105 アルカ山麓の戦い⑬ 素顔 貴女は一体、誰なんですか
振り抜かれた剣閃。
全てを込めた渾身の一撃は、ルキウスの胴体前面を深々と袈裟掛けに斬り裂いた。
「……どうだっ!」
着地して参式を解除し、敵の間合いの外まで飛び下がる。
そのまま剣を両手で構え、ソラは油断なく怪物の様子を窺った。
「ア……ガァ……っ!」
ルキウスは両手で胸の傷を押さえ、悶え苦しむ。
その傷にエメラルドグリーンの閃光が走ると、怪物の土気色の体を清浄な光が包み込んだ。
「ガアアァァァァァァァァァァァッ!!!」
絶叫と共に、ルキウスの五メートルを越える巨体が見る見る縮んでいく。
彼の体から黒い塊が離れ、大地の底へと吸い込まれていく瞬間を、ソラは確かに目にした。
「ア、ああ……、ぐっ……」
胸を押さえて苦しみもがいた末、醜悪な怪物は元の魔族の姿へと戻った。
仰向けに倒れたルキウスは、体から土煙のようなものを立ち上らせている。
その目からはもう、敵対する意志も、生気すら感じられない。
「……やった?」
剣を構えた手を下ろし、キョロキョロと辺りを見回すソラ。
後方十メートルの地点で尻もちを付きながら、ローザが親指を上に立てた。
ドリルランスを片手に、クロエがこちらへと駆け寄ってくる。
「やったの? あたしたち」
「ああ、ソラ。私たちの、勝利だ」
起き上がったローザが、自らの剣を鞘に納めながら告げる。
未だ実感が湧かないまま、ソラは何気なく胸元に目を移す。
首から下げていたネックレスにはめ込まれた、エメラルドグリーンの石。
ソラが手の平に乗せると、その石は光を失い、粉々に砕けて風に舞った。
「……神様が、助けてくれたのかな」
「ソラーーーーッ!!」
「にょわっ!!」
思いを巡らせる間もなく、ソラは横から猛然と突っ込んできた親友のタックルを食らう。
彼女に押し倒される形で、二人は草地の上に倒れ込んだ。
クロエはソラの胸元からすぐさま顔を上げて、目を輝かせながらの質問攻めを浴びせ始める。
「すっごいじゃん、ソラ! 何あの光、どうしてソラの攻撃だけ効いたの!? もしかして未知の鉱石とか!? 武器の威力を倍増する素材なら、武器に組み込んだり出来るかも——」
「落ち着きなさい、クロエ」
「あてっ!」
技術者としての血が騒いだのか、マシンガントークで詰め寄るクロエ。
背後から繰り出されたお姫様の、帽子が飛ばない程度の頭はたきが彼女の暴走を止めた。
「それなりに体を張ったんだから、いくらアホっ子相手でもちょっとは加減してやりなさい」
「はーい……」
クロエは渋々ソラから体を離す。
少し機嫌が悪そうだったリースだが、クロエがソラから離れると穏やかな表情に戻った。
つまりはそういうことなのだろう。
「お疲れさま、ソレスティア・ライノウズ。今回ばかりは素直に称賛を贈らせてもらうわ」
「いやはや、まさかお姫様に褒められるなんて思わなかったよ。照れるね」
「そうよ。もう二度と、一生涯無いことだろうから、泣いて喜びなさい」
照れくさそうに笑うソラだったが、今度は自分に向けられたクロエの冷めきった真顔に気付いて表情を強張らせる。
クロエが嫉妬するとこうなるんだ、普段朗らかな人ほど怒ると怖いとはよく言うが、クロエだけは絶対に怒らせないようにしよう。
そう心に誓うソラだった。
「う、うぅ……っ」
「——っ! アイツ、まだ……」
その時、息絶えたと思われたルキウスが小さく呻き声を上げた。
ソラたちは再び戦闘態勢を取り、それぞれの武器を構えるが、
「よせ、戦いはもう終わった」
マリエールが彼女たちを静止しながら、ゆっくりと兄に近づいていく。
「マリちゃん……?」
確かに、とうにルキウスの精根は尽き果てている。
