15.仕事始めです。
本日は、仕事始めです。
職場で顔を合わせる時どんな表情をすればいいんだ……っ!って思ってソワソワしていた。けれど、当の亀田課長は新年初っ端から通常運転。眉一つ動かさず、ビシビシ厳しい口調でニコリともせず私に駄目出しをする。ちょっとはエンジンが温まるまで待つって意識無いんですかね……まるで『徐行運転ナニソレ?美味しいの?』って言われているみたい。
あれ?
ひょっとしてあの一夜は……夢だったのかしら。
チラチラ亀田課長の様子を窺ってしまうのだけれど、駄目出し以外で私の方を見る事は無い。ニコリともしない。どす黒いオーラは薄くなったような気がするけれど……ただ年末年始たっぷり休んでリフレッシュした所為かもしれない。
その日「お先に失礼しまーす」と頭を下げて、もう一度課長の目をジッと見つめてみたけれども―――課長は銀縁眼鏡をキラリと光らせて「ご苦労様」と一言漏らしただけだった。その言葉には温度も何もない。キーンと冷えた氷文字でした。
私は首を捻りながら、帰宅した。
そうか、あれは夢だったのか。酒に弱いのに飲み過ぎた所為で見た幻だったのかもしれない。現実だとしても―――散々ウサギ成分を補充した彼がすっかり真人間に戻って、自分のこっぱずかしい振る舞いを悔い、無かった事にしようとしていてもおかしくはないだろう。
これも武士の情け、不本意ではあるが同じウサギ好き同士として見逃してやろうじゃないか。そして―――そう、契約更新の時にでも弱みをチラつかせて……ホホホ。なんてね。期待していますとも、期待しないでか。だってアイツ―――亀田は乙女の期待と純情を踏み躙ったのだから……!全く、無駄にアイツがイケメンなのが悪い!じゃなかったら、あんな勘違いしなかったのにい……思い出すたび悶えちゃうよ。
あー、今日も無駄に緊張して冷や汗掻いちゃった。
こんな日は、何はともあれ―――ナデナデタイムだっ!
部屋着に着替えて、朝のお弁当に詰めたオカズの残りでチャチャっと夕飯をすませる。うータンが入っちゃマズイ処なんかの守りを固めてケージを解放!
「う~タ~ン!」
ピョコンピョコンとケージから出て来て―――しかしそこで、うータンは一旦ピタリと止まる。それから何故か私を放置し……体を丸めてお腹をペロペロ舐め始めた。
「ああ!焦らさないでぇ!」
ココだけ聞いたらちょっとした官能小説みたいですが、本音だから仕方が無い。ウサギは基本的にマイペース。飼い主の顔色を伺ったりしないし、多分寂しくて死んじゃう事も無いだろう―――悲しい事に飼い主としてうータンに執着されているって実感はあまり無い。
でもこういう自由な処がまたイイんだよな~。媚びない処?なのに自分が撫でて欲しい時には強引に手の中に頭を潜り込ませて来たり。そんな時『今あのクールなうータンに私……求められている!』って、ものすごーくキューンと胸が締め付けられるんだよね~~。
末期ですか?……末期ですね。でもいいの、幸せだから。
ニンジンをスティック状に切ったモノをサッと取り出し、うータンの目の前に差し出す。するとパッと姿勢を直してフンフン……と鼻を近づけてくれる。そしてポシポシとかじり始めた。
「うふふふ~かわええなぁ……」
ああ……亀田に弄ばれた心の傷が癒えて行くよ。
多分あの調子じゃ、私の気持ちが天井から床まで上がったり下がったり乱高下激しかったなんて……想像もしていなかっただろうけどね。うら若き乙女 (アラサーですが)に処女を捨てる覚悟までさせて赤っ恥掻かせやがって……!
でも、いいの。
私にはうータンがいるから!
亀田も早く、新しいウサギを飼えばいいんだ。そしたらあんな迷惑行為に走らなくったって済んだのに。そーだ、そーだ。女々しい事言ってないで、新たな出会いを求めれば良いのに。まあ……そりゃ、大好きだったミミ?が死んじゃって直ぐ違う子に走れないって気持ちは分からないではないけど……。
ニンジンを食べ終わったうータンを抱き上げて、太腿に抱える。
いつものナデナデ奉仕。ゆっくりとビロードのような手触りを味わいながらポツリと呟いた。
「亀田も早く立ち直って、元気になれば良いねぇ。ねー、うータン?」
そうすれば、課内の雰囲気ももっと明るくなるハズ。そしたらずっと仕事もし易いしね。
そんな事を何となく考えつつ、うータンの毛皮を撫で続けていたら、ピンポーンとインターフォンが鳴った。宅配便かな?と思い、うータンを太腿から下ろした。安かろう狭かろうの鉄骨アパート、インターフォンは一応あるけれども、カメラなんて高尚なものは付いていない。
ボタンをポチっと押して「はい」と応える。すると「俺だ」とくぐもった低い声がした。インターフォンの調子が悪いのか少し聞き取り辛い。明日管理している不動産屋さんに連絡しないとなぁ。
しかし『俺』って―――『誰』?
一瞬『オレオレ詐欺』かと思った。
最近のオレオレ詐欺は……電話じゃなくて直接家まで訪ねて来るのか?
何だかとっても嫌な予感がして―――音を立てないように、ソロリソロリと玄関へ近づき、扉に付いている覗きレンズのカバーをずらし、片目をつぶって覗き込んだ。
そこに立っていたのは―――年末に私を壁ドンしてこの家に上がり込み、そして上がり込んでおいてうら若き乙女 (アラサーですが)に指一本も触れもせず、上機嫌でホクホク帰って行った―――あの銀縁眼鏡。亀田課長その人だった。




