1.疲れてます。
『捕獲されました。』の亀田課長視点です。
何の因果か最年少で課長になってしまった。
年上の部下に気を使い、他課の課長には侮られ、同年代の野心家には妬まれ陰口を言われる。幸い比較的若い部下達はそれほど悪くない。悪いやつはいないのだが……やる気はあるのに見落としが多かったり、書類がやっつけで誤字が多い、大事な根回しを忘れている……など、自分が当たり前にやって来たような些細な事を蔑ろにしていたり、注意しても二度三度ミスを繰り返し、指摘を受けてもヘラヘラしてまるで堪えていない所を目にしてしまうと―――苛々が込み上げて蟀谷から血を拭きそうになる事もシバシバだった。
「お前ね、最近顔コワいよ」
総務課の同期、篠岡はいつも飄々としている。野心も無く、特に目立つ奴ではない。一年間で有休を限度ギリギリまで消化する事を毎年の目標としているらしい。実は同期で一番仕事が出来る奴だと、俺は思っている。篠岡は効率が良く要点を抑えるのが上手いので、無駄な残業をしなくても仕事を熟せるのだ。入社当初、もっと出来る筈なのに手を抜いてヘラヘラしているコイツが苦手だった。今思うと俺は、単に要領の良いコイツに嫉妬していたのかもしれない。
「はい、吸ってー吐いてー、リラ~ックス」
と、肩にダンっと手を置かれ自販機の前で呼吸指導をされる。
「眠れないんだ」
「ストレスでしょ?触れ合いが足りないんじゃないの?」
「触れ合い……」
「彼女と会ってないの」
「……振られた」
「また?!」
「……」
仕事にのめり込む性質の俺はついつい彼女をほったらかしにしてしまう。するとほどなくして相手から別れを告げられる―――と言うのがもはや定番パターンとなりつつあった。
仕事が面白くて、女性に声を掛ける時間があったら仕事をしたかった。だから今まで自分から相手に迫った事は無い。いつも向こうから告白されて付き合うのだが「こんな筈じゃなかった」と言って皆、去っていくのだ。
「ストレスって人と触れ合うと軽減されるらしいね。オキシトシンってホルモンが出るらしいよ」
相手のいない俺に言われても。最近気分が常に底辺に落ち込んでいる俺は、ジトッと飄々とした表情の掴めない男を睨んだ。
すると篠岡がニコリと笑って、腕を広げた。
「抱っこしてやるか?」
「……!い、いらん……!」
俺にそのスジの趣味は無い。それに三十五のおっさん同士が会社の廊下で抱き合う絵面を想像しただけで、更に具合が悪くなりそうだった。
ニヤリと意地の悪い笑い方をして、篠岡は腕を下ろした。こいつの冗談はキツ過ぎて、意味不明だ。しかし鬼東と陰で呼ばれる辣腕、東常務に気に入られてしまった俺が最年少で課長に昇進してしまってから、嫌味の一滴も交えず話し掛けてくれる同期の男は今やコイツだけになってしまった。
「ま、無理すんなよ」
肩をポン、と叩いて歩き出した去り際に、ポケットに手を入れ首だけ振り返ってついでのように奴は言った。
「オキシトシンな、動物でもいいらしいぞ」
「え?」
「犬でも飼えば?」
「犬……」
この忙しさじゃ、無理だろう。
ほとんど家にいないのに、散歩に連れて行くのは無理だ。そう思った。