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101 アルカ山麓の戦い⑨ 絶望

 包囲は完成し、敵の残存戦力はもはや弱小モンスターのみ。

 ホースはルキウスに味方しておらず、セリムの到着ももはや時間の問題。

 右翼側、アイワムズ軍の陣の中で、マリエールは今か今かとその時を待っていた。


「のう、アウスよ。セリムはいつ頃来るのだろうか」

「そうで御座いますわね。城に侵入して敵の不在を知れば、彼女ならばすぐに引き返して来るはず。昨日の内に王都へ戻っていないということは、大方ソラ様のレベル上げでもしていたのでしょう」


 主人のお尻を撫で回しながら私見を述べるメイド。

 その語り口は真剣そのものだ。


「つまり、今日になって彼女は敵陣に攻め込んだと思われます。敵の城がもぬけの空だと気付いて引き返して来ているのならば、もうじき到着することでしょう」

「さすが、的確な分析である。あと尻を撫で回すな」


 戦いが終わるまで、あと少し。

 ルキウスの処刑は免れないだろうが、せめてその前に一言でも会話を交わしたい。

 なぜ父と母を殺めたのか、なぜこのような暴挙に走ってしまったのか。


「兄上……」

「お嬢様……。——殺気!? それもこの気配……。お嬢様、お下がりください!」


 殺気を撒き散らしながら、こちらへと向かって来る何者か。

 その禍々しい気配を感じ取ったアウスは、主を背中に庇いながら蛇腹剣を抜く。


「トルネードウォール!」


 すぐさま前方に展開した暴風の壁。

 次の瞬間、魔物の群れの中から飛び出した一人の男が杖をかざし、火炎旋風が吹き荒れる。

 炎は暴風の壁に激突し、打ち消された。

 間一髪、あと数瞬対応が遅れていれば、大ダメージは免れなかっただろう。


「邪魔をするな、アウス・モントクリフゥゥゥッ!」

「……とうとう姿を現しましたわね」


 シャイトスの部隊の真っ只中に単騎で飛び込んできた、黒いマントの男。

 その顔を、この場にいる誰もが、末端の一魔族兵に至るまでが知っている。


「お久しぶりですわね、ルキウス・シルフェード・マクドゥーガル。あの日、あなたを取り逃がしたこと、ずっと後悔しておりましたわ」


 ルキウスの捕縛に失敗し、まんまと逃げ切られてしまったあの日。

 もしもあの場で彼を捕らえてさえいれば、このような結果にはならなかった。

 王族の風上にも置けない愚かしい男を、アウスは鋭く睨みつける。


「兄上……、本当に兄上が、黒幕だったのだな……」


 従者とは対照的に、どこか悲しげな色を見せるマリエール。

 彼の手に握りしめられた杖は、紛れもなく源徳の白き聖杖。

 魔王城から盗み出された、王位継承の証。

 特別仲が良かったわけではない。

 しかし、紛れもなく血を分けた兄妹。

 心のどこかでわずかに抱いていた思い、何かの間違いであって欲しい、そんな思いは今、完膚なきまでに打ち砕かれた。


「っハァァァァ、マリエール、そのマントを渡してもらおう……」

「……兄上、もはや勝敗は決した。その上でまだこのマントを求める理由が、余には皆目見当もつかぬ」

「貴様には分からないのか! そのマントと杖を手にした者は、魔族の頂点に……!」

「お嬢様、無駄にございますわ」


 兄妹の問答を遮ると、従者は敵の前に進み出て蛇腹剣の連結を解き、二、三度振るう。


「この男の目、もはや正気にはございません。少々荒っぽく、頭を冷やして差し上げないと」

「アウス殿、某も手を貸しましょうぞ」


 アウスの傍らに進み出るシャイトス。

 隻眼の老将にとっても、この男は因縁浅からぬ相手だ。

 しかしアウスは、


「いえ、シャイトス様はお嬢様の側に付いていてくださいませ」


 彼の申し出を断り、主人の護衛を託す。


「あの男の狙いはお嬢様のマント。それが手に入りさえすれば、妹の命などどうだっていい。先ほどの攻撃から、そんな下種な思惑がひしひしと伝わってきましたわ。反吐が出るほどに」

「……なるほど。アウス殿、そなたにとって、魔王様がどれ程大事な存在かはよぅく存じておる。にも関わらずこの老いぼれに託されたのだ。命に代えても守り抜いて見せましょうぞ」

