10.変わりました。
相変わらず厳しい・堅い・笑わないが通常運転の亀田課長を、その日から私は心の中で罵るのを止めた。……完全にではないけれど。だってやっぱり厳しく対応されて腹が立ってしまうのは、もう脊髄反射みたいなモンだ。私は修行を経た高僧でも、心の広いシスターでもないから、やっぱイラっとは来ちゃう。
でもそれは表面的な事で、腹は立つっちゃ立つんだけど……この人は根っから悪い人じゃなくて信用に値する人なんだって心の底の分類箱に分類されてしまったので、嫌いになるとか憎むとかそう言うレベルまで扱いが落ちないと言うか……あれ?私って偉そうだな。雇って貰って、フォローして貰って、上から目線で何言ってるんだか。
色々コチャコチャ言い訳しているけど、要するに私は亀田課長の事を尊敬しているんだ。
男性としては、やっぱりあの細かさとか威圧感とか……ちょっと受け入れがたいけど。信用できる上司だなって、思うようになった。三好さんの言ってる事がちょっとだけ分かった。でもあんな風に厳しくされても楽しい!とは言えないんだけど。
元々私、男の人は優しい人が好きなんだよね。
元カレ(?)はその点優しかった。きっと誰にでも優しいんだろうけど。キッパリ人を否定するような言葉を使わない人だったし、要求もそれほど強く無くて強引に人を引っ張るような事はしない人だった。私を誘って来たのはあっちからなんだけど……多分誰か他の女の人が『遊びに行こう』って言ってもニッコリ頷くんだろうなぁって気がする。そう思うと、以前話に出た綺麗な同僚は彼女なのかもしれないけれど、もしかして私以外にもグレーゾーンの女友達が何人かいたのかも?今改めて考えると、そんな事があっても不思議が無さそうな柔和なイメージの人だった。その時は浮かれていたから全く想像もしていなかったけど。
もしかして……いや無いと思うけど、あの飲み会のグループに私と同じように付き合っていて、彼女の話題に「え?」って思っていた人もいたかもしれない。うわ~考えたくない。それじゃ修羅場になっちゃうじゃん!それとも自分は彼女だって勘違いするような初心者は私だけだったのかな?友達と二人で遊びに行くのは男女でもアリ!って言う人が普通だったりして……。
やっぱ私、男の人を見る目無いのかな?
もっと合コンとか積極的に参加して見る目を養うべき……?
「ねー、うータンどう思う?」
日課の高速なで回しで奉仕しつつ、うータンに話しかける。
勿論うータンは返事なんかしない。ウットリといつもは丸めている体をデローンと長く伸ばして溶けきっている。
その様子を見ていると、元カレの事なんかどうでも良くなってくるから不思議だ。
そう、私には男を見る目は無いが、ウサギを見る目はある……!!
なーんて一瞬キリッとしてみたけど、よく考えたらうータンはおじいちゃんが「これやる」って首の皮持ってブラーンって私に渡してくれた一匹だった。全然私、選んでない。
うータンは仔ウサギの中で最後に残った一匹だった。
もしかして『残り物には福がある』ってヤツですか?
男の人もそうだったらいいなぁ……でも、当分男性はいらないな。私の癒しはウサギで十分、間に合ってますから……!
なーんて私が呑気にウサギまみれの生活を満喫している間、徐々に課内に暗雲が立ち込めて来た。仕事人間の課長が有休を取った!天変地異の前触れか?……なんて目黒さんと三好さんが冗談めかして話していたのを聞き流していたら……徐々に課長の雰囲気が暗ーくなって行って、もちろん今までも職場ではニコリともしていなかったんだけど、目の下に隈まで作ってどす黒いオーラを振りまくようになって来るところまで到達してしまった。
何かおかしいなって皆気付き始めて暫くした頃、一瞬課長の雰囲気が明るくなって……それから一週間も経たない内に、どん底に居る人みたいな恐ろしい目をするようになった。
ハッキリ言って怖い。人一人殺して来たって聞いても頷いてしまうくらい。
魔王もかくやと言うくらい、恐ろしい。
それからその恐ろしい形相のまま、今まで帰るのだけは早かったのに定時を過ぎても仕事場に居座る事が多くなったそうだ。私は派遣なのであまり残業はしないように言われているんだけど―――三好さんからそう伝え聞いた。唯一彼が笑顔を見せていた飲み会でも、黒いオーラを背負ったままニコリともせず、酒ばかり飲むようになった。コワいので私はもちろん、距離を保ちつつ遠巻きにしていた。課長は以前、二次会に全く出席しなかったらしいが、何故か暗い表情のまま引き続き参加するようになったらしい。仕事の話しかしないみたいだけど……私は二次会に行かない主義なので、これも三好さんに伝え聞いた話だ。
一体彼に何が起こったのか?
仕事のノルマに押し潰されそうになっているのでは?それとも身内が事件に巻き込まれたとか?課のキラキラ女子達は、結婚間近の彼女と別れた、いや、二股されて浮気の現場を見てしまって婚約破棄に至ったのだとか―――好き勝手言っている。どうやら見た目も良いし出世頭な事もあって、これまで彼女は何人かいたそうなのだが……いつも仕事を優先し過ぎて振られる事が多かったそうな。大抵女性達は他に心を移して去っていくらしい。何となく想像が付いてしまうのが悲しい所だけど―――じゃあ、亀田課長って振られるたび、あんな風に荒れてたのかな?女性に振り回されるようなキャラに見えないけれど。それにそんな人、あんなに出世できるものかなぁ。
色々と腑に落ちない部分は合ったけれども。
一派遣社員に出来る事は何もない。
世話にもなったし恩義も感じているけれども、亀田課長の心が穏やかになり嵐が過ぎ去るのをひたすら祈って穏便に過ごすしか私には出来ないよな。何の手助けも出来なくて申し訳ないけれども。
その時は―――そう思っていたのだった。




