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第7話 犯行は鉄パイプと共に

「すみません、そこの監視カメラって、こちらのお店のものですか?」


 入店するなり、真っ先に目に入った棚卸をしているエプロン姿の恰幅のいい店員に、雷馬は開口一番そう尋ねた。

 店員にしてみれば青天の霹靂の出来事に、目を白黒させながらも、


「ええ、そうですが……。何か御用ですか?」


 丁寧な物腰で相手の出方を窺う。言葉遣いこそ丁重だが、その表情は明らかにこの闖入者を訝しがっている。

 店員の胸元には名札が付けられていて、そこには店長・相良さがらとあった。

 怪しい素振りを見せれば、即刻警察を呼ぶぞとでも主張せんばかりの、どっしりと構えた大柄な店主のその有無を言わせぬ無言の圧力に、灯の方は見えてもいないのにたじたじとなっていたが、雷馬の方はむしろ余裕綽々という面持ちで、冷静に懐から手帳を取り出した。


「ああ、失礼、申し遅れました。私、こういう者でして……」


 言いながら、雷馬は相良の眼前に手帳を開いて突き出す。

 店長は目を瞬かせて驚いていたが、それよりも灯の方が仰天していた。

 回り込んで確認したその手帳には、『警部 相田牧郎あいだまきろう』とある。この男を自称探偵の高校生、快藤雷馬だと知っている灯が見れば、役職も名前も目茶苦茶だということがわかる。

 だが、店長の方はご存じなかったのだろう。


「け、刑事さんでしたか」


 とすっかり信じ込んだ様子で、掌くるくる態度を急変させ、額のじっとりした脂汗を拭きながら、ぺこぺこしている。


「あ、も、もしかして、あの一ヶ月前の泥棒の件で、何かわかったことがあったんですか?」


 相良はびっくりするほど下手になっていた。これが国家権力の強さであろう。


「泥棒……ですか?」


 と雷馬が飲み込めずにいると、それを忘却したせいだと思ったのか、相良は深く訊いてもいないのに事情を説明した。


「ほら、監視カメラにあぐらを掻いて、うっかり施錠し忘れていた路地裏の裏口から侵入されたって、以前被害届を出したんですが。違うんですか?」


「すみませんが、私は全く別件の捜査中ですので。しかし、それは大変でしたね。被害の方はどれほどでしたか?」


「あ、ああ、いえ……。それが妙なことに、何も盗まれていなかったんですよ。しかし監視カメラに誰かが侵入した映像が残ってまして、一応不法侵入として被害届を出していたんです」


 わざわざ忍び込んだというのに、何も盗んでいない……?

 その妙な泥棒の話――そもそも、これを泥棒と呼ぶのがふさわしいのか――は、灯の中に強く印象に残った。それは恐らく雷馬もであろう。

 彼は急に神妙な面持ちになって沈思黙考していたものの、しかし今ここでするべきことではないと察したのか、面を上げると泥棒の一件は適当にあしらった。


「そうでしたか、では、後ほど署の方で捜査状況を確認しておきますよ」


「ありがとうございます」


 雷馬の事だ。どうせまた適当なことを言っているのに違いない。捜査状況の確認なんて、一向に行おうともしないのではないか。

 それにもかかわらず、年下相手に――というか高校生の餓鬼相手に――ぺこぺこと巨体を上下させる相良に、灯は同情を寄せた。


「で、その泥棒の件はひとまず置いておいて、こちらの捜査の一環として、あの監視カメラを確認させていただきたいのです」


 ただの高校生であることなど、おくびにも出さず、雷馬は自信たっぷりにそう言い放った。

 図太い神経の持ち主だな、などと灯はもはや呆れ通して舌を巻いていた。


「はあ、そういうことでしたら、もちろん協力しますよ。こちらです」


 偽装された姑息な権力にすっかり懐柔されてしまった相良は、彼に言われるがまま、平身低頭店の奥へと案内を始めた。


「ちょっと、あれどういうこと?」


 相良が背中を向けたのを契機に、灯は間髪入れずに雷馬を問い質す。

 しかし彼は、灯の聞きたいこととはずれた返答をする。


「あの店主、頑固そうに見えたからね。警察でもなきゃ、見せてはくれなかっただろう」


「そうじゃなくて、あの警察手帳。相田牧郎って誰よ。もしかして、盗んだんじゃないでしょうね?」


「そんな事するわけないって。相田牧郎はアナグラムだよ。快藤雷馬をローマ字表記にして、並び替えたやつ」


「じゃあ偽造したのね。貴方、警察じゃないでしょ。こんなことしていいの?」


 すると、雷馬は開き直ったのか、なんてことはないとばかりに平然と言ってのけた。


「まあ、良いか悪いかをどんな基準で判断するかにもよるけど、法律で決めるなら悪いだろうな」


 その厚顔無恥な態度に、灯は妙にムッとして、いつも以上に強気に詰問した。


「あなたのやってる探偵って、いつもこんな風に人を騙してるわけ? だいたい、捜査状況を確認するだなんて、そんなこと勝手に言っちゃっていいの?」


「騙してるなんて人聞きの悪いことを言わないでもらいたいなあ。この方が手っ取り早く話が進むから、そうしているだけだよ。捜査状況に関しては、そういうつてもあるし、ちゃんと後でやっておくから無問題。それに、これも事件捜査のためだし。まあ、殺人シーンが映ってたらどうせ警察に持って行くつもりだから、大丈夫大丈夫」