「お願いいたしますわ」


 主君を彼に託し、もはや後顧の憂いはない。

 後はノコノコとやってきた敵の総大将を討ち取るだけだ。


「逆賊ルキウス。お嬢様の御為に、この場で討ち果たさせていただきます。御覚悟下さいませ」

「メイド風情がぁ……、魔王である余に向かって、何だその口の利き方はぁぁぁぁッ!! 行けッ、サラマンダー!」


 ルキウスは激昂の叫びと共に杖を振りかざし、先制攻撃を仕掛ける。

 彼の肩の上にうっすらと浮かび上がる、半透明の小さな赤いトカゲ。

 その口から凄まじい熱量の火炎が放たれ、アウスを襲う。

 一直線に向かう攻撃は、軽々と横っ跳びで回避。


「こんな攻撃、当たる訳が——」

「シルフ!」


 続けて浮かび上がったのは、翅の生えた小人。

 ヒヒヒッ、と笑いながら、半透明の体で大きく腕を伸ばし、上半身を捻る。

 瞬間、アウスの足下から突風が吹き荒れ、彼女の体は宙に浮かび上がった。


「アウス!」

「油断したな! 魔王である余のクラス、忘れるなどとは不敬極まりない!」


 アウスの体を持ち上げる突風は、その風速を増し、渦巻く巨大な竜巻へと変わる。

 勝ち誇りながら、サラマンダーにトドメの指示を下そうとするルキウスだったが、


「な、なにっ!?」


 アウスの体を包んでいた巨大竜巻は、一瞬にして消滅。

 彼女は軽やかに着地し、メイド服のエプロンに付いた草の切れ端をぱんぱん、と払う。


「そちらこそ、お忘れですか? わたくしのクラスはウィンドナイト。風を操るクラスに風をぶつけるなど、笑止千万」

「逆回転の竜巻を生み出し、相殺したか……」

「ご名答。そして、当然ながらあなたのクラスも存じております。五大精霊の力を操る魔術師タイプのクラス、アークサマナー。そうでしたわね」


 炎のサラマンダー、氷のフェンリル、風のシルフ、雷のジン、地のノーム。

 五大属性を司る精霊を召喚し、その力を振るう。

 それがルキウスのクラス、アークサマナー。


「確かに強力なクラスではありますが、あくまで後衛クラス。前衛に誰かがいてこそ、その真価を発揮するもの」


 強力な剣士であるハンスが前に出て、後衛のルキウスとのコンビネーションで仕掛けて来るならば、大きな脅威に成り得ただろう。

 だが後衛クラスが単独で戦えば、敵の前衛クラスに間合いを詰められてすぐに倒される。

 前衛であるアウスが常にマリエールの側に控えるのには、彼女が後衛であるという理由も多分に含まれていた。

 ルキウスに剣士であるハンスが宛がわれた理由も、全く同じである。

 だが——。


「……あなた、ハンスはどうしたのですか?」


 絶対的な忠誠を誓い、片時も彼の側を離れないはずの、ハンス・グリフォール。

 全身が忠義で出来たような、狂信的とも言えるあの男の姿が、この戦場のどこにも見当たらない。


「ハンス、だと……?」


 常に薄ら笑いを浮かべていたルキウスの表情が、その名を出した瞬間に凍りついた。


「ハンス……。余はハンスを捨て駒とし、ヤツは我が居城にて、小娘共との戦いに敗れ、命を落とした……」

「捨て駒……ですか。二つと得られぬ忠臣を見殺しにするなど、何と愚かな……」

「違うッ!」


 髪を振り乱し、ルキウスは叫ぶ。


「違う、違う、違う! 余は騙されたのだ! ナイトメア・ホース、あやつの口車に乗せられ、余は……! 余は利用されたのだ……!」


 頭を抱え、膝をつき、小さく震えながらうずくまる。


「この期に及んで責任逃れとは。つくづく見下げ果てた男ですわ」


 ルキウスを盲信して国を捨てた愚物、彼女はハンスをそう評価し、心底軽蔑していた。

 その一方で、彼の気持ちも分からなくはなかったのだ。

 もしも自分が彼の立場で、マリエールが同じ状況に陥った時、やはり自分はハンスと同じ道を辿るだろう。

 国を捨ててでも、たった一人の主君に忠誠を尽くすのだろう。

 そんな忠誠心を踏みにじり、捨て駒にした挙句、その責任から逃れようとするなどとは。

 冷たい殺意の炎を瞳に宿し、アウスは彼に一歩ずつ近づく。


「お嬢様、もはやこの男、生かしてはおけませぬ。処刑の許可を」

「待て、アウス。その前に、兄上と話をさせてくれ」

「お嬢様。こんな男でも、やはり情はありますか」

「甘いと思うか?」

「……いえ、それでこそ我が主」


 軽く微笑むと、彼女は歩みを止める。

 甘さだけでは国を統治することは不可能。

 だがこれこそがアウスが彼女に忠義を誓う理由。

 マリエールの持つ、彼女を王者たらしめる器の広さなのだ。


「アウスよ、感謝する」


 従者に礼を告げると、彼女は一歩だけ前に出る。

 そして、頭を抱えてうずくまる兄に向け、言葉を投げかけた。


「兄上、お久しぶりです」

「お、おぉ、マリエール……!」


 ルキウスは顔を上げ、妹の名を呼ぶ。

 彼女の羽織った原罪の紅き外套マントを瞳に移し、這いつくばりながら手を伸ばす。


「そのマントを寄こせ……。それさえあれば、余は魔王に……!」

「兄上、一つだけお尋ねしたい。何ゆえ、父上と母上を手にかけたのか」

「そ、それを答えれば、マントをくれるのか……?」

「……お答え願いたい」


 肯定も否定もせず、ただ質問への答えを求める。

 彼が命を散らす前に、何としてもこれだけは知らねばならなかった。

 なぜ父と母が殺されたのか、その真相だけは、闇に葬られるわけにはいかなかった。


「そんなこと、決まっているではないか! 余を、魔王になるべき宿命を背負ったこの余を廃嫡しようなどと! だからマリエール、お前がまだ幼い間に先代を始末すれば、余が跡を継げる! 最悪でもお前を傀儡かいらいに出来る! そのはずだったのに……!」


