9.打ち解けていません。
湯川さん以外の営業課旧メンバーが大車輪で働いている中、面倒を見ていた新メンバーが今いち打ち解けていないのに気が付いた。
年下でコミュニケーション下手な辻が溶け込めないのは分かるが、同じ企画課出身でかつ同い年の目黒と三好の間に妙にヨソヨソしい空気が流れている。表だってギスギスしているという訳では無いのだが……。
「同い年ってどうしても意識しちゃうんじゃないか?」
「そうか?同性じゃないからライバル意識もそれほど無いと思っていたんだが―――やはりそういうもんかね」
「女の子でもね、ヤル気のある子には男性社員に対抗心を露わにする子もいるからね。ましてや三好ちゃんって企画課の新エースって目されていたんでしょ?プライベート重視って言いつつ、その……目黒だっけ?男の方も仕事で女に負けていると思うと、プライドが刺激されて苛々しちゃうのかもしれないしね」
俺にはどちらの気持ちも、あまり理解できない。人から何を言われてもやるべき仕事はやらなければならないから、成果を上げてやっかまれる事もあるだろう。それは当り前の事だ。
が、どちらかというと比較的三好の方が理解できるかもしれない。プライベート重視の目黒が、努力して成果を上げた三好をやっかむのはどうかと思う。羨ましいなら自分も仕事をすれば良いのではないか、と単純に思うのだが。
しかしそれ以上に意外だったのは、そういう悶々とした若造達の心理を察する篠岡の台詞だ。
「……お前でもそういう事、考えるんだな」
またしても偶然自販機前で顔を合わせた篠岡に、俺が抱いていた違和感の話をしたら意外と繊細な答えが返って来たので驚いたのだ。
「えー?そりゃ考えるでしょ。俺の事なんだと思ってるんだ」
「……マイペースで周りを気にしない……神経が俺の五十倍くらい太い……」
「いやいや、結構俺、繊細よ?」
「毎年有休、限度まで消化するヤツは確実に図太いと思う」
「休みでも取らないと、俺のホッソイ神経がすり減っちゃうんだよね。休みも取らず働きまくるお前の方が、ずっと図太いと思うけど」
そう衒い無く口に出せる神経が『図太い』と言っているのだが。
俺なんか上司より多く有休を使おうものなら、罪悪感を抱いてしまうだろう。珈琲を味わいつつノホホンと笑う篠岡を見ながら、俺の方がコイツより絶対絶対、繊細だ!と確信を新たにした。
ウサギを飼っていると、以前ボンヤリ抱いていたウサギに対するイメージが覆される経験をする事がある。本当に色々と驚かされる事が多いが―――多数のウサギが抱っこが苦手、というのもイメージと違った。もっと大人しい生き物だと思っていたから。
抱っこなどしなくても、あちらから鼻づらを突き付けて来たりするので触れ合う事は十分可能なのだ。が、健康管理上どうしても抱っこしなければならない時がある。
これは少々慣れが必要なので、初心者の頃達成するのにかなり苦労を要した。
最初は俺の(抱っこするぞ~抱っこしてみせるぞ~)と言う気配が伝わって、なかなか捕まえる事が叶わず、一日追いかけっこで終わってしまう日もあったくらいだ。
今ではそういう気配を一滴も滲ませず、恒例のナデナデタイムで油断している所をガシっと拘束する―――という荒技も身に着けた。
今も月一回の爪切りのため、ミミを素早く捕獲した所だ。抱っこが苦手なミミだが、何故か引っ繰り返すと大人しくなる。だから毎回爪切りの時は仰向けにして、更に事故を起こさないよう念のため太腿の間に挟み込んで固定する。ヒクヒク鼻を動かしつつ大人しく固まったウサギの、ふさふさと毛の生えた足の裏を親指で固定し―――専用の爪切りで爪をカットする。刃に空いた丸い穴のような所に爪を差し込み、取っ手を握るとその先端部分をカットできるというものだ。
ウサギの爪には血管が通っているので、通常それを傷つけないよう光に透かして確認しつつ―――伸び過ぎた余分な部分をカットしなければならない。
しかしミミは黒ウサギだった。
つまり黒ウサギは爪も黒いのだ。もうこれはほとんど勘でカットするしかない。今ではすっかりお手の物だが、最初のうち、切った爪の先から赤い血が出て来て大層慌てた経験がある。神経は通ってないので痛くは無いそうだが、怪我をさせてしまったようで何とも後味が悪い。
ネットに書いてある通りティッシュで暫く押さえると止まったのでホッとしたが―――止血のためいつもより長い間拘束されてイライラが溜まったミミは、血が止まって解放されるた途端、ピュッと自分のケージの中に走って逃げ込んだ。
そしてそのすぐ後、後ろ足をダンっと床に打ち付ける音がケージから響く。
ちなみにウサギ飼いの間でこれを『足ダン』と言う。
苛々したり、不愉快な事があったりすると抗議を込めて、ウサギは足ダンをするのだ。
ミミは相当お怒りのようだが―――『足ダン』を聞いて……何故か頬が緩んでしまうのを止められ無い俺は、飼い主失格なのかもしれない。




