114 マリエールさん達と、しばしのお別れです
アーカリア城西門前。
その日の朝、この場所には九十四人の魔族兵と彼らを率いる老将シャイトス、彼らに護送される罪人であるサイリン、そして魔族を束ねる魔王であるマリエールと、その家臣であるアウス、アモンの両名——合計九十九人の魔族でごった返し、非常に手狭となっていた。
祖国に帰還する魔族たちを見送るのは、アーカリア王とその家臣であるルーフリー、そして王城騎士団。
更には魔王の友人であり、救国の英雄でもあるセリムとソラの二人。
クロエは昨日何かを閃いて以来、四六時中鍛冶場に籠っているため、残念ながらこの場には来ていない。
出発を前にして、マリエールは共に旅をした二人と言葉を交わす。
「マリちゃん、少しの間会えなくなるね。ちょっと寂しいかも」
「なぁに、直にまた会える。別れはしばしの間だけだ、悲しむとこはなかろう」
「……ホント、感じ変わったね。落ち着きが出たって言うかさ。前はお子様全開だったのに」
「ちょっと、失礼ですよ、ソラさん! マリエールさんもさすがに怒って……」
容赦なく無礼っぷりを披露していくソラだったが、マリエールは涼しい顔で受け流す。
「ふむ、確かにな。少々落ち着きが足りなんだかもしれぬ。反省点ではあるな、肝に銘じておこう」
「……威厳だ、威厳を感じる」
落ち着き払ったその態度に、ソラの中でマリちゃんへの威厳ポイントが急激に加算されていった。
「お嬢様——いえ、魔王様は一皮剥けたのですわ。……お豆の皮もむぐぅぅぅぅぅ」
朝っぱらからセクハラをかまそうとしたメイドの口に、土魔法の石つぶてを突っ込む魔王様。
その顔に感情は窺えない。
「いつまでも子供ではいられない、そういうことだ」
「ぷあっ! それはつまりお赤飯もごおぉぉぉぉぉ」
追加でセクハラをかまそうとしたメイドの口に、氷魔法の氷塊を突っ込む魔王様。
その顔に一切の感情は窺えない。
「ソラさん、お赤飯は分かるんですけど、なんです? お豆って」
「あー……、ごにょごにょ……」
「……っ!? さ、最低です! アウスさん、最低過ぎますぅ!!!」
耳打ちされた内容によってソラとの濃密な一夜が脳裏に蘇り、セリムは顔を真っ赤にしてメイドを糾弾する。
ようやくこの手の話がセリムに通じるようになったんだなぁ、とソラは感慨深くなった。
一方渦中のメイドは、そんな二人の様子を目敏く見咎め、その黄色い瞳をギラリと輝かせる。
「お二人の様子を見るに……、まさか、進展した……のですか!?」
「え……っと、はい。ソラさんとは、お付き合いすることになりました」
「おぉ、それは目出度いな。余としては、ようやくか、と言ったところだが」
「つまりはもうヤったのですか!? ヤったのですわね!!」
「度々相談に乗ってくれたアウスさんはともかく、マリエールさんにまで気付かれてたなんて……。私、そんなに分かりやすかったですかね?」
共に旅をした仲間全員に自分の気持ちが筒抜けだった事実を、セリムは改めて認めざるを得なかった。
メイドが何かわめいているが完全に無視。
「非常に分かりやすかったぞ。あれで気付かぬ方がどうかしておる」
「でもさ、あれだけ分かりやすくてもあたし、最後までちょっと不安だったよ?」
「ソラさんの告白、素敵でしたよ。きっと私からは伝えられなかったと思います。本当に勇気を出して頑張りましたね、偉いです。よしよし」
「んにゃぁぁぁぁぁ……」
頭をなでなでされ、蕩けた表情でセリムに頬を擦り寄せるソラ。
二人を暖かく見守る魔王様と、鼻息荒く見守る変態をよそに、一組の幼馴染が再会を果たしていた。
