123 魔都アイワムズ、何事もなく到着です
ラスカ〜アイワムズ間の街道は、道幅が広く舗装も行き届いている。
さらに十数キロごとに宿場が設けられているため、道中は王都〜聖地間と同様の快適さ。
街道をまたぐ危険地帯も存在していない。
セリムは機嫌良く鼻歌を歌い、リースも隣でほっこり。
ターちゃんが彼女たちの頭上をわふわふ鳴きながらくるくると飛びまわる。
日射しは暖かく、ポカポカ陽気。
ベルフとベルズの姉妹も眠たそうな顔でのんびりと歩んでいる。
そんな平和な道中、一人だけ不満げな顔をした少女がいた。
ソラである。
「むぅ、危険地帯が全然ない……。ソラ様ブレードの真価はいつ発揮されるのさ……」
「そ、その名前使うつもりなの? 双極星剣・神討でしょ、それ」
「ソラ様ブレード!」
「……はいはい」
ソラは意地でも自分の考えた名前を使うつもりのようだ。
色々と面倒くさくなったクロエは、適当に相槌を打ち、暗にその名称を認めてしまう。
「王都側のリーヤ丘陵じゃ、案の定なんにも出ないしさ。その後はずっと街道が危険地帯を外れてんじゃん。一体いつになったら試し斬りできんのさ!」
「まあまあ、あんまり焦らずいこうよ。ほら、空をごらん。鳥が飛んでいるよ」
上空を旋回する鳥を指さし、のほほんとした表情を浮かべるクロエ。
「むぅ、クロエが付いてきた理由、ソラ様の活躍を見たかったからじゃないの?」
「慌てない慌てない、のんびり行こうよ。だよね、ベルフさん、ベルズさん」
「だねぇ、クロエちゃん。あ、ほらぁ、ベルズちゃん、ちょうちょが飛んでるよぉ」
「ほんとだねぇ、のどかだねぇ」
この姉妹ののんびりムードにあてられたのか、クロエもスロウリィな雰囲気になっている。
「……ねえセリム」
「はい、なんですか、ソラさん」
「あたしを慰めて。いっぱい頭よしよしして」
「嫌です、こんなところで。恥ずかしいです」
「味方がいない」
背中に背負った剣の真価を、発揮するのはいつの日か。
平和に進む道中、ソラは一人戦いに飢えていた。
○○○
こうして何事もなく、本当に何事もなく旅は進む。
夜は宿場で快適に過ごし、毎日入浴出来たセリムとリースは非常にご機嫌。
ラスカの町を発って七日目、平穏無事に迎えた昼下がり、四人と二人の案内役はとうとう魔都アイワムズの城壁を視界にとらえた。
なだらかな草原の遥か彼方、そびえる城壁を目にして、沈み気味だったソラのテンションがうなぎ登りになる。
「おおぉぉぉぉっ! とうとう見えたよ、あれがアイワムズだよね!」
「そうだよぉ、ソラちゃぁん。あそこがぁ、我らが魔王様が治めるぅ、魔都アイワムズなのぉ」
「魔王様ぁ、とっても人気者なんだよぉ。ファンクラブもあってぇ、似顔絵ブロマイドがぁ、露天で売ってるのぉ」
「……アイドルか何かですか」
どうやらあの魔王様は、アイドル的な人気もあるらしい。
善政を布いて国民からの信頼は厚いとアウスに聞いているが、もしかしたらアウス以外にも熱狂的な、というか、変態的なファンがいるのでは。
そこまで考えを巡らせて、セリムの背筋にこれ以上ないほどおぞましい悪寒が走った。
「あ、あの……、ベルフさん、ベルズさん。一つ聞いてもいいでしょうか」
「なんですかぁ、セリム様ぁ」
「なんなりと仰ってくださいましぃ」
「アウスさんと同じような変態、マリエールさんの家臣にいたりしませんよね?」
戦々恐々としながらのセリムの問い掛けに、姉妹は顔を見合わせる。
「いたっけぇ、ご家来衆の中にはぁ」
「いないと思うよぉ、あそこまでの変態さん。みんな普通にぃ、魔王様のこと慕ってるよねぇ」
「そ、そうですか、良かった」
セリムがホッと胸を撫で下ろしたのも束の間。
「でもぉ、御一門に……ねぇ」
「いるよねぇ、アウスさんに匹敵する変態さぁん」
「妹様だよねぇ。よくアウスさんと二人で挟んで、魔王様をにゅるにゅるするんだって。怖いよねぇ」
