127 犬耳ソラさんに癒されつつ、出発の時がやって来ました
それから九日間の間、リースは親善大使としての役目を務め上げた。
まずは魔王城前の広場にて演説を行い、先の騒乱での協力についての感謝を告げ、拍手に包まれる中マリエールと固く手を握り合う。
翌日はシャイトスと彼の部下たちと共に中央通りをパレードし、そのまた翌日には先の戦いで命を落とした兵士たちの遺族のもとへ出向き、深い感謝と哀悼の言葉を自ら伝えた。
過去の大戦を経験した年配の層には反発を覚える者もいたものの、若い魔族からの評判はおおむね良好。
リースの活動は、ひとまずは成功と言えた。
その一方で、苦悩に満ちた少女が一人。
魔王城の主、マリエールである。
自室にてアウスの淹れた紅茶を啜りながら、彼女は悩みに悩んでいた。
「……のう、アウスよ」
「なんでございましょう、お嬢様。そのような難しい顔をなされて」
「いよいよ明日に迫った余のレムライア出立について、であるがな。リヴィアがどうしても、納得してくれぬのだ」
愛する姉と数百日間会えないという地獄を耐え抜いたリヴィア。
彼女にとって、もう一度姉と離れ離れになるのは耐えがたいことだ。
再び旅に出ると告げた昨日の夜、彼女は泣きわめき、断固として出向を拒否した。
その強固な姿勢は、マリエールの使用済み未洗濯パンツ十枚という大盤振る舞いでも首を縦に振らないほど。
「あそこまで泣かれると、さすがにな。リヴィアを連れていこうにも、余の直接の血縁はただ妹一人。余の留守中、魔王城を任せられるほど信頼出来るのは、リヴィアだけなのだ」
「なるほど、悩ましいところですわね。ところでお嬢様、妹様がいらないとおっしゃったのなら、パンツ十枚わたくしに下さいませ」
「さて、どうしたものか……」
頭を抱えるマリエール。
妹が首を縦に振ってくれない限り、セリムたちの旅に同行することは出来ない。
「じっくり話し合う、それしか無いのでは?」
「むぅ、そうであるな……。よし、今からリヴィアの部屋に向かうとする」
「その必要はございませんことよ!」
下着を収納している棚が盛大に開き、リヴィアがその中からパンツを撒き散らしながら現れた。
「のああぁぁぁ!! い、いつからそこに……!?」
「お姉さまがこの部屋に戻ってくる前から、ですわ」
「ず、ずっとおったのか……。それにしても、余にまるで気配を悟らせぬとは……」
マリエール限定で発動する気配探知技能と、気配遮断技能。
リヴィアのレベルは1、クラスも魔術師系だったはず、にも関わらずの謎の力。
その正体は愛の深さ故の奇跡なのか、それとも。
「お姉さま、どうしても、お行きにならねばなりませんの? このリヴィアよりも、ご公務は大事なのですか?」
「……どちらがより大事、などという話ではない。お主もアイワムズも、どちらもこの命よりも大事なものだ」
「でもわたくしにとって、お姉さまよりも大事なものなどありませんの! お願いします、お姉さま! ずっとリヴィアの側にいてくださいまし!」
「リヴィア……」
目尻に涙を湛えながら、姉の両手を握って懇願する妹。
頭にパンツさえ被っていなければ、さぞ美しい姉妹愛の構図に見えただろう。
「すまぬ、リヴィア。余はどうしても行かねばならぬのだ。我が国とアーカリア王国の、未来のためにも。どうか分かってくれ……」
「決意は……、硬いんですのね……」
「本当にすまぬと思っている。お前には度々寂しい思いをさせるな……」
「……わかりましたわ。とあるモノさえ下されば、わたくしは何百日でもお姉さまの帰りを待ちます」
「おぉ、分かってくれたか! して、あるモノとは」
「膜ですわ」
「……は?」
妹の口から飛び出した単語に、思考が停止する。
「なんっ、なんと申したか?」
「だ・か・らぁ、一生に一度だけの、お姉さまの開通式。させてくれたら何百日でも待てますの」
満面の笑みでじりじりと迫る妹。
レベル1にも関わらず、放つ威圧感は戦場で目にした合成獣よりも上。
魔王様は青ざめながら後ずさる。
「ひっ! ア、アウスっ、余を助けろ!」
「お嬢様、申し訳ございません」
メイドは魔王の背後に風の如き素早さで回り込み、その小さな体を羽交い絞めにする。
「アウス!? まさかお主、裏切ったのか! 余を売ったのかっ!?」
「お嬢様の開通式にわたくしも参加させて貰える、とのことですので。申し訳ありません、お嬢様。これもお国のためですわ」
「うふふ、怖がらなくても大丈夫ですのよ。よぉくほぐして、痛くないようにしますので」
「妹様、お風呂とにゅるにゅるの準備もすでに出来ておりますわ」
「さすが、気が利くのね。さぁてお姉さま。一生の思い出にして差し上げますわぁ……っ」
