表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

灘岡湖警備隊

作者: 竹下力

いやーん。

 どんなお願いが神様に叶ったって、結末が幸せで、その状態がエンドレスに続かなければ意味がないのに、願いごとはその時だけしか叶えてくれない星のキラメキ。だから、僕たちはいつだって願いごとをしながら生きていかなくちゃいけなくて、窮屈になって必死になって、どんな希望のつまった願いごとも、それがまがいものなら、叶えたってしかたがないと諦めてるのに、僕らはそのまがいものを必死で叶えようとする。僕らは抱えきれない下らない願いごとをして、あくせくしながら生きていく。

 あげくに手に入れたのは、全く役に立たない真実ばかりで、馬鹿な嘘を信じていたほうがいいのに、それができないみたいだから、余計にあくせくする。あくせくすることがまるで生きがいみたいだけど、たとえ役に立たなくてもいいから、嘘より真実を感じていたい。真実にならない嘘だけで生きていたいなんて嘘に決まっているからさ。

 そう信じていた。湖の湖岸に座って、ずっと夜空の三億個の星空を見上げていれば、よけいに。百億光年先のどれかの星が死んで流星になって落ちていく。それが湖に映っていれば、不思議な気分だった。空と湖に流星がふたつある。まがい物と本物と。フェイクとリアル。その間には間違いがあるはずなのに、どちらも間違っている気がしなかった。

 子供の頃、流星の尻尾をつかむことができたなら、願いごとがたったひとつ叶うと母さんに教えられた。そういう話はいつだって眉唾もので信じられないクソ性格のくせに、母さんはそんな不信感タラタラな僕を見破って笑って抱きしめてくれた。「信じていいの。私もあなたが欲しいって流星に願ったから、あなたはここにいるの。流星の尻尾をつかまえて叶えたい願いごとは何?」

 僕は、湖と宇宙の流星、どっちを捕まえたらいいの? と母さんに尋ねた。怖かったのだ。僕は偽物の願いごとの産物かもしれない。どちらが本当の願いを叶えてくれるの? 母さんはどっちを掴んだの? だけど、母さんはそれについては教えてくれなかった。どちらの流星の尻尾を掴めば本当の願い事を叶えられるかはとうとうわからなかった。

 いずれにせよ、僕の最初の夢は、父さんに会いたいってことだった。父さんは灘岡航空自衛隊にいて、いつも金網の向こう側の世界の人だったからだ。一目だけでも会いたかったのだ。どうしてかって? だって父さんだからだ。僕はキリストじゃない。愛がほしかった。でも、母さんは父さんに会うことを禁じた。今思えば、父さんと母さんは離婚していただけなのだけど、そこにはとてつもなく深遠な謎があるような気がした。

 それは無理! って母さんは即答。

 ええ! って僕は側転。

「大丈夫」母さんは僕の頭を撫でた。「生きていれば答えはかならず見つかる。父さんに会えないのは辛いかもしれないけれど、苦しみの先にかならず幸せの答えはあるの」

「でも、流星の尻尾を捕まえれば願いが叶うでしょ?」と僕が尋ねた。

「残念だけど、かなわない願いもあるの。それは悲しいかもしれないけれど真実なの。流星は心の真実だけを叶えてくれるから。だから、仮に流星の尻尾を捕まえたとして、何を叶えてほしいのか、何を叶えたいのか、本当だけを心にしまっておくんだよ」そうやっていつも母さんは言った。「愛してるって言葉を磔にしたら、突き刺した銃剣が憎んでるって言葉になって、僕の胸を突き刺すに決まってるのに、余計に傷つけて、言い争って、泣きあったまま、抱き合ってさえいて、臆病になってしまう」

 それがただの言い訳めいた嘘だってことに気づいたのはすぐだった。だって人は臆病なまま強くなることだってある。母さんを責めないよ。それは、幾重にも絡まった編み物の毛糸みたいで、嘘と真実は、ゆっくりとゆっくりと解決できない答えを、正しいと思えるような質問を用意してくれていながら、それがほどけていくことはないからだ。

 齢をとって大人になれば、やっぱりどんな些細な願い事だってかなわないって思うようになった。だって僕らは、生きている証を得たいためにがんばったフリをする。そんなフリをしないと今日を生き延びられないからだ。そこに真実はない。それはいわば嘘という限定を生きているからだ。

 たとえば僕が灘岡湖警備隊の一員で、僕の愛した君が町一番のドラッグディーラーの愛人だってこと。君は湖の北側にある工場街の一番やばい場所のスラムで育った孤児で、盗みや強盗や恐喝や殺人や暴力やロケット砲をぶっ放して、全国指名手配の悪魔やろうのビッチだった。僕は町の小高い丘の上の進学校に進んで防衛大学を出て、灘岡湖警備隊に配属されたエリート。自慢じゃない。君は落ちぶれすぎた汚れもんで、僕はエリートのクソ野郎だった。もうそれだけで水と油みたいな。ラードと真珠みたいな。だけど一緒になりたかった。それだけは真実だから、その願いは本当なんだ。だろ?


