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捕獲されました。[連載版]  作者: ねがえり太郎
新妻・卯月の仙台暮らし
202/288

俺の妻が可愛くて仕方が無い。 <亀田>

亀田視点を追加します。

何でもない日常のお話です。

 以前昇進した時も多少感じたことだが、管理職としての地位が上がると職場で自分の仕事に集中出来る時間が激減する。単純に打合せや接客に掛ける時間が多くなるからそんな暇が無いと言う事もあるが、何よりもマネジメントをする立場の人間は自分の手元に集中するあまり周りに目を配れなくなるようでは不適格だ、と考えているからだ。


 かつてこの支店の営業企画部長だった桂沢さんが自分の個室の壁を取り払ったのは、彼女の誰であろうと分け隔てなく接する親しみやすい人柄を反映したものに見えるが、それ以上に目配りを隅々まで欠かさないと言う意味合いが大きかったのだろうと思う。

 例えば俺の直属の部下に当たる遠藤課長。あれには困った性質があると引継ぎを受けていた。上司の目の届かない場所で気に入らない部下にプレッシャーを与えたり、若い派遣社員に対してセクシャルハラスメントに近い行動を取っているらしい。あくまで噂の範囲でのことなのだが、部長席と部内のパーティエイションが取り払われて以降、就業中の軽率な行動は目に見えて減ったそうだ。―――というのは総務部の庄子部長の弁。彼は色んな所にパイプを持っているようで、本人はその事をあまり大っぴらに口にはしないがかなりの情報通だ。


 しかし噂止まりなのは、遠藤課長の行動がギリギリの線でとどまるような巧妙なもので、かつ上司の前では徹底してボロを出さないようにしている為であるらしい。桂沢部長から注意事項として引き継いだ話と、庄子部長の言葉が無かったらそう言う事に俺はまだ気付かなかったかもしれない。とにかく俺を警戒しているのか、俺の前では飲み会でもそう言った行動は見せていないのだ。俺は女であろうと男であろうと仕事場では部下は部下としか見る事が出来ないから、と言うか言い寄るとかそう言う暇があったら勿体ないから仕事の話をしたいくらいだから、遠藤課長の気持ちが全く理解できないのだ。そんな俺が派遣社員とは言え直属の部下である卯月と結婚しているのだから、人生とは妙なものだと思う。




 鬼東(おにあずま)は遠藤課長のことをバッサリ『支店の不良債権』と断じた。しかし彼にも役に立つ所が無い訳では無い。遠藤課長と言う悪役がいるお陰(・・)で、部下達の結束は硬く愚痴を言い合いながら連携を取っているようだ。だからそれほど大きな問題には至っていないのが救いだ―――と言うのは鬼東、もとい東常務の元妻であり現妻である桂沢部長だ。辛辣な鬼東の口調に苦笑しつつもフォローするように「要は『ハサミも使い様』と言うことよ?」と意味深に微笑んだ。その言葉に思わず気持ちを引き締める。つまりその遠藤課長をどう活かすかは俺次第、と彼女は言いたいのだろう。


 とは言えそう言う俺も支社ではその悪役の一味、と言う扱いのようだ。若い連中にとっては『悪の親玉』みたいな位置づけになっているらしい。―――と言う情報を俺に寄越したのは当の遠藤課長だ。彼は立ち回りが上手く、自分の上司(つまり俺)には部下達がその上司に反発していると言う情報を小まめに寄越し、部下達には彼等の反感を買うような上司(要するに俺)の粗を言いふらすタイプのようだ。こういった地味なネガティブ・キャンペーンは真面目に働いていれば、長い目で見て解消される類のものなのだ。だが、短期的には俺が出した指示を軽視されたりと、部内の士気を下げる要因にもなるので余り好ましいものではない。俺と直接接する機会の無い部下達なら、尚更俺のような『コワモテ銀縁眼鏡』に警戒心を捨てきれないだろう。

 頭の痛い問題ではあるが、まぁこれもささやかに増えた給料の内と考えて流すしかない。仕事の重さが金銭に見合っていないような気がしないでもないが……しかしもっと給料を上げてくれ、と訴えても売り上げなどの目に見える成果が出ない限り上がるモンでも無いだろう。まぁ兎に角今は、耐えて頑張るしかない。


 こう言う理不尽な待遇について、以前なら自分の気持ちを納得させ切れず鬱屈を抱え込んでしまっていた所だが―――今の俺は違う。そう言ったストレスが解消できる、素晴らしい場所があるのだ。

 ミミと共に一度失った平穏な場所、それがよりパワーアップして俺の手元に舞い戻って来た。卯月とうータンの待つ温かい家庭に帰れるのだ、と思い出すだけで俺の心も一気に軽くなる。『結婚っていいものだよ』なんて他人が当然のように口にする言葉を懐疑的にしか受け取れ無かった時期もあったが、今では素直に同意してしまう。


 だからこそ自宅ではもっと家庭の方に目を向けたいと思っているのだが、やはり体制に入れ替わりのある春は忙しい。せめて直属の部下がもう少し信頼できる人柄であるか、仕事の出来る有能な人間であったなら良いのだが―――いや、それは言っても仕方の無いことだ。遠藤課長は実は創業者一族の遠い親戚なので、地味に扱いに苦慮している。と、言っても遠い親戚なのは実は彼の奥方の方で、遠藤課長自体は直接血縁関係にある訳では無いらしいが。理不尽ではあるが苛立っても何かが解消されるわけでもないし、これも仕事と割り切るしかない。


