時に、セリムは三本の爆弾を投げ放つ。
迎撃の水弾が撃ち出されるが、タイマーボムは意志を持っているかのような軌道で迎撃を避け、三匹の巨大魚の口にそれぞれ収まった。
「タイマーゼロ。終わりましたよ、皆さん」
甲板の上を見回しながらにこやかに告げるセリムの背後、巨大魚の頭部で大爆発が巻き起こった。
二メートル近い巨体は爆発四散し、甲板の上は一瞬の静寂の後、歓声に包まれる。
「……セリム、あたしの出番は」
「無い方がいいでしょう。船の上にモンスターが上がってきたりしたら一大事ですよ?」
「だよねぇ……、頭では分かってんだけどねぇ……」
活躍の機会が貰えず、どうにも消化不良のソラ。
ジュリーは緊迫感に満ちていた表情をふにゃりと緩め、朗らかな笑みで二人の下へ。
「セリム様、いやぁ凄いッスね。アイツらすばしっこくて厄介なのに、あんな簡単にやっつけちゃうなんて。さすが世界最強の女の子ッス」
「あ、あはは……」
もはや誰もが知っている、世界最強という称号。
嬉しくもなんともないセリムは、ただただ苦笑いするのみ。
「でも油断は禁物ッス! 目先の危機は乗り切っても、危険海域は魔物の密度が地上のそれの比じゃないッスから」
「じゃあ、こうしてる間にもまた——」
また襲撃が、そこまで言い終える間もなく、セリムとソラは大量の殺気を感じ取る。
次の瞬間、海中から飛び出した無数の魔物が甲板に着地した。
全身を緑色の鱗に覆われ、筋骨隆々の強靭な四肢を持った人型の怪物。
その指の間には膜状の水かきがあり、魚と瓜二つの顔からは一切の感情が窺えない。
「ひゃああぁっ!! インスマーマンの群れッス!」
船上に取り付いた、約二十匹の半魚人。
魔物の群れは残虐な本能のまま、甲板上の船員たちに襲いかかる。
更には右舷側の海中から、先ほどとは比較にならない規模のバレットフィッシュの大群が姿を見せた。
「……っ! 早速ですか。ソラさん!」
「あいよっ!」
セリムはタイマーボムを用意して巨大魚を引き受けつつ、船上の敵をソラに託す。
ようやく出番がやってきた。
喜び勇んで剣を抜き放ちながら魔物の一体に突進し、すれ違いざま、一刀のもとに斬り捨てる。
すぐさま踵を返し、もう一体を胴薙ぎに。
二体目を斬り捨てたところで、数メートル先、腰を抜かした船員に拳を振り上げるマーマンの姿が目に入った。
今から体勢を整えたのでは間に合わない。
やむを得ず参式を使うため、闘気を練り上げた瞬間、タイマーボムが飛来し、半魚人の口にねじ込まれた。
爆発で頭部を吹き飛ばされたマーマンは、振り上げた拳を振り下ろせぬまま仰向けにどう、と倒れる。
「セリム、ナイス!」
「ソラさん、油断はしないでくださいよ!」
彼女の支援で大事には至らなかったが、確かに油断は禁物。
改めて気合を入れなおし、敵の群れを次々に斬り伏せていく。
「でも、こうも数が多いと……」
二十匹程度なら、そう多寡を括っていたが、マーマンは無尽蔵に海中から飛び出してくる。
五秒で三体倒しても、その間に三体補充されては、数は一向に減らないまま。
こうして戦っている間にも、海中からは次の群れが——。
「フォトンバレット」
新たな半魚人の群れが海中から飛び上がった瞬間、無数の光弾によって彼らはハチの巣にされ、屍となって海へと送り返された。
「全く、騒々しいわね。ゆっくり紅茶も飲んでいられないじゃない」
「ソラ、ボク達も加勢するよ!」
「クロエ、お姫様、来てくれたんだ!」