     *


 僕らは一度だけ出会った。子どもの頃、やっぱり父さんに会いたくて、母親の言いつけを破って内緒で、父さんに会いにいったのだ。灘岡自衛隊に行った。もちろん自衛隊は鉄条網で囲われていた。僕はそこを乗り越えようとした。いっせーのせってジャンプして金網に飛びついて、飛び越えたかった。たとえそこに苦しみが待っていたとしても、父さんに会いたかった。今思えば、会ったところで何がしたかったのかはわからない。でも会いたかった。会って大好きだよと言いたかった。大好きだって言える相手がほしかったから。僕が自衛隊の鉄条網をよじ登ってトゲトゲに突き刺さってこんがらがって傷だらけになっていたとき、「帰れ帰れ」と檻の中にいる自衛隊の警備の人たちに笑われて泣いていたとき、君が僕のそばにやってきて、僕をずり下ろしてくれた。それだけで引っ掻きキズだらけだけど、僕の血だらけの手のひらに服を破いて巻いてくれた。小さなヘソが見えた。ヘソは可愛くて綺麗だった。そのくせ君は顔じゅう泥だらけで、服はボロボロだった。

「大丈夫。ぜったいに乗り越えられるからね。だから乗り越えてみなよ。私が支えてあげる」って僕を持ち上げたんだ。すごい力だと思ったんだけど、ちょっと待て! てっぺんが鉄のトゲトゲだらけなんだけど? 鉄のトゲが! トゲだって! いっせーのせっ、って声が聞こえた。あわれなスーパーマリオかと突っ込んで、僕は空中でバタついたら落下して、鉄条網のトゲトゲに絡まりまくった。さすがに自衛隊の人たちが慌てて一本一本棘を抜いてくれた。そのおかげで檻の中に入ることができたのだ。「よかったね」と君はスタスタと歩いてった。お尻がプリプリしてた。「まったく、あいつらスラムのやつらはどうしようもないな」。だけど僕は君の後ろすがたを見ていると心はバラバラになった。

 そのあと、自衛隊の人たちが、あきらめ顔でそんなに言うならと父さんのいる宿舎まで連れて行ってくれた。だけど、父さんは、宿舎で、同じ自衛隊の吹奏楽部の女の人とキスをしていた。僕は何も言わずに黙って帰った。そのときから僕の願い事は変わったんだ。君のすべてになりってことに。

 父さんに会いたいなんて嘘だから叶わないと思うようになったし、母さんの忠告通りだった。だけど真実の願い事なんて叶わないと思うようにもなって、そうやって僕らは大人になった。だって、君は町を取り仕切るマフィアのボスと結婚したからだ。君が教会でライスシャワーを浴びているのをみながら、僕ら灘岡警備隊は君たちを警備した。ヤクザ同士のドンパチが起きないように。どうして君なんか好きになってしまったんだろう? ウェディングドレスを着て教会の階段から降りてくる姿が綺麗ったらなかったな。涙が止まらなかったんだ。流星のタトゥーだって肩に彫ってた。太ももにドラゴンのタトゥーがあった。タトゥーだらけだった。金髪で舌にピアスしていた。うまくいきっこなんてないね、仲間が言った。そうなって欲しいと思った。でもそうなって欲しくないとも。幸せになってほしかった。湖はいつもそこにあったのだ。


     *


 時が経って、ある時のことだった。君達がシリアから仕入れた二トンのドラッグを売りさばくために、湖の中央で「戦場のレクイエム二〇一五」という嘘っぱちのパーティーを催したときだ。湖にはこの間引退したばかりの四トン豪華客船「ハッピー」を使った。彼らはそれをアメリカから手に入れて湖を回遊するという商売をしていた。でかい客船だ。引退式みたいなものをテレビで観た。横浜港だったと思うけど、たしか父さんがその空の上を日米友好の証としてショーをした。船にはたくさんの外国人が乗っていた。旅たつときに色とりどりの紙テープが舞っていた。二千人は収容できるという船だ。

 表向きは遊覧船だった。だけど事前に、仲間の私立探偵からのタレコミでそこで大きなドラッグパーティー&ドラッグの売買が行われるという情報を手に入れた。しかもそこの主犯がドラゴン・ファックだった。君たちがいるギャングだ。僕はそのとき、灘岡警備隊SIL部隊に配属されていた。これは警備隊でもよりすぐりの精鋭部隊だ。凄まじい訓練をこなし、凄まじい苦難を乗り越えた連中だけがなれるエリート。僕はクソ野郎だから、すぐにその一員になれた。でも、君には手が届かなかったんだなんて皮肉すぎるかな? まるで父さんみたいにさ。

 僕らSIL六人は、高速ゴムボートにのって船の裏手から近づき、ふた手に分かれ、船運転組と船上陸組にわかれた。僕は早く船に忍び込みたかった。君を逮捕したかった。手錠をかけてベッドに縛り付けたかった。僕を愛してほしかった。

