124 次なる目的地は海の向こう、ですか
アウスを傍らに侍らせ、上座にどっかと腰を下ろしたマリエール。
外見こそ、なにも変わってはいない。
しかし、その心境にはやはり大きな変化があったようだ。
王の器たらんと振舞うその姿に、先の戦い以来リースは強い感銘を受けていた。
「セリム、ソラ、よくぞ来てくれた。オリハルコン調達なる無理難題を引き受けてくれたこと、改めて礼を言わせてくれ」
「にしし、なに改まってんのさ。あたしたち、とっくに友達じゃん」
「そうですよ、水臭いです、マリエールさん」
「そう……だな。本当に余は、良き友を持った」
硬かった表情が、少しだけ緩む。
王宮の中で大勢の家臣に囲まれ、理想の魔王であろうと振舞う日々。
対等の友として接してくれる彼女たちは、マリエールの心に一服の清涼剤となった。
硬さの取れた、しかし威厳を維持したままの魔王様は、ソラの背中に背負った剣に目をやる。
「ソラよ。世界最強の剣、無事に完成したようだな」
「おうさ! バッチリだよ! まだ一回も使ってないけどさ……」
「クロエ、お主の腕前まこと見事である。そなたもセリムたちに同行してきたのだな」
「えっ、あのっ、は、はいっ!」
突然話を振られたクロエは、背筋をピンと伸ばしてガチガチに硬くなってしまった。
「そこまで緊張せずともよい。余は何も、そなたを取って食ったりはせぬぞ」
「そうだよ。マリちゃん相手に緊張しても仕方ないって」
「お主はもうちっと、余が魔王である認識を持て」
ジト目の魔王様にてへっ、と舌を出すソラ。
緊張が解けないままのクロエの手を、隣に座ったリースがそっと握る。
彼女の手の温もりを感じた途端、緊張は嘘のように消えて無くなった。
「ボク、親方に一人前の鍛冶師として認められたんです。それで、自分の作った剣の力がどれほどか確かめたくて、ソラについてきたんだ」
「あたしの剣、未だに出番ないけどね……」
「なるほどな、そのような理由で。ではオリハルコンを手に入れた暁には、その加工をお主に頼むとしよう」
「任せてよ、完璧に仕上げて見せるから!」
「頼もしい限りである。……さて、最後になってしまったが」
クロエの隣に座る、アーカリア王国第三王女。
フェーブル姉妹からの定時報告で彼女の存在も目的も知ってはいるが、やはり他国の王族。
友人たちに接する崩した態度ではなく、しっかりと気を引き締める。
「リース王女。我がアイワムズに遠路遥々足を運ばれ、さぞお疲れであろう。滞在の間は誠心誠意のもてなしを約束致そう」
「過分なる取り計らい、感謝致しますわ。わたくし、此度は親善大使に任じられ、両国間の関係改善の一助となるべく参じました」
「うむ、存じておる。両国間の更なる関係改善は、余も重要な課題と位置付けておる」
「ふわぁ〜あ」
「……で、あるからして。そなたには後日、城前の広場にて国民の前でスピーチなど」
「あぁ、眠くなってきちゃった……。セリムぅ、膝貸して」
「もう、仕方ないですね。特別ですよ?」
「やったっ! んー、セリムの太もも柔らかい……」
「きゃっ、触らないで、撫でないでください……っ」
「……リース王女、この話はまた今度、落ち着ける場所でするとしよう」
「ええ、そうですわね……、本当に……」
難しい話の気配を感じ取り、即座に睡魔に襲われて大あくびをし、セリムに膝枕をおねだりして、太ももを撫で回してイチャつく。
流れるようなソラの妨害によって真面目な空気はぶち壊され、話し合いは後回しとなった。
「……ところでリース様。わたくし、先ほどからずっと気になっておりましたの。その膝の上に乗った、不思議な毛玉」
「む? 毛玉とな?」
椅子に座った状態のマリエールからでは、リースの顔しか見えない。
