32 吟遊詩人「木」
アルボル「……約束の時間まであと五分あるけど?」
剣士「遅れてくるよりはいいだろ?」
勇者「五分前行動大事」
アルボル「五人か――別に全員で来てくれてもよかったんだけどなあ。まあなんでもいいけどさ」
剣士「余った時間で話したいことがある」
アルボル「何?」
剣士「お前が刺客になる前の、元の姿のことだ。――といっても、これは俺の考えではなくガンナーが言っていたことなんだが」
アルボル「ああ、それね。で、あいつはどう考えてた?」
剣士「森の精霊――だろ?」
吟遊詩人「え……?」
アルボル「……驚いた。まさか当てられるとは思ってなかったよ。思ってた以上に頭良いんだな。あのガンナーって」
僧侶「精霊――といいますと、よく神話や聖書のなかに神の使いとして登場していますね。森の精霊は特に、その森に住まう動物や植物を守る神聖なものであると、常にそう描写されます」
アルボル「ああ、そういやそうかもね。何処まで本当かわかったもんじゃないけど」
勇者「……」
アルボル「さて、話はもうおしまい? ならそろそろ――はじめようか」
アルボルがそれまで凭れかかっていた木から背中を離す。その瞬間、微かに放たれた殺気を敏感に感じ取り、勇者たちはアルボルから離れた。
ざわざわと葉擦れの音が響く。それは風が吹いたのではない。木が自ら蠢いているのだ。
異様な空気に圧倒される勇者たち。まだお互いに剣を交えたわけではないが、一変した空気と怪しげな笑みを浮かべるアルボルに勇者は悟った。
――この男は、強い。
~イエルタ、宿~
ガンナー「……」
魔法使い「勇者、大丈夫かな」
ガンナー「ぶっちゃけあんまり期待してないな」
魔法使い「ぶっちゃけすぎだよ……」
ガンナー「アルボルは強い。実際に戦ったわけじゃあないが、少なくともアグアよりはずっと強いだろう。僧侶と吟遊詩人は攻撃手段がほとんどないに等しい。残りの三人は全員前衛で、よくよく考えると二人を守れる後衛が一人もいない」
魔法使い「じゃあ、私がいかなかったのは失敗だったかもね」
ガンナー「レベル上げて殴りに行けば何も問題はないんだけどなあ。そうもいかないのか」
魔法使い「それができるのはこのパーティじゃガンナーだけだよ」
ガンナー「まあな」
魔法使い「否定しないんだ」
ガンナー「……ちょっと出掛ける」
魔法使い「え? どこに?」
ガンナー「何処って言われても、別に行き先は決まってねえよ。その辺ふらふら散歩してくる」
魔法使い「今規制かかってて戦えないんだから、村から出ないようにね」
ガンナー「おう」
~ゼムの森~
アルボル「言っとくけど、ビエントに限らずアグア以外の刺客達は俺なんかよりずっと強いよ」
地面から生えた蔓や木々が勇者たちの行く手と攻撃を阻む。戦いが始まってまだ五分もたっていないというのに、勇者は既に息を切らしていた。周囲を見ると騎士と剣士からも疲労の色が見られ、僧侶達も離れた場所で攻撃を受けているらしく、回復の魔法が仲間たちに行き届いていない。
吟遊詩人の笛の音が聞こえ、少し体が軽くなったのを感じた。敏捷性を上昇させる魔法だろう。アルボルに向かって駆け出すが、辿り着く前にやはり植物たちが手足に絡み、勇者の突進は阻止された。
アルボルは森の精霊だったためか、植物を自在に操る事が出来るらしく、こんな状況でなければその能力に神秘性のひとつも覚えただろうが、今はその奇怪な力が厄介で仕方ない。
勇者たちは疲労しているが、当のアルボルにこちらの攻撃はまったく届いていないのだ。
勇者「っこの――!」
思い切り剣を振ると、切っ先から発生した炎が渦を巻きながら蔓を焼いた。
最近になってようやく扱い方が分かってきた勇者の「炎」の能力だ。まだ使い慣れず力の加減もいまいちわからないが、植物を燃やすくらいのことはできる。
側方から伸びてきた蔓が勇者の背に打撃を与え、そのまま体が前方に投げ出された。
そう遠くない場所からアルボルの挑発的な声が聞こえる。
アルボル「ははっ、ほら、どうしたの? そんなんじゃ魔王を倒すどころか、ビエントやフラマを倒す事もできないぜ?」
手足に絡んだ植物を乱暴に破壊し、蔓の道を突破した剣士がようやくアルボルに攻撃を仕掛けた。