「サイリン……、お久しぶりです……。怪我もしていないようで……、良かった……」
「メイドさんにこっぴどくやられたがね、さすがにこれだけ経てば治るさ。……あんたの背中の傷は、時間じゃ治らないけどね。治癒魔法をかけようにも時間が経ち過ぎた。これから死ぬまで六百年以上、あんたの背中はこのままって訳だ……」
サイリンのカットラスによって深く斬られ、血を止めるために傷口を焼かれたアモンの背中。
止血しなければあの場で死んでいたとはいえ、一生残る大火傷を女の肌に刻んでしまった。
「罪は償うつもりだけどさ、この罪だけは償いきれないさね」
「そうですね……、この傷は、あなたの罪は一生消えない……」
アモンの言葉に、サイリンの罪悪感は強く刺激される。
「そうさね、だから……」
「だから……、あなたに責任を取ってもらうことにします……」
「……せ、責任?」
罵倒や拒絶、決別の言葉を言い渡される覚悟を決めていたサイリン。
ところがアモンは、責任を取れと言う。
「責任って、償えってことかい?」
「ちょっと、違いますね……」
「じゃあ、どういう意味だい」
「その意味を探ること……、それがあなたの……、私への贖罪、ですよ……」
「な、なんだい、はっきり言っておくれよ。あたしがそんなに頭良くないの、知ってんだろ?」
「ふふ……、だから贖罪なんです……。待ちますから、何十年でも、何百年でも……」
「お、おい……!」
意味深な笑みを浮かべると、アモンはサイリンの側から離れ、主君の下へと向かう。
彼女は罪人であり、兵士に囲まれ縄で引かれる身。
後を追うことは出来ず、彼女の残した宿題に首をひねるのだった。
「魔王様……、そろそろ出発のお時間です……」
「おぉ、アモン。もうそんな時間か。すっかり話し込んでしまったぞ」
主の耳元で、出発の刻限を告げるアモン。
本来ならばアウスがその役目を担うはずだが、彼女はセリムに根掘り葉掘り情事の詳細について尋ね続けた結果、魔王の放つ雷撃魔法によってその意識を閉ざされた。
普段はここまで苛烈な仕打ちはしないのだが、無抵抗でセクハラを受け続けた日々、溜まりに溜まった鬱憤は相当のものだったらしい。
戦う牙を取り戻した今、数ヶ月分の怒りがメイドに炸裂しているようだ。
「ついでにアモン、そこに転がっておるアウスを幌馬車の中にでも放り込んでおいてくれ」
「か、かしこまりました」
彼女は地面に転がっているメイドを担ぎあげると、積み荷を積んだ幌馬車の中に雑に入れる。
「セリム、ソラ、依頼の件、重ねて頼んだぞ。余はアイワムズで待っておるからな」
「はい。ソラさんの剣が完成し次第、急いで向かいますね」
「マリちゃん、元気でねー! 次会った時はもうちょっと大きくなっててねー!」
「それは無理であろう。では、またな」
穏やかな表情で手を振ると、マリエールはセリムたちから離れ、アーカリア王と二言、三言言葉を交わす。
そしてシャイトスに指示を下し、彼の号令によって魔族の軍勢は王城を出立。
王城騎士団の盛大なファンファーレの中、西城門をくぐって祖国へと旅立った。
「……行っちゃったね」
「すぐまた会えるとはいえ、やっぱり少しだけ寂しいですね。……アウスさんにはもう会いたくありませんけど」
「またトラウマ増えそうになってたね、セリム」
「増えそう、と言いますか、増えました……」
○○○
仲睦まじく手を繋ぎ、時おり物陰で口づけを交わしながら、セリムとソラはリースの屋敷前に戻って来た。
クロエは今日も籠りっぱなし。
ソラが鍛冶場に目を向けると、煙突からもうもうと黒い煙が立ち上っている。
それだけなら普段通り。
しかし、金属を叩く槌の音までが響いてくる。
