130 やっと砂嵐を抜けましたね、ソラさん。……ソラさん?
振るった瞬間、空気が裂けたように錯覚した。
敵の鎌を斬り飛ばした時、スポンジケーキでも切ったかのように手応えが軽かった。
念願の試し斬りを果たした時、ソラの心に去来したものは畏怖。
あまりにも斬れ味鋭いこの剣を、果たして使いこなせるものだろうか。
数々の戦いを乗り越え、剣士としての腕を上げたからこそ分かる、この白銀の刀身に秘めたる圧倒的な力。
同時に、生来の無鉄砲さが胸を高鳴らせる。
心が躍り、血が騒ぐ。
この剣は紛れもなく、世界最強の剣だ。
「世界最強の剣士になるあたしにとって、最高の剣だよ、クロエ……!」
ソラは微笑み、最高の仕事をしてくれた親友に礼を告げる。
そして、記念すべき初陣を見せてやれないことを心の中で詫びながら、ツヴァイハンダーから引き継いだ古びた柄を握り、白銀の切っ先を敵に向けて睨み据えた。
「あ、アダマンタイトだってぇ……!? そんなはず、そんなこと、あの方は一言もぉ……!」
「んにゃ? あの方……?」
そういえば、さっきもそんなことを言っていたような気がする。
しかし、そこはソラ。
難しそうなことは頭の隅に追いやり、目の前の敵に集中。
「ま、いいや。で、どうすんのさ、アンタ! 今度こそ降参する?」
「降参? バカ言っちゃいけないねぇ。この程度のダメージ……、ぬぬぬぬぬぬぬぬぅ……!」
ブロッケンが筋骨隆々の右腕に力を込めると、血管が浮かび上がり、傷口が隆起し、急速に再生を始める。
切り口から腕が生え、瞬く間に肉の鎌へと再構成を果たした。
「うぇぇ、気持ち悪ぅ……。なんか生えたし……」
「ヒーッヒッヒッヒ。驚いたかねぇ。これが人間を越えた存在である、俺の力さぁ。……とはいえその剣、確かに厄介だねぇ」
伝説の金属・アダマンタイトで創られた剣は、最強の切れ味と硬度を誇る。
子どもでも知っている話だが、ブロッケンは未だ半信半疑。
しかし、ミスリルすら両断すると自負する鎌をいとも容易く斬られたこともまた事実。
「だから、念には念を入れて。イリュージョニストらしく戦わせてもらうよぉ」
身軽にステップを踏んで大岩の影に隠れるブロッケン。
また幻覚をかけるつもりか、周囲の異変に気を配るソラだったが、意外にもブロッケンは無策で岩陰を飛び出してきた。
そのまま両手の大鎌を振りかぶり、真っ直ぐに突進を仕掛ける。
対処の容易な、単調な攻撃。
ソラは袈裟掛けに振るわれた一撃目の鎌を掻い潜り、二撃目が振るわれる前に踏み込むと、すれ違いざま胴体を横薙ぎに斬り抜けた。
ブロッケンは上半身と下半身を分かたれ、地に倒れ伏す。
「……な、なんだったの?」
あまりにもあっけない最期。
敵が何を考えていたのかさっぱり理解できず、首をかしげるソラだったが、次の瞬間には驚愕の表情へと変わる。
ブロッケンの骸が起き上がり、こちらに向き直ったのだ。
両断されたはずの胴体は、何事もなかったかのように繋がっている。
さらに。
ヒュパッ!