 その組では新人だったので、船の運転をやらされそうになったが、ひとりの小太りの仲間を、セックス・フレンド二人で買収して船に忍びこめる班になれた。みんなスキューバーの格好をして、客船の死角になるお尻側、つまりモーター側からゆっくり忍び込み、船底につくと、ジェームズ・ボンド並みの吸盤を手にくっつけて、スーパーマリオみたいに、ようするにボルダリングの要領で壁を這いあがり、やがて甲板に降り立つと、スキューバーセットとウェットスーツを脱いで、下で待ってる船におろし、スーツに着替え、黒光りするラックスのワックスで髪の毛を塗りたくって、船内のパーティーに忍び込んだってわけだ。小雨で少し寒かったせいか甲板には客がいなかった。これは幸いだった。

 ガヤガヤと船内のパーティーは、ミラーボールがキラキラしてて、愛という不平等で不釣り合いな行為と、くそったれのジョークと、クラック・カジノと、ペッティングのクライマックスで、フロアは大盛り上がりだった。DJスロウダイブがディスクロージャーの「ラッチ」をBPM67で回してた。サムスミスは甲高い声をスロウペースで歌ってた。


  いつも一緒にいようよ。

  君を離したくないスペースがあるんだ。

  そこだけに収まってて。

  そこにしかいないで。

  僕がそこに収まるから。

  そうしていつまでも。


 そうでありたいと願うよ。見渡す限りドラッグが行き渡っているようで、みんなSlowでDiveしてラリってた。食器が置かれたテーブルには、クラックや、LSDや、マリファナが当たり前のようにあって、僕らはそのドラッギーな空気が蔓延している空間に少しだけクラクラしたけど、対薬物テストにもクリアしなくちゃいけないので、そのあたりは大丈夫だった。僕も深呼吸を何度か繰り返し、意識をクリアにした。この場合、かえって思いっきり呼吸したほうがクラクラしない。ドラッグは一種の酸欠を引き起こすものだからだ。我々はそれぞれの持ち場に散らばっていった。目的は、あくまでボスの大餅茜という身長二メートルもあるスキンヘッドの大男を逮捕すること。もちろんここにいる連中を逮捕できればいいが、千人はいるし、狙いはあいつ一人でいい。

 なにより、あいつがここでこんなに大事な、やりようによってはミスをすること自体、あいつらのギャング団が窮地に陥っていることを意味していた。派手なパーティーだ。僕らだってすぐに勘づく。すでに灘岡には中国マフィアが水面下で蠢いていて、もうすでにおおっぴろげに、ドラッグのシマをドラゴン・ファックから奪っていた。顧客も減っていたそうだ。大餅は焦っていたのだ。博打に打ってでていたのだ。

 君はアトリエコートの二階のソファーに横たわっていて、スリットの入ったラメのドレスを着てほくそ笑みながら、腿からドラゴンのタトゥーが見えて、ボスの大餅の膝に片膝を絡めて、部下が用意したぶどうを舌先で転がしながらペロペロ食ってた。まるでクレオパトラみたいだ。腰はくびれてて。眉毛は太くって。目は二重で。まいったな。僕は君に一瞬見とれていた。どうしたら君を僕の手に入れられるのだろう? 僕はただレッド・カーペットの敷かれた階段の下で見とれてるだけなのかなって思ったりもして。僕を自衛隊の鉄条網に投げつけたことを思い出した。いまだってそうしてほしいって願ってるんだよ。

 後ろから仲間がマシンガンの銃口でつついて、僕にそいつを押し付けた。「おい、馬鹿が、もう行くぜ。増援もくる。いま、二人が船長室に行って、船長を脅して行き先を港に向けさせる。そのときが合図だ」。僕らはあくまで招待客みたいな雰囲気を醸し出してしばらく船内をウロウロしていたけど、そのときはあっという間にやってきた。ガタンと船が音を立てて動き始めたのだ。まずDJが音楽を突然止めた。船内が急に慌ただしくなった。ザワザワしはじめた。僕はずっと君を観察してたからわかった。君はくるりと回転して背中のスリットを見せてシャンデリアを見上げた。わかっているのだ。ある程度予期していたのだと思った。ソファーのような椅子の下からARマシンガンを持ち出していた。

 そんなことはこちらもわかってた。戦闘集団SILに入ってまず教わることは先制攻撃の重要性だ。どんなところに行ってもまず仕掛ける。これが我々の合言葉だった。「与えられる死より死を与えよ」。我々が狙うのは光源。まずは光り輝くシャンデリアだ。それをぶち壊すことだ。

 すぐさま仲間は、スーツからマシンガンを取り出し、天井に向けて乱射した。シャンデリアが一気に壊れてガラスが落ちてきた。観客の悲鳴。その破片が食べかけのシューマイとか北京ダックに落ちて、肉片が飛び散った。そして隅っこにあったデザート扱いのドラッグ類、注射器や、吸入器や、ハッパをぶっ壊した。狙い通りだ。そしてというか、要所要所にいたマフィアもマシンガンを乱射。もちろん辺り構わずだ。あいつらは銃を持つが扱いには長けていない。いつだってヘイトとラブが入り乱れてた。ラブとヘイトとヘイトとラブが入り乱れ、このくそ、このくそ、死ね、屠ね、死ね、屠ね、死ね後藤、死ね藤村、死ね大餅、って汚い言葉が乱れ飛んだ。

 知らないパーティー客の腰が撃ち抜かれて崩れ落ちた。そして、ああ、仲間が撃ち抜かれた! クソ、辺り構わず撃ちまくりやがって。鬱か! でも撃たれた仲間が倒れ際にボスの大餅に撃ったまぐれのマグナム24の一発。それが二階でマシンガンを乱射していた大餅の右胸に当たった!

