いきなり、バーチカルでリアリティな世界ですよ
――いきなり、バーチカルでリアリティな世界ですよ。
僕はそう言って、主人であるビケンシさんを起こしました。ビケンシさんは、それを受けるとカプセルの蓋を開け、眠たそうな目をこすりながら、ゆっくりと出てきます。
「“バーチカルでリアリティな世界”って、何だよ? バーチャルだろう?」
そして、出て来るなりそう言いました。僕は首を横に振ります。
「いいえ、“バーチカル”で合っていますよ。この世界は、当に垂直直下で脳に衝撃を与える世界なもんですから」
「意味が分からないよ」
「でしょうねぇ」と、それに僕。じっと僕を睨むビケンシさん。僕は思いっ切り目を逸らします。ちょっとおちょくっているんじゃないかってくらいの感じで。
「お前な、」とビケンシさんは言います。「自分の立場を分かっているのか? お前はこのオレが雇ってやっているお蔭で生活できているんだぞ?」
僕は肩を竦めながらそれに応えました。
「ええ、もちろん分かっていますよ。あなたには僕のような“人間”を雇っていただいているのですから」
ビケンシさんは大きく頷きます。
「ああ、そうだ。本来ならロボットで充分なところを、敢えて人間であるお前を雇っているんだ。感謝しろ」
僕はそれを聞いて目を細めました。反論してやろかと思いましたが、何も言いませんでした。言えば面倒なことになるのは分かり切っていましたし、今は彼を怒らせるのは得策ではありません。本当は僕を雇っているのは彼ら自身の為でもあるのですがね……。
ロボット技術が発達をし、およそ人間に可能な仕事のほとんどをロボットができるようになってから随分と経ちました。今のこの社会では、ロボットが料理を作って、ロボットが農地を耕して、ロボットが小説を書きます。ロボットにできるんだから、わざわざ人間を雇ったりはしません。つまり、この社会では全ての人間が失業者です。結果として、この社会のほとんどの富を、ロボットの持ち主が独占することになってしまったのです。この社会では、ロボットを持っていれば持っている程、金持ちって感じです。そして、僕の主人のビケンシさんは、大ロボット主だったりするのです。当然、大金持ちです。
ただ、ですね。お金っていうのは循環しているものです。失業者になった僕らのような人間に収入がなくなって何も買い物をする事ができなくなれば、当然、そのロボット主達の収入もなくなります。そんな状態じゃ、ロボットが料理を作っても、農地を耕しても、小説を書いても無意味です。売れませんからね。そして、それじゃどうしようもないってんで、彼らロボット主達は渋々ながら人を雇うようになったのでした。ほとんどの人間が飢えて死に絶えて、ロボット主達だけがロボットに養われている社会なんて、シュールで皮肉な冗談みたいに虚しいだけですから。
もっとも、実を言うのなら、彼らロボット主達にだって、人間を雇うメリットはあるのです。例えば、遊び相手。ロボット相手にゲームをして勝っても手加減されているのが丸分かりですし、従うのが当たり前のロボットに命令しても優越感だって感じられません。だから人間を雇って、自分の優位を示すことで彼らの多くは満足を得ているのです。これは人間じゃなくちゃできないでしょう。だからある意味じゃ、人間の仕事が残されているとも言えるのですが、何とも悲しいヒトの性だとも思ってしまいます。
「何一つ、オレに勝てないお前が、このオレを見た事もないバーチャルな世界に案内するって言った時はビックリしたぜ」
そうビケンシさんが言いました。
“何一つ、オレに勝てないお前”。
その言葉に僕は再び目を細めます。本当にそう思っているのだな、この人は、と。当たり前ですが、僕らは雇い主に気を遣ってわざと負けたりなんだりしているのです。ロボット主でも勘の良い人なら気付いているでしょうが、彼のように気付いていない人もいます。
「何度も言いますが、“バーチャルな”世界ではありません。バーチカルです」
僕がそう応えると、ビケンシさんは肩を竦めました。
「どっちでも良いんだよ、そんなのは」
「はぁ、そうですかねぇ」
ビケンシさんは、自分は優秀な人間だと心の底から信じています。因みに、“ビケンシ”とは本当は“美剣士”と書きます。自分で付けたバーチャル世界での名前だそうです。美剣士なんて漢字にすると、思わず目を細めてしまいそうになるので、僕はカタカナで“ビケンシ”とそう表現しているのですが。
ビケンシさんは、カプセルから出て、少し歩くとこう言いました。
「しかし、このバーチカルな世界とやらは、少々動きにくいな。脳のチップとの接続が悪いんじゃないか?」
「そうですねぇ。あなたの場合は、そうかもしれません」
「なに?」
「ずっとバーチャル世界にいっぱなしですから。ここは馴染み難いだろうって話です」
そうなんです。このビケンシさんは、ずっとバーチャル世界で暮らしていて、現実世界にはほとんど出てこないのです。何しろ、彼が自ら現実世界に顔を出すのを、僕は見た事がないほどですから。
「まぁ、そうだろうな。お前なんかがよくいる世界じゃ、オレみたいな高級バーチャルばかり体験しているセレブには合わなくて当然だ」
