47.今度こそ、誘います。
「泊って行きませんか」
「え?」
私はゴクリと唾を飲み込み、改めてしっかりと亀田課長を見据えた。
「泊って行ってください。車返すのお昼でいいんですよね。―――ほら、うータンももうちょっと一緒に居たいって言ってますし、明日もお休みですし……」
ちょうど良いタイミングで毛繕いを終えたうータンが、胡坐をかいて座っている亀田課長の、床に置いた掌の中にスポっと頭を突っ込んだ所だった。
うータンも私と同じ気持ちなようだ。亀田課長に帰って欲しくない。引き留めたいって思っている。
「いや、流石にそれは……」
亀田課長は戸惑ったように、呟いた。しかも真顔で。
あ、これ……駄目なヤツだ。
『課長を誘う!』と息巻いていた自分がアッと言う間にシュルシュルと萎んでいく。思い込みでカッカッと沸騰していた体の芯が、急激に冷たくなって行った。
そーだよね!変だよね!
ただの『うさトモ』でしかないのに何を血迷って……!
男性と付き合った経験も無い、派遣社員の地味なアラサー女が……っ!社内でも優良物件と言われているモテ男(?)の課長を『チョロイ』なんて、よく言えたもんだぁあ!
ああ~~!ちょっと仲良くなったと思って、調子に乗ってぇ!穴が在ったら入りたいとはまさにこの事!うータン、今すぐうさぎ穴掘ってくれーい!もう、逃げ出したいっ……!チョロイのは私だっ!優しくされたらすーぐその気になって、勘違いしちゃうんだから。全然あの時から成長してないじゃん……!!!
しかし既に言ってしまった言葉は、取り戻せない。
私は滝のようにブワッと湧き出して来た汗を拭いながら、勇気を奮い起こして殊更明るい声で矢継ぎ早に畳みかけた。
「お布団!あるんですよ!両親が偶に出張ついでに泊まりに来るんで!これが結構寝心地が良いって、評判で!疲れが取れるなぁ~って二人とも泊まった翌朝必ず言っていてですね、あ、それに寝巻なら父親のスウェットもありますし。サイズも大きめだったから課長でも着れるんじゃないかなっって思うんですけど!」
「……」
「あのっ、今日ずっと運転していただいたから疲れていますよね。この後運転で事故でもあったら……誘った人間として寝覚めも悪いですし……」
精一杯絞り出した勇気が萎んで行く。亀田課長の表情を見続ける事が難しくなって来て、徐々に視線が下がってしまう。
うん、私……頑張ったよ。
二十六年生きて来て、自分から男の人を初めて誘ったんだ。
頑張った。でも初めてだから失敗したって仕方ない。失敗して当り前なんだ。
もともとダメ元だったし……ね、これだけ言えば、断る課長もそれほど気まずい思いをしなくて良いんじゃないかな……?
それとも気まずくなって、もうウチに来なくなっちゃうかな……?
新しいうさぎを飼って、亀田課長はうータンよりそっちを大事にするようになるかも。
大体『新しい仔を迎えたら良い』って勧めたの自分じゃん?ねえ、勧めた通りになって帰り道に捕まる事も無く、三好さんにジトッとホラーな感じで見られる事も無くなって……そうなったら、私が望んでいた通りだよね。うん。
今となっては寂しいけど……仕方がない。
あーあ、失恋かぁ……。
初めて『恋してる』って気付いた途端、自分の前のめり過ぎる発言で台無しにしてしまった。色々諦めて家に籠っていたのが悪かったのかな?これを機にキラキラ女子達に頭を下げて教えを乞おうか……もうちょっと必死に男性へのアプローチ方法を学んだ方が良いかもしれない。
そうだよね、いきなり『泊まって行け』って。付き合ってもいないのに。
小説ではそれでスムーズに翌朝からラブラブになるって展開もあるけれど、そんなわきゃあない!女性として見ていない部下に迫られたら……そりゃあ、困るよね……!!あ、気付かなかったけどこれってもしかして……逆セクハラ??
浮かんだ考えに、焦って顔を上げた。課長が眉間に皺を寄せて私を見下ろしている。うっ相変わらず、恐ろしく凄みのあるお顔ですな。次の台詞を口にするのが、怖いです……。
「あの、課長……」
冗談でっす!帰っていーですよ!ビックリさせちゃってすいません!あの、ちょっと寂しくなっちゃって……!ホラ、うータンも懐いてますしっ!間に受けちゃいました?スイマセ~ン!!
頭の中では、次の台詞の候補がバババとトランプのカードみたいに散らばっている。何を選べばよいのかと逡巡していると、目の前で難しい表情をしていた亀田課長が口を開いた。
「有難う」
「へっ」
「じゃあ、迷惑ばかり掛けて申し訳ないが……泊まらせて貰う」
少し照れたように視線をずらし、亀田課長が呟いた。
自分で誘って置いて―――返って来た色好い返事に、私はアングリと口を開けて固まってしまったのだった。