アルボルは剣士の剣撃をかわし、その辺に落ちていた木の枝を拾うとそれを剣の形に変形させる。その性能は普通の剣とさほど変わらないらしく、二人はしばらく一対一で斬り合っていた。
騎士がアルボルの下に辿り着いた時、剣士はアルボルの一撃で背後に飛ばされ、再び目の前に出現した木々に閉じ込められてしまい、しばらくそれらと戦うことになってしまった。
吟遊詩人の楽器の音が止まった。振り返ると腕に葉や根が巻き付いて身動きが取れなくなっているらしく、取り落とした武器を拾おうともがいていた。
勇者「吟遊詩人!」
思わず彼女のもとへ駆けていきそうになるが、その前に僧侶が吟遊詩人から植物たちを無理矢理引き剥がした。
僧侶「こちらの心配は無用です! 勇者さんは――」
声が途切れる。二人との間に木の壁ができてしまったのだ。
剣士「ああ、うっとうしい!」
少し苛立った様子の剣士が目の前に立ちふさがる蔓の壁を引き裂く。それを手伝うように勇者はアルボルが発生させた植物を焼き払った。フィールドが一度クリアな状態に還る。新たな蔓が現れる前にアルボルに駆け寄った。吟遊詩人が掛けた術のおかげか、通常の時よりも体が軽い。
それまでアルボルと斬り合いをしていた騎士の足に大木の枝が絡んで彼女を後方へ引きずった。そのまま枝が持ち上がり宙ぶらりんの状態になった騎士を剣士が助けに行き、すれ違いでアルボルの下に辿り着いた勇者が剣を振る。
三対一にも関わらず、アルボルの力が緩む事はなかった。
その時、突然三人の足元から蔓が生えた。動揺する勇者たちに出来た隙をアルボルは見逃さない
地面から生えた蔓が勇者の腕を掠めた。先端が尖っており血が噴出す。
勇者「あっ――」
アルボルはそのまま動きが遅れた勇者の腹部を斬り、その傷の上から力いっぱい蹴り付けた。勇者の体はそのまま吹っ飛び地面に叩きつけられる。
剣士「勇者! くっ――」
一瞬よそ見をしたうちに圧し掛かった重い一撃に手が痺れ、顔を歪める剣士。すかさず騎士が二刀の短刀でアルボルに斬りかかるが、斬撃は弾き返された。速い。
僧侶達との間には再び蔓の壁が出現しており、治癒や状態変化などの魔法が届かない。
勇者は立ち上がろうともがくが、傷が深いのか地を掻くだけで起き上がる気配はない。剣士が一度アルボルから離れ、荒い息を繰り返しながら倒れ伏している勇者の傍に屈んだ。
剣士「勇者、大丈夫か?」
勇者「う――わか、んない」
背後を見てみると、吟遊詩人と僧侶がこちらに来ようと蔓の壁に攻撃を仕掛けていた。
僧侶「勇者さん、勇者さん! ご無事ですか!」
僧侶が蔓の間から杖を持った手をこちらに伸ばすと、何かを唱えた。なんとか治癒の魔法が勇者に届き、動ける程度に傷が回復した。勇者の炎が周囲の蔓を焼く。
立ち上がって再びアルボルに斬りかかる勇者に襲い掛かろうとした蔓が、別の植物たちによって防がれた。吟遊詩人が能力を使って勇者を援護したのだ。
剣士は僧侶や吟遊詩人の術が勇者に届くよう、二人の傍で次々と現れる邪魔な蔓を切り捨てている。騎士は勇者と共に再びアルボルに猛攻を仕掛けた。
勇者「お前は、どうしてそんな事ができるんだ!」
アルボル「うん?」
アルボルが勇者の剣を弾き返す。勇者は怯まず、そのまま攻撃を続けた。勇者の剣は微かに炎を帯びており、先程までよりも殺傷力が上がっている。
勇者「鳥は助けるのに、人は殺せる。その神経が俺には理解できない!」
勇者が剣を振るう度、赤い残像が宙に線を描く。
アルボル「何の話を――ああ、そういう事」
木の剣が二つに増え、左手の剣で騎士、右手の剣で勇者の刃を受け止める。三人はそのまま一旦動きを止めた。
アルボル「じゃあ聞くけど、なんで人間だけを特別視しないといけないわけ?」
勇者「それは――」
アルボル「犬も鳥も虫も人間も同じでしょ? 『皆生きてる。命はひとつしかない』とか言いながらさ、人間って平気で残虐な事できるよね? まるで、自分たちが世界で最も優れた生き物であるかのようにさ」
アルボル「人間は動きが遅いけど、犬や猫は身軽で俊敏だ。人間は空を飛べないけど鳥は宙を自由に飛び回ることができる。虫だって、ひとくくりにしているけれど色んなものがいる。人間が食物連鎖の頂点なはずがない。なのに人間はこの世界を好き勝手に支配している」
