無気力少女と浮気男
ヤンデレ書きたい病発症中。苦手な方はご注意ください。
ぱんっと乾いた音が響いて、澄奈は音源へ目を向けた。
「あ」
小さく声を漏らす。
周りにいた友人達も次いで音と音の正体に気づき、俄かに騒めき始める。
「あの男、また……!」
「何人目よ!?」
そこに居たのは、頬を押さえる男と涙目で唇を噛みしめる女。見るからに修羅場だ。
「なんで!なんで分かんないの!?あんた、別に私のこと好きじゃないんでしょ!誰でもいいんでしょ!」
「……」
会話、というより一方的に女がまくし立てる言葉も、男が面倒そうにため息をつく姿も、隅から隅まで修羅場だ。
そして。
ぎゃあぎゃあと文句を言っていた友人達の目が澄奈の方へ向く。
「澄奈……」
「見ない方がいいよ?」
「だから言ってるじゃん、あんな男やめとけって」
ぼんやりと彼らを見る澄奈が、あの最低男の恋人だという事実すら、余さず修羅場であった。
「手当たり次第手を出しては振られ出しては振られ、あの男なんなの!?」
「てか、遊ぶならもっと遊べる女選べよ。明らかに遊びに適していないタイプばっか狙って……まぁそれで本気になる方も方だけど」
「ちょっと由美」
「あ……ごめん澄奈。…………でも私、まだ納得出来てないんだけど。なんで別れないの?」
ヒートアップしていく友人達の言葉をぼんやり聞いていた澄奈は、由美の質問に、徐に目を向ける。
「んー。別に。別れる理由もないし」
「出たよ無気力!」
友人達は三者三様にがっくりとした。
「その無気力のせいであんな男に捕まったんだから、まじで直した方がいいよ」
「でもいくら無気力でも彼氏があんなに遊び歩いてて嫌じゃないわけないよね……一応小学校からの仲だっけ」
「あの人のどこがいいの?」
諭す由美、心配する花林にきょとんとする果代へ順番に目を向けた澄奈は、一つ瞬きをする。
「んー……顔とか」
マイペースな答えに、なんとなく三人の気勢が削がれる。結局澄奈を説得することを諦めた三人は、澄奈のマイペースはどこからの来るのかを論じ始めた。澄奈の趣味であり仕事が原因だという方向にまとまりつつある。
澄奈はそれを話半分に聞きながら、その場に突っ立ったままでいる男の背中が小さくなっていくのをじっと見ていた。
放課後。澄奈は自販機で冷たいお茶を買った。
目当ての背中がベンチの背もたれからくったりと生えているのを認め、近づいていく。
ほんのいたずら心から、ぴと、と頬にお茶をくっつけた。
「つめた!……って澄奈、何すんの」
「冷やしてあげようと思って」
言われた方は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い当たることがあったようだった。
「…………見てたの」
「ん。折角顔が良いんだから、悠仁はもっと顔を大事にしなきゃ」
「コメントするところはそこかい」
軽快な突っ込みを入れつつ、悠仁は複雑な表情で澄奈を見た。
澄奈は悠仁の隣に座る。
暫しの無言。二人の付き合いは長いので、無言は大した重荷ではない。
しかし、付き合いの長さの証明であるその無音の空間が、悠仁の心に引っかかりを作っていた。
「……澄奈はさ、なんで何も言わないの」
「ん?」
「俺と別れたいとか、思わないの」
澄奈は瞬きを繰り返してから、首を振った。
「別に」
「……澄奈は、なんで俺と付き合ってるの」
「なんでって……」
澄奈は言葉を紡ぎかけて、やめた。
「逆に、なんで悠仁は私と付き合ってるの?」
「好きだから」
「他の子とはなんで?」
「……好きだから」
悠仁の言葉に、澄奈はふうんと相槌を打つ。悠仁はいつも平等だ。そこに特別は無かったが、かといって相手を貶める意図も全く無かった。
「じゃあ私もそれで」
「……何それ」
悠仁はため息をついた。
「自分で言うのもなんだけど、欠片も好かれる要素ないよ。顔はまあまあだから、最初のうちは分かるけど……澄奈は、もう何年も一緒にいてくれる」
「好かれる要素?私の方がない」
「あるよ」
少し強めに言う悠仁を遮って、澄奈は言い募った。
「悠仁の方があるよ?顔はかっこいいし、優しいし、頭がいいし、運動神経もいい。おしゃれだし、人のこと悪く言わない、意外と真面目」
「……だけど浮気性」
「そこだけだね、欠点は」
「結構重大な欠点だと思うけど」
ため息をついて悠仁は伸びをする。澄奈はそんな彼を無言で見つめた。
澄奈は知っている。悠仁がずっと唯一の人を探していることを。誰よりも、それこそ彼に泣かされたどの女たちよりも愛情に飢えていることを。そして、その愛情をこそ、信じられていないことを。
好かれたいのに、好かれないように振舞う。矛盾した行動をとる悠仁は器用に見えて、とても不器用なのだろう。
「で、悠仁はなんでそんなこと聞くの。私と別れたいとか?」
「それは違う、けど……もしかしたら、澄奈も俺と別れたいんじゃないかと思って」
