8.困ってます。
カタールに行く辞令が出た時パパは「二年で帰って来る」って言っていた。だけどそれが三年になり五年になり……事情は色々あるらしいけど、なかなかパパの後を引き継ぐ人がいなかったのが大きな理由だそうだ。
四年目の時、ヤル気のある若者が赴任して来て―――パパは張り切って育てていたんだけど、何と真面目なその人は体調を壊して半年で帰国してしまったそうだ。どうやら胃に穴があいてしまったらしい。
夏には日常的に四十度を越える気温、日に五回鳴り響くコーラン、食生活の違い、それから湾岸地域に住む異国人との意識や習慣の違い―――などなど。その人はかなり我慢強かったらしい。だけど外に発散できないストレスが体の内側に向いちゃったらしい。
パパもあまり思いつめないようにって気を配っていたみたいだけど……結局その人はその場所に馴染めなかったのだ。と言う訳でパパの帰国は伸び、その後暫くして配属された若い人は四分の一アラブ人の血が入っている混血の日本人で、比較的土地に馴染むのは早かった。けれども仕事に慣れるのに時間がかかって更にパパの滞在は伸ばされたのだった。
そうしてやっとパパは帰国して本社勤務になった、と言う事なんだけど―――私に内緒で帰って来て、暫く職場の近くに宿を確保して身辺整理や仕事の引継ぎや忙しく働いていたらしい。そして連休に入って漸く身辺が落ち着いた所で私の家をサプライズよろしく訪れたのだった。
ちなみにママはパパの企みに加担していた。パパに頼まれて帰国するってコトを私に黙っていたのだ。けれどもアポなしで部屋を訪れるとまでは考えていなかったらしい。でも私が事の顛末を説明したら「晴明なら、やりそー!」って笑っていた。笑い事じゃないんですけど……玄関と寝床が直結している私のうさぎ小屋で、もしもチェーンをかけ忘れていたらと考えると血の気が引くよ。
あの衝撃のご対面の後、何故かパパはそのまま私の部屋に居座る事を決めてしまった。滞在していたホテルから荷物を持込み、其処から会社に通うようになったのだ。
だけど依然、ムッツリとした態度を崩そうとしない。
パパと言い争ったの……まずかったなぁ。
丈さんとの付き合いにも良い顔をしないパパから、これからどうやって結婚の承諾を得れば良いのか……。
えーん!これじゃ、いつまで経っても結婚まで辿り着けないよ~!!
「は~~」
「ため息ついて、どうしたの?」
顔を上げると、吉竹さんがニマニマしながら私を見ている。瞳の奥がキラキラと輝いていた。
好奇心いっぱいの彼女に対峙して、ダメージを受けて防御力が半減した私は誤魔化しや言い逃れを弄するだけのエネルギーを作り出す事が出来ず、結局色々と聞かれるままに暴露する事となってしまったのだ。
カフェランチをペロリと平らげた吉竹さんはコーヒーのカップをまるで乾杯のように持ち上げながら、ニンマリと笑っている。
「ほお~……ますます面白い事になってるのね、クフフ」
何『クフフ』って。隠し切れない感情が漏れちゃっているんですけど。人の不幸を楽しそうに……。思わず責める様な視線でジトッと吉竹さんを見つめてしまった。
連休開けの一週間が終わろうとしている。丈さんは『会社でな』って言ってくれたけど、実はまだちゃんと面と向かって話は出来ていない。連休後溜まった仕事をバタバタと片付けている合間に営業課をチラッと覗いてみたけど―――相変わらず忙しそうで声を掛けられなかった。営業課ほどじゃないけど、総務課も休みを取る日程をずらしているから人手が薄くてナカナカ余裕が無い状態だ。
短い遣り取りはスマホでしているものの、今週末はやっぱり丈さんと会えないかもと思うと溜息ばかりが出てしまう。彼からのお誘いもまだないし、あんな風に追い出してしまって……『気にするな』と言ってはくれたけれど、何となくこちらからは誘い難く感じている。
「全然、面白くないよ……」
「でも『気にするな』って言ってくれたんでしょ?優しいじゃん、亀田課長」
「だから余計申し訳ないんだよ……今週も会えるかどうか微妙だし」
「誘って断られたの?」
「ううん、でもあんな風に追い出してしまって気まずくって」
「えー、そこはフォローの為にもこっちから連絡した方が良いんじゃない?」
「そうかな?」
「そうだよ」
ウンウンと、大きく頷かれてしまった。
「よし、じゃあ今誘っちゃうかな」
「そーだ、誘っちゃえ!」
私の決意に吉竹さんが拳を振り上げてエールを送ってくれた。うん、きっと面白がっているんだと思うけど……でも何だかちょっと励まされるな。頑張るぞ~!
私はメールを打とうとスマホを取り出した。すると申し合わせたようにピコン!とメールの受信表示が。
「あ」
「どうしたの?」
「メール来た」
それは丈さんからのお誘いメールだった。
『今日か明日、帰りにどっか寄らないか?』
私は即返信!すると彼からも直ぐに返事が返って来た。
『行きます!行きたいです!』
『親父さんは大丈夫か?』
『大丈夫です!今日は飲み会って言ってましたから』
あんな事があったのに、パパを気遣ってくれるなんて。
ああ私の彼氏って何て素敵な男性なんだろう!
思わず感動のあまり、ジーン……とスマホを抱き締めてしまった。
その様子を興味深げに観察していた吉竹さんに、勿論その後散々揶揄われましたけどね。




