122 卵から孵ったこの子、とっても可愛らしいです
王都にてマーティナから託された、生きているにも関わらず時空のポーチに納まってしまう不思議な卵。
その中から生まれた子犬のような生物は、背中に生えた小さな羽をせわしなくぱたぱたと動かして宙を飛びまわる。
突然の出来事に呆然とするソラ。
無邪気に飛び回る犬のような生き物を前に、セリムの口から素直な感想が飛び出した。
「か、可愛い……!」
「わふぅ?」
声を発したことで興味を持ったのか、白い生き物はセリムの方へと寄っていく。
「わふっ」
「わぁ! こっちに来ました、可愛いです!」
セリムの肩の上に着地した謎の生物。
つぶらな瞳を星のように輝かせ、セリムの頬に頬擦りをする。
「わふぅ♪」
「ふふっ、とっても人懐っこいですね。懐かれちゃったみたいです」
「セリム、ちょっとは警戒して! そんな訳わかんない生き物、もしかしたらモンスターかも……!」
「大丈夫ですよ、こんなに可愛いのに。それに、魔物特有の邪悪な気配もしませんし」
白い毛並みをもふもふと撫で回しながら、緩んだ顔で答えるセリム。
「んー、でもこんな生き物見たことないよ? セリムもでしょ」
彼女の肩に座った生き物を、ソラはジロジロと観察する。
大きさは30センチ程度、もこもこした白い毛並みに短い垂れ耳、鼻は黒く湿っている。
じっと見つめるつぶらな瞳に耐えきれずそっと頭を撫でてみると、毛に埋もれていて外見からは分からなかったが、小さな突起——角だろうか、が頭部に確認出来た。
尻尾は獅子のように、短い毛に覆われた長い尾の先に毛玉状に長い毛が集まっている。
そして、最も目を引くのが背中に生えた小さく短い羽。
このずんぐりとした体を、どうやってこんな短い翼で飛ばしているのだろうか、さっぱり分からない。
「確かに見たことは——いえ、どこかで見た……、ような気も……?」
もこもこ生物をじっと見つめながら、セリムはどこか既視感を覚え、記憶を掘り起こす。
しかしこんな可愛らしい、訳の分からない生き物はやはり記憶のどこにもない。
「気のせいですかね。ま、そんなことはどうでもいいんですよ。それよりも大事なのは……」
「そ、そうだよ! この生き物の卵、どうしてポーチに入ったり——」
「名前を付けてあげないと、ですよね!」
「あぅ……」
「なんて付けましょうか。ゴンザレス、ゴンザマス、ゴルゴンゾーラも捨てがたいですね……」
「何その名前。……いやいや、そうじゃなくて、その前にさ!」
「……そうです! 名前を付ける前に、まずは女の子か、それとも男の子か確認しないと!」
どこまでもマイペースに、セリムは前脚の付け根を両手で抱えて抱き上げ、股間を確認。
「あっ、付いてないですね。女の子です」
「そうなんだ。……あのさ、クロエ呼んできていい?」
「いいですよ。名前、女の子の名前……、どうしましょうか……」
慣れないツッコミ役を一人で受け持つことに疲れたソラは、隣の部屋にクロエを呼びに行った。
その間、セリムはこの生き物の名前を必死に捻りだそうとする。
「んー、名前、この子の名前……。瞳のきらめき、まるで夜空のお星様みたいです」
「わふぅ」
「星、スター、ステラ……。決めました、スターリィ・ステラトスです! 可愛らしい名前だと思いませんか、ソラさん。……あれ?」
名前決めに夢中になっていたセリムは、ソラへの返事も上の空で返してしまっていた。
そのため、気が付けば部屋に一人っきりの状況に。
しかしすぐに扉が開き、ソラがクロエとリースを伴って戻ってきた。
ソラがクロエの背中をグイグイと押し、その後ろにリースが続く。
「ほらほら、早く入って」
「押さなくてもいいだろ、危ないって」
「一体なにがあったのよ。あなたの説明、まったく要領を得ないんだけど」
「見れば分かるってば、ほら!」