 と思った。その時だった。

 君が身を呈して大餅を守ったのだ。その銃弾は右の胸にあたった。スリットの肩紐がはらりと落ちた。右のおっぱいの薔薇のタトゥーが見えた。いやらしい! 君はフラフラ揺れていた。僕はすぐに支えに行こうとすると、仲間が僕の首根っこを掴み「お前、早く右甲板を制圧しろ」と命令された。その結果、判断が少し遅れた。君はクルクル回りながら、蒲田行進曲の階段落ちみたいに、階段を転げ落ちて、甲板までピンポン球みたいに飛んでって、叩きつけられて、そのまま湖に落ちたのだ。どんだけバウンドするんだって感じだけど、ドボーンと水しぶき!

 湖は周回路の街灯に縁取られていた。山の稜線は紫色に黙りこくっていた。風が凪いで湖面を撫でて、そこはいろんな光が渦巻き、まるで虹色の世界だった。とても船の中の凄惨さなんて似合わない。灘岡は静かな町だ。

 君は傷だらけになっていた。そんなつもりなんてなかったんだ。人生なんて、そんなつもりがなくてもだめになっていく。傷つけてしまう。ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、僕は叫びながら口に止血キットを挟み、「馬鹿野郎、そっちに行くんじゃない」という仲間の制止を振り切って、甲板まで走っていこうとすると、銃で撃たれて倒れた人の隙間からヌッと立ち上がった大餅に、バレット86銃を撃たれたのだった。気づけば大餅も手負いだったせいか手が震えていて、そいつは運よく僕の右の脇腹をかすめた。とはいえ、衝撃は凄まじいものだった。バレットは、まるで竜巻みたいな弾を撃つからだ。すごい風圧で台風をレポートする哀れなテレビニュースのキャスターみたいになった。

 銃で撃たれてクルクル回りながら、そのまま湖に落ちていったが意識はあった。湖の中は、ぶっ飛んだミラーボールと湖岸のライトでキラキラ光っていた。君は湖に沈んでいて、血だらけで、君にもうすぐ手が届きそうなのに、ぜんぜん手が届かないんだよ! このままじゃ灘岡湖だけに生息する灘岡湖サメ(通称ヒメザメ)に食い殺されてしまうかスクリューにめちゃくちゃにされてしまう。僕は急いで、幸いなことに超エリートだから、泳ぎも完璧にできちゃうぐらい超エリートだから、僕は息継ぎしないで二百メートルは潜れるから、僕はバタ足一閃いそいで君を抱きしめたけど、君は予想以上に重たいし、「このクズ」って僕の撃たれた場所をぶん殴って急に暴れだすから、抱きしめていられなくなった。息苦しいのに、僕と君の血が混じって、ねえ、痛みと痛みを混ぜ合わせようよ、体温と体温を混ぜ合わせようよとふと願った。そうすれば愛してられる。ずっと愛していたいんだ。だけど、彼女に傷口を掴まれると痛みが頭を突き抜けて、お互い意識がなくなって、湖の底に落ちていった。そのとき見えたのは湖から見えるユラユラ揺れた流星の尻尾だった。それはまがいものの流星であって、空にある本物の流星でもあった。そう、灘岡でならふたつの願いごとが叶えられると僕は思った。母さんの嘘つき。


     *


 僕は夢を見た。警備隊に配属された最初の夜勤の日、僕はファッキン・ニュー・ガイで怯えていた。ひとりぼっちじゃまだ何もできない。なのに、湖岸パトロールをひとりでまかされたのだ。これは新入りのひとつの度胸試しでもあった。夜の湖を見回る。ただそれだけ。でも緊張した。何が起こらないわけでもない。ちょうど第二次ギャング戦争時だっただけに、中国マフィアだとか、大餅ヤクザのやつらだとかうろちょろしていたから。湖の安全確保なんて興味はなかった。僕の望みは生き延びること。職務規定に違反していたけれど、運転していたボートのエンジンを切って、ボートを流れるままにして寝っ転がって、空に見えた流星を眺めて、もし、ここであの流星の尻尾を掴まえたらどうなるだろう。

 その時、僕は二十一歳で何もかもできるぐらい無敵だと思ってたのに、なぜだかうまくいかないって思ってもいて。それは流星の尻尾を掴んだとしても願いごとなんて叶わないって思っいてたからだ。たしかに心が弱ってたのもある。訓練はきつかったし、新入生いじめもひどかった。夜中に「調教」と称して先輩たちが僕を布団で簀巻きにして金属バットでぶん殴った。なんどもなんどもぶん殴った。怪我をして、心も身体もバラバラになりそうになって、こんなんじゃないって泣きだしたこともあった。正直除隊したかった。やる気なんてなかったのだ。

