120 忘れていたのは、あの子のことでした……っ!
大聖堂の中に足を踏み入れたクロエは、その内装の美しさに感動する。
赤いカーペットが敷かれた床の上に木製の長椅子がズラリと並べられ、その広さは町の教会など比較にならない。
見上げれば数十メートル以上はある高い天井に、壁一面に彫られた精緻な彫刻。
正面の祭壇、その向こう側には、ノルディス神と三体の龍の姿が描かれた美しいステンドグラスが陽光にきらめく。
荘厳な静けさに包まれた堂内には、熱心に祈りを捧げる巡礼者の姿も幾人か見える。
そして祭壇の前。
ひざまずいて祈りを捧げていた、淡い栗色の髪をした白いローブ姿の少女。
扉の開閉音で来訪者に気付いた彼女は、こちらに振り返ると佇まいを正して深くお辞儀した。
クロエも会釈を返すと、彼女のいる祭壇の方へ。
「旅のお方、遠路遥々ようこそいらっしゃいました。カルーザス大聖堂は初めてでしょうか? よろしければご案内いたしますよ」
「あ、いや。ボクは話を聞きたくて来たんだ」
「話、ですか。ノルディン教の神話でしょうか、それとも御説法を?」
「あー、そうじゃなくて。緑の石について——」
やけに愛想の良い修道女にクロエが用件を伝えようとした時、大聖堂の扉がけたたましく開く。
「ちょっとクロエ! ソラ様置いてくなんてひどいじゃん!」
「また私流されて……、あんな恥ずかしいこと……」
そして、置いてけぼりを食らって御立腹の親友が頬を膨らませながらやってきた。
ソラの後ろには、衆目の面前で堂々とイチャついてしまい、正気に戻って後悔に苛まれるセリムが続く。
「やっと気付いたみたいね。それにしてもアホっ子、聖堂内であんなに騒ぎ立てるなんて……」
「もう正直さ、色んな意味で他人のふりしていたい」
クロエには愛想良く応対していた少女も、ソラの登場には言葉もないらしい。
こちらへと近付く金髪の剣士の顔をじっと眺め、何も言葉を発せられずにいる。
「……あの、ごめんね。あんなんだけど悪いヤツじゃないから、勘弁してあげて?」
「…………」
「え、えっと、怒っちゃった?」
「……剣士様」
「へ?」
「剣士様、お会いしとうございましたっ!」
怒り心頭かと思いきや、少女は涙ぐみながらソラへと駆け寄り、その体に飛びついた。
軽い体重を難なく受け止めたソラは、思わず腕を背中に回して抱き止めてしまう。
腕の中で顔を上げたその少女。
彼女のことを、ソラは知っている。
「メリィちゃん、久しぶり!」
「はい、お久しぶりです。あぁ、また剣士様にお会いできるなんて、毎日祈りをささげた甲斐がありました」
「ちょ、ちょっと! ソラさんから離れてください、今すぐに! ソラさんも、何デレデレしてるんですか!」
セリムはすぐさま二人の間に割り込み、引き離そうとする。
存在を忘れていた、というよりは忘れようとしていた天敵の再登場に、彼女の心は大いに掻き乱された。
「べ、別にデレデレしてないし!」
「いいえ、デレデレしていました!」
「あら、セリムさん。相変わらず余裕がありませんのね、うふふ」
「よ、余裕ならあります! しっかり持ち合わせてます!!」
クロエとリースは、目の前で繰り広げられるソラの取り合いに、ただただ顔を見合わせる。
「全然余裕無いじゃないですか。この調子だとまだ、全然進展してないみたいですね」
「進展しました! ソラさんとは恋人です! キスも、え、えっ、えっちだってもういっぱいしたんですからぁぁぁっ!!!」
清浄な空気の漂う大聖堂の中で、破廉恥な告白を大声で叫ぶセリム。
祈りを捧げていた巡礼者たちの視線が一身に降り注ぎ、彼女はすぐに正気に戻る。
「あっ、いやっ、違っ、違くはないんですけど、あのっ、今のはですね……!」
