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また、明日。






廊下から聞こえる生徒達の落ち着きのない声に、狩野譲は深く深く溜息を吐いた。






校舎の端の方にある風紀室まで喧騒が届いてくるぐらいに、校内の様子はひどく落ち着かない。それもそのはず、この由緒正しき不良共の掃き溜めである我が九重東学園唯一の天使に、ついに恋人が出来てしまったのだ。

全校生徒達の嘆きは目も当てられないほどで、お通夜状態の生徒もいれば、手当り次第に八つ当たりをして備品や周りの生徒に当たり散らすバカもいる。前者はまだしも後者は傍迷惑な限りで、それらの後始末に風紀委員は今日も休む暇がない。



散らばったゴミや割れた窓ガラスの後始末、派手な喧嘩をしていたバカどものお片付けまでえんやこら。力仕事は三船など体力が有り余っている委員に任せて、狩野はひたすら目の前の書類を片付けていく。






どれだけ時間が経っただろうか。廊下の喧騒も遠のき、窓から夕陽が差し込み始めた頃。前触れなく風紀室の扉がガラガラと開いた。






「ただいま戻ったでー。はぁ…ホンマに疲れたわー」


「お疲れ様です委員長」


「ユズりんお茶入れてお茶ー」


「粗茶ですが」


「口付けたペットボトルは先輩に渡すもんちゃうやろ」






文句を言いつつも喉が乾いていたのか、夏伐は差し出されたらペットボトルを躊躇なく飲み干す。貰ったペットボトルの代わりと言わんばかりに夏伐から手渡された書類に、狩野はわざとらしく眉間に皺を寄せた。





「…これは僕ではなく委員長が処理するはずの書類ですが」


「傷心の可哀想な先輩を気遣って、可愛い後輩が進んで仕事を手伝ってくれると信じてるで!」


「嫌です」


「冷た!即答すな!!」


「…………………………………………………………………………………………………………………………嫌です」


「結局考え抜いても断るんかい!」






突き返された書類で後輩の頭を軽く叩くも、夏伐はそれ以上粘ることなく溜息ひとつで自身の席に戻る。そのまま無言で机に積み上げられた書類に目を通し始めた。狩野もまたそれを見届けた後に自身の業務に戻る。







夕陽が差し込む風紀室には時計の音だけが響いている。いつになく物静かな委員長に対して、狩野は疑問に思っていた事を投げかけた。






「………どうして」


「…ん?」


「どうして、真由を諦めたんですか」


「…」


「委員長なら力ずくでも奪えたでしょうに」


「せやな」





ギシッと体重をかけた椅子がきしむ。夏伐は深く深く息を吸い込み、そして囁くように気持ちを吐き出した。





「…諦めた、訳ちゃうけど、なんや、あー…」


「…」


「アイツといるのが真由ちゃんの幸せや、て本人に言われてもうたし」


「…」


「………しゃーないな、と」


「………そう、ですか」


「あのアホが真由ちゃんを不幸にしよったら、すぐかっさらいに行くけどな」





夏伐はニヤリと笑って重ねた書類の束を机の端にまとめる。わざと悪ぶった顔を作っているが、幸せな恋人たちを邪魔する一般生徒たちを蹴散らしたり、アホ扱いした男が罠に嵌められそうになっていたら先回りして企みを潰したりなど、鬼の風紀委員長がずいぶんとかいがいしいことである。恋とは人をこんなにも盲目にさせる。





「…委員長はお人好しですね」


「馬鹿にしとるんかユズりん」


「いいえ。…褒めてる、つもりですよ」


「さよか」





消えない恋心を抱えたまま、既に他人の物である愛する少女のために、彼は尽くし続けるのだろう。肉食系にしか見えない風紀委員長がこんなにも献身的な人間だと誰が知りうるだろうか。そして報われない献身と燃え尽きない恋心からくる情欲は、計りにかけたのちに最終的にどちらが上回るのか。狩野の胸中にかすかに過ぎったのは、夏伐の未来を想っての憐憫だった。あーあ、かわいそうなひと。その植え付けられた恋心は、思い出になんか出来ないというのに。側にいればいるほど、苦しむことになるだろう。





「…ま、可愛い恋人が居なくても、オレには可愛い可愛い後輩たちが慕ってくれとるからなー寂しくはないなー」


「………居ましたか?風紀にそんな奇特な後輩」


「おう。手始めにまず今斜め前に座っとる仏頂面の後輩や」


「…?」


「後ろ振り返んなや!!ユズりんに決まっとるやろ!!」


「ちょっと何言ってるか分からないですね」


「ツンデレすぎるでユズりん…」





机に崩れ落ちた夏伐を横目に狩野は最後の書類をしまう。時計の針はずいぶん進んでいて、そろそろ帰る準備をしないと先生に怒られてしまう。夏伐も狩野が片付けを始めた物音でガバッと身体を起こし、狩野に続く。






「忘れ物はありませんか?」


「おう。ユズりん今日の帰り、飯食いに行かん?」


「すみません。今日はちょっと用事が…」


「オレとその用事と、どっちが大事なのよ!」


「10:0で用事ですね」


「ユズりん今日いつも以上に冷たない!?」





騒がしくしながら職員室へ鍵を返しに行くと、相変わらず仲がいいなと残っていた先生がたに笑われてしまった。無意識に出そうになる溜息を噛み殺し、先生に絡み出した夏伐を引きずって下駄箱へ向かう。






「あ、ユズりん。オレ忘れ物したっぽいから先帰ってええで」


「僕と忘れ物と、どっちが大事なんです?」


「っ!ユズりんに決まっとる!!!」


「ありがとうございます。ではお先に失礼します」


「そこで帰るんかーい」





下駄箱前の廊下で立ち止まり、狩野は夏伐から手を離した。夏伐にまっすぐ向かい合い、狩野はにこりと笑う。





「お疲れ様でした。また明日」


「…ユズりん?」


「はい?」


「………ユズりんは、」


「はい」


「オレから、離れたり、せえへんよな」





帰ろうと離した手を逆に掴み返され、狩野は困惑した様子で首を傾げる。どうにか離してもらおうとするも、力の差もあり抜け出せる気がしなかったため、不満げな表情で夏伐を睨みつける。






「…言ったでしょう。僕は、委員長を裏切る真似はしません、と」


「…」


「急にどうしたんですか?怖い顔ですよ委員長」


「…………何もないで。すまんな変な事言うてもうて。気をつけて帰り」


「はい。委員長もお気をつけて」


「また明日な。ユズりん」


「また明日」









狩野は平然と嘘をつくと、お辞儀をしてその場を立ち去る。背中に夏伐の視線を感じていたが、振り返ろうとは思わなかった。狩野譲に明日は来ない。通学路の角を何度も何度も曲がり、夕陽も届かない路地裏へ狩野は静かに吸い込まれていった。






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