 彼の思惑は外れた。

 かねてから帝王学を叩き込まれてきたマリエールは為政者として急成長を遂げ、ルキウスはこの事件が決定打となって祖国からの追放を余儀なくされた。


「……たったそれだけの理由で? そう、ですか……。アウス、もうよい、待たせてすまなかったな。後は任せる」

「はっ、仰せのままに」


 予想以上に短絡的で、下らない理由。

 もはや交わす言葉は必要ない。

 アウスに対し、彼女は逆賊の処刑を命じる。


「ま、待て。マリエール、そのマントを寄こすんだ。それさえあれば、余は、余は……!」

「……兄上、マントがあったとしても、あなたは魔王にはなれない」


 一歩一歩、歩みを進めるアウス。

 未だマントにこだわる兄に対し、マリエールは言い放った。


「な、にを言って……! それは王位継承の証、それを手に入れさえすれば……!」

「では、逆にお尋ねする。今の余は、聖杖を持っておらん。ならば余は今、魔王ではないのか?」

「そ、れ、は……!」

「魔王とは、魔族の国を治める者の呼び名だ。血のにじむような努力の果て、民に、家臣に、みなに認められ、初めてその名を名乗ることが許される。杖やマントを手に入れた程度でなれるような、甘いものではないッ!!!」


 父を、母を、兄を失い、失意の底に叩き込まれながらも、そんな思いを魔王の仮面の裏に隠し通してきた、幼い少女。

 それは、彼女の思いの丈を込めた心からの叫び。


「マントが、杖が、無意味だと……? ならば余は、今まで、なんのために……」


 マントと杖を手に入れれば、この絶望的な状況は覆せる。

 最後の希望を、愚かしい現実逃避を粉々に打ち砕かれ、彼の心はついに、絶望の淵に落とされた。


「あ、ぁぁ、余は……、余はぁ……」

「せめて苦しませず、あの世に送ってさしあげますわ。先代に、母君に、そしてハンスに詫びて来るのですね」


 完全に心を折られ、虚ろな目で虚空を見つめるルキウス。

 アウスは彼に近づきながら蛇腹剣を連結させ、その目前に到達。

 一撃で首を落とすため、握りしめた剣をゆっくりと振り上げる。

 魔王を騙った男の最期が訪れようとした、その時。


「困るんだよねぇ、今ルキウス君に死なれちゃ」


 アウスの耳元で、声がささやかれた。


「——っ!」


 その声を、忘れるはずがない。

 体中を戦慄が駆け巡る中、彼女は背後に素早く退く。


「ちゃお。皆さんこんにちは、もうお昼は食べたかな? いやはや、頑張ってくれてるね」


 いつからそこにいたのか、誰にも気配を気取られることなく、ナイトメア・ホースは唐突にこの場に現れた。


「随分とご丁寧なあいさつですわね。見習わさせていただきたいですわ……!」

「貴様、ナイトメア・ホース! とうとう出てきたな……!」


 その場の全員に、緊張が走る。

 まだセリムが来ていないこの状況で、ホースに暴れられてはまずい。


「あっはは、そんなに緊張しなくても大丈夫。僕はキミたちに危害を加えたりしない。むしろ逆さ。お礼を言いに来たんだよ」

「……お礼、だと」

「そっ。ルキウス君の心を入念にへし折ってくれたお礼だよ。僕では無理だったからね、ナイスアシストだったよ」


 虚空を見上げ、ブツブツとうわ言を漏らすルキウスの頭をぺちぺちと叩きながらそう答えると、ホースはその手を彼の差した杖に伸ばした。

 杖の先端に納まった魔法石。

 それは黒い怨念の渦を巻き、禍々しい黒い光を放っている。


「いい感じに育ってくれたねぇ。あとはコイツを……」

「な、何をしようとしておるのだ、あやつは」

「わかりません。ですが、どうせロクでもないことなのでしょうね……」


 戦う力を持たないマリエールはもちろん、アウスも、他の誰にもホースを止めることはできない。

 絶対的な力の差がある以上、防ごうとしても片手間で殺され、無駄死にに終わるだけだ。


「この瞬間、本当に待ちに待ったよ。さあ、実験はいよいよラストフェイズだ」


 魔法石を聖杖から取り外し、その手に握りしめると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

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