アルボル「虫や鳥だって生きてて、同じ命なのに、それを殺した事を咎めても『虫だから良い』とか言い出す奴がほとんどだ。懺悔なんて毛程もしない。それが厭なんだよね。人間は人間の命を重要視するばかりで、他の生き物の命を軽視しすぎている。本当に全ての生命の価値が同じなら、人間が死んだくらいで騒がなくてもいいじゃん?」
アルボル「木を切って森を壊すと、そこに住んでいた動物たちや精霊たちの居場所がなくなる。なのに人間は木を切り続ける。木がなくなると大変な事になるって、分かってないんだ」
吟遊詩人「魔王だって同じじゃないッ!」
吟遊詩人が叫ぶ。
アルボルの顔が僅かに引きつった。吟遊詩人の投げたナイフがアルボルの脇腹のあたりに刺さったのだ。
両手が塞がっていて、何より勇者と騎士に気を取られすぎていたせいだ。
吟遊詩人に地面から生えた、先端の尖った蔓が襲い掛かる。しかし騎士がいち早くそれに気づき切り捨てた。勇者が剣を振る。アルボルはそれを受け止めながら自分に刺さったナイフを抜き、傍に放った。
勇者「魔王は世界を滅ぼそうとしている。何もかもを壊そうとしている。そうだろ?」
アルボル「そう、だろうね」
剣を振る。アルボルは後ずさりながらそれを受け止めている。明らかに動揺していた。
勇者「ならお前が大事にしている森だって壊してしまうはずだ! 魔王だって同じじゃないか! いや、人間よりもずっと酷いことをしようとしている!」
勇者「自分たちを棚に上げるつもりはない。魔王の存在を免罪符にしようとも思わない。お前の言い分もよく理解できるし、俺たちは何も言い返すことができない。でも、人間はまだ限度を知ってるはずだ。魔王は違うだろ! 見境なく生き物を殺して、たくさんの命を奪って、この世界を滅ぼすということは、お前が必死に守ろうとしてるものさえも消してしまうという意味じゃないのか!」
アルボル「!」
勇者「魔王がしようとしていることは何だ!」
勇者が剣を振る。アルボルは受け止めなかった。
肉を切る斬撃音。
刃の先がアルボルの額の石を掠め、ヒビを残した。
彼が発生させていた全ての植物が消滅する。
勇者「あっ――!」
アルボル「……」
アルボル「――言われてみれば、そうかもね」
アルボル「……あーあ、なんでそんな、単純な事に気がまわらなかったかなあ」
勇者が素早く背後を振り返る。僧侶はその視線を受け止め、アルボルに駆け寄った。傷の上に手をかざし、呪文を唱えるとアルボルの傷がみるみるうちに治っていく。
その様子を見てアルボルは驚いたような呆れたような顔をしてみせた。
アルボル「何してんの? 僕はあんたらの敵だろ?」
勇者「敵だけど、石さえ壊せばこっちの勝ちなんだ。だったら殺す必要なんてないだろ?」
僧侶「私は、勇者さんの意思に従います」
アルボル「……ばっかみてぇ。そんな事して、相手がフラマだったらあんた絶対死んでるぜ。僕が『そういう奴』だったらどうするわけ?」
勇者「その場合は、そっちの勝ちだよ」
アルボル「本当、救いようのないバカだね、あんた」
アルボル「……僕やアグアは、人間に対して何か具体的な『感情』を抱いて生きてるわけじゃない。ただ本当に流れって奴で刺客になった。でも他のやつら、特にフラマやティエラは違う。あいつらははっきりと人間に憎悪の感情を抱いている。……これから先はアグアの時や今回みたいに、うまくいくとは思わない方がいい」
吟遊詩人「『ティエラ』って、前にも聞いたわね。その人は誰なの?」
アルボル「その様子じゃまだ会ってないみたいだな。……ま、僕から言える事はこれだけだね。これ以上は他の奴から聞きだしなよ。石も割れたし、僕はアグアと違って元から人間の姿になれたけど、もう今までみたいに自由には戦えないかもね」
剣士「アルボル、お前はこれからどうするんだ」
アルボル「……故郷の森にでも帰るさ。刺客だった間にやらかしたアレやソレがバレてなきゃの話だけど」
吟遊詩人「……私、あなたのことを許すつもりはないわ」
アルボル「一向に構わないね」
吟遊詩人「ええ、あの話が本当だったなら絶対に許さない。……でも」
アルボル「でも?」
吟遊詩人「――なんでもないわ」
アルボル「あっそ。……とにかく今回もこっちの負けだね、二連勝オメデトウ」