 そう言う訳で職場で手を出せなかった個人的な仕事については、自宅で行っているのが現状だ。しかしせっかくのオアシスである自宅で仕事ばかりしていてもつまらない。出来る限り早く終わらせるため、集中できるようにかつて卯月の母親である紘子(ひろこ)さんが使っていた書斎を使わせて貰いパソコンに向かっていた。一段落した所でグッと背を逸らして肩を回す。それからギュッと瞼を閉じて目頭を揉んだ。最近目が疲れやすくなっている気がする。ストレスの所為か、それとも年の所為か……。


 暗くなりそうな思考を一旦切り替える為に、居間に出る。するとソファに座っている卯月が何やらチクチクと縫物をしているところだった。




「できた!」




 と、糸を切って手に持っている布切れのようなものをグッと斜め上に掲げている。


「何が出来たんだ?」

「えっ……あ!(たけし)さん、ちょうど良かった!」


 こちらも集中していたのか、俺が部屋を出て来た事に気が付いていないようだった。振り向いてパッと眉間を明るくした卯月は「ちょっとここに座って?」と俺をソファに座らせて、手に持っていた物を持ってキッチンへ引っ込んでしまった。


 いったい何をする気なのだろう?と思いつつ座って待っていると、キッチンからひょい、と顔を出し「なにか飲みたいものある?」と尋ねられる。少し考えて冷蔵庫にある物を思い浮かべ「……麦茶」と言うと「分かった!」と元気よく答えて、またキッチンへ戻って行き、直ぐに氷を浮かべた麦茶を手に戻って来た。そしてソファの隣に腰掛け、ニッコリとコップを手渡してくれる。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 クルクル働く卯月は可愛い。じんわりと胸が熱くなるのを感じて、ゴクリと喉が鳴った。仕事は大体一段落した。仕上げは明日早起きしてやっても何とかなるだろう。麦茶を飲む俺をニコニコ眺めている卯月を見ていると、どうにも落ち着かないソワソワした気持ちが湧いて来る。コップをテーブルに置きその手を伸ばそうとした時―――キッチンからピッと音がした。


 それを合図に俺の行動に気が付かなかった卯月が、スクッと立ち上がる。それから無言のまま、一目散にそちらに戻って行った。スカっと空を掴んだ拳を握って、ゆっくりと膝に戻す。


 どうやら盛り上がっているのは俺の方だけで、卯月の気分は通常運転らしい。少し恥ずかしくなって麦茶をもう一口飲んで気持ちを落ち着かせた。するとまた直ぐに卯月は戻って来た。小さなお盆に先ほど手にしていた布の袋を乗せてそのまま先ほどの位置、俺の隣に腰を下ろす。テーブルにお盆を置き、俺の方に膝を向け真っすぐ顔を上げた。




「お仕事お疲れさま。ちょっと休憩しない?」




 と言って「さ、横になって」とグイと俺の胸に両手を当て、圧し掛かるように体を押し倒そうとする。その仕草にひょっとして彼女も俺と同じことを考えていたのか……?と年甲斐もなくワクワクしながらされるがままに横たわった。すると俺の両肩に手を置いて、卯月が上から「目を瞑って?」と、恥ずかしそうに微笑んだ。


 こんな積極的な卯月は初めてだ。


 期待と不安が入り混じるような落ち着かない心を必死で宥めつつ、俺は大人しく目を瞑った。すると―――ふわっと温かい物に包まれる。


 しかし包まれたのは、予想していた場所では無い。瞑った両瞼の上に少し重みのある、じんわりと温かい何かが乗せられたのだった。


「どう?気持ち良い?」

「ええと……うん、そうだな」

「良かった!」


 目が塞がれた状態なので声の調子でしか判断できないが、卯月がホッとしたように笑った気がした。どうやらこれは卯月の手作りの何かなのだろう。目元に手をやると、布の中に温かい粒上のものがびっしり詰め込まれている感触があった。


「あのね、小豆を使ったアイピローなんだ。作ってみたの」

「へぇ、すごいな」


 料理や掃除なんかは得意な方だが、ボタンを付けたりするくらいで小学校の授業以来手芸的なものと縁のない俺には、こう言う物を自分で作ろうと言う発想が無い。だから素直にそう言う言葉が出た。


「丈さん、最近お仕事で目が疲れているみたいだったから。何か私にも出来る事がないかなーって思っていてね。図書館で作り方の本を見つけたから、これだ!って思って……」


 その言葉に思わず両手で顔を覆っていしまう。


「丈さん……?」


 俺の行動に首を傾げている(らしい)卯月の声を聞いて、胸にグッと込み上げるものがあった。今すぐ抱きしめたいと言う衝動に身を任せたくなったが、せっかくの妻の好意だ。大人しく癒される方が先決だろう。抱き締める代わりに手探りで彼女の小さな手を握った。


「いや、うん。気持ち良いよ……有難うな」

「うん!」

「……」




 ―――俺の妻が可愛すぎて仕方ないんだが。




 仕事の憂さも、努力が報われないことに対するストレスも、全て吹き飛んだ瞬間だった。

ただの惚気ですいません。

お読みいただき、ありがとうございました。

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