I'm home……Mom!
僕を産んだ人はコシィーという名をしていた。だけど、僕のお母さんはシジュンだと信じている。
どうして子はお母さんを選べないのだろうか。僕の体にコシィーの血が巡っているから、僕はコシィーの子なんだろうか。
僕を愛そうとしてくれたのはシジュンだというのに、それでもシジュンは裁かれるべきなのだろうか。
「……ちがう。あなたたちの判断は間違ってるよ。シジュンはただ、僕を愛してくれただけなのに」
「まだ言っているのかい? 君の言う愛は、ただの誘拐なんだよ。分かるかい? ほら、おじさんたちと一緒に行こう。お母さんは君を愛してくれないかもしれない。だけど、施設が君を愛してくれる」
彼らは分からないのに分かったような口ぶりを取る。まだ子どもの僕ですら理解できるよ。
誘拐なんてただの記号だ。誘拐だろうがなんだろうが、僕はシジュンに愛を感じたんだよ。
――I'm home……Mom!――
「モー。ちょっとここで待っていてね。トイレに行ってくるから」
最後に見たコシィーの後ろ姿はとても憎かった。まだ10歳の子どもとは言え、人気のない街の外れに置いてけぼりにされたんだ。
分かるよ。捨てられたことくらい分かる。不思議と悲しみはなかったけどね。少し笑みだって零れたよ。
コシィーは機嫌が悪くなると僕を殴るんだ。「どうして私ばかりこんな目に。たった一人であんたの面倒を見てる身にもなってよ!」ってね。
そんなこと知らないよと思いながらも、僕はただただ殴られていた。僕こそ言いたかったよ。「どうして僕があなたのエゴの犠牲にならないといけないの? たった一人であなたに面倒を見られている身にもなってよ!」ってね。
だけど、僕にはコシィーの血が流れてる。恨んでいても帰りを待ってしまうものなんだと思った。
何時間待ったかな。気にもしていなかったよ。
「……やっぱりね。これからどうしようかな。街に出て泣き叫びでもすればだれか気にかけてくれるかな?」
捨てられたと確信しても、僕はすごく冷静だった。これも一種の解放感のせいなのか、コシィーのせいで頭がおかしくなってしまったのか。
そんなことを悩んでいたら、シジュンは現れたんだ。
「大丈夫!? ……お母さん帰ってこないね」
僕を抱きかかえ、シジュンは心配そうに僕に声をかけるんだ。これが心配されるということなのかと思った。
「うん……」
さっきまで冷静だったのに、どうしてだろう。声が出なくなった。
「怖かったね。辛かったね。だけどもう、大丈夫だからね。私はシジュン。君は?」
「モーだよ」
僕が名を告げると、シジュンは顔をクシャクシャにして笑みを浮かべたんだ。
僕は、シジュンの笑顔が好きだった。安心するって気持ちも……シジュンに教えてもらった。
「モー、大丈夫だからね。私がお母さんになるわ」
「えっ?」
シジュンは僕にたくさん事情を語ってくれた。偶然ここを通りかかったこと。自分が子どもを産める体じゃないこと。そして……僕の目が何かを諦めていたように感じたこと。
シジュンは僕を見てくれていた。10年を共に過ごしたコシィーよりも、出会ったばかりのシジュンの方が。
「……うん」
僕は大粒の涙を流し続けた。シジュンはそんな僕をしっかりと受け止めてくれた。あのクシャクシャな笑顔で。
数日の間、僕はシジュンの家で暮らしていた。正直、どこにも行きたくないと思った。
もし、こんな生活を僕と同年代の子どもが過ごしているのなら、この世に平等はないと思った。
「今日の朝ご飯は、モーの好きなホットケーキよ」
「私の好きな物? そうね、お花かしら。花束から香る匂いは落ち着くわ」
「ふふふ。モーは面白い子ね。子どもとは思えないくらいユーモラスだわ」
思い出せば思い出すほど、幸せな日常ばかりが蘇る。いつまでも忘れることのない思い出になるのだろう。
短い間だったけど、僕にとって今までの十年がウソに思えるくらい幸せな時間だったんだ。
だけど、やっぱり平等はなかったんだ。どうやら神様は僕が嫌いらしい。どれだけ祈ろうと、嫌いな子には天罰が下るんだ。神様も勝手だよ。
「……どういうこと?」
「見ちゃ駄目! 大丈夫だから。怖がらないで、モー」
この日のニュースには目が釘付けになった。だって、コシィーが泣きながらニュースに出ていたのだから。
今思えば、世間的におかしいと思われたのだろう。子どもが一人消えているのだから仕方ない。だから、コシィーは被害者の振りをしたんだ。
「誘拐……?」
コシィーは、マスコミに僕が誘拐されたのだと説明した。目を離した隙にいなくなったと。これは誘拐に違いないと。
『あぁ、愛しのモー。どこかで見てくれていることを願うわ。私よ、お母さんよ! 絶対助け出して見せるから』
