幕間 ソラさんの様子が、何だかおかしいです
小鳥のさえずる声、カーテンから漏れる朝の光。
一足先に夢から覚めたセリムは、向かい合って眠る恋人のあどけない寝顔をじっと見つめる。
むにゃむにゃと口元を動かすソラの様子に頬を緩め、小さな声で呼びかける。
「ソラさん、朝ですよー」
「んにゃぁ……」
セリムの声に反応はするが、目は瞑ったまま。
少々寂しくなったので頬を突っついてみると、ぷにぷにとした弾力が指に返ってきた。
「みゃむぅ……」
「……かわいいですね。なんですか、このかわいらしい生き物は」
つい本音が出てしまった。
起きている状態の本人の前では絶対に言えないが、幸いにして彼女は未だ夢の中。
そのまま柔らかな頬を指で摘まんで遊んでいると、ようやくソラは重いまぶたを上げた。
「ん、んゆぅ……、セリム? ほっぺやめれ……」
「おはようございます。中々起きないソラさんが悪いんですよ」
「おはよ。……もしかして、寂しかった?」
「そ、そんなことないです……!」
恋人という間柄になっても、相も変わらず素直に好意を示せず意地を張ってしまうセリム。
しかし、それが単なる照れ隠しでしかないことを今のソラは熟知している。
落ち込んだりはせず、むしろニヤニヤしながら全力で攻め込んでいく。
「むふふ。ね、おはようのあいさつしない?」
「挨拶、ですか? おはようならもう言ったと思いますけど」
「うん。だからさ、おはようのキス、しようよ」
「んなっ!?」
ソラの提案を聞いた途端、セリムは赤面。
頬を紅潮させながら、バレバレの本音を意地になって隠そうとする。
「あ、アホですか、しませんよ! なんでキスがおはようの挨拶なんですか!」
「あたしがしたいの。ダメ?」
「う、うぅ……、そ、ソラさんがそんなにしたいなら、してもいいですよ……?」
「にしし、やった」
本音ではセリムもソラとキスがしたいのだが、彼女の性格上、素直に好意を口に出すことは難しい。
だからソラは、自分がしたいから、と彼女に逃げ道を作ってあげる。
すると、言い訳が出来たセリムはこうして折れてくれるのだ。
「じゃ、キスするね……」
「は、はい……」
ソラの手がセリムの頬を優しく撫で、お互いの顔がゆっくりと近付いていく。
心臓の鼓動が高鳴り、相手の吐息を感じる距離まで近づいたところで、ソラは静かに目を閉じた。
一足遅れてセリムもギュッと目をつむり、二人の濡れた唇が優しく触れ合う。
「んむっ……」
「んんっ、ふっ……」
唇を押しつけるだけの、幼いキス。
それでもセリムは体を固くし、強張らせてしまう。
ソラはセリムの手を取り、指を絡めながら、その身体を抱き寄せた。
恋人の温もりと柔らかさを全身で感じ、セリムの体から力が抜ける。
「んふぅっ、ふぁっ、ちゅっ、ちゅっ、ちゅぱっ」
「はふっ、ソラさん……、んむぅ、ちゅっ、ちゅっ、ぷあ……」
何度か角度を変えながら唇を押し当て、そっと顔を離す。
セリムが目を開くと、穏やかに微笑むソラの顔。
そのピンク色の唇に目が行ってしまい、セリムは真っ赤になって顔を逸らした。
「セリムぅ、こっち向いてよ」
「嫌です、恥ずかしいです……」
「ねぇってば、もう一回キスしよ?」
「無理です! おはようの挨拶はもう十分でしょう。私、着替えますから」
「ああっ、待ってよぉ……」
セリムはソラの腕の中からスルリと抜け出てベッドから起き上がり、姿鏡の前へ。
時空のポーチから白いフリルブラウスとミニスカート、下着を取り出して、寝巻を脱ぎ始める。
「ねー、セリムぅ」
「嫌ですよ、あれで満足してください」
「むぅ、ソラ様ずっと我慢してるんだよ! せめてキスくらい……」
「……我慢?」
寝巻の上とブラジャーを外し、上半身に何も身に着けていない状態で、セリムはソラに振り返った。
「うわっ!」
一瞬だけ目に入ってしまった膨らみから慌てて目を逸らし、セリムに背中を向ける。