も、という言葉。昼間の出来事は存外彼にショックを与えているらしい。滲む懇願めいた響きは、おそらく澄奈一人だけに向けられているものではない。
「別に、別れる理由はないよ?他に好きな人もいないし」
「……なるほど。別れる理由がないから付き合ってると。相変わらずだなぁ」
そう。澄奈には別れる理由がない。だから付き合っている。だけど、その本質を悠仁は知らない。
「悠仁って、私に興味ないよね」
澄奈の言葉に悠仁が目を見開く。
「え、なんで?どちらかといえばこっちの台詞なんだけど」
「んー」
悠仁の言葉に答えることなく、澄奈は猫のように目を細めて頬杖をつき、微睡む。
「ちょっと澄奈、ここで寝ると風邪ひくよ……もしかして、また夜遅くまで小説書いてたの?」
呆れるような言葉、その響きは優しい。
頭を撫でられ、澄奈はますます微睡みを深くしていった。
深く、深く。暗い暗い底の見えない深さを持つことを、悠仁は知らない。
ばふんとベットに覆い被さる。
慣れ親しんだ自分の香りにぐいんと全身を伸ばす。
手に持ったままの、悠仁から残りをもらったお茶のペットボトルが、シーツを滑る。
ペットボトルを抱え込み、そのままごろんと転がった。
仰向けの視界の先には、沢山の顔がある。
全部、愛しい人の映る写真だ。
「全然目が合わない……写真ですら、こっちを見てくれない……」
ぽつり、とつぶやく言葉。
目が合わないのは当たり前だ。天井に貼り付けた百を超える写真の中に、本人の許可を取ったものは一枚もなかった。
澄奈は悠仁が好きだ。
いや、好きだなんてものではない。
愛だなんて言葉でも表せないほど、大きな感情を抱えている。
だから、逆はあっても、澄奈が悠仁と別れる理由なんて、どこにもなかった。
「ひさひと……ひーくん……」
本当は悠仁が望む目一杯の愛情を、与えてあげたかった。澄奈にはそれが出来た。溢れて溢れてもまだ湧き出る感情で、溺れさせても良かった。
だけど、まだ早いと澄奈は思った。
ずるずるとこのまま、澄奈と悠仁の長い付き合いはつづく。流れのまま、結婚まで行くのだろう。
悠仁が思う「理想の相手」を見つけない限り、それは必ず実現する。
彼の親も澄奈の祖母も交際を知っていて、悠仁は澄奈との時間を不快に思っていない。
であれば、来るものを拒まない悠仁との付き合いが結婚に向かうのは、澄奈にとっては厳然たる事実であった。
そして、悠仁の理想の相手は、これから先ずっと現れない。
殆ど完璧な悠仁の唯一にして最大の欠点がある限り、悠仁と心から結婚したいと思う人など、澄奈以外にはいないだろう。
仮にいたとして、それは澄奈が対応すれば良い話だ。
だから、二人の結婚は確定した未来だった。
澄奈の本質を報せるのはそれからでいい。
国が社会が決めた強い結びつき。容易に解けないそれを結んだ後だ。
「それまで、がまん……」
大丈夫、と澄奈は思う。これまでずっと我慢してきた。あとたった数年のことだ。これまでの10年に比べれば、ずっと短く、殆ど確定している。
勿論澄奈には悠仁が他の女と触れ合うことなど許せない。心も体もだ。触れ合ったものはみんな消してしまいたいとすら思っていた。
けれど悠仁が望むことだ。
たとえ許せなくとも、許さなければならない。
澄奈にとって悠仁は絶対だった。悠仁の決めたことには最終的には逆らえない。
だから、その絶対を自分に向けさせようと努力したのだ。逆らえないのなら、決まってしまう前に自分に決めて貰えばいいだけのこと。
付かず離れず、心地いい距離感でいられる唯一の存在。気を許せる存在。
けれど、どこか何を考えているのかわからなくて、気になってしまう存在。
そんな自分を作り出すのに、ひどく苦労した。
おそらく努力は実っただろう。
悠仁は澄奈の本質に気づけていない。
それは彼が澄奈に興味がなかったためでもあるが、だからこそ興味を持たせやすくもある。
知った気でいるより知らなことに気づく方が深く探究心を刺激するのだ。
結婚したらもう他の女のところへは行かせない。
悠仁は優秀だから、きっと外でバリバリ働いて、同じく有能な女たちを骨抜きにするのだろう。
知らないところで唯一を作ってしまうかもしれない。
「事故に遭うとか……いいかも」
そうだ、足がいい。澄奈は頷く。
足が使えなければ、外に出ることは出来ない。不便な部分は、澄奈が補ってやればいい。
何もしないでいよう。
ずっと二人で、何も為さず、果たさず、広い家を買って、のんびりと過ごそう。
幸いにして、澄奈の両親が残してくれた遺産とちょっとした株運用、執筆・出版した書籍の印税で、二人が働かず暮らせる程度の貯蓄はあった。
人でも雇って家の他のことは任せて、二人は二人でいることだけに専念すれば良い。
なんて素敵な世界だろう。
澄奈はうっとりとペットボトルを抱きしめた。
『澄奈はきっと俺のこと、好きではないんだろうな……』
悠仁の部屋に落とされた愛しい独り言を白いコードを通して耳に聴きながら、澄奈は徐に目を閉じた。
「好きじゃない、愛してるよ、ひーくん」