「危うく私たちもぉ、にゅるにゅるされるところだったよねぇ」
「聖地の宿からこっそり盗み出したぁ、魔王様のパンツあげたら許してくれたけどねぇ、ベルフちゃん」
「きっと魔王様ぁ、気付いてなかったよねぇ、ベルズちゃん。日常的に盗んでるアウスさんに感謝だねぇ」
いる、という事実。
隣で繰り広げられる想像を絶する会話。
セリムは一気に精神力を削られ、後ろを歩くソラの傍らに移動すると、彼女の肩に寄り掛かった。
「にゃっ、どしたの、セリム。体調でも悪い?」
「い、いえ、そういう訳では……。ただアイワムズへ向かう足取りが、異様に重くなってしまっただけです……」
「んにゃ? 良く分かんないけどよしよし」
ソラの匂いを嗅ぎ、彼女の温もりに触れることによって、セリムの精神力は回復。
なんとか普通に歩けるようになったところで、もう一つ気になっていた質問を今さらながらにぶつける。
「あの、お二人とも。リースさんはともかく、どうして私まで様付けなんですか?」
「それはぁ、ねぇ。魔王様の命の恩人、だしぃ」
「御活躍、アイワムズにまで轟いてるよぉ」
「世界最強の少女、凄いよねぇ、ベルズちゃん」
「最強のドラゴンを素手で殴り殺した鬼のような少女、カッコいいよねぇ、ベルフちゃん」
自らの隠したい秘密が隣国にまで轟いているという事実。
可憐な少女に突きつけられた、鬼のような、という比喩表現。
セリムはまたも精神力をごっそり削られ、ソラに体重を預けて寄り掛かった。
「せ、セリム、気をしっかり持って!」
「だ、ダメです、私はもうダメなんです。お願いです、ソラさん。私をお姫様だっこしてください、私をお姫様扱いしてくださいぃ……」
「いいの!? よし来た!」
合法的にイチャつけるとあって、張り切ってセリムの小柄な体を抱き上げる。
軽々と持ち上げられたセリムは、愛する恋人の首に腕を回した。
ニコリと微笑むソラは、引き締まった顔の貴族モード。
「どこまでお運びしましょうか、お姫様」
「あぅっ……、ど、どこまでも連れ去ってください、私の王子様……」
愛する王子様にメロメロになってしまったセリムは、微笑むソラと間近で見つめ合う。
お互いに頬を染め、彼女たちはすっかり二人だけの世界に入ってしまった。
そんな二人の様子をジト目で見守りながら、その後方を歩くリース。
腕の中に抱きかかえた白いもふもふに、半ば呆れ顔で語りかける。
「……ねえターちゃん。あなたの御主人さま、あなたのことすっかり忘れてないかしら」
「わふぅ……すぴぃ」
「あら、寝ちゃってるのね。ふふっ、可愛い……。ねえクロエ、陽気が気持ちいいのかしら、この子寝ちゃったみたい」
「ホントだね。こうして見ると、ただの子犬みたいなんだけどなぁ」
この生物は一体何者なのか、旅の間クロエも自分なりに調べてはみたが、やはり何も分からないまま。
もしも希少な生物だとしたら、誰かに狙われたりしないだろうか。
並の人間では自分たちに敵う訳がないが、並じゃない相手が狙ってきたら厄介だ。
「ねえ、リース。街中に入ったら、その子をセリムのポーチの中に戻してあげて。珍しい生き物だし、もしも悪い誰かに狙われたりしたら厄介でしょ」
「そうね、あなたの言う通りだわ。……でもね、アレに話しかけるの、すっごく嫌なんだけど」
「ね、セリム。もっとあたしのこと、見て?」
「いつも見てますよぉ……。恥ずかしいこと言わせないでください……」
「ダメだよ、今だって目、逸らしてるじゃん」
「そ、それは……、ソラさんが素敵過ぎて……。もう、恥ずかしぃ……」
お姫様抱っこをされながら二人だけの空間を形成しているセリムを指さし、リースは心の底から気持ちを籠めて語った。
「あー……、うん、もっと街に近づいてからでいいよ。その頃には正気に戻るでしょ」
○○○
アイワムズ南門の前に到着した一行。
すでにお姫様だっこは解除され、ターちゃんはセリムのポーチの中に隠された。
