ラブストーリーのその先は
性行為を匂わせる描写があるため、念のためR15にしています。
ご注意ください。
私の両親は仲が良い。
それは結構なことだと思われるかもしれない。
でも考えてみて欲しい。
例えば、恋愛小説のような、どこぞの御曹司と普通の女性の大恋愛。
例えば、その果てに見事結ばれた二人。
例えば、二人には既に子が宿っていて、ついには周りも祝福ハッピーエンド。
その末に生まれた私が、一体どんな恋が出来るというのだろう――――――
『―――――誰にも言ってはいけないよ………』
比奈が覚えている最初の記憶は、いつも父とお風呂に入っているとこからはじまる。
「ねえパパ。きょうは比奈にご本よんでくれる?」
「ん?んーそうだね。ママにも聞いてからな」
「うん!」
幼い比奈は、まるで了解がもらえたかのように喜んだ。
馬鹿なことに、こんな些細な願いさえ、だいたい2割程度の確率でしか成就されたことはないというのに気がついてはいなかった。
「ごめんね比奈…パパはお仕事で疲れてるから、また今度にしてもらいなさい」
「ママは?」
「ママはお家のこととか色々しなきゃいけないから、比奈の寝る時間には間に合わないと思うんだ。だから先にお休み。明日も保育園だろう?」
「…うん」
「いい子ね」
何度も懲りずに、こうやって断られてからようやく、やっぱり…と思うのだ。
この万年新婚夫婦は…特に母を溺愛していた父は、朝起きてからお休みまでベタベタしていないと気がすまないタイプの人だったのである。
小さい比奈は知らなかったが、こういうお断りの場合、大抵がさっさと二人で夫婦の寝室に行っていた。
父と母の断り文句を素直に信じていた比奈は、お休みの日なら遊んでくれるかな、と一人部屋で寂しく寝ていた。
この当時、比奈はまだ3歳。
一緒の部屋では寝ない方針にしろ、寝かしつけるくらい日常的にしてやっても良かったと思うのが、普通の価値観というものではないだろうか。
弟ができる前の比奈の幼少期の思い出で、この寂しいがっかりが、成長しても一番強く頭に残っていた。
弟が生まれるとなってからは、もっと大変だった。
母の妊娠が発覚した途端、父の溺愛度はさらに増し、その分一人娘の比奈は放置である。
段々と父方の祖父母に預けられる回数と時間が増えていき、母のお腹が大きくなってからは、もうほとんど比奈は祖父母と一緒に暮らしていた。
そのせいか、比奈は母のお腹が大きいところをあまり見たことが無くて、それは次の弟が出来たときも同様だった。
弟が一度二度と生まれる度に比奈は預けられ、彼女にとっては、祖父母の方が親だった。
祖父母は初孫だった比奈を実の親より可愛がり、娘のいなかった祖父母夫婦は一途に慕ってくれる小さなお姫様に夢中とくれば、預かりを断る理由はない。
だが、時々思い出したように「比奈はいい子ね。パパとママがいなくてもおりこうさんね」と言う裏側で、
「妊娠するたびに預けて、しかも年子だなんて…比奈の面倒はこっちに任せきりじゃないの!あの子がかわいそうだわ!」
「そうだな…仕事人間だった私が言えることじゃないが、綾人と香奈さんでもう少し時間を作ってやってもい」
「そうですよ!!それに綾人や高志には私がちゃんとついていたけど、比奈は一人じゃないですかっ!私だって妊娠していたけれど、同じ家ですら過ごさないなんておかしいわ!日中はともかく、夜には迎えにきてあげるくらい出来るでしょうに。綾人ったら香奈さんのことになるとすぐこれよ。香奈さんからも綾人に言ってあげればいいのに、比奈が可愛くないのかしら!!」
「あー…わかったから落ち着け。比奈に聞こえる」
「…あの子たちはたしかに深く愛し合っているけれど、結婚を認めたのは間違いだったのかもしれないわね」
「…」
こんな風に言われているのを聞いて、すごく嫌だったのを覚えている。
父や母を悪く言われるのもそうだが、あんなに怒っているのを見ると、そんなに自分は愛されていないのかと突きつけられているようで、辛かった。
下の弟の楓が生まれて1ヶ月程経つと、母が父を説得したようで、比奈はようやく父母と弟と同じ屋根の下で暮らすこととなる。
当時5歳、2年近くといえば、1歳までの記憶なんてないに等しいため、人生の大半である。
父母は恋しかったが、祖父母と離れるのが寂しくて仕方なかった。
祖父母はそんな比奈に喜び哀れみ、戸惑ったのは母だった。
自分の腹を痛めて生んだ娘が慕うのは、父母ではなく祖父母だったのだから。
上の弟の育児をしながら、下の弟を身ごもっていた母の絶対安静を強行していたのは父だったが、父をやっとの思いで説得し、出産後1ヶ月という(父の基準では)短い時間で娘を再び我が家に迎え入れたのに、当の娘は母より祖母、父より祖父だったのだ。
さぞ母を恋しがっていると、かわいそうにと思っていた両親からすると、比奈は少々扱いづらい存在となっていた。
母にしてみれば、自分がもっと早く父を説き伏せていればという自責。