座高が低いからだ。
一方で彼女の傍らに立っているアウスの視界には、リースが撫でている謎の白毛玉がバッチリ映っていた。
「メイドさんもこの子が気になるの?」
「わふっ」
その白毛玉はリースの膝の上から飛び上がり、小さな翼を羽ばたかせてアウスの目の前へ。
彼女の頭の周りを一回転すると、テーブルの上に着地してお座りした。
「あらあら、とっても可愛らしい生き物ですわね」
「な、なんだこの生物は!? モンスターではないのか!?」
「スターリィ・ステラトスです」
「な、なんと?」
セリムの口から飛び出した謎の文言に、マリエールは困惑する。
「その子の名前、スターリィ・ステラトスって付けました。可愛い名前でしょう?」
「セリム、誰も呼んでないわよ。ターちゃんとしか呼ばれてないわ」
「可愛いのに……」
しょんぼりするセリムを尻目に、アウスはターちゃんの顔の前にそっと手を差し出す。
すると、彼女の指をぺろぺろと舐めはじめた。
「あら、本当に可愛い。わたくし、貰ってもよろしいでしょうか」
「ダメです! その子は師匠から貰った卵から産まれたんです、うちの子なんです!」
飼い主として必死に所有権を主張するセリム。
だが悲しいかな、ターちゃんはセリムの前を素通りすると、リースの膝の上に戻ってしまった。
「ふふっ、お利口さん。ちゃんと私のところに戻って来てくれるのね」
「あうぅ、何でですか……。嫌われてはいない、ですよね……?」
セリムは自信を喪失しかけ、リースはひたすら白毛玉をかわいがる。
すっかり謎生物にメロメロの二人とは対照的に、魔王様は未だ警戒を続けていた。
「あのような生き物、余は見た事もないぞ。本当に平気なのか……?」
「魔王様、可愛いので良し、ですわ。邪悪な気配も一切感じませんし」
「で、あるか」
セリムの師匠である、錬金術師マーティナ。
彼女の名はアイワムズにまで轟いている。
そんな伝説的な冒険者が託した卵、何か重大な秘密が隠されているのだろうが、ここで考えても答えは出ない。
今やるべきことは他にある。
ひとしきり再開を喜んだところで、マリエールはいよいよ本題に入る。
「さて、そろそろ本題に移ろう。アウスよ、資料を出してくれ」
「はっ、直ちに」
主君の指示を受けて、アウスは羊皮紙をどこからともなく取り出し、セリムの前に置く。
びっしりと情報で埋め尽くされたその紙面に目を通したソラは、一瞬で目まいを起こした。
「あっこれ無理。セリム、あとは頼んだね」
「はいはい。マリエールさん、これは?」
「お主らの到着を待つ間、余も何もしていなかったわけではない。オリハルコンの情報収集のため、書物庫に潜って古い資料を当たり、目ぼしい情報をメモに残しておいたのだ」
「それがこれ、ですか」
ざっと目を通すと、なるほど、よく調べられているようだ。
その努力の裏に、二人の変態による無数のセクハラとお風呂場にゅるにゅるサンドイッチがあったことをセリムは知る由もない。
「紙面には後で目を通してもらうとして、まずは口頭で伝えよう。主な情報源は四代前の初代魔王の治世、約二千五百年前の資料だな」
「に、にせんごひゃく……。ねえセリム、二千五百年前って何年前?」
「二千五百年前です。魔族にとっては四世代前でも、私たちにとっては気の遠くなるような時間ですね」
「その四世代前の魔王はアイワムズを建国するに当たり、西の洋上に浮かぶ国家から貢物を受け取った」
「西の洋上……。もしかして、レムライアですか?」
「その通りだ」
レムライア——アーカリアス大陸西の洋上に浮かぶ、複数の島から成る海洋国家である。
アイワムズとの親交が深く、その友好関係は初代魔王の治世から続いている。