敵意も悪意も感じられず、その命の灯は今にも消えてしまいそうだ。
緊張を解いたソラたちは顔を見合わせて武器を納めると、マリエールをそっと見守ることにした。
両脇に二人の家臣を侍らせ、魔王は兄の前まで赴き、その傍らに身をかがめる。
「兄上……」
「……おぉ、……マリ、エールか。久し、いな……」
「はい……、兄上もご健勝のようで、何よりです……」
今にも息絶えんとする兄に、マリエールは穏やかな声音で語りかける。
「う、む……。あぁ、リヴィアもいるのか……。それに、父上も、母上も……」
「はい、妹も……、お父様もお母様も一緒です……」
「……ん? おぉ、ハンスか……。そちも、余と、一緒に……」
彼は震える右手を天に伸ばし、
「一緒、に……、い……、き……——」
力なく、草地に転がった。
「……兄上。どうか、安らかに」
穏やかな顔を浮かべ、ルキウスは逝った。
丘陵に一陣の風が吹くと、彼の体は砂粒となって舞い、天へと運ばれていく。
「……アウスよ。兄上は怪物としてではなく、人として死ねたのだな」
「お嬢様、お泣きになりたいのなら、いつでもわたくしの胸を……」
「余は泣かぬ!」
立ち上がり、顔を上げた彼女の頬に、涙は一筋も流れてはいなかった。
「余は魔王。魔族の長として、これからも立派に務めを果たしていくのだ。それがどうして、人前で泣くことなど出来ようか」
「……本当にご立派で御座いますわ、お嬢様。——いえ、魔王様」
○○○
誰もいない、風がそよぐだけの静かな丘陵に、突如として轟音が響き渡る。
まるで巨大な怪物の足音のような衝突音だけが連続して轟き、その度に巻き起こる衝撃波で草が弾け、風に散る。
何かの怪奇現象か、透明な巨大モンスターでも出現したのか。
彼女たち二人以外の、その光景を見た全ての生命体は、そう思うしかなかっただろう。
「楽しい! 本当に楽しいよ、セリム! このままずっと、キミと二人で踊っていたい!」
ホースの繰り出す左右十発ずつの拳を、セリムは右手一本で捌ききる。
「生憎と、私はソラさんとしか踊るつもりはありませんから!」
最後の拳を繰り出した瞬間、腕を掴んで手前に引きよせ、胴体に膝蹴り。
「あっはは、振られちゃった! じゃあさ、アイツを殺せば僕に振り向いてくれる!?」
セリムの肩に両手を置いて倒立し、膝蹴りを回避。
そのまま両ひざを揃えてセリムの後頭部に叩きつけようとする。
「ソラさんに手を出したら、ミンチじゃ済ましません! ジャムにしてやります!」
姿勢を前に倒して攻撃を空振りさせ、今度は両腕をホールド。
両手で掴んだホースの体を三回振り回し、地面に思いっきり叩きつける。
倒れたホースに対し、更なる追撃。
敵の腹部を目がけて、渾身の右拳を叩き込んだ。
しかし、攻撃が命中する瞬間、ホースの体がぶれて消える。
セリムの拳が大地を砕き、凄まじい破砕風が吹き荒れた。
衝撃で陥没した地面に、三十メートル級のクレーターが出来上がる。
舞い散る瓦礫の中、彼女の背後に回り込んだホースが裏拳を繰り出し、見切っていたセリムが左腕で受け止める。
二人の攻撃がぶつかった瞬間、轟音と共に衝撃波が巻き起こり、クレーターに溜まった瓦礫を天高く吹き飛ばした。
「そんなに怒らなくてもいいじゃないか。冗談だよ、冗談」
「冗談に聞こえないんですよ、テメー」
左腕を薙ぎ払うセリム。
その勢いに乗って後方に飛び下がったホースが、一回転して軽やかに着地する。
「それにしてもさ、また本気出してないでしょ。早く行かないとみんな怪物になったルキウス君に殺されちゃうよ?」
「生憎と、みんなそこまで弱くありませんので」
「信用してるんだねぇ」
戦闘開始から、十分以上は経過しただろうか。