 このまま何もなければいいのに。

 そう思った矢先だった。大餅組の真っ黒に塗ったディーラー船が僕の目の前を横切っていったのだ。一トンサイズの小さな船。高速艇だ。時速十六ノット。黒いダイバー姿の君が甲板で大餅に肩を抱かれながら進んでいった。僕に気づくことなく。僕は唖然としていた。そうか。あれが君の恋人なんだ。そしてエンジンをかけるべきだと思った。あるいはパドランプを照らす。だけどできなかった。船底に這いつくばって泣いているだけだった。もし、このまま上官に報告すれば、僕は戦うか、あるいは、増援を待つことになるだろう。戦わなかったら僕はただの負け犬だって言われていじめられるだけだ。そんなの嫌だった。だけど君を傷つけるのは、もっともっといやだった。そのとき僕は何をすればよかったんだろう? そのとき僕は何をすれば一番正しかったんだろう? 人生って不思議だよ。やっぱりバラバラになって収拾がつかない。黒塗りの小さなディーラー船の舳先で、まるでタイタニックの馬鹿カップルみたいに両手を広げてる君たちを撃ち殺したかったのに。報告もしなくちゃって。だけどできなかった。涙が止まらなかった。できないんだ。やろうとしてるのにできないんだ。君が僕をいっせーのせって放り投げてくれたように。

 いっせーのせって飛ぶのは今だ。僕はボートのヘリを掴んだ。飛ぼうとした。君が僕の手を握って鉄条網に放り投げたときのように。もしそのときそうしていたら、ひょっとしたら僕は撃たれて死んでいたかもしれない。ひょっとしたら僕が撃ち殺したかもしれない(仲間の人数からいってそれはありえないけど)。僕は罪深かった。もし、あのとき、あの船を拿捕する勇気があったなら。今回のことだって起きなかったかもしれない。僕は怖くて何もできなかった。ただ冷や汗をかいてそのまま黙ったまま唾を飲み込んで、涙を流してボートの底に這いつくばった。

 いくつも流星が通り過ぎていった。僕はさっと立ち上がって尻尾をつかむ振りをした。でも何を願っていいのかわからなかったし、その魔法を信じてなかった。結局、運良くなのか、僕は相手に気付かれることはなかった。


     *


 ふと目をさますと、スクリューの周りの水は洗濯機に渦を巻いていた。僕は君の手をぎゅっと握っていた。スクリューに引っ張られた。まるで台風みたいだ。僕と君は渦に巻き込まれながら、水をしこたま飲みながら、死んでしまうかもしれないと思った。溺れて死ぬのが早いか、スクリューにめちゃめちゃにされるか、サメに食われるかどっちかだ。彼女のドレスの肩口がちぎれて渦を巻いて右のおっぱいから血がでてなんかやらしい! って思っちゃった。君はすでに気絶していた。出血も激しい。もちろん僕は湖に飛び込む瞬間に止血キットで止血(凝血剤)をしていたからまだ大丈夫だった。それより、このままじゃ、君を見殺しにしてしまうかもしれない。もしファッキン・ニュー・ガイのころ、君を助けていたなら、君をあの船の舳先から奪い去ることができたなら。いっせーのせって飛び立てることができたなら。すべてが変えられたかもしれない。

 人生って不思議だ。諦めたくないのに、まだ、まだなんだからって、先延ばしにしたら、いつの間にか何も起こらないままになってしまう。でもいまは違う。ここから救わなくちゃ。やらなくちゃ。やってやらなくちゃ。君をぎゅっと抱き締めるだけが精一杯で、そしてスクリューが目の前でクルクル回転していた。もう目の前にあった。僕らはミンチになってサメの餌になる、そう思った瞬間だった。湖面に映る流星の尻尾を握った。願い事が叶うかなって思ったのだ。だってまだ叶えてもらってないから。ここだ。ここでしかない。救って。僕は彼女を抱きしめて強く願った。僕らを助けて。


     *


 気づけば僕らは湖岸に流れ着いていた。打ち寄せるさざ波。柔らかい砂浜。眩しい太陽。起き上がると、そこから豪奢なコテージが並ぶ観光客用の別荘宅が連なっているのが見えた。おそらく湖の南側だ。別荘の公園近くのコテージに住む渚爺さんに助けられた。腰が曲がって髭だらけのホームレスだった。シーズンを過ぎたコテージの鍵を渚じいさんに渡して、管理団体がホームレスに部屋の掃除をさせろと国から命令され、見事に渚じいさんは無視してコテージ生活を満喫していた。

 そのおかげで僕らは助かったわけだ。僕らは同じベッドで裸にされて包帯を巻かれて眠らされた。僕は豪奢な別荘のベッドのスーツにくるまって君をじっと見ていた。シーツが作り出す君の体のシルエットがとても素敵だと思った。だけどなんだって唐突だった。