「うわっちょ!」
危機を察知したソラが高く飛び上がり、背後からの斬撃を間一髪で回避。
体を上下反転させて眼下に目をやると、目に映ったのはもう一人のブロッケン。
それだけではない。
同じ姿の半人半魔の怪物がもう二人、合計四人のブロッケンがこちらを睨んでいる。
「あ、あれって、やっぱり幻覚魔法?」
「その通りさぁ! ただの幻影だと甘く見るんじゃぁないよぉ! 斬られれば傷が出来、致命傷を浴びれば死ぬ。気を付けるこったねぇ!」
「それじゃあ実質四人に増えたようなもんじゃん、ずっこい!」
怪物の姿に変わらなければ五百人以上に分裂できるが、この姿では今の人数が限界。
だがその戦闘力自体は、変身前とは比べ物にならないほど上昇している。
ソラは何故ブロッケンが親切に幻覚の攻撃は危険だと教えてくれたのか、その理由を深く考えないまま、天井を蹴ってブロッケンの一人に突っ込む。
落下の勢いも乗せて脳天から真っ二つに斬り伏せるが、両断された体は一秒にも満たない時間で元通りにくっ付いた。
「こいつも幻影……!」
「ヒーッヒッヒッヒ、ハズレだねぇ!」
四人のブロッケンが同時に笑い声を上げながら、四方から躍りかかる。
再生した真正面の個体の攻撃をバック転で避けて距離を取り、背後の一体を振り向きざまに斬り払う。
これも幻影。
すぐさま再生し、両手の鎌を揃えて頭上から振り下ろす。
ソラは横に転がって回避し、両サイドから突っ込んでくる残りの二体から距離をとるため、さらに前方へと走り抜ける。
「あの両サイドの二体、あのどっちかが本体だよね」
見失わないように目星を付けると、ソラはそのうちの一体に突っ込んだ。
三体のブロッケンの斬撃を掻い潜り、標的の懐に転がり込むと、起き上がりざまに切り上げる。
股間から脳天までを真っ二つに斬られたブロッケンだったが、白目を剥いたのはほんの一時。
すぐに再生し、にやりとほくそ笑む。
「残念、またまたハズレだぁ!」
「くっそ……!」
攻撃の後隙を突いて殺到する三人のブロッケン。
目の前の一体も活動を再開し、ソラは四人がかりの猛攻に晒される。
ミスリルを両断すると豪語するだけあって、一撃でもまともに受けたらまずい。
回復役のリースやセリムもいない今、かすり傷でも致命になりかねない。
両サイドから踏み込んだ二人のブロッケンが、それぞれ大鎌を振るう。
片方の袈裟斬りを体を沈めて回避し、もう片方の攻撃を剣で受け止める。
攻撃を空振って体勢を崩した敵に、ソラは蹴りを入れて大きく吹き飛ばした。
「やっぱり、打撃を加えれば吹っ飛ばせる!」
斬撃で致命傷を与えてもすぐに再生するが、打撃なら別。
吹き飛ばして距離を離せば、攻撃に戻るまでの時間を稼げる。
蹴り足を戻すと、残りの二体の攻撃が左右から挟み撃ちの形でやってきた。
二体はそれぞれ深く踏み込み、ソラに向けて右手の鎌を横に振るう。
攻撃を受け止められた個体も、自由な左の鎌で攻撃を仕掛けてきた。
ソラは垂直に飛び上がると、正対するブロッケンの頭に左手を付いて逆立ちになり、その背後に着地しながらその首を斬り飛ばした。
攻撃の目標を失った残りの二体は、お互いの鎌で胴体を斬り合う同志討ちを演じるが、勿論幻覚であるためすぐに再生。
先ほど蹴り飛ばした個体も幻影、つまり今首を飛ばした個体こそが。
「今のが本体! どうだ、今度こそ……」
勝利を確信するソラだったが、その目前で首が再生する。
「うそぉ……」
「ヒヒヒ、残念だったねぇ!」
首をくっ付けたブロッケンは、獰猛な笑みを浮かべながら体をねじり、両手の鎌で背後を薙ぎ払った。
ソラはすぐさまバック転で距離を稼ぎ、一旦仕切り直す。
「どういうこと? 確かにさっきのは最後の一体だったはず……。どっかで入れ替わった……?」
激しい攻撃の中、目星を付け損ねたのだろうか、それとも何か他の理由が。
考えを巡らせようとするが、すぐに頭の中がごちゃごちゃになる。