だが、アーカリアス大陸とは遠く離れているため、二国間の国交は主に貿易と為政者同士の交流のみ。
「私はあの国、よく知らないんですけど。マリエールさんは御存じなんですか?」
「うむ、よく存じておるぞ。同じ魔族が住む、古来からの友好国だからな。定期的に向こうのトップをこちらに招き、会談を設けておる。余、自らかの国に足を運んだことはないのだが、楽園のような良き所と聞いているぞ。いつかは行ってみたいものだ……」
「魔王様、話が脱線しておられますわ」
洋上の楽園に想いを馳せる魔王は、側近の軌道修正を受けて緩んだ顔を引き締める。
「コホン、脱線などしておらぬ。で、その貢物というのがこの原罪の紅き外套、そして他ならぬ源徳の白き聖杖なのだ。杖の台座には、オリハルコンの宝玉が蒼く輝いていたと書かれておる」
「つまり、オリハルコンの手がかりはレムライアにある。その可能性が高いんですね」
「さすがはセリム様。御理解が早くて助かりますわ」
ニッコリと微笑みかけてきたメイドに、セリムは怯えながらもぎこちない笑顔を返す。
ともあれ、これで次の目的地は定まった。
「わかりました。私たちはこれから、レムライアに向かいます。……ですけど、あの、どうやって行くのでしょうか」
「どうやってって、船で行けばいいんじゃないの?」
「あのですね、ソラさん。簡単に言いますけど、遠く離れたレムライアに定期便なんて出てませんよ」
「じゃ、じゃあどうすればいいのさ!」
焦るソラだったが、マリエールは慌てず騒がずどっしりと構えたまま、アウスに確認を取る。
「アウスよ、次の貿易船が出るのはいつだ」
「約一月後、といったところでしょうか」
「ふむ、船が出るオレンの町までは二十日もあれば十分に行けるな。セリムたち三人を貿易船に同乗出来るよう手配してくれ」
「あら、三人? 四人の間違いではなくて?」
魔王の命令に口を挟んだ勝気な少女の声。
マリエールは彼女の顔を驚きと共に見つめる。
「……リース王女。そなた、まさかセリムたちに同行するつもりなのか?」
「私は最初からそのつもりよ? 勿論親善大使の仕事はこなすつもりだけど、なにせ家臣を一人も付けずに来てるんですもの。護衛の役目を担ったセリムたちから離れる訳にはいかないじゃない」
「し、しかしだな。アーカリア王国の要人であるそなたの身にもしものことがあれば、二国間の亀裂は致命的なものに……」
「だから、そうならないためにセリムたちと一緒にいるんでしょう」
「……むぅ」
話は平行線。
アウスの顔を見やるが、彼女は黙って首を横に振るのみ。
「セリムのことは勿論信用しておるが、それでももし万一があれば……」
「そんなに心配ならさ、マリちゃんも一緒に付いてくればいいじゃん」
「……あのねぇ、アホっ子。場を掻き乱すだけだから黙っててくれるかしら」
「何さ! あたしは真剣に——」
「そうか、その手が……!」
何も考えていないだろう、ソラのこの発言。
案の定リースは白い目を向けるが、彼女の言葉でマリエールの脳内に閃きの電光が走った。
「そうだ、余は杖のために城を出る許可を貰えたのだ……。ならば今回も……。そもそも窮屈な王宮で……、妹にセクハラされる日々など……」
「お、お嬢様……?」
目の据わったマリエールに、珍しく不安げな表情を向けるアウス。
主君のこの顔に、彼女は見覚えがあった。
この城から杖が盗み出された日、自ら探しに出ると言い出した時の、あの目だ。
「あの、お嬢様には政務が……」
「またリヴィアに任せれば良いではないか。使用済み未洗濯パンツを十枚もやれば引き受けてくれるだろう!」
「魔王としての責務はどこに……?」