ベルフとベルズが行動を共にしているだけあって、門を守る魔族兵はほぼ顔パス。
あらかじめマリエールから、セリムたちが来た場合についての指示も出ていたのだろう。
南門をくぐると、目に飛び込んでくるのは正面にそびえる魔王城。
魔王城へと続く中央通りは、様々な店舗が立ち並び、魔族たちで大いに賑わっている。
「ここがアイワムズ、私たち魔族の都だよぉ」
「王都に比べるとちょぉっと狭いかもだけど、十分広いよぉ」
「城壁の中はぁ、大体十二キロ四方だったっけぇ、ベルズちゃん」
「そんくらいだったと思うよぉ、よく覚えてたねぇ、ベルフちゃん。かしこいかしこい」
「えへへぇ〜、それほどでもぉ〜」
のんびりと間延びした説明ではあるが、ひとまず広さは伝わった。
「観光案内ありがとう。それじゃあ早速、魔王城まで案内して貰えるかしら。……と言っても、この道をまっすぐ行くだけみたいね」
「これならボクでも迷いようがないや」
「おっし、早速マリちゃんに会いに行こう!」
「怖いです……、変態さんたちが巣食う魔窟……、怖すぎます……」
「えへへぇ、それじゃあ案内するねぇ」
「どうぞ付いてきてぇ」
姉妹の案内で三人は意気揚々と、一人は戦々恐々と、中央通りを歩く。
辺りを見回すと、やはり魔族ばかり。
皆、耳を隠さずに堂々と生活しているため、一目で魔族だと分かる。
「アーカリア王国からの旅行者って、少ないんでしょうか」
「そうだねぇ。いないことはないけどぉ、でもやっぱり少ないねぇ」
「ちょっと寂しいよねぇ。昔の戦争、やっぱり気になってるのかなぁ」
「やはり過去のわだかまりはまだ、完全に解けていない。私の来訪が少しでも、両国間の関係改善にプラスになれば良いわね」
「リース様ぁ、頑張ってくださぁい」
「親善大使ってなにするか分かんないですけどぉ、応援してますぅ」
「え、ええ。頑張るわ……」
何とも言えない応援を受け取ったリース。
ソラは出店から漂う食べ物の匂いにふらふらと引き付けられては、セリムに首根っこを掴まれる。
そしてクロエは、この国の建築様式を興味深そうに眺めていた。
長い長い、果てしない大通りをひたすら歩き、彼女たちはとうとう魔王城を目前にする。
北区画の三分の一程度の面積を占める魔王城は、アーカリア城本城と同程度の規模。
張り巡らされた堀に下ろされた跳ね橋を渡り、城前の広場へ。
ベルフとベルズが番兵に話を通し、重い鉄の城門が開かれる。
「ようこそぉ、魔王城へ〜」
「どうぞどうぞ、遠慮せずに入ってぇ」
「……なんだか緩いわね、ノリが」
「マリちゃんとこらしいし! お邪魔しまーす」
「ソラさん、そんな友達の家みたいに。実際友達の家なんですけども。……クロエさん?」
「ほ、ほんとに魔王様なんだよね。どうしよう、緊張してきたぁ……」
「あぁ、やっぱりダメなんですね……」
あまりにも威厳を感じないため慣れてきていたはずなのだが、やはり魔王であることを実感してしまうと緊張するらしい。
ベルフとベルズの案内のもと、彼女たちは魔王城の中へと足を踏み入れた。
城内は石造りの壁と床。
床には赤いカーペットが敷かれ、壁には雷の魔力石を仕込まれた無数の照明が並び、時おり古めかしい絵画がかけられている。
セリムとソラが抱いた城内の印象は、ルキウスの城とどことなく似ている、といったものだった。
勿論大きさも規模も、内装の豪華さも比べ物にならないレベルだが。
あの男は魔王城を再現し、その玉座に座っていたのだ。
狭く暗い城の中、たった一人の家臣を侍らせて。
そう考えると、どことなく憐れみを覚えてしまう。
「ソラさん、きっと今、同じこと考えてましたよね」
「うん。あの城見たの、アモンさん以外だとあたしたちだけだもんね。でもさ、あたしたちがあれこれ考えても仕方ないことだし。それでセリムが暗くなっちゃうのは嫌かな」
「……ですね。忘れる、とまでは言いませんが、心の片隅に留めておく程度で十分ですよね」
供養ならばマリエールがしてくれる。