「……あー、もうめんどくさい! こうなったら、全員まとめて叩っ斬る!」
案の定思考が纏まらず、ソラはシンプルな解決策に乗り出した。
同時に襲い来る四体のブロッケン。
アダマンタイトの剣を横薙ぎに構えると、ソラは闘気をその白銀の刃に込めた。
刀身が透明なオーラを纏い、切れ味鋭い闘気の大剣に姿を変える。
「くらえっ! 集気大剣斬ッ!!」
横薙ぎに振るわれた剣閃。
広範囲を薙ぎ払う一撃が、四体のブロッケンを纏めて胴斬りにした。
「どうだ! これで……」
今度こそ勝負はついた。
ソラが確信した瞬間、四体のブロッケンは同時にニヤリと笑い、そして再生する。
「なんっ——」
「残念だったねぇ。最後まで大外れだぁ」
ソラの足下、勝ち誇った笑みを浮かべて砂地から飛び出す、五体目のブロッケン。
本体はずっと砂の中に隠れ潜んでいた。
幻影の中に本体がいるとわざとほのめかし、注意を四体の幻影に向け、この瞬間を待っていたのだ。
「じゃ、死のうかぁ」
両手の鎌を、右は首、左は太ももを狙って同時に振るう。
避けられない、首を落とされる。
身を屈めても、足を斬り飛ばされる。
絶体絶命の瞬間、脳裏に過ぎるのはセリムの笑顔。
「——んで、たまるかぁ!」
生きる。
そう強く願う意志が、ソラの力を爆発させた。
剣に込めた膨大な闘気を瞬時に自身の体内に移行させ、身体能力を激増させる。
闘気収束・参式。
一瞬に全てを込めて発動する、彼女の切り札。
「なっ……!?」
まず、首を狙った斬撃。
凄まじい速度で深く身を沈め、これを回避。
鎌は空を切り、ソラの金髪が数本、巻き込まれて宙に舞う。
同時に繰り出された、足を狙った一撃。
防具に覆われていない太ももを狙った攻撃は、刀身で受け止める。
刃を立てて受け止めることで、防御はすなわち攻撃に転化。
左の鎌が中ほどから切断された。
しかし、斬り飛ばされた鎌の刃先がソラの右太ももを深く抉る。
「つっ……!」
鈍化した時間の中、鋭い痛みに顔をしかめる。
だが、構っている暇はない。
歯を食いしばって耐え、必殺の攻撃を凌ぎ切られて隙を晒す目の前の敵めがけ、両手で強く握った剣を足下から右逆袈裟に振りきった。
「——っはぁ、はぁ……」
一瞬の攻防。
参式を解いたソラは、多大な疲労感と足の痛みに、荒く息を吐く。
「あ……がっ……あががぁ……っ」
ブロッケンはうめき声を上げながら、ゆっくりと後ずさる。
四体の幻影が消滅し、本体のみが残った。
「あがっ、あがあああああぁぁぁぁあっ!!?」
そして、彼の胴体に斜めに亀裂が走り、左わき腹から右肩にかけておびただしい量の血が噴き出す。
「あがぁっ! バカな、こんな、こんな事がぁ!? 再生能力を、力を使わなければ体が、体が千切れるぅ!!」
ソラの鋭い一撃は、ブロッケンの体を確実に両断していた。
ところが彼は、斬られた腕をもう一度生やすほどの再生能力をフルに活用して、ギリギリのところで胴体を繋ぎ合わせている。
「往生際が……っ、悪い……! はぁ、はぁ……っ、いい加減、観念しろ……っ!」
息も絶え絶えに、足を庇いながらも切っ先を向け続けるソラ。
このままトドメに行くべきか、情報を引き出すために捕縛するべきか。
ただでさえ考えるのが苦手なソラだが、足の痛みで余計に頭が回らない。
「ヒィィィィ! もっとぉ! もっと力を使わなければぁ、使わなければ死ぬぅ! もっとだ、もっとぉ!!」
左腕の甲、奇妙な紋章が更なる光を放ち、ブロッケンの体を黒いもやが包み込む。
まるで大地から無尽蔵に力を吸い上げているかのように。
やがて、ブロッケンは突然に動きを止めた。
「あがっ? あ、がぁ……」
「な、なに?」
がっくりとうなだれる半人半魔の男。
彼の体が二、三度、痙攣を起こすと、
「あがががあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!??」
耳をつんざくような絶叫と共に、その身体が肥大化を始めた。