怪物となったルキウスの気配と共に、ソラ達の気配も感じる。
まだ一人も欠けていない、彼女たちは大丈夫だ。
「ですが、それはそれとして。やっぱりダメですね。殺さない程度の上限では決着はつかない、王都で言ってた言葉はフカシじゃなかったみたいです」
「疑ってたんだ、ヒドいなあ」
「なのでここからは、殺す程度でお相手します」
「それは楽しみだ。さあ、見せてみなよ」
黒いフードの奥で、赤い瞳がニヤリと薄ら笑いを浮かべる。
まずはそのフードを引っぺがして、顔面を白日の下に晒してから原形を留めないほどボコボコにしてやる。
拳を握り、地を蹴って、セリムは一気に間合いを詰めた。
顔面目がけて繰り出す右のストレート。
ホースは顔を傾けて避けるが、僅かにフードに掠り、裂け目が出来る。
「……へえ、やるじゃん」
「喋ってる余裕、あるんですか!」
殴り抜いた勢いを殺さぬまま前のめりになり、両手を地面につく。
そのまま両腕で体を支え、背後に回った敵に両足で蹴りを見舞った。
「これは——」
先ほどの攻防で放った攻撃より、威力も速度も格段に上がっている。
対応が間に合わず、ホースの胴体に強烈な一撃が炸裂した。
「ぐぼぁぁぁあぁぁぉおおぉッ!!!」
その身体が猛烈な速度で射出され、クレーター内の荒い地盤を削りながら何度もバウンドし、外の草地まで吹き飛ばされ、それでもなお止まらずに転がり続ける。
最後に大岩にぶつかって粉々に砕き、瓦礫に埋もれてようやく停止。
砕けた岩の下から這い出したホースは、たった一撃でボロボロになっていた。
「……はぁ、はぁ。た、たまらないね。セリムが僕を想って、こんなに強く……。あぁ、絶頂すら覚えそうだ……」
「意味分かんないこと言ってないで、さっさと立つか死ぬか選んでください」
すでにセリムはホースの眼前に立ち、芋虫のように這いずる黒フードを、まるでゴミを見るような目で見下ろしている。
「キミのその目、最高だ……。もっと僕を見てよ……、キミの瞳に、もっと僕を映して……」
「気持ち悪いです」
「つれないなぁ……。そうだ、こうしたらもっと見てくれるかなぁ……。きっとキミの視線は、僕に釘付けになるよぉ……?」
そう呟くと、ホースは深く被ったフードに自ら手をかけた。
「……何をするつもりですか」
「何って、ずっと見たがってたじゃないか……。見せてあげるよ、僕の素顔をさ」
膝をガクガクと震わせながら、ゆっくりと立ち上がり、セリムと同じ目線まで顔を上げると、彼女はついにそのフードを取り払った。
「——え」
白日の下に晒された、その素顔。
耳の先は丸い。
やはりルキウスに語った魔族だという情報は嘘だったようだ。
その髪は腰の辺りまで伸び、色は黒みがかった濃い焦げ茶色。
赤い瞳は今まで見えていた通りだ。
彼女の素顔を間近で見たセリムの感想は、「目の前に鏡が現れたかと思った」。
毎日姿鏡で見ている自分の顔。
目の付き方、鼻の形、唇の色。
髪の色と瞳の色を除いて、全てが、気味が悪い程に、セリムと瓜二つだった。
「あ、あな、たは……?」
「いいね、いいねぇその顔。信じられないような物を見たって顔。僕だけを映すキミの瞳、最高に綺麗だぁ」
セリムは一歩、二歩と後ろに下がる。
ガデムと同じ顔の男と出会う度に感じた、ソラにもどうしてそこまで怖がるのかと不思議がられた、得体の知れないあまりにも根深い恐怖。
あの恐怖感が何倍にもなって、セリムの心に襲いかかる。
「あ、嫌……、どうして、なんで私と、同じ顔……」
「さて、キミにはもっと僕のコトを知って貰わなきゃね。僕の名前はマイル、お察しの通りナイトメア・ホースは偽名さ」
「マイ……ル……?」