 別れだって出会いだって。目を覚ますのだって。君はパッと目覚めると起き上がるやいなや、僕の顎をいきなりぶん殴った。何も言わず。とてつもない拳骨の一撃。僕は一瞬顎が外れるかと思ったよ。渚爺さんがやってきて彼女を落ち着かせてスープを飲ませた。だけどすぐに吐いてそのまま気絶した。僕らは渚じいさんと目を合わせた。爺さんは詳しい事情は聞かなかった。優しい人だった。

 事実、甲斐甲斐しく介護をしたのは渚じいさんだった。彼女の撃たれた右肺の傷は、思った以上に深かった。弾が肺に突き刺さっていた。手術するわけにもいかず、食事とトイレ以外、ほとんど動くことができなくて、介護のような感じだった。毎日包帯をかえなくちゃいけないぐらい血を出したし、傷口はすでに化膿していてひどい熱をもっていた。ある晩なんか熱でうなされて、ひどい化け物に追いかける夢を見たって叫んだ。君が辛い目に会えば会うほど、僕は君を抱きしめられたのは幸せかもしれないけれど、心がズキズキ痛むんだ。幸い僕は軽症だった。マシンガンの弾も脇腹をかすめただけだし、血管も傷ついていなかった。渚じいさんの手早い処置のおかげでほとんど後遺症もなかった。傷跡は残ったが目立つところじゃない。むしろパープルハート並みだ。しかるべき処置は僕が、すぐにSILの連中にこの状況を知らせるべきだった。なにより彼女はドラゴン・ファックのNO2だったわけだからだ。彼女を人質にとったのだ。それでも僕は彼女を看病した。絶対に失いたくなかった。

 ひょっとしたら僕にだって可能性がないわけじゃなかった。ロッジの窓から航空自衛隊でエンジンを吹かせていたブルーインパルスを眺めながら、あそこに近づけるようにこの鉄条網を飛び越えられたらって思っていたのはいつだっけと思った。彼女は少なくとも僕をそこに投げつけてくれた。チャンスはある。

 病院に連れていくべきだけど、彼女はぜったいに(あたりまえだけど)嫌がった。あんな傷をみたら誰だって病院に連れていきたくなっただろう。じいさんが言うには、早く対応を取る必要があると言った。それはちゃんとした設備のある病院に連れていって、弾を取り除くことだった。でも彼女は頑なに嫌がったのは言った通り。僕はうまく説明できなかった。それが正しいのか、正しくないのか。僕にとっては。君にとっては。それでも、渚じいさんはしばらく病院のことを口にだしたが、事情を飲み込むとそんなことに答えを求めなくなった。どうやら決心したようだった。昔外科医をしていて、もぐりでやっていた産婦人科の仕事がばれてホームレスをしていたということもあって、僕を助手にして、彼女の銃弾を右肺から取り除く手術をした。「何してる? 最優先にするのは彼女の命なんだから」と言ってくれた。ロッジの地下室に簡単なオペ室をしつらえてあった。どうやらホームレス仲間の傷を手術していたらしい。まあ喧嘩とかその手のことだ。僕から見たら結構な手術室って感じだけど、渚じいさんが言うにはこれじゃダメだってことらしい。とにかく、手術灯で彼女の右肺だけを照らしてメスで銃弾を取り出した。ドラゴン・タトゥーの掘られた腿、ピカピカの薔薇のタトゥーのプニュプニュおっぱい。

 なんだかドキドキしたな。

 僕がよだれを垂らしていると渚じいさんは僕をビンタした。手術は成功した。八時間。だけど予後が大切だと渚じいさんは言った。実際その通りだった。あるときなんか、彼女は低体温症にかかった。ひどい怪我をするとその部分だけに集中的に熱がいってしまうらしい。そうなると体全体の体温が下がってしまう。たしかに体温は三十二度まで下がった。渚じいさんに言われて裸にして、僕も裸になってベッドに潜り込んで思いっきり抱きしめた。もちろん傷口はさけて。これは厳しかった。厳しいというのは僕の立場がってこと。だって僕の胸におっぱいが当たるんだもん。その柔さ。その優しさ。僕は包まれていたいよ。これ以上傷つかないように。悲しみの先になんか行かせたくなかった。これ以上終わりにしたくなかった。もう一度、自衛隊のあの鉄条網を超えさせてくれる夢をみさせてほしかった。震える彼女を抱きしめて、壊したくないとほんとうに思った。彼女は低体温症だったけど、汗をかきまくっててシーツがびっしょり濡れた。絶対に殺すもんか。絶対、僕の、ものに、してやる。それだけがすべてだったんだ。

 流星、その願いを叶えて。叶えたいよ願いごと。願いごとなら叶えてくれる流星の尻尾。掴みたいんだ一生。一生叶えていたいんだ。たとえ無理だとしても。木製の大塚家具だったら二十万円はしそうなそのフワフワのベッドの中で諦めきれなくて、ふと窓の外を見やると、窓の外に流星があった。