室内に佇むセリムが抱きかかえるもこもこの生き物を、ソラは指し示した。
「あれがさ、ポーチの中に入ってた卵から生まれたの」
「生まれたって……、あれがかい? にわかには信じられない話だけど、リースはどう思う……リース?」
お姫様にも意見を求めようとしたクロエだが、何やら彼女の様子がおかしい。
大きく目を見開き、多大なショックを受けたかのように硬直してしまっている。
「ねえ、リースってば……」
「か、かわっ……!」
「……あー、そういえば」
初めて彼女に自分の耳を見せた時の反応を、クロエは思い出す。
すっかり忘れてしまっていた。
リースという女の子は、かわいくてもふもふしたものに目が無いのだという事を。
「セリムっ! その子、私にも抱かせなさい!」
「いいですよ、産まれたてなので優しくお願いしますね」
「わふっ」
セリムからスターリィ・ステラトスを譲り受け、その腕に抱きかかえるリース。
その瞳を爛々と輝かせながら、柔らかな毛並みをもふもふと撫で回す。
「あぁ、可愛い! なんて可愛らしいのかしら!」
「スターリィ・ステラトスって名付けました。可愛い名前だと思いません?」
「長いわ、ターちゃんって呼びましょう! あぁ、この子、私の手をぺろぺろしてる! し、幸せ……」
事態の収拾を付けるために呼んだ二人のうち、一人は向こう側の人間だった。
ソラはセリムとの対話を諦め、せめてクロエと真面目な話をしようと試みる。
「……あのね、クロエ。まずあの生き物が生まれた卵なんだけど、王都でセリムの師匠から貰ったんだ」
「そうなんだ。でもさ、生き物って時空のポーチに入らないんじゃなかったっけ」
「うん、だけどあの卵だけは例外らしくてね。……確かにあの時、可愛い生き物が出てくるかもって言ったけど、まさかセリムがあそこまで頭蕩けるなんて思わなかったよ」
自分がツッコミに回らざるを得ないほどの、セリムの壊れ具合。
彼女はリースと一緒に緩みきった顔でターちゃんを撫でまわし、かわいい以外の一切を考えていない。
「実はリースもさ、可愛いものには目が無いんだ」
「んー、お姫様も一緒になってはしゃいで、収拾付かなくなっちゃったよね……。もうクロエだけが頼りだよ、アホなあたしの代わりにあの生き物の正体考えて!」
「……って言ってもね。あんな生き物、ボクも初めて見るし」
二人に抱きしめらて撫で回されるもふもふに、クロエが一歩近づいた瞬間。
ターちゃんはスルリとリースの腕の中を抜け出て、ポーチの中へ飛び込んでしまった。
「あっ、行っちゃいました……」
「残念ね……、何か気に入らなかったのかしら」
「……いやいや、二人とも。普通にポーチに入ってったよ? そこにまず驚こうよ」
「確かに、そうですね。卵の状態ならまだしも……」
「見た事のない生き物だったしね。あれは一体、何なのかしら」
クロエのもっともなツッコミを受け、尚且つもふもふがいなくなったことで、二人はようやくクールダウン。
冷静さを幾分か取り戻したようだ。
「私、似たような生き物をどこかで見たことがある気もするんですよ」
「なんとかして思いだせないのかしら」
「それが、頭のどこかに引っ掛かってる感じで……」
必死に頭を悩ませるセリムだが、どうしてもピンと来ない。
「ダメです、何か、とても可愛くない何かの影がチラつくんですが、その何かが可愛くなさすぎて……! 思いだそうとすると、トラウマまで刺激されそうな……!」
「あっ、セリム、もういいから。辛い過去のことは思い出さなくていいから、ね?」
「そ、ソラさん……、ごめんなさい、お役に立てなくて……」
とうとう頭を抱えてしまったセリムの肩を抱き、ソラはそっと抱きしめる。
過去のトラウマが非常に多い彼女のことだ、記憶の一部にフタをしてしまっていても無理はないだろう。