そう言ってから、ビケンシさんはガラス窓に映っている自分の姿を見やりました。そしてこう言います。
「おいおい。なんだ、この姿は。この世界じゃ、こんな姿しかないのか?」
「贅沢を言わないでください。この世界では、自由に姿を選べないんですよ」
「そうなのか? それにしても、この姿は酷いぞ。まるで豚みたいじゃないか。醜いったらない」
「それは同意しますがねぇ」
そう応えてから、“それでもバーチャル世界での、名前通りの美剣士な姿よりはマシだと思いますがね”と、僕は心の中で呟きます。自分で自由に姿を選べる世界で、美貌とか有り得ないでしょ。
「しかし、お前はいつもバーチャル世界で見る姿と変わらないじゃないか」
「ええ、それはそうです。バーチャルな世界での僕の姿はこの世界の使い回しですから」
「なんだ。そうなのか? 貧乏人は辛いな」
「そうですねぇ」
仮に金持ちになったとしても、ビケンシさんのような姿にはしませんが。それから彼はこう尋ねてきました。
「しかし、この世界のどこが見た事もないような世界なんだ? 質感は重いが、繊細さが足りない。ちっとも美しくないぞ? いつものオレがいるバーチャル世界の方が、ずっと素晴らしい」
僕はそれにこう返します。
「それは心配しないでください。あなたに見せたいのはこの上の光景ですから」
「上?」
「はい」
ビケンシさんを起こした場所は、高層ビルの最上階なのです。だから、その上には、もちろん屋上があります。
僕はそれから「こっちです」と言って、彼を案内しました。近くにある階段を昇ります。
「ちょっと待て。この世界は重いんだよ」
「でしょうねぇ」と彼を見ながら僕。よく肥えていますから。仕方なく足を止めて待ちます。するとその間で彼はこんな事を言って来ました。
「そう言えば、お前の元恋人のアカネちゃんな、すっごく可愛いぞ。オレの第五夫人にすることにした」
僕はそれを聞いて固まります。そして、一呼吸の間の後で、
「へー、そーですかー」
と、そう返しました。
……僕には恋人がいます。“元”じゃありません。名前はアカネちゃん。僕がこんな男の下で我慢して働いているのも彼女と結婚して仕合せに暮らしたいからで、それがなかったらさっさと賃金が安くてももっと人の好いロボット主の所に行きます。
ところがです。
僕がアカネちゃんのことを話し、「彼女を仕合せにしたいんです」とそう言うと、こいつは「なら、その願いを叶えてやろう」と、アカネちゃんを手込めにしてしまったのです。金を使って彼女の両親を買収して。両親に懇願されて、彼女は逆らえなかったそうです。バーチャル世界で“した”そうなので、こいつの醜い姿を見ずに済んだのだろう点がせめてもの救いですが、それでも彼女は酷く傷ついていました。
信じられないのは、この男が本当にそれで彼女が仕合せになったと思い込んでいる点です。しかも、僕もそれに満足をしているとまで思っているよう。
真っ当な神経じゃないでしょう。
単にロボットを多く持っている家に生まれただけなのに、ここまで自己が肥大化するとなるとおぞまし過ぎてむしろ滑稽です。
「さぁ、着きましたよ」
僕はそう言いました。
ビルの屋上です。それを聞くと、ビケンシさんは言います。
「ほぉ、風当たりが強めで、迫力がある。思ったよりは良いじゃないか。このバーチャル世界は」
「ですから、バーチャルじゃなくてバーチカルです」
「どうでも良いよ。しかし、少し寒いな。安い世界だから、そういう調整がされていないんだな」
僕はそれを聞くと、上着を取り出しました。
「そう思って、用意しておいたんです」
「おお、気が利くな。まぁ、当然だが」
その上着を着込んで温かくなったからか、ビケンシさんはそれから屋上を嬉しそうに歩き回り、一番見晴らしが良い場所を見つけるとこう言いました。
「よし! 決めた! オレは今から、ここから飛ぶぞ!」
ビケンシさんはバーチャル世界でも、高い所からダイブするのが好きなのです。バーチャル世界では、落ちても死にませんから。僕はそれを聞いてこう言います。
「止めておいた方が良いですよ。この世界は、普段、あながたいる世界とは違います。ショックに耐え切れません」
ところが、それを聞いてビケンシさんは「いいや、絶対に飛ぶ!」とそう言い張ったのでした。反対されると、むしろ強くそれを主張する。まるで子供です。
「オレはバーチャル世界で飛び慣れているんだ! これくらいで精神はショックを受けない! 心配するな!」
それからビケンシさんは、そう叫ぶとビルの上から大きくジャンプしました。そして、そのままビルの下に落ちて行きます。
それを見て僕はこう言いました。
「あ~あ、本当に飛んじゃった。あんたは飛んでもただの豚なのに」
下を見てみると、コンクリートの地面にぶつかって醜く潰れているビケンシさんの姿がありました。その姿に向け、僕は言います。
「ね、ビケンシさん。バーチャルな世界じゃなくて、バーチカルな世界だったでしょう? この現実世界は」
垂直直下で脳に衝撃。
ここ最近、あまりにリアルなバーチャル世界に慣れ過ぎて、現実世界で事故を起こす人が増えているのですが、恐らく、今回の件もその一例として処理される事でしょう。
このシリーズに、ブラック・ユーモアは似合わないな
と思ったので、敢えてやってみました。