 僕は外に手を伸ばして空の流星の尻尾をつかんだ。母さんごめんね。今まで信じてなかった。だけど湖の救出劇とかそんなのを見たら信じなくちゃいけなくなる。だから今なら。今なら信じられる。もうひとつでいい。他のことはどうでもいい。すべて失ってもいい。すべてを無くしたって。もう一つ。僕は欲張りだけど、その欲張りは自分のためじゃなかった。もう自分のために生きるのはやめたんだ。彼女が生きていますように。

 ときどき目をさますと彼女は僕の腕の中でまるで野獣みたいに暴れた。僕はぎゅっと抱きしめて大丈夫、って言ったんだ。大丈夫だから。僕の顔を引っ掻いた。僕をビンタした。僕の頬を噛んだ。だけど抱きしめ続けた。流星をつかみ続けた。そして疲れるとスヤスヤ泣きながら眠った。僕の胸の中で名前を呼んだ。僕の名前じゃないけどいいんだ。

 僕の願いごとはもうこれで充分。もう終わりでいいから。これ以上の願いはないんだ。

 ベッドの窓の外からスズメの声がした。湖岸の静かな波の音がした。太陽が眩しく湖を照らして大きな白い鏡にした。別名二つの太陽が出る町。世界はふたつあるんだ。そこでだったら二つの願い事が叶えられる。いっせのーっせって声を聞かせてよ。なんでもいいんだ。たとえ愛してなくてもいいから。お願いだから生きていて。約束だよ。生き延びることを約束して。

 翌朝、彼女はゆっくりと目を覚ました。あたりを見回して、自分がどこにいるのか確認していた。右の肩から胸までかけて包帯がたすきがけのようにグルグル巻きにされていた。血が滲んでいたけれどひどくはない。胸までたぐり寄せたシーツとその胸の膨らみだけでドキドキした。タトゥーが少し見えた。だけど彼女は、自分が何かされていると思ったのか、いきなり僕を拳骨でぶん殴ったのだ。やっぱりね。やっぱりそうなるんだ。僕は思いっきりベッドから転げ落ちた。でも嬉しかった。流星は願いを叶えてくれたのだ。いつだって殴っていいよ。絶対に失いたくなかった。

 彼女は僕を殴ると、ふっと意識を失って、そのままフラフラしてなだれ込んできて僕の胸でスースー寝息を立てた。渚じいさんもにっこり笑って峠を越えたと言った。よかったな。今度はもっとマシになったのさ。ときどき寝言で名前をいった。僕じゃない名前だった。やっぱり愛してるって。その言葉は聞かないでおいた。渚じいさんは悲しげな顔をしてどこかにいってしまった。馬鹿げたお願いだけど、それを僕への言葉にしてくれないかな? 流星は一個しか願いを聞いてくれなかった。あいつをまだ愛してるの? 君の唇で奏でた愛してるって言葉だけでダンスできそうなんだけど。お願いだから。苦しいって先にある愛を太陽で照らし続けて。

 明日をヘッドライトで照らすんだ。絶対に失いたくなかった。そして不思議な話。彼女がスープを飲められるようになるほど回復すると、僕はスプーンにすくって口に持っていけるほどまで仲良くなれた。僕がスプーンを口に近づけると「アツっ!」って言って僕をビンタした。僕は笑ってもう一口スプーンを持って行った。

「アツっ!」って彼女は僕をビンタした。

 僕は笑ってもう一口。

「もうええわ!」ってスプーンを押しのけて僕をビンタした。僕は笑った。「食え!」と僕はスプーンを彼女の口に突っ込んだ。彼女は幼子がまるで体温計を口に突っ込んだみたいな格好だった。そして僕に探りを入れるような目つきでじっと見入っていた。

「まいったなあ。そんなつもりなんてないよ」、と僕は言った。「とにかくよかったよ。命を取り戻して」

「このままパクるつもり?」と彼女は不安げにだけど力強く言った。どうやら逮捕されると思っているらしい。

「何をパクったの?」と僕は言った。「僕の心をパクっただけじゃない」

「……」何か僕に諦めの呪文を唱えていた。

 僕は彼女と逃避行するつもりだった。もう名誉除隊で構わない。すべてを裏切ってやる。

 そう、そのときだった。ドアがバターンと開いた。その振動で、スープが溢れて僕の膝にかかってアツって! 僕はベッドからころがり落ちた。いきなりダダダダダ! って銃声がして、僕はベッド脇にあるマグナムを手に持って二階から駆け出すと入り口で渚じいさんが倒れていた。そこには傷だらけのマグナム24を持った大餅が立っていたのだ。

 少なくとも三日だぞ! いったいどうやって? ドアの陽光であいつは死神みたいだった。傷だらけのようだった。右目が潰れているようだった。左腕がもげてなくなっていた。出血はしてなかった。傷口は肉の断面が見えて骨が突き出ていた。皮膚が腐っていた。まるでローストビーフみたいだった。もう死ぬのは明らかだった。出血さえない。誰の目にも、彼の最後は目に見えていた。

「めぐみ!」と叫んだ。「どこにいるんだ!」その声は震えていて、まるで秋の虫の羽ばたきのような声だった。僕はぜったいに君をここに連れてこないようにした。だけど流星にはひとつしか願い事が叶わない。しかも湖と空の流星に願いごとをしてしまった。

「あんた!」背中で君の声。

「えっ!」と僕は振り向いた。「うそーん!」

 彼女はシーツを胸に抱えたまま、まるで女神様が歩くように神々しさでゆっくりと銃を構えていた僕の横を通り過ぎて行った。

 同情しちゃったの? それだけだよね?

