どうしても我慢できないこと <亀田>
亀田視点の短いおまけ話。
思わせ振りなタイトルですが、もちろんR指定方面の内容は一つも含まれておりません。安心してお読み下さい。
卯月が手作りしてくれた夕食を美味しくいただいた後、ケージから出てささやかな広さの運動場でノンビリしているうータンを部屋に解き放ってみることにした。すると先週までの引き籠り生活が嘘のように、彼女は躊躇う事無くピョコリと入口から這い出して来る。すっかり気持ちも落ち着いたのか、あちらこちらで鼻をヒクヒクさせては新しい陣地となるマンションの中を我が物顔で跳ねまわり始めたのだった。
「先週とはすっかり別人だね。いや、『別うさぎ』か」
クスクス笑いながら卯月が機嫌良さそうにラグにペタリと座り込んだ。そして手に握ったセロリの葉っぱをフリフリと差し出す。すると、うータンがトテットテッと近づいて来て真顔で葉先に噛り付いた。
それから暫くの間ポシポシと彼女は生野菜を味わっていたが、葉っぱと言う葉っぱを全て食い尽くした後『腹も満たされたしそろそろ撫でろ』と言わんばかりに今度は鼻先を卯月の膝にグイグイと押し付けて来る。
「おぉ……うータン!、すっかり元の姫様に戻りましたね!」
などと笑いを含んだ声で揶揄いつついそいそと、うさぎの白い体を鼻先から尻尾まで撫で始める卯月の顔は大層明るい。ウキウキした気分が溢れて来て、それがこちらにも伝わって来るようだ。俺も卯月の隣に腰を下ろし、首を長く伸ばして伏せのような姿勢でうっとりと撫でられているうータンの毛並みを身近で眺めることにした。
念入りなブラッシングで常にツヤツヤに保たれていた白い毛並み。それがところどころ、束になって飛び出してしまっている。季節の変わり目はうさぎにとっては換毛期に当たる。うータンの毛も温かい冬用の毛が抜けかけて、あちらこちらボサボサになっている部分が見受けられた。
自然にその、抜けそうで抜けきらない毛束に―――目が吸い寄せられる。
「……」
「うータン、久し振りだねぇ……ああ、やっとうータンに触れられて、ホントに嬉しいよ!本望だよ!」
卯月は感激のあまり、熱のこもった声でうータンに訴えた。しかし訴えられたうータンの方は、撫で主の感動など耳に入らないかのようにひたすら伏せの姿勢で『撫で』を堪能しているように見える。ピクリとも動かない。その間俺の視線の先で、抜けそうで抜けきらない毛束は後足側の腰の位置で飛び出したまま。しかし撫でられるたびに、不安定にそよそよと揺れている。……ここでポトリと自然に抜け落ちたって可笑しくない状態だ。
「………………」
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。あれを抜いたら―――さぞ気持ちが良いだろうな。
「うータン、寂しかったよ~!もう天岩戸に籠らないでね」
そう、うータンに囁き続ける卯月の声は本当に嬉しそうで―――
「わっ……!」
その瞬間ピュッとうータンが稲妻のように卯月の手の下から飛び出して、ケージの中に一目散で飛び込んでしまった。
「え……なっ……た、たけしさん?」
「?」
「それ……」
突然の事に驚いてうータンを見送っていた卯月が、俺を振り向き目を見開いた。その視線の先にあるのは俺の右手だ。
「……あっ……」
「……丈さん、我慢できなかったんだね」
と、同情を込めた生温かい目を向けられてしまった。
それは完全に無意識のことだった。
俺の右手の―――親指と人差し指の間には、いかにも柔らかそうな白い毛束がひと房挟まっている。……と言うか、たぶん俺が自らの指で摘まんだのだろう……これはきっと、油断しきったうータンの腰骨の辺りに飛び出していた毛束だ。
どうやら見つめている内に、自然と手が伸びてしまったようだ。気持ち良く撫でられていたうータンは可哀想に、突然の刺激にさぞ驚いた事だろう。漸くこの部屋に馴染み始めた彼女が、心を開き始めた所だと言うのに……俺は自分の本能を抑える事が出来なかったのだ……!
「悪い……」
深刻なうさぎ不足に陥ったあまり、冷静な判断が出来なくなってしまったらしい。うさぎはどちらかと言うと、上半身より下半身に触れられるのを嫌がるのだ。つい先日まで新しい環境に警戒心を抱いて引き籠っていたうータンの毛束を引き抜くなら―――少なくとも先ず上半身から始めるべきだった。
「―――今度はもっと上手くやる」
すると突然卯月が、まるで堪えきれないと言うように笑い出したのだ。
「ぷっ……アハハ!丈さんったら、おっかしい……」
俺はいたって真面目に話しているのに。
何故か妻に大笑いされてしまったのだった。
どうしても我慢できませんでした。