「ひっ、やめろ、頼む、それだけはっ……! やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ……」
必死の叫びも虚しく、マリエールはメイドと妹に体をまさぐられながら、備え付けの浴室へと引きずり込まれていった。
○○○
リースの活動の甲斐あって、ここ数日でアイワムズの王国への感情は僅かではあるが改善に向かっているようだ。
このまま断続的に活動していけば、二国間の関係は大きく変わるのでは。
そんな希望を持たせてくれる結果に、リースはひとまずの手応えを感じた。
「リース、親善大使のお勤め御苦労さま。いよいよ明日、レムライアに向けて出発だね」
「そうね。アーカリア王国とレムライアの国交は断絶して久しいけれど、私の訪問を機にこちらも改善されないかしら。……なーんて、調子に乗っちゃダメね」
いたずらっぽく笑うリースに、クロエも微笑みを返す。
王宮を離れての旅、不慣れな環境。
リースが精神的に堪えないか少しだけ心配だったが、杞憂に過ぎなかったようだ。
「リースなら本当にやれそうな気がするよ、ボク。冗談じゃなく、本当にリースにはそれだけの力があると思う」
「わふっ!」
「クロエ、ターちゃんも……。ありがとう。なら、その期待に応えられる私でいないとね」
隣に座る大好きな親友と、膝の上で丸まった可愛らしい子犬のような生き物。
決して自分が特別優秀だとも、人より心が強いとも思っていない。
それでも彼女たちに支えられていれば、本当に出来そうな気にさせてくれる。
大切な存在との出会いに、リースは深く感謝した。
時空のポーチは、使用者が念じたものを時空間から自在に取り出せる。
当然生き物であるターちゃんも例外ではなく、セリムが念じれば自在に取り出せるのだが。
白毛玉をもふもふしたくなったセリムがいくらポーチをまさぐっても、ターちゃんは出てこない。
「……あの、ソラさん。スターリィは?」
「さっきポーチから抜け出して、お姫様たちの部屋に行きたそうにしてたから、連れてってあげたよ?」
「あぁっ……、スターリィ……」
がっくりと膝から崩れ落ちるセリム。
相変わらずターちゃんと和解出来ないまま、虚しく時は過ぎていった。
「せ、セリム。そんなに落ち込まないで」
「ダメです、もう無理なんですぅ……」
「あ、あのね。あたし街に行って、セリムが喜ぶもの買ってきたんだ! ちょっと待ってて!」
「……買ってきた? なんでしょう」
セリムが見守る中、ソラは後ろを向いて自分の手荷物の中をガサゴソと漁り、あるモノを取り出して頭に装着。
そうしてソラが後ろを振り向いた時、セリムの瞳はキラ星のように輝いた。
「どう? わふんっ」
「かわっ……!」
ソラが装着しているのは、犬耳カチューシャ(ホワイトカラー垂れ耳仕様)。
両手を犬のように前に垂らし、舌を小さくぺロリと出している。
その規格外の可愛さに、セリムの脳天から背筋にかけて極大の電流が走った。
「セリム、大好きーっ。わふっ」
「かわわっ……」
口をパクパクさせるセリムに飛び付き、頬擦りをするソラ。
「セリムぅ、……じゃなかった、ご主人様ぁ♪ わふんっ」
「あぁっ、私、もう死んでもいい……」
「ご主人様、死んじゃダメ。あたし、とっても悲しいわんっ」
「そ、そうですね。ソラさんのために、生きなければ……」
飛びそうになる意識を何とか維持し、セリムはじゃれついてくるソラの背中に手を回して撫でさする。
「よしよし、ソラさん、とっても可愛らしいですね」
「ご主人様、大好きわんっ」
「頭もいっぱいなでなでしてあげます。ほーら、いい子いい子」
「わふぅっ、お返しわんっ。ぺろぺろ」
「きゃっ。もう、くすぐったいですよぉ」
ソラはセリムに抱きついたまま、彼女のほっぺを犬のようにぺろぺろと舐める。
くすぐったさに身を竦めるセリムに対し、ソラは攻撃の手を緩めない。
「ぺろぺろぺろっ」
「ひゃんっ、ちょっとやり過ぎですよぉ……っ」
「これはわんこの愛情表現だから、大好きって気持ちを込めていっぱい舐めるの。ぺろぺろ……」
「だからって、これはぁ……っ、あと、キャラ付け忘れてますぅ……」
「にしし、そうだったわん。ご主人様、もっとなでなでして」
「もう……、ソラさん、撫でられるの好きですね。本当にワンちゃんみたいです……」
セリムは頬を舐められながら、ソラの頭を優しく撫でる。
抱き付かれた状態でお互いの鼓動と温もりが伝わり合い、頭がぼんやりしてくる。
「ソラさん……っ」
「ごひゅじんひゃまぁっ、れろぉ……っ」