父にしてみれば、母の身体が第一であり、これからまた大事にすればいいのであって、優先順位の問題であった。
娘だって、身重の母にもしものことがあるより、いいに決まっている。
それも間違っていないだろうが、まだ5歳になったばかりの娘に求めるには早すぎる理解だ。
しかも、身重でも子育てをしている女性は世の中にいくらでもいる。
とはいえ、両親とて比奈のことは愛していた。
今からでも遅くないと比奈との溝を埋めようとはしてくれたが、比奈と両親との間には、0歳児と1歳児の壁があり、なかなかうまくいかなかった。
「ほら比奈。玉子焼き残ってるぞ。好きだろ?」
「うん……」
比奈は、玉子焼きをフォークのためらい傷でいっぱいにして、のろのろと玉子焼きを食べた。
ぐちゃっとした玉子焼きは細かく皿に広がって、次も刺さったのはほんの少し。
「比奈!お行儀悪いわよ」
「あー、うー」
母は上の弟の静流に離乳食をやりながら叱り、父もその通りだという風に比奈を見下ろしていた。
「静流みたいだぞ。比奈はお姉ちゃんなんだからちゃんと食べなさい」
「……比奈、しずるなんて知らない」
比奈はとうとうフォークを置いた。
そのときの比奈には、病院や、母に抱かれてしか会ったことのなかった弟は、かわいいとは思えても、家族ではなかった。
「比奈、」
「綾人さん」
父は母を手で制すと、比奈の方に身体を向けて、両肩に手を置いた。
「パパだってお兄さんだったからわかる。弟が生まれて、ママがとられてるのは嫌だろうけど、わがまま言ってママを困らせたって、ママは比奈と遊べないんだぞ」
「ちがうもん!比奈はおばあちゃんちの子だもん!弟なんかいないもん!!」
「っ比奈!!」
生まれて初めて聞いた、父の怒鳴る声だった。
「…っ…うぁっ、うぇ…っうええええっうやあああああーーーーっ!!!!!」
「あぎゃああああっ!!あぎゃーーーっ!!!!」
「!静流っああっほら泣かないのよ、静流」
「比奈!泣きやんで。静流も驚いてるよ」
「やああああああーーーーっ!!!!」
「うぎゃーーーーっ!!!!」
泣き止むはずはなかった。
比奈に共鳴するように静流が泣き、その声を聞いたのか、寝ていた楓まで別の部屋で泣き出し、たちまち子供の夜鳴き大合唱がはじまった。
深夜ではなかったものの、夕飯も終わり時に複数の子供が泣いていれば、聞きつける人間も多いだろう。
母は父に静流を渡して、楓のいる部屋へ行こうとしていた。
比奈には誰もいない。
泣いても、比奈にどうしたの?と聞いてくれる人は、この家にはいなかった。
「おばあちゃあああんっ!!!おーばーあちゃーーんっ!!!」
「比奈………」
息を呑む母と、比奈とを父の視線がいく。
「おばあちゃんの玉子焼きはあまいもん!!おばあちゃんちにかえりたいぃっおじいちゃあああん!!」
父母と寝られなくても泣かなかった比奈が、5歳になって祖父母を恋しがり、むせび泣く姿はあまりにも幼気で、痛々しかった。
幼い娘が泣いて縋る最初の人は、母でも父でもなく祖父母で、このときようやく、父母は娘との溝の深さを思い知ったのである。
この夜からまた比奈は祖父母の家に戻り、一時凌ぎにはなったかと思われた。
祖父母はそれみたことか、とここぞとばかりに父母を責め、そこから祖父母と父母の関係は悪化の一途を辿る。
特に祖母は、お互いだけ大事にしていればいい期間はとっくに終わっているのだと、息子の妻に対する過剰な執着は勿論、夫に言い包められるばかりで娘を二の次三の次にしてきた母、香奈を強く責めた。
痛いほど思い知らされた香奈は言われるがまま、そう言われるのも当然だと黙って受け入れていた。
しかし、父である綾人は違った。
香奈はいつだって娘に会いたい、一緒に暮らしたいと言ってきたのに、身重の香奈の身体を考えて安静を強要していたのは自分であるのに、香奈まで責められているのに我慢ならなかった。
そこで香奈が潔く沈黙していたことが仇となる。
香奈に何より重きを置いている綾人が、言わせたい放題にはしておかなかった。
娘にはかわいそうなことをしてしまったと思いつつも、結果冷え切っていく二つの親子間の溝は益々深まる一方だった。
父母が比奈の入学準備をしようした時も、祖母が黙って済ませていた。
比奈をかわいく思い、歩み寄りたい両親のチャンスを踏みにじる行為でもあった為、面倒を見てもらっている立場上大きな顔は出来なかったが、これには父母も黙ってはいなかった。
すると祖母は、比奈が幼稚園で家族の絵を描いたときのことを引き合いに出して、息子夫婦を聞く耳持たずに一蹴してみせた。
比奈の絵には、自分を真ん中にして祖父母を描き、画用紙のすみっこに小さく、弟二人を抱えた父母を描かれていた。
囲っている屋根は別々で、幼稚園の先生から遠まわしに心配されてしまって顔から火が出るかと思った!と祖母は逆に怒鳴り返し、母は耐え切れずにその場で泣き出した。
比奈は見ていた。
自分のせいで自分の両親と祖父母が争う姿を、ずっと見続けてきた。
――――比奈、辛かった?