「そういう問題じゃないでしょ……」


 灯が口うるさく問い詰めても、どこ吹く風という感じでまるで手応えがない。暖簾に腕押しとはこのことだ。

 きっと何を言っても彼は聞く耳を持たないだろう。

 灯は呆れて何も言えなくなってしまったが、雷馬の声が相良の耳に届いたらしく、前を行く彼が振り返って怪訝な顔つきで尋ねてきた。


「何か仰いましたか?」


「ああ、いえ、何でもありませんよ」


 またしても、平然と雷馬は嘘を吐いた。

 彼の平素の態度と、嘘を吐いている時の態度がまるっきり同じで、灯は彼の何が真実で何が虚構なのか、わからなくなってしまった。


「こちらです」


 そんな灯の気持ちなど知る由もなく、相良はバックヤードの一室に雷馬を通した。

 こじんまりした部屋な上に、その殆どの空間は段ボール箱が占領している。その積み上げられた箱が、窓から入る外光も阻害している上、今は電気も灯っていないから薄暗い。清掃も怠っているらしく、埃っぽさを感じた。普段は倉庫として使用しているのだろう。

 その部屋の片隅に、一台のパソコンが置かれていた。

 相良は電灯のスイッチを入れながらそれを指し示して、


「あのパソコンに、一週間分の録画データが残っています。生憎ですが、それ以前となると、自動的に削除するようになっていますので――」


「いえ、それで十分です。ご協力ありがとうございます。あとはこちらでやりますので、業務の方に戻られて結構ですよ」


「はあ、では、そうさせていただきます」


 相良の説明を制して、雷馬は体よく彼を追い出した。姿が見えなくなったのを確認するやいなや、彼はつかつかとパソコンに歩み寄り、慣れた手つきでマウスを操作してフォルダを開いた。

 画面に幾つかのデータが表示される。

 ファイル名が日付になっていて、昨日から一週間前――八月十七日までの映像データが保存されていた。


「二十二日のデータは……っと、これだな」


 雷馬がファイルをダブルクリックすると、ウィンドウが開いてカメラの映像が映し出された。画面の右下には、忙しなく絶えず変化し続ける時刻が表示されている。

 午前零時から再生されるようで、犯行時刻まではかなり時間がかかる。全部まともに確認するわけにも行かないので、十三時間を早送りで、たったの一時間ほどで体験してしまった。

 時折人が通ったり、カラスが飛んできたりするくらいで、他には差異など何もない。タイムカウンターだけが目まぐるしく動くばかりで、静止画を見せられているようだ。

 と、その時だった。

 画面の下から、奥の方に向かって歩いていく、制服を着た長い黒髪の女子高生が現れたのだ。昼間だというのに薄暗い路地を、身体を前に傾けながら、気怠そうに歩いている。

 その小脇に抱えた学校鞄には、大きなストラップが付いていた。それは灯の数少ない友達が、彼女の誕生日にプレゼントしてくれた、手作りのマスコットだった。

 雷馬は一旦映像をストップさせ、時間を確認する。


「これだ。午後一時三分」


 再び再生を始めると、そのすぐあとに、同じく画面の下から、今度は黒いシャツに黒いズボンと全身黒ずくめの男が現れ出てきた。


「で、その後ろから来ている、こいつが犯人か」


 男の右手には、鉄パイプが握られている。きょろきょろと辺りを見回し、明らかに挙動不審である。

 ――と、そこへ、黒い物体がカメラの前を横切った。

 前のめりになって画面に意識を集中させていた灯は、その予期せぬ出来事に、思わず身体をびくりと反応させる。対して、雷馬のほうは微動だにしていなかったので、ばつが悪そうに彼女は一つ咳払いをした。

 黒い影は、壁に張り巡らされている配管の上に止まった。

 黒衣の羽に身を包んだそれは、首ごとひょこひょこと動かしながら、知的な輝きを宿した瞳で周囲を窺っている。

 不吉の象徴ともされる鳥――カラスであった。

 それが今、地上を歩く二人の人間を見下ろし、喉を震わせ嘴を大きく開閉した。

 刹那、タイミングを計りながら、そろりそろりと歩みを進めていたカラス同様黒ずくめの男が、とうとう踏ん切りをつけたらしい。突然早足になったかと思うと、一気に鉄パイプを振りかぶり――、

