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第12話 告白は愕然と共に

 まるで、憑き物が落ちたように、母の眼からは陰鬱な影が消え、どことなく安堵の表情に変化したように、灯には見えた。

 もうこれ以上、嘘を吐き続けなくていい。神経を張り詰めさせて、被害者遺族としての演技を強いられる必要もない。

 そうした束縛の一切合切から解放された、どこか気の抜けたような顔だった。

 しかしそれは、灯にとっては信じたくもない事実の表層化に他ならなかった。


 証拠はある。きっと本当に、お母さんがやったんだ。雷馬の言う通り。

 でもそんなこと、受け入れられるような話じゃないよ……。


 灯はもう、さっさとあの世に行きたい気分に駆られた。

 こんな現実を突き付けられるくらいなら、何も知らないうちに成仏していればよかった。

 またしても、灯は神を恨んだ。斯様な過酷な運命ばかりを与えるサディストを。

 灯は膝から頽れ、哀願するように母を見上げた。嘘だと言って欲しかったのだ。否定して欲しかったのだ。


「そんな……お母さんが、どうして……? だいたい、どうしてわざわざ監視カメラに映るような場所で、私を殴る必要があるの? 偽の犯行をやる場所と同じ場所でやる必要なんて、全然ないじゃない。まるで……まるで、私を騙すためにやってるみたいじゃないの」


「それは……、おそらく、その通りだろう」


 雷馬は苦汁を舐めたような顔で、灯を見下ろした。


「ど、どういう意味?」


「この犯行の一部は、君を騙すためのものだったんだよ。睡眠薬で一日の間眠らせてから殺すことで、路地裏で殴られたのと、殺されて山奥に棄てられたのが同じ日だと錯覚させるようにしたのも、監視カメラに映ってしまうことを知りつつも、敢えて路地裏で君に襲いかかったのも、全部君を騙すためのものだったんだ。

 この家にカレンダーの類がないのも、長期休暇で特に部活もバイトもしていない君の曜日感覚を狂わせるため。そうすれば、襲われたのが二十一日なのか二十二日なのか、はっきりわからなくなるからね。それにこの二日は水曜と木曜だ。週の中間のこのあたりは、特に曜日感覚が狂いやすくなるし」


 確かに、灯は最初、自分の最後の記憶の日付をはっきりと思い出せていなかった。あるのは八月の第四週くらいだという、漠然とした記憶のみ。

 それを、現場にいた刑事が言っていた死亡推定時刻で、完全に二十二日だと思い込んでいたのである。


「な、なんで? なんでそんなことをする必要が……」


 灯はなり振りも構わず尋ねていた。

 しかし、彼女は気付いていなかった。突然雷馬が見えない存在と会話を始めたというのに、まるで動じていない母の姿に。


「もう君にもわかるだろう。今こうして、君と普通に話している状況を、まるで平然と受け入れているお母さんの様子を見たら」


 それを雷馬に指摘され、ようやく母に視線を向けた灯は、その意味を素早く悟った。


「ま、まさか……。お母さん、わ、私のこと……」


「ええ、見えているわ」


 その衝撃は、自分が死んでいることを認識せざるを得なくなった時と、殆ど大差のないものだった。

 間違いない。自分の言葉に、母が反応している。自分の姿が見えている。

 昨日のうちに知っていたら、きっと何の事情も知らず大手を振って喜んでいただろうが、今の灯はとてもそんな気分にはなれなかった。

 むしろ、愕然とする思いだった。


「そ、そんな……」


「おそらく、俺たちが一緒にここへやってきたあの時から、君の姿はずっと見えていたんだろう」


 雷馬は全てを見透かしたかのように、訳知り顔で呟いた。


「ええ、その通り。でも、どうしてわかったの?」


 灯の母が不思議そうに尋ねる。自分では、ばれないようにと最善を尽くしていたつもりだったのだろう。


「貴女がドアを開けて俺たちを迎えた時、ちょっと驚いた様子を見せて言いましたよね。早く来たものだから驚いたって。それがおかしいと思ったんです」


 灯には何が不自然なのか、まるでわからなかった。

 来客が思っていたより早く来たら、驚いてたっておかしくないはずだ。


「おかしいって、何が? 別に普通じゃない」


「ちょっと考えてみればわかるだろう。お母さんが扉を開ける前に、俺はインターホンを押して、自分の身分と名前を名乗っている。探偵が早く来すぎて驚いたのなら、そのインターホンを受けた瞬間に驚くはずで、扉を開けた時に驚く必要はない」


