3.飲みに行きました。 <目黒>
亀田の部下、目黒視点となります。
同期の三好繭子は美人だ。ただ中身が男以上に漢らしいから、同世代の男や年下の男は若干、彼女に引き気味で接する。その代わり、懸命に虚勢を張る所をポッキリと手折ってみたいと言う誘惑を持つ、S系の親父に執着されてしまうらしい。
実際営業課に異動する前も、企画課のモラハラ・パワハラ・セクハラの三ハラ課長の粘着質な嫌がらせを受けており、しかし彼女はそれにも屈せずギスギスした空気を撒き散らしながらも―――ヒット商品を打ち出したのだ。そっくりそのまま企画課長はその手柄を我が物のように自慢していたが……まあ、見ている人は見ている。三好の実力は鬼東と言われる東常務の目に留まり、結局企画課長の元に留め置く事を許されず営業課へと引き抜かれる事になったのだった。
黒歴史と言っても良いくらい恥ずかしい話だが、俺も企画課長の粘着質な嫌がらせに利用されたクチだ。今振り返ってみると俺も本当はうすうす分かっていたのだ、企画課長が信用ならない奴だって事は。けれども頭で分かっていても感情は追い付かない。情けない事に俺は自分に対する苛立ちを、そのまま三好にぶつける事で溜飲を下げてしまっていたのだ。
その八つ当たりの原因が、色んな種類の嫉妬が混じり合ったものだと気が付かされた時は―――本当に穴があったら入りたいほど、恥ずかしかった。つまり仕事で先手を取られている事に対する嫉妬やら、三好が亀田課長に心酔している事に対する嫉妬やらが俺の中に渦巻いてしまって、二進も三進も行かず誤解を抱えたまま三好に当たってしまったのだ。三好は三好で、企画課時代から続く俺の態度に腹を立てていて―――それがある時、二人の間で爆発してしまった。
そんなカオスに落ち込んでしまった俺達の中を取り持ってくれたのが、不幸にも喧嘩のネタにされてしまった亀田課長その人と、課の先輩の阿部さんだった。
まあ和解したと言っても……今までのギスギスしていた雰囲気を払拭するのは容易な事では無かった。暫く気まずさを引き摺る日々が続いたが、やがてポツリポツリとお互い話しかけ合うようになり、徐々に冗談や揶揄いの言葉を交わすようになった。それからスッカリ打ち解ける切っ掛けをくれたのも、やっぱり亀田課長だった。これは課長の全く預かり知らぬところなのだが―――『コワモテ冷徹銀縁眼鏡』と言う亀田課長の通り名と言うか渾名を三好から聞いて、あまりのピッタリ加減に思わず噴き出してしまった。すると三好も笑い出して―――久しぶりにお互い屈託なく笑い合う事が出来たのだ。それから徐々に入社当初の距離感を取り戻せるようになった。
そして今ではこうして二人で居酒屋に飲みに行くくらいには、俺達は仲良くなっている。
三好が俺を敬遠するようになったのは、俺が仕事に熱心ではないと思うようになったからだ。突発的に休みを取ったり、有休を目いっぱい使ったり。自分は休み返上で努力しているのに、と腹を立てていたと言う。
俺が休みを取るようになったのは―――姉とその娘が俺のアパートに転がり込んで来たからだった。
姉の夫は仕事のストレスから休みになると酒浸りになり、職場では一応猫を被って平静を保っているようなのだが家では一転して暴力は振るうし突発的に怒鳴り散らすしと……とにかく姉と姪にはその頃家庭は地獄のようなものだったらしい。俺が思うに彼はアルコール症候群を発症していたんじゃないだろうか。共依存になりかけている姉を説得し、それから少し広いアパートに引っ越して姉と姪と俺の三人で暮らす事になった。俺達の父親は世間体が第一で、姉に我慢を強いる事しか考えておらず、姉は実家に帰る訳には行かなかったのだ。
そんな訳で姪っ子が病気になった時、姉がパートを抜けられない場合は俺が迎えに行く事もあったし、土日は家事を姉と分担で片付けたり、姪っ子が喜びそうな公園に連れて行ったり……と、家庭を優先する生活が続いた。
正式に離婚が決まり姉の周辺が落ち着いた頃、姪っ子も小学生になって丈夫になり病気にも掛かり辛くなった。やっと俺も普通に仕事をこなせるようになって、こんな風に偶に居酒屋に寄るくらいの余裕を持てるようになったのだった。
一緒に飲みに行くようになって、徐々に俺の事情を把握するようになった三好は散々恐縮して謝ってくれた。猪突猛進で思い込みが激しい奴だが、自分が間違っていると気付いた時にすぐに謝れると言うのは―――コイツの美徳だな、と改めて思う。
あの頃俺は漢気を発揮して姉と姪を引き受ける形になったのだが―――本心では納得していなかったのだ。迷惑を掛けられた気分がどうしても拭いきれず、仕事も満足に出来ず苛々していた。それをあの三ハラ企画課長に見抜かれて、煽られてしまうなんて―――情けなさ過ぎるなぁと改めて思う。男の風上にも置けないだろう、と。