私はこくりと頷いた。
私がわがまま言っておばあちゃんちで暮らさなかったら…お母さんたちの言うこと聞けてたら、皆がケンカしないで済むのにって思った。
違うよ。みんな比奈が大好きだっただけだ。比奈のせいじゃない。
髪を撫でる手がある。
私がほう、と息を吐き出すと、手の持ち主が再び問う。
それからどうしたの?
それから――――――
上の弟が幼稚園に入る頃、また父母は比奈と一緒に暮らしたい、と言ってきた。
それまでも何度も祖父母から素気無く断られてきてきた両親も引かず、比奈が了承したことで話はとんとん拍子に進んだ。
これで両親と祖父母の仲違いを見ずに済むのだと思った。
小学校に入り、ある程度自立した自我が出来ていた比奈には、祖父母を恋しがるよりも、家族同士の争いを見る方がストレスだった。
祖母が入れた私立の小学校は親や親に連なる者の送迎が珍しくない、所謂セレブな学校だったため、送迎にはいつも祖母が来てくれたので寂しさも紛らわせた。
今日一日のことを車で祖母に話し、時に祖父母の家で過ごしてから、父母の家に帰る。
そんな生活を続けていたある日のことだった。
比奈はウィルス性の胃腸炎にかかり、学校を早退した。
入学時に学校へ提出した緊急連絡先の第一欄は祖父母宅のままで、祖母が慌てて病院に連れて行ってくれた。
点滴で意識が朦朧としている中、カーテンの向こうからは祖母と母の言い争う声だけが耳にこびりついた。
「私がついているから心配いらないと言ったのに…あなたは静流や楓にウィルスを運びたいの?」
「そんなことあるわけないじゃないですか!比奈の様子だけでも見たかったんです。お義母さまにはご迷惑をかけ通しですし、比奈が心配だからっ」
「それなら尚更私の方がいいでしょう。比奈の体調不良にも気づかない母親より、比奈もおばあちゃんと一緒にいた方が安心だわ」
閉じた瞳から、涙が溢れた。
比奈は程なく回復したが、同時に学習もした。
何事も、まず自分を可愛がってくれる祖母に知れるから、争うはめになっている。
次にまた学校で体調を崩した時、既に携帯電話を持たされていた比奈が自分で母に連絡を入れると、それは立証された。
お迎えに来てくれる祖母にも、病院が終わって自分で電話をしたら、ケンカを見ることなく済んだ。
比奈を間に挟んで仲違いをしていた両親と祖父母は、比奈が自分で間に立てば表立って争えなかった。
祖母は多少不服だったようで、母か父がわざと私を矢面に立たせているのではと勘繰ったらしいが、そこは祖父が言いくるめたらしい。
数年後、祖父は何気ない話として聞かせると「比奈の方が大人だったな」と笑った。
――――そうだね。………そのときから比奈は恋人同士のやりとりが苦手だった?
私は今度は首を横にふるふる、と動かした。
違うよ。お父さんとお母さんとも少しずつ仲良くなってたし、二人が一緒にいても平気だった。…少し疎外感はあったけど。
その頃はご両親を見ても気持ち悪くなかったんだね?
うん。ドラマのキスシーンも平気だったし、大丈夫だった。
じゃあ、いつからだったのかな?いつから、比奈は自分も触れ合えなくなるほど苦手になったの?
それは――――
おそらく、そのすぐ後のことだった。
母が比奈に付き添い、夜遅くに病院から帰ってきた翌晩。
目が覚めたあと、汗をかいた比奈の熱は少し下がっていたが、ベッドサイドにあった清涼飲料は飲み干してしまい、廊下に出たのだ。
スリッパも履かないまま、未だ身体に残る倦怠感と一緒にキッチンへ行こうとしていた。
ついでにトイレにも寄っておこうとゆっくり歩いていると、父の声がした。
母の声も…
「………昨日は比奈の看病してたせいで出来なかったから…」
「っん…まだちゃんと治ってないから…まだ、看ていてっあ…っ!」
――――私のせい…?