「何を言うのだ! 魔王である余自ら友好国であるレムライアに赴く、これはアイワムズ史上初、歴史に残る偉業であろうが! 余も絶対についていくぞ!」
「あぁ、おいたわしや……。もはやわたくしに、魔王様を止める手立てはないのですね」
もはや説得は不可能。
そう断じたアウスは、とうとう決断を下す。
「分かりました。このアウス、お嬢様のためならばたとえ地の果て海の底、雲の上までだってお供仕りますわ!」
「よくぞ言った! アウスよ、どこまでも余についてまいれ!」
「はいっ、どこまでも!」
盛り上がる主従を前に若干引く四人。
ソラの中で加算されてきたマリちゃん威厳ポイントが、一気にゼロになった瞬間であった。
○○○
魔王城の廊下を、屈指の実力者であるアウスを付き従え、マントをなびかせながら威風堂々歩く魔王様。
その御姿から放たれる威光に、すれ違う家臣や使用人はあるいは頭を垂れ、あるいはほっこりする。
威厳溢れる後ろ姿ではあるが、先ほどまでのおかしなテンションを彼女たち四人は忘れていなかった。
「あ、あの、魔王様? 結局、私の同行は認めてくださるのかしら」
「うむ、構わぬ。余も同行するでな。我が家臣たるアウスも付ける、御身の安全は我が国を挙げて保障しようぞ」
「そ、そうですか……」
先ほど目の当たりにしてしまったお子様モードの印象が拭えぬまま、リースは生返事を返した。
現在彼女たちは、魔王城に滞在する間寝泊まりをする客間へと案内されている。
魔王自らが案内をするなど前代未聞ではあるが、それほど彼女たちの存在は特別なのだろう。
「ねえ、マリちゃん。一つ聞いていい?」
「む? なんであろうか、ソラよ。忌憚なく申してみるがいいぞ」
「さっき、キャラ崩れてたよね」
恐れを知らず、ずかずかと踏み込んでいくソラ。
「……はて、何のことだろうか。余はキャラなど作ってはおらぬぞ」
「いや、でもさっき……」
「断じて作ってはおらぬ。これが余の素だ」
「いやいや、でもむぐぅ」
セリムが背後から口元を抑えることによって、ソラは強制的に黙らされた。
アウスは密かにセリムに目配せし、無言で礼を告げる。
こうして魔王様の失態は無かったことにされた。
セリムたちに与えられた部屋は二部屋。
本来は四部屋与えるのが普通だが、彼女たちの事情と関係を良く知るアウスの、目の色を変えた熱烈な主張によって二部屋となった。
まずはセリムとソラに与えられた客間に到着し、アウスに中へと案内される。
「ささ、セリム様、ソラ様。ここがあなた様たちのお部屋です。どうぞおくつろぎになってください」
「わあ、内装がピンク色で可愛らしいです!」
「い、いやいや、アウスさん、これって……!」
客間の内装を目の当たりにしたソラは呆然。
壁紙がピンク色に張りかえられ、ハートマークが散りばめられている。
棚の中には絶対にセリムには使いたくない棒状のアイテムが並べられ、広々としたベッドには両面Yesの枕。
「なんだか良く分からないものもありますが、可愛らしいお部屋ですね。アウスさん、ありがとうございます」
「当然ながら、防音設備も完備しております。こっそりと超小型ホークアイも忍ばせて……おっと、これは言ってはいけませんでしたわ。ではでは、どうぞご存分にお楽しみになられてくださいませ。むふっ、むふふふふ」
「はい。ではソラさん、入りましょうか」
バタン!
セリムが入る前に、ソラは無言で扉を閉める。
「マリちゃん。違う部屋お願い」
「……うむ。すまぬな、ソラ。アウスにはあとでよーく言って聞かせておく」
「あぁ、せっかく可愛いお部屋でしたのに……」
能面のような無表情で、マリエールに代わりの部屋を用意するよう頼むソラ。
彼女たちの顛末を目の当たりにして、クロエとリースも自分たちの部屋が心配になった。