「あっ……」


 そう言われて、やっと雷馬の言わんとしていることに気づいた。

 そもそも今朝だって、母が雷馬の唐突な来訪に驚いたのは、インターホンに出た、まさにその時だったではないか。


「俺はその時正装でしたし、髪型も奇抜なものではなかったです。驚く要素なんて、扉を開けた時にはありませんでした。だとしたら、あの時貴女は何に驚いたのか。考えられるのは一つ。俺の後ろにいた、娘の灯さんの姿に、です。自分が殺したはずの娘が、何故かわからないが探偵と一緒に、そこに立っているんですからね。そりゃあ驚くはずです」


 そんな細かい違和感を発展させて、ここまでの推理に仕立て上げるなんて。

 灯は現状を忘れて、彼の探偵としての素質に脱帽した。


「そして、俺が日付のことを尋ねて、携帯を探しにリビングを出ようとした時、貴女は思わず出口の側に立っていた灯さんを、無意識のうちに避けようとしてしまった。それで、咄嗟に眩暈を起こしてよろめいた演技をして、それを誤魔化したんじゃないですか? 見えていないはずの彼女を避けてしまったら、俺にも彼女にも、貴女が本当は見えていることに気付かれてしまいますからね」


 あの眩暈も演技だったのか。

 母の咄嗟の判断もさることながら、雷馬の底知れぬ観察眼に、灯は驚嘆の息を漏らす。

 しかしそうなると、愈々灯の内心で膨れ上がる疑問の気泡が、破裂飽和点に達する。


「でも、どうして見えないふりなんて」


「それは――」


「自分が殺してしまった娘に、合わせる顔なんてなかったからよ。かなぐり捨てたはずの罪悪感が押し寄せてきて、とてもこれまでのように普通に話しかけることなんて出来なかったから」


 雷馬の声を遮り、母が灯に対して言った。しかし、その視線は彼女の方を見ていなかった。

 灯から少しずれた、何もない床上に、ぼうっとした焦点の定まらない目を向けている。


「お母さん……」


「おそらく、彼女は最初から、君が幽霊となって現れるかもしれないことを、予期していたんじゃないかと思うよ。だから、ドアを開けて彼女の姿を見た時も、あまり気を動転させることなく、すぐに何も見えないフリをすることができた」


「ええ、そうよ。馬鹿馬鹿しいとか、ありえないとか言うかもしれないけど、私は昔から、所謂”視える”体質だったから」


 “視える”体質。

 それはつまり、幽体のようなものを視認できる能力を持っていたということか。

 灯には父が死んだ後のことが思い出された。

 毎晩毎晩、呻き声のように声を沈めて、何かに怯えながら祈りを捧げていた母。

 あれはもしかしたら、その能力のせいで、何かを見ていたからではないか、と。

 しかしそれを尋ねるよりも、母が雷馬に訊くほうが先だった。


「でも、どうしてあの映像がフェイクだとわかったの?」


「歩き方ですよ。人間の歩行はつま先重心とかかと重心の二つに大別できるんです。前者は上半身を前に倒して、その勢いで前に歩くという歩き方。後者は足裏で地面を強く蹴り出し、腰から前に進むような歩き方。すなわち、姿勢と推進力が異なるんです。

 それに照らし合わせると、映像の中の女子高生は前者、そしてこれは奇しくも、真子さん、貴女の歩き方でした。そして後者が、灯さんの歩き方だったんです。それで思ったんですよ。ひょっとすると、あの映像に映っているのは、灯さんじゃないのではないかと」


「幽霊である灯の歩き方を見て、映像との違いがわかっちゃったってわけね」


 タネがわかれば何ということはないとばかりに、母の声音は拍子抜けしたようなものだった。


「ええ、第三者の視点であるからこそ、その歩き方の違いに気付けたんです。当人は自分の歩き方を客観的に見る機会なんて、そうないですからね。それに歩き方というのは、普段の動きの中で全く無意識のうちに出てしまうもの。あの映像に映っていたのが灯さんだとしたら、その日はたまたま意識して歩き方を変えていたことになる。しかし彼女は、全くそんな記憶を持っていませんでした。とくれば、これは明らかに彼女ではないのだろう、と推論できます」


