31.現れました。
「課長……」
「座っていいか」
「あ……はい」
やや茫然としたまま三好さんが頷くと、課長は隣の席にあった椅子を引き寄せ、私達の間の、少し私寄りの場所に腰を下ろした。三好さんは気まずげに私達から視線を逸らす。そんな彼女と、彼女をまっすぐに見つめる亀田課長を、私はハラハラしながら交互に見やった。
「三好、俺について聞きたい事があるなら……直接俺に聞け」
そう言った亀田課長の声は穏やかだった。三好さんを大事に思っているのが伝わって来る。三好さんにもそれは伝わったのだろう……気まずげに逸らしていた視線をソロソロと戻し、亀田課長の方にゆっくりと向き直った。
「あの、昨日私……駅で見掛けたんです」
三好さんは少し弱々しく言葉を発したが、意を決したように表情を硬くして亀田課長をまっすぐに見返した。
「亀田課長と大谷さんは付き合っているんですか?昨日大谷さんに尋ねたら『違う』って否定したのに……その舌の根も乾かないうちに二人で一緒に帰る処を見てしまって私何だか騙されたような気がしたんです。それならそうと言ってくれれば良いのにって……」
「大谷が嘘を吐いたのが気に入らない、と言う訳か」
「そっ……そうなんです!ほら、職場ってチームワークですよね、率直に話が出来ないって何故なんだろう……何か理由があるんじゃないかって気になってしまって」
ええと、つまり……三好さんは私がつまらない嘘を吐いた事が気になっている、と。そしてそう言う人が職場にいるのはどうかと……言っているのでしょうか?
うーん、でもね?もし本当に亀田課長と私が付き合っていたとしたら―――それこそ会社で公言するのは如何なものだろうか、と思ってしまう。依怙贔屓してるって思われるのも嫌だし、別れたら気まずいし。第一公言して職場で堂々とイチャイチャするカップルがいたら目の毒のような気がする。結婚まで辿り着いたのなら、もう隠す意味ないと思うけど。
そんな事を本気で言っているとしたら、三好さんはよっぽど真っすぐな気性なんだろう。アラサーの大人の女性としては微妙だと思うけど……良く言えば少女のように純粋?と、言えるかもしれない。私なんか体は未だに清く少女と同等……いや以下?だけれども、耳年増を発揮して知識と意識だけはしっかりアラサー越えしちゃっているからなぁ。三好さんのように男性顔負けの美女にそんな思春期の女子中学生みたいな事言われても、いまいちピンと来ない。
それとも三好さんもそんな事は承知していて―――だけど自分の何かから目を逸らそうとしてそんな苦しい言い訳を咄嗟にしてしまったのだろうか。
それとも、亀田に心酔して嫉妬のあまりただ絡んで来ているだけなのかな?
だとしたら全然的外れなのに。私はただの『ウサトモ』でしかないと言うのに。
いやまんざら的外れでも……ないのか?つまり三好さんは私の部屋に通ってきている亀田の、異様なまでのウキウキっぷりを感じ取ってしまったと言う事になるのだから。
「いや、それは俺に全面的に責任がある」
「え……?」
三好さんが思いがけない亀田課長の返答に声を上げた。
私も思わず息を呑む。
え、言っちゃうの?ここでもうカミングアウト……しちゃったりするの?
だ、大丈夫なのか……亀田よ……。
「大谷は……俺を庇っているんだ」
亀田課長がクルリと私を振り向いた。
私はその真剣な表情に漲る決意を読み取ろうとした。思わず目を見開きジロジロと顔色を窺う。すると彼は力強くまるで『大丈夫だ』と言うように頷いた。それからキッチリと三好さんへ向き直る。私達の遣り取りを目にした三好さんが訝し気に眉を寄せた。
「『庇う』って……どういう事ですか?」
「俺達は付き合っている訳じゃ無い。俺が大谷の家に勝手に押しかけているんだ。―――怖い上司から押し掛けれられて仕方なく応じているのに『付き合っている』だの誤解されては堪らないだろう」
「は?……課長が、大谷さんの家に押し掛けて……?」
三好さんは意味が分からない、というように視線を彷徨わせた。
当然だ、私も一瞬『は?』って思った。あまりに亀田課長の言葉が足りないからだ。
「大谷は三好の俺への印象を悪くしないようにと、咄嗟に考えたそうだ。それで友達がどうのとつい口走ってしまった。だがそんな事を言わせてしまったのは―――元々は俺の責任なんだ」
「ちょっ……亀田かちょ……」
私は蒼くなって思わず、課長の腕を掴んだ。
間違っていない、間違ってはいないが……一体亀田は自分が何を口走っているのか、分かっているのか?!
「幻滅しました」
三好さんが唇を噛み締めて、立ち上がった。
「それじゃセクハラじゃないですか。亀田課長はそんな人じゃないって思っていたのに……」
「いや、あの三好さん?違うんです。亀田課長も言い方ちょっと間違えて……」
私は慌てて一歩踏み出し、三好さんの誤解を解こうとした。
「じゃあ、大谷さんから亀田課長を誘ったって言うの?貴女の家に……」
「それは絶対にあり得ません……!じゃなくて、そう言う問題じゃなくて」
ハーっと三好さんは溜息を吐いて目を閉じ。
それから私をギッと睨みつけた。
「そんな態度を取るからっ……大谷さんも大谷さんよっ、キッパリ断らないから男がつけあがるのよ!」
美人が凄むとコワいって言うか、心底恐ろしい。
私はビクリと震え上がる。そこでスッと―――その三好さんの鬼の形相が掻き消えた。
「三好、大谷は悪く無い」
喰ってかかって来た三好さんから私を背に庇うように、亀田課長が割り込んだのだった。一瞬その男らしい態度にキュンっと胸がトキメキ掛けて……いやいやいや!って首を振った。
ぜーんぶ、最初っからぜーんぶ、亀田の所為だからっ!
押しかけて来たのも、会社で不用意にうータンの話題出したのも、帰り道私の肩を掴んで揺さぶったりして、誤解されたのも……今この時、三好さんを激怒させているのもっ……!
亀田の広い背中の向こうで、三好さんがどんな表情をしているのかまるで私には分からない。だけど三好さんは言葉を押し込めて―――そのまま立ち去ってしまった。私が次に目にしたのは、ガラスのドアを押しコーヒーショップを出て、小走りで去って行く三好さんの……ほっそりとした後ろ姿だけだった。
私は唖然として口を開けたまま立ち竦んだ。
何がどうして、こんなに事が拗れてしまったのだろう。
クルリ、と振り返った亀田の気まずい表情を見上げて、思わず私は怒りに震える低音でキッパリと言い切ったのだった。
「『女扱い』……ホンッとーに、へったくそですね……!!」
拳を握って震える私を見下ろし、眉を下げた亀田は「スマン……」とポツリと呟いたのだった。