「……本当なのですか? 剣士様」
「え、えっと、本当だよ?」
セリムは羞恥心に耐えきれず、頭を抱えてその場にうずくまってしまった。
ソラの腕の中で、メリィは顔を俯かせる。
「その、メリィちゃん?」
ショックを受けてしまったのか、黙りこくるメリィをソラは心配そうに見つめる。
ところが彼女は、
「燃えてきました……!」
「……んん?」
瞳に炎を宿らせて、セリムへと目を向ける。
これがメリィ・バートレットという少女。
彼女は非常に強かな性格をしているのだ。
「やりますね、セリムさん。ライバルは強くないと、張り合いがありませんもの」
「ら、ライバルって……、もう勝負はついてるでしょう!?」
「いいえ、これからです。必ず私はあなたから、剣士様を寝取ってみせます!」
「ねとる?」
「……いえ、ここは3Pも捨てがたいですね」
「さんぴぃ?」
次々と飛び出す聞き覚えのない言葉に、セリムは首をひねるばかり。
清廉な神子の暴走をソラは慌てて止めに入る。
「ちょ、ちょっと待ってメリィちゃん!」
「剣士様、今夜は是非私の部屋に泊まっていって。セリムさんも一緒でいいですよ?」
「お泊り会ですか? それは楽しそうです!」
「ダメ! セリム! それを承諾したらダメ! 新しい世界の扉が開いちゃう!」
清浄な空気の漂う大聖堂あまりにも似つかわしくない会話を繰り広げる三人の少女。
彼女たちと同類だと思われたくないクロエとリースは、完全に他人のふりを決め込み、座席に腰を下ろして静かに祈りを捧げていた。
「メリィや、なんだね騒々しい。何かあったのかね」
三人の少女の姦しい声を聞きつけて、祭壇右斜め奥の扉が開き、白く長い髭を垂らした老聖職者が姿を見せる。
彼はメイナード。
ノルディン教の大司教の一人にして、この大聖堂の頂点に立つ権力者。
そして、ソラに緑色の石を託した人物だ。
「だ、大司教様! 申し訳ございません、聖堂内ではしたない声を……!」
「まあよい。して、そこにいるお二人は……、おお。またいらしてくださったのですな!」
セリムとソラ、二人の顔を見るや、メイナードはしわ深い温和な顔を緩ませる。
「お二方の王都での御活躍、この聖地にも届いておりますぞ」
「おぉ! ソラ様の武勇伝がここまで!」
「あぁ、私の知られたくない秘密がここまで……」
大司教の言葉に、正反対な性格の二人は正反対の反応を見せた。
「して、本日はどのような御用事で? 王都から故郷の町に帰る途上ですかな?」
「いえ、実は……」
「メイナード大司教、お初にお目にかかるわね」
ようやく下世話な話題に収拾がついたタイミングを見計らい、リースはおもむろに進み出る。
「ややっ、あなたはもしや……!」
「如何にも、私はアーカリア王国第三王女、リース・プリシエラ・ディ・アーカリア。以後お見知りおきを」
恭しくお辞儀をするプリンセス。
突然に現れた王族、さすがのメイナードも驚きに目を剥いた。
「これはこれは、わたくしなどのために勿体ない! あなた様のような方がこのような場所へ、どうしてまた?」
「実は私、アイワムズへの親善大使に任じられたの。今はアイワムズへの旅の途中。中継地点としてここに立ち寄ったわけ」
「そうでございましたか、親善大使に。して、お供の方はどこに……?」
「そこにいるじゃない。セリムと、私の後ろにいるクロエ。共に先の戦いで活躍した救国の英雄よ」
「あたしは!? お姫様、あたしを忘れてない!?」
「あら、そうね。一応あなたもいたわね」
「わざとだ、絶対わざとだ……!」
リースの説明を受けて、メイナードは納得。
確かにこの三人ならば、王女の護衛を務める者としての格は十分だろう。