大粒の涙を流しながらコシィーはそう言った。汚らわしかった。愛も涙も、コシィーのすべてが汚らわしかった。
僕は昔、コシィーから学んだことがある。「モー。いい加減になさい。ウソをつけば罰が下るのよ」と。
僕はその通りだと思った。どれだけ世間がコシィーのウソに感化されようと……コシィーにはいつか大きな罰が下るだろう。
その日以降、僕とシジュンに安息の日はなかった。僕の顔写真が公開された。すぐに目撃証言が集まった。
だけど、目撃者は疑問に思ったみたいだね。僕が楽しそうだったからだ。だけど、それは僕が子どもだということで押しつぶされた。
誘拐犯にオモチャでも買ってもらっているのだろうと。騙されているのだろうと。ふざけるな。騙されているのは子どもの僕じゃない。あんたたち大人だ。
「モー。ごめんね。私のせいで……ごめんね」
「お母さんのせいじゃないよ。お母さんは僕に愛をくれた。お母さんのせいじゃないよ……」
警察に追い詰められながら、僕たちは逃げ続けた。だけど、女性と子ども一人の逃走劇なんて長くは続かなかった。
「おとなしくしろ! この、誘拐犯め!」
「モー! モー! ……強く生きて……」
シジュンは警察に荒々しく取り押さえられ、僕たちは引き離された。そんなときでもシジュンは僕のことを気にかけてくれた。
「モー! よかったわ。本当、心配したんだから。無事でよかった……もう、勝手にどこかに行っちゃ駄目よ?」
騒ぎがおさまった後、コシィーが僕の腕を取り白々しく言葉をかけてきた。
僕はもうどうにでもなれと思った。僕はまた……何かを諦めようとしていた。
だけど……。
「あんた! 私の息子になんてことを! 誘拐なんて許されることじゃないのよ……たっぷりと賠償してもらいますからね。覚悟しておきなさい」
頭で考える前に僕の体が動いていた。
「止めろ!!」
「きゃっ!」
僕の手の平とコシィーの頬が赤みを帯びた。
「モー……止めなさい。私のことはいいのよ……モー」
「何するのよ! 私が助けてやったのよ!? あんたを……どうしようもない病気持ちのあんたを! そんな私をぶつなんて……何を考えているの!?」
その時の僕に、コシィーの言葉は届いていなかったと思う。ただ、怒りに満ちた汚らわしいコシィーの顔と、慈悲に満ちた、聖母のようなシジュンの顔が僕の瞳に映っていた。
「ふざけるな!! シジュンは……シジュンは僕に温かく接してくれたんだ! お母さんは……いや、あなたは僕をそんな目で見てはくれなかった」
気が付くと、僕は泣き叫びながらコシィーに言葉を投げつけていた。非常にめんどくさそうな顔をしていたと思う。
「そんなあなたが、気安くシジュンに声をかけないでよ! 僕はあなたの息子なんかじゃない。こっちから願い下げだ。よかったじゃないか。もう、言い訳しないで済むよ。周りにいい顔をしないで済むよ。僕の方から離れてやろうと言うんだ。……もう、どこかに行けよクソ野郎!!」
「……いつからそんな口が聞けるようになったの? 母親であるこの私に。今まで面倒みてやったこの私に!」
「止めて!!」
「うるさいわね!!」
「止めろって言ってるだろ!!」
僕を庇おうとしたシジュンを突き飛ばしたコシィーに飛びかかった。もうめちゃくちゃだ。
警察も察したのか、僕たちを引き離した。僕は警察に事情を話した。でも、警察は取り合ってはくれなかった。
事実がどうであれ、シジュンの働いた行為は誘拐として処理される。僕のお母さんが僕のせいで法に裁かれる。その事実が、僕にはとても重かった。
「ええ。この花をたくさんください。敷き詰められるだけ敷き詰めて」
この街の空気は久しぶりだ。何も変わっていないようで細かく変化している。こんなところに花屋なんてなかったと思うのだけれど。
「プレゼント? そんなところです。お恥ずかしい話ですが、まだ母にプレゼントをあげたことがなくて。……はい。とびきりの花束をお願いします」
ドキドキする。不安もある。だけど、どこか安心していた。家に近づくにつれ、美味しそうなホットケーキの匂いが僕の鼻孔を刺激したような気がした。
チャイムに手をかける。少し震えていた。チャイムを押す。汗がにじんだ。ドアの空く音がする。僕と目が合い、少しの間、静寂の間が流れた。
こころよく僕を迎えてくれた。心の底から安心させてくれる、クシャクシャの笑みを浮かべていた。
……ただいま、お母さん。
子は親を選ぶことができない。もしも、子どもを育てる瞬間が訪れたときは、しっかりと子を笑顔にさせてあげられるような環境と心を持ち合わせた上で育てていきたいものです"(-""-)"