 雷馬は指を立てて、さらなる論拠を示していく。


「そしてもう一つが、カラスへの反応でした。

 映像には彼女が殴られる直前、カラスがすぐ近くの配管に止まって、それから一回鳴いている様子が映っています。鳥のはばたきや鳴き声というのは、思いの外大きいものですから、あの距離で彼女が気付かないはずがない。桂川の方は、その音に驚いた拍子に早足になって、後に引けずに殴りかかったというのに。それに、監視カメラの確認で、俺たちが電気店から出た時、彼女はカラスの鳴き声に驚いて、そちらに視線を向けるという反応を見せました。それなのに、映像の中の彼女の方は、それに対して何の反応さえ示していないんです。これはちょっと妙だなと思いました。

 歩き方の件と総合すると、映像の中の彼女は灯さんではない人物だった。だから音に反応して、音源に顔を向ける行為ができなかった。そんなことをすれば、自分の顔がカメラに映ってしまうから、そう推理しました」


「全く、幽霊をも騙すつもりが、その幽霊の存在で、逆に足元を掬われるなんてね」


 自嘲気味に母は皮肉を漏らした。


「そんな……どうして、騙したの?」


 灯は母を問い詰める。悲愴、怒気、混迷、当惑。様々な思いで、灯の顔はぐしゃぐしゃになっていた。


「殺した実の娘に祟られるのが、嫌だったのよ。もうあんな目には会いたくなかった。もしも灯が幽霊になったとしても、桂川を犯人だと思ってくれれば、彼に取り憑いてそれで成仏されると思ったの」


「あんな目とは、貴女の夫――灯さんのお父さんのことですか?」


「わかってたのね。ええ、そうよ。あの人、私のことを恨んでいたから、化けて出てきたのよ。毎日毎日呪いの言葉を私の横で囁き続けて……。気が滅入りそうだった。毎晩、灯のために私は死ぬわけにはいかない。許してちょうだい。貴女も灯を死なせたくはないでしょう、って祈り続けた。そうしたら、いつの間にやら私の眼の前から姿を消してくれたけど」


 雷馬と母との間で、話はとんとん拍子に進んで行く。自分が被害者だというのに、その存在が蚊帳の外になっている気がして、灯は思わず尋ねていた。


「どうしてお父さんがお母さんを恨む必要があるわけ?」


「それは……」


 それまで、罪を認めて告白をしていた母の表情が、一気に曇った。灯の目を見ようともせず、その先を言い淀んだまま。

 それを見かねてか、雷馬が灯に逆に問い質した。


「……おそらく、俺の推理が正しければ、そこから先の話は、君が真実を知ったら、多分相当なショックを受けるものだと思う。その覚悟はあるか? それでも、それでもなお聞きたいか?」


 灯を真正面から捉えたその目は、吸い込まれそうなほどに真剣そのものでありながら、どこか哀れみを含んだような、悲しげなものだった。

 そんな顔で見詰められて、灯はもうこれ以上先を聞きたくはなかった。耳を塞いで、何もかもから逸脱したい気分だった。今すぐにでも、叫びながら部屋を飛び出て行きたい。

 そう思いながらも、しかし一方で、聞かずにはいられなかった。


「……うん、もうここまで聞いたんだもの。最後まで見届けさせて。覚悟はする」


 嘘だった。覚悟なんて出来ていない。しかし、このまま事実を隠され続けるのは、もう沢山だった。

 知りたくない。でも、全てを知っておきたい。

 そんな相反する感情が、灯の中でぶつかり合っていた。


「じゃあ、話すわ……。実はね、あの人――貴女のお父さんは――」


 嫌だ、聞きたくない。

 背筋に這いよる悪寒から、ひしひしと嫌な予感を覚える。

 しかし、灯は口に出して、母の告白を止めることはしなかった。

 どれだけ嫌でも、聞かなければならない。ある種の使命のようなものを抱いていたからだ。


「子供のできない身体だったのよ」


 それが何を意味するのか、灯にはすぐにわかった。

 これこそ、その嫌な予感の正体だったのだから。

 しかしそのすぐ後に、母の放った一言で、灯はそれ以上のさらなる衝撃を受けた。


「貴女は、本当は私と桂川との間にできた子だったのよ」


 桂川――。

 私の本当の父親は、桂川佑――?