「我慢って、ソラさん、何か我慢してるんですか?」
「そ、それは……」
セリムに告白し、恋人となった夜。
あの日から一週間が経過していた。
クロエのアダマンタイト研究は依然として進まず、試行錯誤を繰り返している。
二人もリースの屋敷に厄介になったまま、恋人になる以前と同じように一緒の部屋で暮らし、一緒に入浴する日々。
恋人同士になってから、二人の関係は確かに変わった。
ソラが愛の言葉を茶化さず真剣に囁けば、セリムも同じように応えてくれる。
口づけも頻繁に交わし、抱き合ったり手を繋ぐ頻度も上昇した。
だがしかし、問題はそこではない。
セリムは依然として性知識ゼロのまま、堂々と彼女の前で着替え、入浴中も体を隠そうともしない。
以前と変わらず、ソラの目の前で無防備に肌を晒し続けているのだ。
「とっ、とにかくセリム、早く服着てっ!」
「わ、わかりました……」
首を傾げながらも、着替えに戻るセリム。
恋人の柔らかそうな胸が、ソラの目に焼き付いて離れない。
彼女の中で、セリムに対する愛しさは日に日に膨らみ続けていた。
その大きすぎる想いは、とてもハグやキス程度では満たしきれなかい。
決していやらしいことをするためだけに彼女と恋人になったわけではない、それだけは断じてあり得ない。
しかし無防備過ぎるセリムの無自覚な誘惑は、ソラの抱える欲望を爆発寸前にまで膨らませてしまっていた。
「でもさ、襲いかかったりしたら、絶対セリム泣いちゃうって。セリムを泣かせてまでそんなことしたくないし、第一セリムはなんにも知らないんだし……」
体を重ねて愛し合いたい、無垢な彼女を汚したくない、ここ数日の間、相反する感情がソラの中で戦いを繰り広げている。
優しすぎるソラは、結局いつもセリムのことを優先して自分の欲望を引っ込めてしまうのだが。
そんなわけで、彼女は非常に悶々とした日々を送っているのだった。
○○○
煙突から煙を吐き出し続ける鍛冶場。
入り口の重い鉄扉を、ソラは片手で軽々と開ける。
悪戦苦闘するクロエの進捗状況をチェックすることは、彼女の日課となっていた。
「おーす、クロエ、アダマンタイトは溶けた?」
「ああ、ソラか。一歩進んだ感じかな。これ見てよ」
親友の来訪に気付いたクロエは、炉の中からアダマンタイトを取り出す。
金色の輝きを放つ伝説の金属には、一見してなんの変化も起きていないように見えた。
「ん? なんにも変わってなくない?」
「ここ、よく見てよ」
「んん?」
よくよく目を凝らすと、結晶のようになっている細い部分の先端が、わずかに銀色に変色している。
「……色変わってるね」
「だろ? これさ、レベルアップで上昇した身体能力を駆使してめっちゃ頑張って酸素を送り込んだ結果、一瞬だけ炉の温度が1900度まで上がったんだ。その時にこうなったのさ。つまり、アダマンタイトを溶かすには、その温度をキープすればいい……かもしんないんだよ!」
「おぉ、それってすっごい進歩じゃん!」
「だろ? まあ問題は、どうやってそんなとんでもない温度をキープするか、なんだけど。そこは色々と試行錯誤してみようと思う」
なんのデータも無い、手探りの探求。
確かなことは一つ、かつてスミスも同じように試行錯誤を重ね、見事に世界最強の剣を誕生させたという事実だけ。
スミスを越える鍛冶師になるために、彼に出来たことを出来ない訳にはいかない。
様々なことを試しながら、クロエは一歩ずつ着実に、アダマンタイトの攻略を進めていた。
「そっか、邪魔しちゃ悪いからあたしは戻るね」
「……あのさ、ソラ、最近何か元気ないように見えるんだけど、何かあった?」
「うぇっ!?」
その場を後にしようとしたソラは、親友の鋭い指摘に足を止める。
「な、何かって……?」
「なんていうかさ、何かを我慢してるみたいな……。悩みがあるなら、ボクで良ければ相談に乗るよ? ソラが元気ないとこっちまで調子狂っちゃうしさ」
