無自覚男と溺れる少女
無意識の意思
俺はずっと探していた。
ただ一人。唯一の存在。誰にも渡したくない特別を。
探して、求め過ぎて、だからずっと気づけなかったのだ。
きっかけはそこまで特殊なものじゃない。両親の離婚。良くあることだ。仲の良かった両親が突然ぱったりと夫婦ではなくなった。幼い自分には思いの外衝撃だったのだろう。
ずっと憧れていた。両親のように想い想われ、大切にし合うことを。
その憧れが、歪な形に曲がってしまった。
ただ一人を探しつつも、そんなものを信じきれなくなってしまった。
告白されれば、付き合う。好きだと思えば、付き合う。
一人一人に対しては誠実に大切にしたつもりでも、それが同時進行となれば誰だって良い気はしないだろう。
すぐに振られて、自業自得だと自分を責める気持ちの中にやっぱりこんなものかと思う勝手な自分もいた。
いつからか、本当に唯一を探したいのか、それともそんなもの無いと証明したいのか、自分でも分からなくなっていた。
同時に何人もと付き合っても、自分なりに彼女たちが好きだった。だから振られればそれなりにショックは大きかった。
そんな時いつもそばにいて、こんな情けない俺を見ても別れずにいてくれるのが幼馴染の澄奈だった。
澄奈の両親は事故で亡くなった。お隣さんだった俺は、葬式場で泣くでもなく、かといって何も理解していない風でもなくぼんやりと立ち尽くす澄奈を見た。
「可哀想に」
「あの子泣きもしないわ」
「きっと理解出来ていないんだろ」
大人の心無い無責任な台詞に、無性に腹が立った記憶がある。
澄奈は元々うまく感情を出せない子だった。
だから、瞳の奥に暗い絶望の淵があるのが分かった。今にも沈んでしまいそうな彼女を、どうにか引き戻したかった。
だから、声をかけた。どうにかしたくてもどかしい気持ちに焦れて、よくわからない言葉を口走った気もする。それでも、ほんのりと笑ってくれたあの顔は、もうずっと忘れられない。
俺が不特定多数と付き合うようになって、澄奈はぽつりと言った。
「私も試してみる?」
俺が唯一を探していると知って、それなら選択肢を広げて見ればいいと言う澄奈に、何となく複雑な感情になった。
自分のことを棚に上げて、そんな風に自分を扱っていいのかと思った。
どこか他人に興味が薄く、自分にも無頓着な澄奈がずっと心配だった。
趣味としている小説を書く作業すら、どこか「作業」に思えて、しかし自分に無頓着なまま徹夜で執筆する彼女は、一見するとその作業に熱中しているようにも見えた。
だから、本当のところ断ろうと思った。それが彼女のためだと思ったし、今思い返しても、それが彼女にとっての最善だと思える。
けれど同時に思ってしまったのだ。
彼女が俺の唯一であればいいのにと。
彼女の愛情が俺に向いてくれているのは何となく気づいていた。それが恋情かどうかは分からずとも、大切にしてくれていると気づいてはいた。
だけど根深い俺の不安はずっと消えず、どこか掴み所のない彼女への複雑な思いもまた消えなかった。
俺は一人暮らしをしているが、親とは度々会っている。
自分が不安定な時、何を言ってしまうかわからない時には澄奈に一緒に行ってもらった。
親は片割れと別れても変わらず元気で、それが嬉しくもあり憎らしくもある妙な自分が一番嫌いだった。
俺はずっと自分のことで手一杯で、澄奈の苦しみには気づけなかった。
いや、もしかすると、無意識のうちに敢えて気付かないでいたのかもしれない。
気づいて仕舞えば、もう澄奈の苦しみを放っておくことは出来ないから。
段々と、俺の言葉を絶対にし始めていた澄奈に気づいて、見ないふりをしていたのかもしれない。
分からない。自分の気持ちに自信が持てない。自分の良心に自信が持てない。
今のこの状況が、あまりにも自分に都合が良過ぎているから。
俺と澄奈がごく自然な流れで結婚に至ってから、そう経たないうちに。
澄奈は俺にべったりになった。
どこに行くにも(流石にトイレは止めた)てくてくとついてきて、ぎゅっと抱きついて来る。
そんな彼女に、俺は戸惑うふりをしながら心底安堵していた。
彼女は思いつめた顔で俺にしがみつく。
そうしておねだりをしてくる。
「仕事、行かないで」
それが可愛くてしようがなくて、俺は仕事に行く。
だが、そろそろ辞めようとも思っていた。
思いつめた顔の彼女が、いつ俺に怪我をさせようとするか分からなかったからだ。
彼女は俺が彼女に頼るのに安心していた。
怪我をして、俺が精神的にも経済的にも、物理的にも頼りきりになればきっと安心するだろう。
かわりに、彼女の闇はきっとどんどん深くなる。
それは俺にとって喜ばしいことだけど、それで苦しむ彼女をもう見たくはなかった。
引き込んだのは、きっと俺だ。
やっとそのことに気づいた。
唯一なんてとっくの昔に見つけていた。
見ないふりをしていた現実にやっと目を向けて、自分に都合のいい彼女を作り上げていた自分に気づいた。
もうすっかり俺たちだけの世界は完成していて、彼女は俺のかけた罠にはまり込んでいる。
これ以上彼女を苦しめる必要なんてなかった。
「澄奈」
「ひーくん?」
結婚してから、子供の頃に戻ったように幼い呼び方で俺を呼ぶ彼女が愛しい。
ゆったりと首を傾げて、きょとんとこちらを見る彼女の瞳には、もう俺しか映っていなかった。
「……信じてるよ」
それは俺にとって、最大級の愛の言葉。
それが伝わったのだろう。澄奈は常の感情の薄い顔を目一杯緩めた。
「ひーくん、愛してる」
ごめんな、俺もだよ。
彼女の部屋の天井一面に貼られた俺を見たときの、あの歪な喜びが、静かにせり上がってきていた。
割れ鍋に綴じ蓋ってやつです