二人は顔を見合わせ、それが幻聴などではないことを確認。
「これってもしかして、ついにアダマンタイトを溶かすことに成功したってこと!?」
「何か閃いたようでしたし、きっとそうですよ!」
「おぉ! おっし、早速覗いてくる!」
「止めときな、剣士の嬢ちゃん」
鍛冶場に向けて一直線に走り出したソラを、低い声が呼び止めた。
急停止して振り向くと、木箱を荷台に積んだスミスが、第一城閣の方角から荷車を引いて歩いてくる。
「親方さん! あたしの防具、もう修繕したんだ!」
「おう、修繕ってか、作り直してやったぜ。あの双黒竜いただろ。アイツの素材を使ってやったんだ。更に防御力がアップしてるはずだぜ」
「すっごい! 親方さん太っ腹!」
「あ、あの、それでお代は……」
ソラの沢山入った財布の中身は、セリムとの共有財産だ。
ゆくゆくは結婚費用にしようと企んでいるセリムにとって、必要以上の出費は避けたかった。
「あぁ、問題ねぇ。こっちで勝手にやったことだからな。値段は修繕と一緒にしておくぜ」
「すっごい! ますます太っ腹!」
「良かったです……」
ホッと胸を撫で下ろすセリム。
その胸は最近、急成長を続けている。
荷車を引くスミスの前を歩く二人。
彼はソラに対し、先ほどの言葉の続きを口にする。
「で、だ。嬢ちゃん、今アイツの所に行こうとしただろう」
「うん、溶かすのに成功したならおめでとう言いたいし」
「そっとしておいてやんな。鍛冶師が剣と一対一で向き合う時、そこで行われるのは戦いだ。剣に命を吹き込むってのは、鍛冶師にとって命を賭けた戦いなんだ。それを邪魔しちゃいけねぇよ」
「……そっか。あたし、今までクロエの邪魔ばっかりしてたのかな」
「まあ、限度ってもんはあるだろうがな。アイツは迷惑だなんて思っちゃいないだろうよ。それだけは安心していいぜ」
「……そっか、そうだよね。クロエがそんなことであたしを嫌うわけないもんね」
育ての親であるスミスの、クロエに対する確かな信頼と愛情。
自分の行いに不安を抱いたソラだったが、彼の言葉で些か救われた。
誰にも言えない秘密を、自らの出自と、獣耳についての悩みを打ち明けてくれた親友。
そんな彼女に嫌われてしまっていたら、さすがのソラも大ショックだ。
「にしし、なんせクロエとは親友だし」
「親友でも、限度ってものはありますからね」
会話を交わすうちに、三人はリースの屋敷前へ。
荷車を停めたスミスは、三つのうち一番小さい木箱を抱え上げる。
「おう、嬢ちゃんたちもこの木箱運び出してくれ。俺よりずっと力あんだろ」
「いいよ、ソラ様に任せとけ!」
「女の子として、どうかと思いますけどね……」
一番大きな木箱をセリムが両手で抱え上げ、スミスを追い抜かして軽々と玄関前に置く。
ソラも続いてスミスを追い越し、最も屈強な彼が最後に木箱を下ろした。
「……いや、自信無くすぜ。嬢ちゃんたちが出鱈目に強いってのは分かっててもよ」
「気にしなくていいよ、親方さん。あたしは未来の世界最強剣士だし」
「むしろ私が気にしますよ……」
ぷにぷにの二の腕で力こぶを作って見せるソラと、怪力を発揮してしまったことを後悔する可憐な少女。
スミスは空になった軽い荷車を引き、その場を後にした。
「じゃあな、料金は後日請求しとくぜ」
「うん! ありがとうね、親方さん!」
第一城閣へと引き返していくスミス。
彼は一度立ち止まり、煙を吐き出す鍛冶場に目を向ける。
「……気張るんだぜ、クロエ」
響く槌の音は、迷いなく、力強い。
こんなエールは余計なお世話か。
苦笑しつつもスミスは再び足を進め、やがてその姿はセリム達から見えなくなった。