じゃれ合いを通り越して妙な雰囲気になって来たが、それでもお互いに愛情表現を止めない。
「はぁっ、はあっ、ほっぺだけじゃなくて、お口もぺろぺろしたいわん……」
「……ふふっ、仕方ないワンちゃんですね。いいですよ、それも愛情表現なんですよね?」
「そう、だよ? んむっ、ちゅぱっ……」
「はむぅっ、んむっ……れろぉ……っ」
とうとう理性が決壊し、セリムとソラは互いを深く求め合い、濃厚な口づけを交わす。
「ぷあ……っ。セリムっ、セリム……っ」
「あっ、もう……。今のソラさんはワンちゃんじゃないんですか?」
「そうだけど、だけど……っ」
「仕方ないワンちゃんですね……。ほら、飼い主の私が、全部受け止めますから」
「わふぅ、ご主人様ぁ……」
コンコン。
「今、いいかしら。ターちゃんが戻りたそうにしてるのだけれど」
ノックの音とリースの声。
燃え上がっていた気持ちが急速冷凍され、素に戻った二人は無言でお互いに体を離した。
「……わふぅ。じゃなかった、入っていいよ」
「失礼するわ。……何やってるの、あなた。頭に珍妙なものを付けて」
「これは気にしないで」
ソラの格好に目を丸くするリース。
犬耳カチューシャを取って自分の荷物に突っ込みつつ、ソラは無感情に答えた。
「わふぅ」
「スターリィ、お帰りなさい! もうギュッとしたりしませんから、どうぞ私の膝の上に……!」
「……わふっ」
少しだけ迷いながら、ターちゃんはセリムの膝の上へ飛んでいく。
彼女の太ももに着地すると、恐るおそる顔を見上げた。
「あぁっ、来てくれた……! スターリィが来てくれました!」
喜びに打ち震えながら、抱きしめたい感情をグッと堪えて背中を撫でるセリム。
「あぁっ、もふもふしてます、あったかいですっ。スターリィ、可愛いですぅ……!」
鼻息荒く、ぷるぷると震えながら撫でてくるセリムに、ターちゃんはとうとう恐怖を抱いた。
膝の上から飛び立ち、時空のポーチの中に戻っていってしまう。
「あっ、あぁ……。なんでぇ……」
「……それじゃあ、私はこれで」
もはやかける言葉も見つからず、リースはその場を立ち去る。
立ち直れないほどのダメージを負ったセリムを見かね、ソラは再び犬耳カチューシャを装備した。
○○○
そして翌日、セリムたちがアイワムズに到着してから十日目の朝。
あっという間の滞在ではあったが、レムライアへの船が出るのは二十日後。
それを逃せば、次の便は四カ月は先になる。
名残惜しくとも、出発しなければならない。
「ちょっと短すぎたよね。全然街とか見れてないや」
「オリハルコンの調達が済んだら、またじっくり見て回りましょう」
「そうだね。ボクとしても、この街の鍛冶師にじっくりと話を聞きたいし」
「私の親善大使としての任も、まだまだ不十分。必ずまた、ここに戻ってこなきゃね」
魔王城前の広場に集まった四人は、いずれも旅支度を完璧に終え、あとはマリエールとアウスの到着を待つのみ。
見送りには魔族軍の将や兵士が出揃い、どこか物々しい雰囲気さえ漂っている。
そのトップがマリエールだと思うだけで、そんな雰囲気は吹き飛びそうではあるが。
やがて城門が地響きと共に物々しく開き、魔族の王が颯爽と姿を現した。
背中になびくは原罪の紅き外套、腰に差したるは源徳の白き聖杖。
背後には忠実な僕たるアウス・モントクリフを付き従え、そしてリヴィアが背中に張り付いている。
「お姉さまぁ、くんかくんか、すはすは」
「リヴィア……、重い……」
「あら、レディに向かって重いだなんて、失礼ですわよ。はむはむ……」
「やめろ、髪を咥えるな……」
「妹様、そろそろお降りくださいませ」
妹君の奇行は知れ渡っているが、さすがにこれは威厳に関わる。
アウスがやんわりと注意すると、リヴィアは渋々背中から離れた。
「分かりましたわ……。お姉さま分のチャージ、少々不十分ではありますが」
「や、やっと降りた……。コホン、皆の者、大義である!!」
『ははっ!』
マリエールの号令によって、兵士たちは一糸乱れず背筋を伸ばし、直立する。
大きく頷くと、魔王は堂々とした態度でセリムたちの元へ。
「ずいぶんと待たせたな」
「妹が離してくれなかったの?」
「うむ。アレをくれてやったというに、あやつめ……、またゴネおって」
「……へ? あげたって何を?」
「な、何でもない! 忘れよ!」
顔を真っ赤にして慌てるマリエールと、その背後でほくそ笑むメイド。
ソラは何となく、何があったのかを察してしまった。
魔王様の身に何が起きたのか、詳細を書いてしまいました。
↓の二番目のリンクから飛べる活動報告にリンクが張ってありますので、18歳以上の方はもしよろしければご覧下さい。
 




