月夜にて
とおくのおやまにはもののけがおるそうな
なんでもひとをくらうおそろしいもののけだそうだ
ああこわい
おぞましいはなしだこと
ざわざわと人の行き交う都で
ぽつりぽつりと流れる噂がある。
人々は冗談半分で笑いながら話しているものの
その眼差しはなにかに怯える弱者の眼だ。
まるで光の差さぬ闇夜に、その物の怪の姿が垣間見えるかのよう。
ぽつりぽつりと液体が上から下に流れるように、泥水が地面に染み渡るように、じわりじわりと人々は恐怖で染まっていく。
となりのいえのおやじがいえにかえってこんらしい
いとしいあのひとからふみがかえってこないわ
ねえわたしのかわいいあかちゃんはどこ?
闇夜に紛れて悪意がニタリと微笑んだ。
恐怖は伝染していく。じっくりと確実に。人々を闇に引きずり込んでいく。
逃れる術もなく、救いなど何処にもありはしない。
もはや全ては私の手のひらの上だ。
「全ては蓮華様のお望みのままに」
「誠にそなたは愛いやつじゃのう、朔夜」
月の光とわずかな灯火に照らされた室内には二人の影があった。
ゆらゆらと動くその影は片方は人の形を保っているものの、もう一方は巨大な狐の姿を象っている。
「ああ、しかし、退屈で退屈でたまらんのう。はよう何か面白い事でも起きればよいのに」
影も実物も確かに人の形をしているはずなのに、どこか違和感を感じさせる女が愚痴を零す。
立ち上がってなお床まで引き摺る黒髪と、豪奢な紅の着物のせいか、少し身動きをとるだけでも気だるそうな素振りを見せている。
まるで死人のような真っ白の顔色とは裏腹にひどく表情は豊かだった。眉間に皺を寄せて整っていたであろう顔立ちを台無しにしている。
対して狐の影を持つ男はとても静かだった。膝をつき足元に頭を寄せて全く顔を上げようとはしない。気まぐれに女が男の頬を足の甲で撫でるとビクッと肩を震わせた後に恐る恐る顔を女に向けた。その表情は歓喜と興奮に染まっていて、目からは完全に生気が抜けていた。
「去れ」
「はっ」
宝物に触れるような繊細さで男は女の足に口付けると、もう一度頭を下げて静かに部屋を出ていった。
暫くそれを見送った後に女は懐から煙管を取り出すと火を点けて深く吸い込んだ。
「ファンタジーより先に和風が来たかあ…」
お察しのとおりお馴染みのゾンビである。