だから俺に出来る唯一の罪滅ぼしは、ただ親しい同期として冗談を言い合ったり、仕事を助け合ったり―――こうして、三好の愚痴を聞き適切な合の手を入れる事くらいなのだ。勿論、俺が三好を憎からず思っているなんて事は―――今更、口が裂けても言えやしない。
「―――と言う訳なのよ……もう、ショックで。亀田課長は絶対、そんな事するような人じゃないって信じていたのに……!」
三好がダンっとテーブルを叩くと、ピザを乗せた皿が衝撃でトンっと跳ねた。ワインをグイッと飲み干し、テーブルにわっと伏せる三好の大袈裟な仕草を、ビールを一口飲んで俺は静かに見下ろしている。
この前日、三好は派遣社員の大谷さんを捕まえて―――自分の疑問をぶつけたのだと言う。彼女が何か隠していような気がして、問い質さずにいられなかったそうだ。するとそこに話題の中心となっている亀田課長が現れて。なんと課長が大谷さんに一方的に迫っていたのだと、三好に向かって堂々と言ってのけたのだと言う。
「……」
「ねえ、何とか言いなさいよう!」
こいつもう、かなり酔っぱらっているな。これは明日記憶を失くすレベルに達しているかもしれない。
三好は普段は酒に強く、いくら飲んでもケロリとしているのだが……ある一定の酒量を超えると記憶を失くしてしまうと言う、面倒臭い特徴を持っているのだ。
俺が言った事を、コイツが明日覚えているかどうかは分からないが―――俺は率直な意見を述べる事にした。
「それさ、セクハラじゃないよ」
「―――は?!」
『何言ってんの?!』って顔に書いてある。あー、よっぱらい、メンドくせえ。三好じゃなかったら速攻で置いて帰るのにな。……と考える程度には、俺は三好に嵌っている、残念なことに。まさに惚れた弱みと言うヤツだ。
「だって、付き合ってる訳でもないのに付き纏うなんて―――」
「うん、だからさ。『付き合う手前』って事でしょ。まだ正式に付き合おうってお互いの意志を確認する前の、良い感じになりそうなアヤフヤな関係なんだろ?」
「……え?……」
三好がポカンと、口を開けて俺を見た。
全然そんな事考え付かなかったんだな。まさに恋は盲目……ちっ面白くねーなー。コイツ亀田課長に夢中で、広い視野で周りを見る事も出来なくなっちまっている。
「だからー。お互い距離、はかっている段階なんだろ?相手が自分の事、どう思っているか分からなくてさ『好きなのかな?自分の気持ちはどうなんだ?』って……付き合う手前の『友達以上恋人未満』の段階だから、ハッキリ他人に言えなかったんでしょ?課長は大谷さんに気があるのかもしれないけど―――部下だし、なかなか正面切って告白できなかったんじゃないの?で、ゆっくり距離を詰めて行ってて……大谷さんはまだ、亀田課長の気持ちに気付いてなくてさ。でも好意くらいはあって。だけどまだハッキリ固まった付き合いじゃ無かったから、他人にあれやこれや断言できなかった、そう言う段階だったんじゃないの?」
「―――」
サッと三好の顔が青ざめた。
「もしかして、酔い醒めた?」
「―――え、あ……ええっ!!」
醒めたらしい。頓狂な奇声を発した三好は、今度は真っ赤になった顔を、両手で覆うように鷲掴んでいた。
「えっ……じゃあ、私……」
「そ、気が付いた?」
「私……付き合いかけのカップルに絡んだ『勘違い女』って……コト?!」
「そこまで言ってない」
「ああ~~!うそお!そんなぁ……」
瞬時に目の前の事実が引っ繰り返った所為か、客観的に自分を見てしまった三好は、恥ずかしさに身悶えた。
「もお~~やだぁあ!」
「バーカ」
「うっ……」
「頭良い癖に、馬鹿」
三好は良い大学を出ているし企画課ではヒットメーカーの実力者。営業成績も持前の根性で地道にニョキニョキ伸ばしている、頭の良い出来る女なのだ。おまけに怜悧な如何にもデキる!って感じの美女だし。
なのに、肝心な所で―――ポンコツ。
「うう~~」
新たに給仕されたワインをまたカパッと煽って、三好はテーブルに再び臥せって泣き出してしまった。
本気で好きだったんだよな、分かるよ。
亀田課長、イイ男だもんな。全然見ていないようで―――部下、一人一人をちゃんと見ていてくれる。俺だって女だったら惚れていたかもしれない。だけど仕事に色恋を持ち込んだら怒り出しそうな雰囲気、醸し出していたからな。三好としては、気持ちを秘めつつも仕事で頑張って認めて貰う事しか頭に無かったんだろう。
俺は今では確信しているが―――きっと営業課に異動した当初から、三好はずっと亀田課長を好きだったのだと思う。
だからポッと出の、採用されて一年も経っていない派遣の大谷さんに、課長をかっ攫われたように感じて悔しかったんだろうな。本人がそんな自分の気持ちに気付いているのかいないのか、分からないけれども。
テーブルに突っ伏す三好の頭をポンポンと、撫でてやる。
この年で失恋って―――堪えるよな。
分かるよ、三好。俺も今、同じ気分だから。
お読みいただき、有難うございました。