セリムを抱きしめて落ち着かせていると、ポーチの中から再びターちゃんが顔を出した。
その小さな口には、高原レタスの切れ端が咥えられている。
レタスを床に置くと、さっそくむしゃむしゃと食べ始めた。
「わあ! ごはん食べてます、可愛いです。この子、お野菜を食べるんでしょうか」
「犬とかと同じ、雑食性かもしれないわね。それにしても勢い良く食べてるわ、よっぽどお腹が空いてたのかしら」
レタスの切れ端をがっつくターちゃんにほっこりするセリムとリース。
一方ソラとクロエは、ポーチに出入り自在の謎生物により一層疑念を深める。
「ポーチを出たり入ったり……。どうなってんの、あの生き物」
「しかもポーチの中に収納されてた高原レタスを引っ張り出してきたね。つまり、ポーチの中の物を自由に引っ張り出せるのか」
「で、でもさ、あのポーチの中にはあたしたちの食糧も入ってるんだよ!? 勝手に食べられちゃわない?」
「どうなんだろうね。わざわざ引っ張り出してから食べ始めたってことは、異空間の中じゃ食事出来ないんじゃないかな。ほら、セリムのポーチの中身って保存状態もそのままだろ? もしかしたらあの中の物って食べられないような状態で、例えば情報として保管されてるとか」
「難しい話、ソラ様分かんない」
「そ、そっか……」
食事を終えて満足した白毛玉は、大きなあくびをした後、再びポーチの中へ頭から入っていく。
セリムとリースはしばらく固唾を呑んでポーチを見守るが、全く出てくる気配は無い。
「……どうやら、今度は出てこないみたいですね。眠そうでしたし、中で寝ているのでしょうか」
「はぁ、残念だわ。もっともふもふしたかったのに」
名残惜しそうにしながらも、セリムは肩から下げたポーチを外し、テーブルの上に置いた。
「ターちゃんが寝ちゃったんじゃ、ここにいてもしょうがないわね。クロエ、戻るわよ」
「う、うん。ソラ、それじゃあね。ボクも可能な限り色々と調べてみるから」
「お願い。ホント、クロエだけが頼りだから!」
リースはクロエを伴って、自分の部屋へと戻っていく。
貴重な常識人のクロエに心から感謝しつつ、今後は彼女が寝不足にならないような工夫を凝らそうと深く心に誓うソラだった。
「ソラさん、心配し過ぎじゃないですか?」
謎の生物に対する警戒心を露わにしているソラに、セリムは尋ねる。
邪悪な気配を感じず、大変人懐っこく、それでいて非常に可愛らしい。
警戒する要素など、セリムには一切感じられなかった。
「んん、あたしもさ、その子が無害だってのはなんとなくわかるよ? たとえあのロクでもない人がくれた卵から孵った生き物でも」
「確かに、あのド腐れ師匠から貰った卵から産まれましたけど……」
ベッドに腰を下ろすセリム。
その背後にソラが回り、彼女の体に腕を回した。
「でもさ、あたしやっぱり、セリムがすっごく大事で、とっても心配だから」
セリムを後ろから抱きしめ、耳元に顔を寄せ、愛おしげに囁く。
「ソラさん……、ありがとうございます。でも私、ソラさんに心配されるほど弱くありませんから」
「物理的な強さはそうだけどさ」
「た、確かに精神的にアレなのは、私も自覚ありますけども……」
「だからね。あたしがセリムの支えになってあげたい。ずっと側にいて、セリムを支えてあげたいの」
頬に軽く口づけを落とす。
セリムは少しだけくすぐったそうに肩をすくめ、熱のこもった瞳でソラを見つめた。
「……とっても嬉しい。大好きです、ソラさん」
「あたしも。セリムのこと、世界で一番、大好きで大切だよ」
ソラの頬も紅潮し、蒼い瞳が熱っぽく潤む。
そのまま二人は唇を重ねた。
「んっ、んむっ、ちゅ……」
「はむっ、ちゅっ、ぷぁ。ソラさん……」
唇を離すと、セリムは艶やかな表情と熱のこもった声でソラの名を呼ぶ。
もう止まれない。
肩を掴んで押し倒そうと——するところで、ソラの理性が待ったをかけた。