「と、それはあくまで私の用事。そちらの二人は何か別の用があるみたいよ」
会話をそこまで繋げ、セリムとクロエに流し目で合図を送った。
ここからはセリムが話を引き継ぐ。
「大司教さん、私、どうしても聞きたいことがあるんです」
「ほう、なんですかな。セリムさんたちには御恩がありますからな、答えられる範囲でならなんでも」
「そうですか、では……。ノルディス神と共に戦った三体の龍について、詳しく話を聞かせて貰えませんか」
三体の龍、その存在はセリムの心の中にずっと引っ掛かっていた。
地厳龍が仄めかした次元龍との関わり。
もしもこの手で仕留めた次元龍タキオンドレイクが、三体の龍の一体だとしたら。
「そんなことでしたら、いくらでも。まず三体の龍についてですが、ノルディス神自らがこれをお造りになられたことは御存じですかな?」
「……いえ、初めて、聞きました」
「ではそこからですな。ノルディス神は邪神と戦うにあたって、自らの力を分けた三体の龍を創造なされたのです。小さなトカゲと土くれを、小さな魚と珊瑚の欠片を、そして小さな獣と天空の星を組み合わせて」
「組み合わせて、創造した……?」
セリムの心臓が、大きく跳ねる。
二つの異なるものから新たな存在を創り出す、それはまるで——。
「三体の龍はそれぞれ、異なるものを司っています。土くれの龍は生きとし生けるものが根付く大地を、珊瑚の龍はそこに育まれた命を、星の龍は世界に流れる時を、それぞれ司っているのです」
「時の、流れって……! そ、その龍たちの名前は、名前はなんていうんですか!?」
もはやセリムは、いてもたってもいられなかった。
自らの手で殺してしまったあの龍が、ノルディス神のしもべの龍だったならば、取り返しのつかない事態になってしまうかもしれない。
龍の名前を尋ねるセリムの剣幕に少々驚きながらも、大司教は少々申し訳なさそうに答える。
「名前、ですか……。残念ながら、それは伝わっておらんのです。お役に立てず、申し訳ない……」
「そう、ですか……。いえ、ありがとうございます」
大司教の身分でも、龍の名前は知らされていないらしい。
彼の声色から、隠し事は無く本当のことを言っていると感じ取れる。
やはりその名は、王家の中でも王位継承者にだけ伝えられるほどの超重要機密事項のようだ。
「えっと、じゃあ次はボクの番だね」
セリムの話が終わったところで、クロエが入れ替わりに大司教の前へ。
若干緊張しながらも、彼女は自分の質問をぶつけていく。
「じ、実はボク、ソラが首から下げてた緑色の石をよく調べてみたいんです」
「緑色の石を……? 確かに霊峰の山頂からしか採れない石ではありますが、しかしアレは、武具やアイテムに利用出来ないただ綺麗なだけの石。どうしてそんなに気になるのですかな」
「はいはいはい! それはあたしから説明します!」
ずっと黙っていたソラが、とうとう我慢できなくなったのだろう、強烈に自己主張しながらしゃしゃり出てきた。
「あのね、ルキウスが怪物になっちゃって、全然攻撃が効かなくなっちゃったんです! でも突然あの石がペカーって光って、そしたらその光があたしの剣に移って、あとはズバーッってしたらザクーッて」
「は、はぁ……」
「アホっ子、大司教が混乱しているわ。あなたは大人しく黙っていなさい」
「はい」
リースに首根っこを引っ掴まれ、ソラは撤収。
代わりにクロエが、ルキウスとの戦いで起きた不思議な出来事を事細かに伝える。
「ふむぅ、なるほど。あの石にそのような力が……」
「だから詳しく調べてみたいんです。鉱石はボクの専門ですし、もしかしたら何か分かるかも」
「いいでしょう、本当にいくらでもありますからな。好きなだけ持っていってくだされ」
