皆大変よねぇ【璢娘】
※璢娘さんに本命はいません
バレンタインデーなんて、誰が作ったんだろ。こんな日要らないのに。そうは思いながらも、皆がやっているという事実に流されてやってしまう。
まぁ、女子の為ならいいのだけれど。友チョコだけがバレンタインデーに渡すものだったとしたら、醜い争いも起こらないのに。
今日は自由登校だったけれど、私は女子に友チョコを渡すために教室に来ていた。女子は緊張するのかそわそわしている。月華ちゃんもそんな一人だ。
「今日は特別授業って事で、先生はお休みで~す!」
集まった女子達が、一定時刻に先生が居ない事に気が付き不安そうにしていたので、私は皆を安心させようと比較的大きな声で言った。
「あ、月華ちゃんおはようっ♪はいっ、友チョコよん♪」
そのノリのまま、さっき来たばかりの月華ちゃんに袋に入ったロリポップを手渡しした。
彼女にとって今日は、バイトの面接の日のように大切な日。本命のチョコレートを用意しているのだから。
月華ちゃんは酷く緊張しているようで、時々教室を行ったり来たりしている。
「本命、頑張って渡さないとだね!月華ちゃんっ!」
「うっ、うん。」
近くにいた月華ちゃんに軽く言うと、彼女は頼りなさげに答えた。
男子から見たら、この子は守ってあげたい女の子に見えるのだろう。しかし私には――何かを恐れているような、そんな感じに見えた。
一通り友チョコを渡し終え、帰宅しようと支度をする。皆はまだ用があるのか帰ろうとはしない。
月華ちゃんや璢胡ちゃんが教室を出ていくのを見守ってから、私は教室を出た。
「皆、頑張ってね!」
廊下はひっそりとしていて、教室とは対照的だった。でもそれは私にとって都合のいいこと。正直、『チョコレート戦争』に巻き込まれたくはない。普段大人しい女子が必死になって好きな人に渡そうとするのを眺めるのはいいけれど、人気な男子を好きになった女の子に起こりがちなあの喧嘩を見たくない。
私は何となく音楽室に行きたくなって、階段を上がった。
廊下はやはり静かだ。そんな廊下に響く一つの音。
『ソ』?
私はその音が気になって、音楽室を見に行く事にした。
重い扉には不思議と鍵が掛かっていなくて、容易に入る事が出来た。見た限り、人がいる気配はない。
ピアノと対の椅子にも誰も座っていなかった。
私はそのピアノの椅子に腰掛け、ピアノを演奏し始める。
演奏するのは、私が小さい頃によく弾いていた、懐かしい曲。指が勝手に動く程に練習したあの曲は、感覚的に私の中に残っていたようだ。
「・・・。」
誰かの視線を感じて、演奏を中断し後ろを見るが、誰もいない。気のせいかとまた演奏し出すと、また視線を感じた。
誰かいるのだろうか?
「演奏、そのまま続けて」
急に声だけが聞こえて来た。多分、聞き覚えがないから沙灑くんだと思う。私は彼が言う通り演奏を続けた。
様子を伺うようにシン、と静まり返った音楽室に響く、懐かしい音。少し経つと、聞きなれないメロディーが追加された。
恐らく、キーボードの音。
この教室にはキーボードはおいていない。キーボードが置いてあるのは、軽音楽部が使う視聴覚室だけ。
視聴覚室は音楽室のすぐ隣だ。彼はどうやら今視聴覚室にいるらしい。
懐かしい音にプラスされた新しい音。それでいて変な感じがしない。合奏なんて久々だなぁと思いつつ、思うがままに指を動かす。
無意識に指を動かしている間に浮かぶのは、あの子達の事だった。
月華ちゃんと璢胡。あの二人はどうなったんだろう――。月華ちゃんは心配ないかもしれないけど璢胡は――。
あの子は普段から自分の感情を隠すから、今どうしているのかが気になる。また無理していないだろうか?
――そういえばこの曲、璢胡が大好きって言っていた曲だっけ――。
そんな事を考えている間に、向こうの演奏が止まっていた。
なんだ、もう終わり?
名残惜しさが静寂と共に浮かぶ。私は彼を探して視聴覚室に向かった。
「沙灑くーん?」
聞いてはみるが、返事はない。その代わりに聞こえたのは、『ソ』の音だった。キーボードで音色を変えたのか、ビブラホンの音になっている。
キーボードがある方を向くと、沙灑くんが立っていた。
璢夷の後ろにいるのは良く見掛けるけれど、こんなにはっきりと彼を見るのは初めてだ。
彼は特に隠れるような動作もなく、キーボードの『ソ』の音だけをポーン、ポーン、と鳴らしている。
「沙灑くん、どうしてソの音なの?」
「・・・一番、分かりやすい音だから」
「ビブラホンなのは?」
「あの子がついさっき演奏してたから」
「あの子?」
彼は2つ目の問いまで答えると口をつむんでしまった。
「あの子って・・・沙灑くんの好きな人?」
「・・・。」
何も答えてくれなかった。けど、さっきまでの問いに答えてくれただけでも凄いことなので、特にイライラしたりはない。
でも、問いの答えは彼の表情に出ていたので言わずとも分かった。俯いた沙灑くんの頬が少し赤いから、答えはイエスだったんだろう。
こんなに純情な子、あまりいないなぁ・・・。
そう考えた瞬間に、彼を応援したがる私がいた。何も出来ない彼のサポートになりたい。そして、あわよくば彼と彼の好きな子を結ぶ橋になりたい。
恋のキューピッドになりたいと私は思った。
「私、沙灑くんの事・・・応援する!」
俯いたまま首を横に振る彼に近づき、肩を軽く叩く。びっくりした彼はすぐに顔をあげた。
「!?」
「任せて頂戴。相談ならいつでも乗るわよ!璢夷の姉の私にどーんと任せなさぁい!」
「・・・有り難う。でもいい。」
「えっ?」
単なる善意での一言は、彼の言葉で跳ね返された。
どうやら彼は、他人から力を借りずにこの恋を成就させたいらしい。
本当、大変よね。恋って。でも必死に頑張るその姿、嫌いじゃない。
ますます応援したくなった私は、どうにかして彼をサポートする事を決めた。
まずは、情報収集から始めないとね。いつか必ず、二人を繋ぐ橋になってあげるの。