クロエは作業の手を止め、首にかけた手ぬぐいで汗を拭って休憩用の椅子に腰かけた。
氷の魔力石で冷やした水を呷りながら、隣の椅子を軽く叩いて座るようにジェスチャーする。
親友の心遣いに感謝しながら、ソラも彼女の隣に腰かけた。
「ありがと、クロエ。持つべきものは友達だね」
「よせやい、水臭い。で、何があったか聞かせてくれる? もしかして、セリムとケンカでもしたとか」
「うんにゃ。あのね、実はこの間、セリムに告白しました」
「なるほど。……うえぇぇぇっ!?」
軽く流した直後、クロエは思いっきり仰け反り、危うく椅子から転げ落ちそうになった。
「と、とうとう言ったんだ。それはおめでとう」
「あ、あれ? てっきりあたし、さてはフられたんだろー、とか言われるかと思った」
「……え、まさかフられたの?」
「フられてないし! ラブラブだし!」
「だよね、ぶっちゃけ両想いなのバレバレだったし」
「そ、そうなの? セリムはともかく、あたしも?」
傍から見てるとそこまで分かり易かったか、と少々意外に感じるソラ。
一方、クロエの疑問はますます混迷の一途を辿る。
「でもさ、それならなんで浮かない顔してんの。幸せハッピー全開でいつも以上にアホ面晒しててもおかしくないのに」
「クロエって時々容赦ないね。いやさ、確かに恋人同士になれて、大好きって言い合えるしキスも出来るしとっても幸せなんだけど……」
「けど?」
「セリムがね、あまりにも無防備過ぎるの。普通に裸見せてくるし、目の前で着替えちゃうし。あたしとしてはさ、そういうやらしいコトは我慢しようって思ってるんだ。セリムをすっごく大事に思ってるから、大切にしたいから。でもね、もう一人の自分が……! 三大欲求の一番影薄いヤツが、あたしの中で暴れてるの……ッ!」
クロエは思った。
あ、これノロケだ、と。
聞かなきゃよかったかなぁ、と。
「……ヤっちゃえばいいんじゃない?」
「簡単に言ってくれるね。あたしはこんなに悩んでるのに」
「あぁ、ごめん……」
しかし憔悴した様子のソラの表情に考えを改め、真剣に考えて言葉を選び、口にする。
「けど、ボクの意見は変わんないよ。あれこれ悩むなんてソラらしくないし、やりたいことに一直線な単純さがソラのいいトコじゃん」
「あたしらしくない、か……。うん、ホントらしくないや。ありがとね、相談に乗ってくれて」
勢い良く立ち上がると、ソラは壁に立て掛けた剣を一本手に取る。
「最近握ってないし、ちょっと素振りしてくる! 体動かせば、スッキリするかもしんないし!」
「あ、ちょっと、ソラ!」
剣を片手に、鍛冶場を飛び出す親友。
静止しようと手を伸ばしたクロエは、後ろ姿を見送りながらため息混じりに首を振った。
「結局我慢してるじゃん。ソラってば、優し過ぎるんだよ……」
○○○
その日の夜、八時を大きく回った頃。
夕食も終わり、入浴の時間が近付いていた。
セリムにとっては一日の汚れを落とす至福の時間、ソラにとっては欲望との激闘を繰り広げる地獄の時間だ。
鼻歌交じりで下着と寝巻を用意するセリムとは対照的に、ソラはベッドの上で頭を抱えて悶々としている。
セリムを大事にしたいという思いと、欲望を思いっきりぶつけたい欲求、更にはそんな自分への自己嫌悪まで加わり、
「おああぁぁぁおおぉぉぉ……っ」
「ひゃっ! ソラさん、いきなり変な声出さないでください! ビックリするじゃないですか」
「ごめんね、セリムぅ。こんなあたしで、本当にごめんねぇ……」
とうとうアンデットモンスターのうめき声のような奇声を発してしまった。
さすがに見かねたセリムは、入浴準備を中断してベッドの上でうずくまるソラの前へ。
「一体どうしたんですか。ソラさん、ここ最近ずっと変ですよ?」
セリム自身、ソラの様子がおかしいことは何となく察している。
想いを通じ合わせたあの夜から三日の間、ソラはセリムの目から見ても幸せの絶頂だった。