「さて、これからが大変ですね。この木箱、私とソラさんで一つずつしか持てません。重ねて持ったりしたら、落として壊してしまいそうですし」
「中身は黒竜装備だから、落としたりしても壊れないと思うんだけど」
「壊れるのは木箱です」
「あー……」
納得。
ローザたちの攻撃でも突破できなかった双黒竜の甲殻、速度を乗せて木箱に激突したりすれば、粉々に砕け散るだろう。
「でもさ、なにもあたしたちが全部持ってかなくてもいいじゃん」
「え? どういうことですか?」
「使用人にやらせればいいよねってこと。軽いの一つ持たせればさ」
「し、使用人……」
またも目から鱗。
人を使うという発想自体、セリムの頭には存在しないのだった。
○○○
それから五日間の間、クロエは食事と睡眠以外の全ての時間を鍛冶場で過ごした。
煙突からは常に黒煙が吹き出し、昼夜問わず槌の音が響き渡る。
かつて師が鍛え上げた、世界最強の剣。
それを生み出すための一打一打が、文字通り命を賭けた、クロエ自身の魂を込めた一世一代の大仕事。
進捗を聞き出したい気持ちをグッと堪え、ソラはただただ黙して彼女を見守った。
そして六日目の朝。
「……ん。セリム、おはよう」
「はい、おはようございます、ソラさん」
普段通り、先に起きていたセリムがソラの目覚めを見守っていた。
彼女もソラも、一糸まとわぬ姿。
ベッドシーツを汚さないために大きめのタオルを敷くことをセリムが閃いてから、二人は二日に一度のペースで体を重ねている。
「……ね、セリム、しよ?」
「は、はい!? 朝から何言ってるんですか、アホですか! もう、早く服着てください」
「いいじゃん、しようよ」
「ダメ、ですってばぁ……!」
攻められると非常に弱いセリム。
強引にソラに迫られてしまい、どんどん弱気になっていく。
「セリムだって、ホントはしたいんでしょ? んむっ……、ちゅっ」
「ぷあっ! んむぅっ、ちゅっ、ダメです、ダメぇ……っ」
「ほら、セリムぅ……」
「あっ……、もう、特別……ですからね」
ソラに覆い被さられて、セリムはとうとう——割りとあっさり、折れた。
胸を隠していた腕を開き、彼女を受け入れようとしたその瞬間。
バタアアァァァァァン!
「やったよ、ソラ! とうとう完成したんだ!」
「え……?」
「クっ、クロエさっ……!」
「……あー、ゴメン。ノックくらいするべきだったね。空気読めなくて本当にゴメン」
上がりきったテンションで扉をブチ破らんばかりに開け放ち、ノックも無しに室内に侵入したクロエ。
親友二人の情事に出くわしてしまい、彼女は気まずそうに目を逸らして頬を掻く。
セリムは声なき悲鳴を上げ、半泣き状態のまま神速を発揮して布団の中に潜り、ソラは無言で下着を着け始めた。
案内役のラナは、立ったまま気を失っている。
「うん、全然気にしないで。あとさ、今見たことは忘れてね。記憶から消してね」
「う、うん、分かった……」
無表情で淡々と喋るソラの放つ圧に、クロエは気圧される。
せっかくの睦み事を邪魔されてしまい、それなりに怒っているらしい。
ところが、
「で、なにさ。わざわざこんな朝早くに。しかもノックもしないでさ」
「あぁ、それ! ついに出来たんだよ、世界最強の剣が出来たんだ!」
「へえ、そうなんだ。……え? ええっ! ついに出来たの!? 凄いじゃん、さっすがクロエ! ねえねえ、早く見せて見せて!」
クロエの報告を聞いた途端、その怒りは綺麗さっぱりどこかに吹き飛んだ。
念願のアダマンタイトの剣完成の報に、下着姿のまま飛び跳ねるソラ。
一方、セリムは布団の中に潜ったまま、荒れ狂う羞恥心に心を殺されかけていた。