▼扉を開けますか? ◇yes or ◇はい
扉の前で深く息を吸い込み、胸の前で静かに十字を切る。
根っからの無宗教ではあるが、祈る素振り位はした方が良いだろう。なんせ、とっくの昔になくしたはずの生存本能らしきものがガンガン警鐘を鳴らしている。これ即ち、入るな危険。
見慣れた筈の風紀室の扉がなんだか地獄の門のように見えてきて、少し目頭が熱くなった気がした。何度でも言おう。どうしてこうなった。
ゆっくりと扉に手をかけ、開く。
見慣れた風紀室の奥には、見慣れた人間が椅子に腰掛けていた。
視線は交わらない。その場で立ち尽くす訳にもいかずそのまま室内に足を踏み入れ、後ろ手に今入ってきた扉を閉める。ガタンという音が嫌に響いた。知らず息を止めていた事に気付き、苦笑いが漏れる。相変わらず生きてるみたいに反応する身体だこと。
思考の合間に聞こえた微かな衣擦れの音にハッと意識を戻すと、いつの間にか委員長が立ち上がり此方へと歩み寄っていた。退路を断った手前逃げる訳にもいかず、黙って反応を返せずにいると勢い良く胸倉を掴まれ先程閉めた扉に力任せに押し付けられた。
「ユーズーりーん」
語尾にハートマークが付いてそうな位にドスのきいた声である。
「はい」
「オレは、いま、とってもとーっても、悲しい」
「はい」
「可愛がってたワンコに、ガッツリ、手ェ、噛まれた感じ?」
「はい」
「何か、申し開きは、」
言葉を発する度に胸元に力を込められ、少しずつ肺から息が漏れ背中の方からも嫌な音が鳴る。後ろの扉、さっきからギシギシ鳴っているけどコレ大丈夫なんだろうか。風紀委員自ら校内の設備を破壊するのは如何なものかと思う。
「………ないんか?」
あ、気付いたら委員長の顔が完全な無表情になってる。音程が更にワンオクターブ下がるなんて委員長ってば音域広い!なんて、巫山戯てる場合じゃなさそうだ。ぶっ殺されそう。
「僕は、」
「…」
「僕は、委員長を裏切る真似はしません」
「…」
『狩野譲』が委員長に対して告げる言葉はこれだけだ。
入学当初からサンドバッグになっていたところを助けてもらい、その恩を返す為に影になり日向になり尽くしてきた後輩の言葉を、さあどう返す?夏伐勇人。
「…さよか」
あ、これは殴られるやつだ。
予想と反して振りかぶられた拳はそのまま私の顔のすぐ横に向かって放たれ、背面にあった可哀想な扉が衝撃でひん曲がる。
委員長はそのまま私を解放するとくるりと此方に背中を向け、溜息を吐きながら自分の定位置へと戻った。
「…殴らないんですか?」
「殴って欲しいんか?」
「嫌ですけど」
「せやろな」
委員長は椅子に座ると机に組んだ足を乗せ、背もたれに深く身体を預けてもう一度溜息を吐く。
「オレはホンマにユズりんに甘々やなあ」
「委員長、机に足を乗せるのは行儀が悪いのでやめて下さい」
「さっき殴られそうになっといてそれかい!なめとんのかオマエ本気で張り倒すぞ!!」
「委員長、書類の山が崩れてきてるので大人しくして下さい」
「ア、ハイ」
無造作に委員長の机に近寄り積まれた書類の山を整えると、委員長と目が合った。顔を見ても何を考えているんだかサッパリわからないが、機嫌が悪くなさそうなところを見るとこのまま無罪放免で釈放の予感。あれだけヒロインに群がるアリ共に地獄を見せていた委員長にしては随分甘ったるい措置だ。何か裏でもあるのかもしれないが、全くわからない。
「何も話してませんが、もう用はお済みですか」
「おう…もうええわ…しゃあないから見逃したるわ。わかっとると思うけど真由ちゃんに手ェ出したら…」
「言ったでしょう。僕、そういうの興味ないんですよ」
「やっぱりホ「は?」…スミマセン」
どうやらいつも通りの雰囲気に戻ったようだ。仕事がないわけではないが些か気まずい空気のため一度風紀室から出る事にした。去り際にヒラヒラと振られた手に会釈で返すと、扉を閉め足早にその場から離れる。
対委員長との修羅場で無傷の帰還という現実に違和感しかないが、とりあえず運が良かったとでも思えばいいのか。ひとまず謎は残るが一段落してなにより。
と、まあ。
気を抜いていた訳で。
「つーかまえた!」
背中に柔らかい感触がドサリと被さる。
あー、うん。一難去ってまた一難。
厄日か何かかなあ本日。今度お祓い行こうかな真面目に。