 灯はもはや驚き通り越して呆然としたが、その最中にも、悲しいことに頭の中では、ありえない話ではないかもしれないと思い始めていた。

 ほんのわずかだったが、取調室で目撃した、弱気で陰気な桂川の性格が、自分のそれとどこか似ているような印象を受けたからだ。


「……嘘よ」


 それでも、灯は否定した。

 すんなりと受け入れるには、あまりに重すぎる事実だった。

 母はそんな灯を宥めるように、静かに語り始めた。


「嘘じゃないわ。東京に来る前に、既に私は貴女を身籠っていた。でもちゃんと避妊はしていたから、まさか桂川の子供だとは思わなかったわ。

 リストラで仕事をクビになっても、あの人――私の夫は灯のために再就職先を探していた。そんな折に、病院のDNA検査であの人は自分が無精子症だとわかって、貴女が自分の子供じゃないと把握したの。私にずっと騙されていたことを知って、それであの人は自殺してしまった。だから、私を恨んでいたのよ」


「……嘘」


「風の噂でそれを聞きつけた桂川は、東京へやってきて、私に謝ったわ。自分があの人を殺したも同然だって。だからその罪滅ぼしをさせて欲しい。君の言うことは何でも聞く。だから許してくれって。これは使えると思った。だから、今回の殺人で利用させてもらったのよ。ただ、桂川は罪を被る覚悟はあっても、殺人を犯す度胸を持ち合わせていなかったわ。だから、私がこの手で、貴女を殺したの」


「彼女を殺害したのは、彼女にかけた保険金目当てですね。旦那さんの残した保険金が底を尽きかけている上、安月給の貴女では灯さんを養っていく余裕がなくなっていた。彼女を殺せば、もう扶養する必要はなくなり、さらに保険金がたんまりと入ってくる。ただ、法律では、自殺の場合に会社が保険金を支払う必要はない。おそらく、彼女にかけた生命保険は、自殺では保険金が下りない契約になっていたんでしょう。だから警察が事故から自殺に切り替えて、困ったことになった。

 それで、貴女は俺を探偵役として選び、この事件の真相へ辿り着かせようとした。貴女の作った、偽の真相へとね。保険金目当ての殺人でなければ、事故で死亡した時と同様、満額引き下ろされますから。ストーカー桂川の衝動的な犯行となれば、まず間違いなく保険金は下りたでしょう」


 淡々と口を挟む雷馬に、灯はきっと睨みを利かせた。

 彼はそこまでわかっていたのだ。それを踏まえて、灯に事実を知る覚悟があるかを事前に確認したのだ。

 もちろん、彼は何も悪いことはしていない。悪いのは母と桂川。

 しかし、それは灯には想像以上の過酷な真実だった。だから、攻撃的にならなければ、とても心が保てそうになかった。


「嘘よ! そんなの嘘! 嘘って言ってよ!」


 感情を露わにして、掴みかかる勢いで母に飛び込む灯。

 しかしその身体は、霧の如く母を通り抜けるだけ。バランスを崩した彼女は、音もなく再び床に倒れこんだ。


「なんで、なんでこんなこと……。私、私、そんなにお金に困ってたんなら、学校なんか辞めて働いたのに……。お母さん、どうして」


 床につけた掌を握り拳にして、灯はうずくまった。

 感情的な彼女とは対照的に、あくまで母は静かだった。娘に全容を知られてしまったことで、そうした激烈な感情からは超越してしまったかのように、彼女は無感動だった。


「疲れちゃったのよ、私。貴女を育てていくのも、働くのも。貴女がいなくなってくれたら、もっと楽に暮らせるのに、ってそんなことばっかり思うようになっちゃってたの……。ごめんなさい、私母親失格ね。貴女にお母さんなんて言われる道理はないわ。今更謝っても、もう取り返しもつかないけれど……」


 何の抑揚もない、機械の合成音声のような言い方。

 自分勝手な言い分に、灯はほとほと呆れ果てた。

 より一層、ぐっと拳に力が加わる。

 母と過ごした十七年間の光景が、脳裏にすうと横切っていく。

 その中で灯は母と笑い、母に怒られ、泣いて母に縋る、自分の姿を見た。それらひとつひとつが、彼女にとってはかけがえのない思い出。壊したくない記憶だった。


「貴女がやりたければ、祟っても呪っても別に構わないわ。私はそうされるだけのことをしちゃったんだから……」


 観念したように、潔くそう口にする母の表情は力なかった。目は虚空を眺めている。自重に耐え切れず、ずるずると母の身体が下がった。

 灯はそれを聞いて思い出した。

 犯人を見つけたら、どうしようと考えていたのかを。

 あの人里離れた山の中で、彼女は誓っていた。

 自分の日常を破壊した犯人に、恨みと呪いの鉄槌を下すのだ、と。

 彼女は力強く立ち上がった。床に弱々しく倒れ込んだ母を見下ろし、そして言った。


「そうよ。私、お母さんのこと、全然許せない。だから、もう決めたわ――」

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