「キミのコトは生まれた時から知っていた。ずっとキミが欲しかったんだよ、僕は」
分からない。
何を言っているのかも、自分が今、何をしているのかすら分からない。
ただ、自分のアイデンティティが真っ向から否定されるような、根源的な嫌悪感と忌避感だけが心を支配する。
「わ、私は……? はぁ、はぁ……、私は一体……」
「あれ? 分かんなくなっちゃった? キミはセリム、そして僕はマイルだ。覚えてくれると嬉しいなぁ」
「私はセリム……、あなたはマイル……」
「そう、マイルだ。是非とも記憶に留めておいて欲しいな。僕の名前を、キミの心の名簿、その一番上に、さ……」
「私の心の、名簿……」
心の名簿。
ぐちゃぐちゃになった頭の中に、無造作に開かれた名前の羅列。
その一番上に書かれた名前が脳裏に過った瞬間、セリムの中から恐怖心が急速に薄れていく。
「……違う」
「え、なになに?」
「違う。私の心の名簿、その一番上に記された名前は、あなたじゃない!」
セリムの心の一番奥深くに根差した、その名前。
彼女の姿、大好きな笑顔、夢へと真っ直ぐに向かうひた向きな心。
ソレスティア・ライノウズ。
彼女を想うだけで、セリムの心はいくらでも強くなれる。
「私はこの戦いを終わらせて、あの子と一緒に帰るんです! あなたはさっさと、消えてください!」
強く踏み込み、腰を入れて、全力全開の正拳突きを、目の前の訳の分からない存在に向けて突き出した。
「ぐっ……ぼあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!!!!」
鳩尾に入れられた、破滅的な威力の拳。
体をくの字に曲げたマイルの体は、二キロ吹き飛んだ末に、先回りしていたセリムの回し蹴りを背中に叩きつけられる。
その衝撃で更に前方に弾き返され、何度もバウンドしながら元通りの場所に帰って来た。
「私とソラさんの間に、あなたなんかが入れる訳がないんですよ」
何度か痙攣したあと、マイルはぐったりと横たわり、ピクリとも動かなくなった。
「あ、あれ……?」
少々心配になったセリムが首元に手を当て脈を測ると、血の流れを感じない。
焦って心臓の鼓動も確認するが、やはり停止している。
「い、勢い余って殺しちゃったんですか……? こいつ、殺す程度で丁度いいとかほざいてたのに……っ」
貴重な情報源を死なせてしまい、思わず泣きそうになってしまうセリム。
しかし、今は泣いている場合ではない。
戦いが終わるまでは泣かないと、ソラとも約束したのだから。
それよりも今すべきは、一刻も早くソラ達の下へ戻り、加勢すること。
「そ、そうです! すぐに戻らないと! 待ってて下さい、ソラさん!」
既にルキウスの気配は消えているのだが、そこには気付かずソラの気配のみを頼りにセリムは駆け出した。
「いったた……、げっほげっほ……! まったく、死ぬかと思ったよ」
セリムが立ち去った一分後、マイルはおもむろに身を起こした。
彼女が使用したのは、リザレクトリザードの死に至るダメージを受ける前に心肺機能を一時的に停止させ、自らの死を偽装する特殊能力。
「モンスターの特殊能力を使用出来る、この力については言ってなかったからね。ホント、これに比べたらワープゲートなんて、チャチい能力だよ」
今繋がっているワープ先は、アーカリア軍のど真ん中、瓦礫に埋もれた地下深く、危険地帯の奥地に建てられた無人の城の三つ。
今の状態では、どこも移動先としては論外だ。
「ほんっと不便だねぇ。結局コイツに乗って、帰らなきゃいけないっていうね」
空間に穴を開け、怪鳥アルケードロスを召喚。
満身創痍のマイルが這いずるように背中に乗ると、怪鳥は翼を広げて大空へと飛び立った。