顔は緩みっぱなし、事ある毎にセリムに抱き付いては、頬を擦り寄せてキスをねだってくる。
ところが四日ほど前から、徐々に様子が変わっていってしまった。
何か強烈な欲求と戦っているような、やりたい事があるにも関わらず懸命に我慢しているような。
「だって、あたし最低過ぎるもん……。これじゃまるで、セリムとそういうことしたいから恋人になったみたいじゃん……。性欲魔人じゃん……」
「したい……? 私となにかしたいことでもあるんですか? それを我慢してそんなに苦しんでるんだったら、私は構いません。我慢しないで、したいことをしてください」
半泣きで顔を上げたソラは、心配そうな表情を浮かべるセリムを前に一層顔を曇らせる。
「でも、あたしの欲望のためにセリムを……」
「私が嫌なんです!」
怒りと悲しみがない交ぜになった声に、ソラは思い知る。
彼女を大切に想うあまり、かえって辛い思いをさせてしまっていたことを。
セリムは寂しげな瞳でソラを見つめ、その想いの丈をぶちまける。
「ソラさんが私に気を使って何かを我慢してるのなら、そんなの必要ありません! ソラさんが私を大事に思ってくれてるように、私もソラさんが大事なんです。だから、あなたが私のために我慢して、辛い思いをしているなんて耐えられないんです」
「セリム……」
「私たち、恋人同士になったんですよね? だったら遠慮なんてしないで。一方的にソラさんに気を使われるだけなんて嫌です。そんなの本当の恋人同士じゃない、対等な関係だなんて言えないですよ」
ニコリと微笑みながら、セリムはソラを招き寄せ、その両手を広げる。
「ソラさんはもう十分我慢しました。大丈夫です、もう我慢なんてしなくていいんですよ」
「セリム、あたし……」
腕の中に納まったソラを優しく抱き寄せ、その頭をそっとなでる。
数あるスキンシップの中でも最も心が安らぐ、大好きな頭なでなで。
焦燥しきっていたソラの心が安心感に満ちていく。
「よしよし、いっぱい頑張ったんですよね。もう楽になっていいんですよ」
「うにゃぁぁ、セリムぅ……」
そうしてしばらくの間、二人は抱き合ったまま穏やかな時を過ごす。
頭を撫でられ、まるで母の腕の中にいる赤ん坊のように安心しきったソラ。
やがて彼女は決意を固め、緩みきった顔を引き締めると、体を離して緊張した面持ちでセリムと向かい合う。
一方のセリムは、これから何が始まるのかさっぱり分からず、きょとんとした様子。
「じゃあさ、あたしのしたいことしちゃうけど。……えっと、セリム。ホントにいいの?」
「はい、もちろん。良いと言ってるじゃないですか。ソラさんが何かを我慢してるの、ちゃんと分かってますから」
「で、でもね。もしかしたらセリムを泣かせちゃうかもしれないし」
「泣かせる、ですか? おかしなことを言うんですね。ソラさんが私にひどいことをするはずがありません」
「確かにひどいことではないんだけど……。むしろ気持ちいいんだけど……」
純情を絵に描いたような、何も知らない無垢な少女。
彼女を欲望のままに汚してしまってもいいのか、そんな葛藤がこの土壇場においても、ソラの頭の中で繰り広げられる。
「だったらいいですよ? ソラさんがしたいなら、私、なんでも受け止めますから」
「ホント? 好きにしていいの?」
「はい、ソラさんの、好きにしてください」
小首をかしげる、恋人の可愛らしいおねだり。
無自覚な誘惑を前にして、とうとうソラの理性は消し飛んだ。
その日の深夜、ラナは偶然二人の宿泊する部屋の前を通りかかった。
漏れ出る明かりを不審に思い、扉の前にやって来た彼女は部屋の中からわずかに漏れ聞こえる甘い声を耳にしてしまう。
内気なメイドは何かを察し、顔を赤くしながら足早にその場を立ち去るのだった。
二人が何をしていたかの詳細をノクターンに投稿してしまいました。
↓のリンクから飛べる活動報告にリンクが張ってありますので、18歳以上の方はもしよろしければどうぞ。