気になって両親の部屋の方へ行くと、くぐもったような声がして、二人は半分服を着ていなくて………
「また、いつ邪魔が入るかわからない……な?」
「は、あ…でもっ」
邪魔?
邪魔って、私のこと?
なに、してるの―――――?
得体の知れない恐ろしさが、比奈を襲う。
心臓が出てくるかと思うくらいドンドン胸を叩いて、歯もガチガチと震えて、比奈は大きく尻餅をついた。
「―――っぐずっう…っうぁ…」
「……っ比奈?」
「え…ひ、な…?」
別の生き物みたいに蠢いていたものが、両親の顔をして寄ってくる。
怖い、怖い、怖い―――――――!!!!
「――――いやぁっ怖い!!!来ないでっ気持ち悪い!!」
軽い催眠状態のはずの比奈は、目を閉じたまま両手を滅茶苦茶に振り回す。
春哉はその腕をとると、暴れて椅子からも落ちようとしている比奈を支えた。
彼女が異性との大きな一時的接触を嫌っているのを知りつつも、何もせずにはいられない。
「大丈夫!!大丈夫だよ比奈っここにはいない!比奈のお父さんとお母さんはここにはいないんだよっ!!」
「こわいっこわいよぉっ!!」
「大丈夫っここにはいないから、安心して…比奈」
比奈は春哉の肩をぎゅっと握ると、ぼろぼろと涙で濡らした。
落ち着かせるために背を撫でると、嘘のように春哉に寄りかかって縋る。
「ひな、やくそく、やぶっちゃった……」
「約束?」
「だれにも、いっちゃ、いけないって、いったら…ひなとくらせなくなるって…!!」
泣き続ける比奈を撫でながら、春哉は小さく「なるほどね…」と呟いた。
『―――――誰にも言ってはいけないよ………』
これこそが、長年抱えてきた、比奈を苦しめていたトラウマの正体―――――
「比奈は悪くないよ。だいじょうぶ、大丈夫だから…安心しておやすみ。比奈はいい子だからね」
肩を握る力が弱くなり、寄りかかってくる体重が増えると、春哉は比奈を抱えてベッドへ横たえた。
親が子供にするように布団をかけ、胸の下で優しくゆっくりとリズムを叩く。
もう片手で涙を拭うと、比奈の口元がふにゃりと緩んだ。
「もう、僕たちを阻むものはないね、比奈。頑張ったね」
接触を恐怖していた彼女との、初めての口付けだった。
「次は目が覚めてからがいいな」
春哉は呼吸が安らかになりつつある比奈の手をとると、ポケットから取り出したmp3レコーダーを彼女の指で終わらせる。
「ねえ比奈……僕はね、ツケは払うべきだって思うんだ。じゃないとわりに合わない。そうだろう?」
ねえ、比奈―――――?
春哉はそっと比奈の前髪を払い、比奈の手を宝物のように握って幸せそうに笑った。
作中に催眠療法ぽい描写がありますが、医学知識ないんで適当です。
フィクション全開なので、細かいことはいいっこなしってヤツです。
情景としては、よく海外ドラマで、FBIが被害者の記憶を掘り起こす時の感じを思い浮かべていただければ良いかと。
ショックのあまり封じていた記憶が原因で、比奈は男女間の恋愛表現、特に性行為に通じるものにトラウマを抱えていました。
またしても恋愛ジャンルでこんなほの暗いの…(´о`;)
ハッピーエンドのお話を書くはずが、女性向けでよくある感じの最終的溺愛系エンドを思い浮かべたら、ふとこんなもの思いついてしまいました。
らい○んハートすぎる両親だと、子供が居場所に困るよな~なんて。
【今更人物メモ】
悠木比奈…父譲りの美貌が眩しい女子大生。時々、祖母の友人に頼まれてモデル業もしている。本人は覚えていないが、過去のとある出来事のせいで男女間の愛情表現にトラウマを持っているため、これまで男性との付き合いはすぐに破局してきた。こんな自分でも好きでいてくれて、辛抱強く付き合ってくれている春哉が好き。
瀧浪春哉…俳優志望だが女性受けがいい優男風のイケメンなので、仕事はモデルやイメージキャラクターが多い。比奈とは仕事先で知り合い、めげずに何度も告白してやっと恋人に。姉が三人もいるため、気配り上手な器用貧乏。近頃比奈のためなら驚きの黒さ(?)になれる自分に驚きつつも、比奈のおさわり解禁(!)で結構はしゃいでいらっしゃる人。