気持ちを切り替え、二人は微笑み合うとそっと手を繋いだ。
フェーブル姉妹に続いて階段を何度も登り、彼女たちは魔王城の中心部へ。
賓客用の豪華な一室に、一行は通された。
床にレッドカーペットが敷き詰められ、白い壁紙が張られた一室。
部屋の中央に長テーブル、そこに十個ほどの椅子が並ぶ。
壁には暖炉、その上にアイワムズの国旗が飾られ、壁際にはティーセットを納めた棚や各種調度品。
天井には複数の雷の魔力石を用いた大型シャンデリアがぶら下がる。
「ここでぇ、待っててねぇ。今魔王様にぃ、到着を知らせてくるからぁ」
「本当はぁ、謁見の間で会うのが決まりなんだけどぉ、セリム様やソラちゃんに頭を下げられたくないんだってぇ」
「あたしもマリちゃんに頭下げるのはゴメンだなぁ……」
ソラは非常に無礼な発言をした。
「じゃぁ、呼んでくるねぇ」
「待っててねぇ」
姉妹が部屋を後にし、四人はひとまずテーブルに各々着席。
すると、どうやら起床したらしいターちゃんがポーチから顔を出した。
「あぁっ、スターリィ! 目を覚ましたのですね!」
思いっきり抱きしめようとするセリムの腕をするりとすり抜け、ぱたぱたと羽ばたきながらリースの元へ。
彼女の膝の上に乗り、丸まってくつろぐ。
「な、なんでですか……。なんで……」
「セリム、元気だして。ほら、膝が寂しいならソラ様がいつでも乗ってあげるから」
「そういう話ではなくてぇ……」
リースの方を羨ましそうに見つめるセリム。
当のお姫様はすっかり顔が緩み、白い毛並みを優しく撫でながら至福の表情を浮かべる。
「あぁ、なんて可愛いのかしら。ねえ、セリム。もうこの子、私のってことでいいわよね? ウチの子にしちゃっていいわよね?」
「いえ、あの、一応師匠から預かった卵から生まれたので、譲ることは出来ません……」
「あら、残念。この子も私の方がいいって言ってるのに。ねぇ」
「わふぅ!」
「あぐぅッ!」
「セリムっ、気をしっかり!」
可愛いもふもふを完全に奪われたセリムに入る、かつてないほどの大ダメージ。
ソラは倒れ込みそうになる彼女の体を抱きとめ、必死に励ましの言葉をかける。
「うぅ、ソラさん……」
「大丈夫だよ、セリムにはあたしがいるから! いざとなったらあたしが犬耳付けてわふわふ言うから!」
「ごくり……。そ、それはとっても魅力的です……」
「でしょ? だから元気出して! そのうちやってあげるから!」
「……ありがとう、ソラさん。生きる希望が湧いて来ました」
「良かったぁ……」
お互いの背中に手を回して、ひしと抱き合う二人。
クロエはそんな彼女たちを冷めた目で見つめ、リースはひたすらターちゃんをもふもふしていた。
「ねえリース、早く魔王さん来ないかな」
「あら、クロエってば、緊張していたのではなくて?」
「なんかもうどうでもよくなった」
「そう、良かったじゃない」
やがて、入り口のドアが控えめにノックされ、馴染みあるメイドの声が室内に届く。
「皆さま、お揃いでいらっしゃいますでしょうか」
「ひっ、アウスさん!? だ、誰か代わりに、応対お願いします……」
「そんなに怯えなくても……。アウスさんだよ?」
「だからですよ……!」
セクハラ発言のターゲットにされてしまったセリムの傷は、思った以上に深いらしい。
二人のやり取りが外に漏れていたのだろう、アウスは扉を開き、主を室内へと招き入れた。
「では失礼致します。魔王様、どうぞ」
「うむ」
短い返事と共に、彼女は入室する。
その風貌は威風堂々、というわけでもなく。
威厳たっぷりの魔王様、というわけでもない、彼女たち、特にセリムとソラにとっては馴染みの顔。
「おーっす、マリちゃん。久しぶり! しばらく会ってないけどちんちくりんのまんまだね!」
「そうであるな。ところでソラ、お主、礼儀というものは知っておるか?」
余裕綽々、にこやかに返す魔王様の額には、隠しきれない青筋が浮いて見えた。