にこやかな笑みを浮かべると、メイナードは奥の扉へと下がり、やがて緑の石をはめ込んだネックレスを両手で抱えて戻って来た。
祭壇の上に置くと、緑色の光が山積みになる。
どっさりと、軽く五十個以上はあるのではないだろうか。
「た、確かにいっぱいありますね……」
「これだけあるとありがたみが無いね……」
揃って覗きこむセリムとソラ。
もしかしたら市街地のお土産売り場でも売っているのではないだろうか。
そんな予感をひしひしと感じる。
「あ、あの、こんなに貰えませんよ。多くても三つで十分です」
「良いのですよ、お土産として売り出そうか検討中なほどありますので」
ある意味予感が当たってしまい、お土産に命を救われたソラは複雑な表情を浮かべた。
「じゃ、じゃあ五つ。五つだけ貰っていきますね」
謙虚な庶民であるクロエは、これだけの山の中から五個だけを手に取り、つなぎのポケットに仕舞い込む。
「大司教さん、ありがとうございます。この謎の鉱石、必ずボクが解明して見せますから!」
「ほっほっほ、頼もしい限りですな」
「さて、これで用事は済んだかしら」
クロエの用事も済んだ所で、リースは一同の顔を見回す。
「ボクはもういいよ。サンプルは調達できたしね」
「私も、ちょっと名残惜しいですけど。あとメリィさん、ソラさんから離れてください。なんで腕を組んでるんですか、なんで胸を押し付けてるんですか!」
「恋は押したもの勝ちですよ。悔しかったらセリムさんもグイグイ押してみればいいじゃないですか」
「上等ですよ! やってやりますよ!」
ソラの右腕に腕を絡めたメリィの挑発を受けて、セリムはソラの左腕に腕を絡めて目下急成長中の胸を押し付ける。
両腕にむにむにと膨らみを押し付けられ、二人の少女の甘い香りに包まれてソラの顔は真っ赤になる。
「ちょっ、二人とも、何してんのさ! クロエ、助けてクロエ!」
「おーおー、モテモテでござんすね、両手に華とは羨ましい。行こう、リース」
「……ええ、もう関わりたくないし。先に宿、戻ってるわね」
「ちょっ、薄情者ぉ!」
火花を散らす二人の少女に挟まれた哀れなソラを残して、クロエとリースは大聖堂を後にした。
「ほ、ホントに行っちゃったし……。セリム、メリィちゃん、一旦落ち着こう? ね?」
「なんですか、ソラさん! 私というものがありながら、この子にデレデレして!」
「デレデレなんてしてないからぁ!」
「今まさに、おっぱい押し付けられて鼻の下伸ばしてるじゃないですか!」
「伸ばしてるよ! セリムのおっぱい押し付けられて伸ばしてるよぉ!」
「そんな! ちゃんと私のおっぱいでも伸ばしてください! それなりに自信あるんですから!」
「か、体くねらせないで! メリィちゃん、それ色々マズイって!」
「むっ、負けません! ソラさん、もっと私の胸でデレデレしてください……っ」
「セリムまでぇ!」
「これ、メリィ。自重しなさい」
「だ、大司教さん……! そうだよね、ここ大聖堂だもんね、こんなことしてたらダメだよね……」
メイナードの助け舟に、ソラは救いの神が舞い降りたが如き表情を浮かべる。
ところが。
「そのようなことは人目の付かぬ場所でやりなさい。いいですな」
「大司教様……、わかりました! 剣士様、私の部屋へどうぞ。セリムさんもいいですよ、ふふふ……」
「む、そこで決着を付けるんですね。望むところです! 行きましょう、ソラさん!」
「だ、ダメだって! この流れはまずいって、新しい世界の扉が開いちゃうってー!」
二人の少女に引っ張られて、大聖堂の奥に連れ込まれるソラ。
数時間後、何とか最悪の事態を回避してセリムと共に宿屋に戻った彼女は、まるで激戦を終えた後のような疲労感に包まれていた。