「……? どうしたんですか、ソラさん。私なら構いませんよ?」
「いや、そういえばあたし、お風呂入ってなかったなーって。確かに汚い体を恋人に晒すのって嫌だね……。急いで入ってくるから」
セリムと抱き合っていた体を離し、浴室へ急ごうとするソラ。
そんな彼女の袖を控えめにつまみ、セリムは上目づかいで訴えた。
「待って、ください……。あの……、私も一緒に、入ってもいいですか?」
「にしし、どうしたのさ。セリム、さっき入ったばっかりじゃん」
「そんな意地悪言わないでください……」
「ゴメンね。じゃあ、一緒に入ろうか」
袖をつまんでいた手を取って、しっかりと握り、二人は脱衣所へと入っていった。
○○○
国境を越えるためには、通行手形が必要。
通常はノルディン教の教会を通じて王家に申請を出し、数か月かけての発行となる。
ところがリースたち四人は、出発に際してすでに王から通行手形を受け取っていた。
そのため、いつでも好きな時に堂々と国境を越えられる。
丸一日ゆっくりと休息を取り、旅の疲れを癒した四人は、いよいよ国境線を越えようとしていた。
「クロエ、今日はやけにすっきりした顔してるね」
「そりゃあね。昨日の夜は静かだったし、久々にぐっすり眠れたから」
「あー、ホント、いつもごめん……」
昼間にお風呂場で色々とした二人は、その日の夜何もせずに眠った。
そのためクロエは、久々に朝までベッドで熟睡することが出来たのだ。
「……朝からなんて話をしているのかしら」
「そ、そうですよ! もう、ソラさんもそういう話は控えるって言ったじゃないですか!」
爽やかな朝の空気にそぐわない下世話な話に苦言を呈する乙女二人。
リースはターちゃんを胸に抱きかかえ、その毛並みをもふもふしている。
「その子、お姫様に懐いてるみたいだね」
「ちょっと寂しいです……。なんでリースさんの方に懐くんですか……」
「まあまあ、セリムも嫌われてはいないみたいだし」
クロエのフォローにも、セリムの顔は浮かないまま。
この間に四人は何の感慨もドラマも無しに、国境線をあっさりと越えた。
「ふふっ、この子、私の手をぺろぺろ舐めてくるのよ。とっても可愛らしいわ……」
リースは白い毛玉を抱き上げ、頬擦りする。
その様子をじっと見つめるクロエ。
ソラはニヤニヤと笑みを浮かべながら彼女に突っかかる。
「おやおや、クロエさん。もしかして子犬に妬いておられる? ボクもリースの手をぺろぺろしたいなぁ、とか思ってらっしゃる?」
「な、ばっ、何言ってやがんでい! 大体犬じゃないだろがい!」
図星を突かれたクロエは、あたふたと身振り手振りを交えながら必死に弁解し、とっさに話題の転換を図る。
「そ、そうだ! もうアイワムズに入ったんだよね、いつの間にか!」
「……あれ? 確かに越えてますね」
「本当、今気付いたわ」
「もっと感動しようよ……。でさ、ここから魔都まではどのくらいかかるんだろう」
「それならぁ、歩いて一週間くらいだよぉ」
「そうだよぉ、宿場もいっぱいあるから安心だよねぇ、ベルフちゃん」
「なるほど、宿場があるなら入念な準備は必要ないか。…………うぇええぇ!? だ、誰さ!?」
「ちょわっ! あたしも全然気付かなかった」
当然のように隣を歩き、会話に加わっていた二人の魔族の女性。
唐突に現れた彼女らに、四人は肝を潰す。
「スターリィに構っていたとはいえ、私にも接近を気取らせないなんて、ただ者じゃありません……。あ、あの……、もしかして、マリエールさんの家臣の方ですか?」
「そうだよぉ、私はぁ、姉のベルフ。よろしくねぇ」
「私はぁ、妹のベルズだよぉ」
「私たちぃ、セリム様たちをお迎えするようにぃ」
「頼まれたんだよねぇ、ベルフちゃん」
濃い青色の髪をした双子の姉妹は、のんびりと間延びした口調で自己紹介をした。