 彼女はいきなりシーツを脱いで裸のまま(肩口に包帯)で大餅に抱きつこうとした瞬間、渚爺さんがたちあがり、大餅を突き飛ばすと大餅に殴りつけられた。じいさん! 僕は叫んでマグナムを向けた。渚じいさんは気絶しているだけだった。大餅はよほど疲れているのだろう、尻もちをついた。

「俺を殺す気か?」と大餅が言った。

「……」僕は何も言わず銃を構えていた。

 だけど大餅は最後の力を振り絞ってゆっくりと立ち上がって、僕の方に片手で銃口を向けた。そして大餅は僕に向かってマシンガンを撃ちまくった。ダダダダダダ! 僕はすぐにリビングの台所にピョット飛び跳ねて隠れた。飛び散る台所。狙いが定かではなかったし、キッチンが防壁になってくれて、銃弾が当たることはなかった。それでもキッチンはメチャメチャになった。あとで上司にどやされるだろうな。それにしても容赦がないな。逡巡ぐらいしろよ。家の壁が銃口だらけになった。こんな閑静なところでドンパチやったらすぐにばれてしまう。ったく、あんな銃の撃ち方をしたらお前だって、大切なものを傷つけてしまうってわかってるだろ?

 そのときハッとして、台所からそっと顔をだすと、すべてがスローモーションのようになっていた。大餅はマシンガンを乱射していた。でも、彼女は大餅に近づいていった。まるで女神が荒れ狂うヘラクレスを慰めるみたいに。銃弾をかいくぐっていた。いや、当たらないのだ。銃弾が彼女を避けていくのだ。時空が捻じれ時間が遅くなった。

 そこでは奇跡が起こっていた。

 わかっていた。これが彼女の願いごとだったのだ。彼女の願いは、たったひとつ、彼と一緒にいることだ。

 僕と一緒になることじゃない。じゃあ、僕の願いごとって一体何だったんだろう? どうしたらいいの? わからないよ。

 大餅の顔。彼女を見ながらとろけそうな顔をしていた。愛してるんだあいつ。ぶっ殺してやる! ってヤクザ級の殺意が目覚めて、僕はばっと一瞬立ち上がって、あいつめがけてマグナムを放った。それは半ば義務感もあったし、僕はエリートだからね、嫉妬心もあった。だけど、また、クルーザーのときみたいに、彼女は大餅に抱きついた。助けてしまったんだ。

 今度は彼女の左胸、心臓に銃弾が当たった。彼女の胸は張り裂けてゆっくりと大餅に寄りかかりながら倒れた。君はいつも助けてばかりだね。いつも傷ついてばかりだ。

 どうして? どうして僕じゃないの?

 大餅は尻餅をつき、彼女を抱きしめながら泣いていた。彼女はにっこりと微笑んであいつの名前を言って事切れた。どうしてこんな風にしかなれないんだろう? そんなことするつもりなんてなかった。そんなことしたいと思いもしなかった。いろんなことがあっというまに台無しになってしまった。

 このままでいいわけがないよ。

 母さんが言った。「星は火星人が光線銃でケツをぶっぱなさない限り墜落しないの。だからどんな願い事さえ叶える流星になれるのよ。あなたはどんな願いごとをしたい?」

 たとえば僕が、湖底の死火山にしかけられたダイナマイトを爆発させて、恐竜時代をやってこさせ、僕と彼女と渚じいさんで、さいはての地に旅立っていけるって願いごとをしたりする。そんな大言壮語の嘘には差し挟まる真実がないわけではなくて、ちゃんと真実は存在しているのだ。

 明け方の空に流星があった。僕は涙でびしょ濡れになって空を眺めた。晴れ間の空に流星。湖にも流星があった。どちらを掴めばいいなんてあせりはなかった。ただ、どちらも掴めばいいだけなんだ。そして強く願えばいいんだ。それだけなのだから。そこに僕の居場所がある。お願いだよ。もうひとつだけ願い事を叶えて。僕は都合のいい人間。だってまがいものを信じているから。真実はまがいもの。まがいものだからこそ真実の願いがいくつもあるのだ。だから君を助けたい。僕はエリートだけど、人生なんてダメになっていいから。落ちぶれてもいい。愛されなくてもいい。僕が愛したかっただけなんだ。流星はマッハ200で飛んでいた。

 もう一度だけ。もう一度だけでいいんだ。

 願いごとを叶えさせて。


いかがですか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