「あ、あり得ないぃぃ! こんな、暴走が起こるなんてぇぇぇ!? 聞いてない、マイル様、こんなの聞いてないぃぃ!!」
「……マイル!? それって!」
セリムから聞いたナイトメア・ホースの本名。
ブロッケンはホースの——マイルの差し金、ヤツはまだ生きている。
「あがぁっ、ヒィィィイィ、消える、俺が消えていくぅぅぅ!!」
ブロッケンの体はますます肥大化し、頭部も人間のものから異形の姿に変化していく。
腹部が後ろに突き出し、胴体からもう一つの足が生え、胸から上が極端に反り返る。
腕の鎌はより一層巨大化し、頭部は巨大化。
目が飛び出し、輪郭は細く尖っていく。
「イやだァ、バケもノなンかにィ、なリた゜クな゜ぁ゜ァァァ……」
黒いもやが脳内に広がり、自らの意識を暗黒に塗り潰していく。
底知れぬ恐怖と絶望の中、イリュージョニスト、グロール・ブロッケンという人格は、この世から消滅した。
赤黒いカマキリのような姿の怪物は、十メートルを越えてもなお巨大化を止めない。
洞窟の天井にぶつかり、岩肌がひび割れていく。
「や、やばっ、ここ崩れちゃう!」
崩落を始めた洞窟から、ソラは急いで脱出を図る。
入り口までの短い距離を走り抜け、住処を追われた大量のコウモリ型モンスターと共に灼熱の砂漠へと転がり出た。
空は雲ひとつない晴天、憎らしいほどに照りつける太陽、どうやら砂嵐は収まったようだ。
「はぁ、良かった……。これで砂嵐まであったりしたら、ヤバかったよ……」
ホッと一息つくソラだったが、安堵する時間など彼女には与えられていない。
背後の岩肌を内部から突き崩し、熱砂の砂漠に赤黒いカマキリの怪物が現れる。
その大きさは、優に十五メートル以上。
ブロッケンであった頃の面影は、得物である両手の鎌程度しか残っていない。
「ヒヒヒィィィィィイィンッ!!」
鳴き声とも笑い声とも付かない奇声を発しながら、ブロッケンだったものはソラに襲いかかる。
「このぉ、足が痛いっつってんのに……!」
○○○
砂嵐が収まり、アウスはそれぞれにかけていた風魔法の防護壁を解除する。
凄まじい風の音で、耳元まで近づかなければお互い会話も出来ないほどだったが、あの騒音からもようやく解放された。
「ようやく収まったようだな。余も今回ばかりはさすがにうんざりしたぞ」
「お疲れ様でございます、魔王様。どうでしょう、疲れを取るためにこのアウスが特性の全身マッサージを」
「ところでセリム、先ほどから落ち着かない様子だが、如何したか」
「あ、あの、ソラさん、どこにもいないんです」
泣き出しそうな顔で、セリムは衝撃的な事実を伝える。
先ほどまで最後尾を黙々と歩いていたはずのソラが、どこにも見当たらない。
実際のところ、それはブロッケンの創り出した幻影だったのだが、砂嵐の轟音の中、全員が黙って歩いていたために気付けなかったのだ。
「も、もしかしてはぐれてしまったのかも……! どうしましょう、どうしたら……!」
「落ち着きなさい、セリム。落ち着いて気配を探ってみるの。あなたなら相当広い範囲を感知出来るはずでしょう?」
半ばパニックに陥ったセリムに対し、リースは優しくなだめながら解決策を提示。
王女の腕の中では、ターちゃんが何かを感じ取っているのだろうか、しきりに吠えている。
「そ、そうですよね! すぐに探ってみます!」
立ち直ったセリムは愛しいソラの気配を探り、周囲十キロ四方を探る。
すると南東方向、五キロほど離れた地点に、ソラの気配を見つけることが出来た。
同時に、その側にいる得体の知れない力を秘めたなにかの存在も感知する。
「こ、れは……!」
「どうかしたのかい、セリム。ソラは見つかった?」
「見つかりました、けど……っ!」
クロエへの返事を最後まで告げず、セリムは走り出した。
ソラが何か、この砂漠に住むモンスターとは違う何かに襲われている。
一刻も早く駆けつけるため、彼女はソラの元へと砂の大地を駆け抜けていく。