 振り下ろされた鉄パイプが頭に直撃したのか、何も気付かぬにいた女子高生はその勢いのまま、前につんのめる形になって倒れ込んだ。これだけでも十分に致命傷だっただろうが、男はさらに倒れた彼女に追撃を加えている。

 灯の脳裏に、自分の最後の記憶がフラッシュバックした。

 後頭部を殴られ、意識を失う自分。そればかりか、こんな追い打ちをかけられていたとは。

 カメラには音が収められていない。無音の中で静かに進行していく凶行。画面を通したそれは、さながら映画のワンシーンのように、灯の眼には映った。

 想像以上の惨状に、灯は思わずパソコンから目を逸らした。


「随分と間抜けな犯人だな。人目を気にしている癖して、防犯カメラにも気付かず犯行に及ぶなんて。まあ、相手が悪かったな」


 しかしそんな映像を見ながらも、雷馬の表情はぴくりとも変わらない。その声音も世間話をしていた時と同じである。無能な犯人に対して、どこか蔑んだような響きを含んではいたが。

 画面の中では、もはやぴくりとも動かないだらりとした肉体を、犯人がそのまま奥へと引きずっていき、停めていたワゴン車の中に押し込むところだった。それから男は再び路地に戻ってきて、散乱した血痕を拭き取り始める。配管の上にいたカラスは、惨劇が終わると飽いたらしく、再び一鳴きしてから両翼を羽ばたかせて飛び去った。

 と、その時――、


「犯人がこっちを向いたな。顔もばっちり映ってる。どうだ、この顔、見覚えあるか?」


 雷馬が映像を停止させて、確認を取ろうとした。

 だがその顔は、灯にとってはまるで面識のないものだった。

 きっと、衝動的に思い立って、こんな通り魔的な犯行に至ったのだろう。

 そう思うと、灯の心の中に憤怒が湧き立ち始めた。

 こんな誰ともわからないような男に、私は殺されたっていうの……?

 灯は平穏ではあったが幸福だった日常を奪い去った、その男の顔を脳裏に嫌と言うほど焼き付けた。

 必ず、必ず、呪ってやる。

 口惜しさに灯はまた涙が出そうになったが、雷馬の手前、必死でそれを押し殺した。


「全然、こんな男、見たこともない」


 絞り出すように放ったその声は、自分でもぞっとするほどに冷徹な抑揚を孕んでいた。

 しかし雷馬はそれに気付かず、


「まあ、画質もそこまで良くないからな。あとはこのデータを警察に持って行って、詳しく解析して貰えば、すぐに犯人も捕まるだろう」


 椅子から立ち上がって呑気に伸びをして、彼は灯に向き直った。


「さて、せっかくだから近くの喫茶店かどこかで、祝杯でもあげる? って、君は食事とかは食べられないのかな?」


 しかし灯は、それどころではなかった。そもそも灯は幽霊になってからというもの、一度も空腹や口渇を覚えたことがなかったから、食事を摂りたいなどとも思わなくなっていた。


「すみません、今はそれより、せっかくここまで来たから、お母さんに会いたいと思うんです」


 灯の家は最早目と鼻の先。そこに母がいるのだ。

 山中の川面で目が覚めて、この異常な事態に巻き込まれてから、どれほど母との再会を待ちわびていたか。

 毎日嫌という程顔を合わせている母の存在が、どれほど自分の中で大きいものだったのか、それを強く痛感させられたのだ。

 早く会いたい。母には見えなくとも、それでも構わない。


「……そうか。それもそうだな。じゃあ、丁度いいし、俺も君のお母さんに報告に行くよ。犯人の正体を突き止めたって言えば、きっと少しは安心するはずさ」


 雷馬は店頭に戻った相良に、映像のデータを借用する旨を告げた。するとすっかり雷馬を刑事と信じ込んでいる相良は、気を利かせて店に並んでいるUSBメモリの一つを無償で差し出してくれた。

 雷馬もどうもすみませんなどと言ってはいるものの、口先だけでその実全く悪びれた様子はなく、むしろ渡りに船とばかりに躊躇すらせずに受け取っていた。

 データをメモリに転送して電気店を後にすると、路地裏の傍で足を止め、スマートフォンを取り出し、おもむろに電話をかけ始める雷馬。

 灯が耳をそばだてていると、電話口から僅かに漏れ聞こえてきた声に、彼女は言い知れぬ懐かしさを覚えた。それは、長いようで短い十七年の人生を共にしてきた、灯の母の声だ。

 無事、これから来訪する確約を得たらしく、雷馬は電話を切ると、灯と共に彼女の家へと向かおうとした。

 そこへ――、


 ――ぎゃあ、ぎゃあ。


 頭上から濁声が降ってきた。

 身体を竦ませた灯が、思わずそこに目をやると、先程看板の上に止まっていたカラスが、まだそこにいた。その黒い瞳が、幽霊のはずの灯を捉えているように見えた。

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