Nice to Know you part.1
いやはや参った。ひょっとして、もしかして、またしても──
「迷った……?」
薄暗いを通り越し、完全完璧、見事なまでの宵闇の中で言葉が漏れる。
しかし悲しいかな、その声に応える物はどこにもいない。
それはそうだ、だーれが好き好んでこんな、おんぼろで薄汚いアウターゾーンに足を踏み入れるというのだ。
居るとすればそれは臑に傷を抱えた無法者か、はたまた阿呆か。あるいは……亡霊か。
想像力をマイナス方面に運転させ始めたところで、丁度生ぬるい風が首筋を撫で回した。
びくりと背筋を震わせて、前後左右くまなく見回すもあるのは闇に沈んだ廃墟ばかり。
そう、廃墟だ。そうとしか例えようのない空間だった。
薄汚いコンクリートの壁、錆び付き、折れ曲がった電柱、割れたガラス、何が入っているのかわからない、汁の染みたゴミ袋……。そんな物ばかりが延々続くアスファルトの後にも先にも続いている。
一体これはどう言うことだ。上空からの綺羅星の景観は?明るくも喧しい人混みは?あの華やかなストリートは一体どこへ行った?こんなの聞いてないです、やり直しを要求したいです。照明詐欺じゃないですか、おかしいですよ。
いや、違う。一点だけ思い当たる節がある。
上空からの景色のただ一点──染みのように穴のあいた区画。あそこだ。
かすかに覚えていたそれを思いだし、理解した。
つまり、
「わざわざそこに飛び込んじゃったって事か……」
ガックリと膝を突いてうなだれかけ、ゴミ袋から染み出した謎の汁Xが足下まで迫っているのに気付いてとっさに回避する。まだ真新しい制服を汚す訳には行かない。
「勘弁してくれよ……」
半泣きの様子でぼやいてみても一人。あくまでも一人。『くだらない』などと格好を付けて、一人、迷子──こ れ は ひ ど い。
「クッ…ククック……くはははははははは!」
そりゃこんな笑いも出るってモンだ。だってビコーズオブ格好悪すぎるもの。こ
れが他人事なら、指を指さないまでも笑いをこらえきれる自信がない。
ひとしきり自分を嘲笑ったところで少し落ち着いた。
むしろアレだ、さっき自分が思ったことを思い出せ。そこに状況を改善に導くヒントがある。
Q.誰が好き好んでこんなトコに足を踏み入れるのですか?
A.悪い子か阿呆かお化けですね。
そうだよ、亡霊だ。己はそう言う存在なのだ、むしろこんなロケこそ相応しいのだ。
……うん、阿呆なのはもうしょうがない。
アァイアムゴースト!一人の夜道も怖くねぇんだよ!オラ!と気合いを入れ直し、とりあえずの目星を求めて夜空を見上げる。
前方右、彼方に摩天楼。
屹立した無数の巨影をサーチライトの白けた光が暴く。塗れたようにガラスが光る。
そのうちの一棟、もっとも背の高いビルはどういう仕掛けか、光が当たる度に赤く輝く不思議ギミックを披露している。
「アレ、どうなってるんだろう……」
呟いても、やはり一人。コレ以上寂しくならないように一刻も早く帰らねば。ひとまずアレを目指してみよう。
◆◆◆
もうとっくに温くなってしまった二本目のコーラをグビリと一口。
普通に飲めば実に玄妙な味わいに顔をしかめる所だが、歩き疲れた体には過剰な甘さが実に嬉しい。こんな事なら、一本目ももう少し大事に飲むべきだった。
とにかくひたすらに、歩いて歩いて歩き通した。前進後退右折左折、とにかく例の赤いビルを正面に捉えて繰り返すうち、とうとう戻り方さえも分からない。
しかし彼は亡霊なのだ。亡霊は悩まないし苦しまない。ましてや闇夜に不安を覚えることなど無い。
思考の隅にじりじりと登る「遭難」という事態から目を反らし、とにかく上を向いて歩こうじゃないですか。じゃないと涙が零れてしまうよね。
上ばかり見てるせいで肝心の足取りはビミョーと蛇行し、瞳は虚ろ、口も若干開いている。
夜の廃墟、生暖かい風がそよぐ中の蔵馬の姿は、誰か見咎めるものがいれば確かにそう言う存在に見えたかもしれない。……イヤ、こりゃどう見てもゾンビです。本当にありがとうございました。
◆◆◆
おれ、くらま。おれさまこよいいきだおれ。
かゆ
うま
◆◆◆
『太平洋に死す』と自らの人生にタイトルを付けたあたりで思考を放棄し、ただただ歩く存在になり果てた蔵馬の耳に、派手な衝突音と素っ頓狂に裏返った男の声が聞こえてきたのは、かれこれ4-50分は歩いた頃だった。突然の変化にはっと我を取り戻し、虚ろだった瞳に理性の光が灯る。
──人だ!誰か居るぞ!ヒャッハー!
もう何年も人と口を利いていないような感覚に陥っていたのだろう、もはや恥も外聞もない具合で声の聞こえた方角に当たりをつける。
なんだか目の奥がグルグルしていて、必死乙wwwとでもあおられそうな感じ。今なら爺さんがもってる種籾も喜んで食べられる。
ズルズル引きずりかけていた足取りも妙に軽い。まるで羽根が生えてきたみたい──。
とにかくキャストアウェイなうってな現状で見えた一筋の光に、絶望感が解きほぐされる。
どれだけ強がろうが亡霊を気取ろうが、、所詮一介の高校生の精神強度などこんなもの、もうゴールしてもいいよね……?みたいなノリで、何ら警戒心も持たずにゴー・ストレイト、そしてターンラ
激突。死亡フラグ成立。
突然の衝撃に蔵馬の体は必殺シュートに耐えられないキーパーのように吹き飛んだ。
お互いに前方不注意無我夢中。朝のラブコメにありがちで素敵な奇跡が夜の廃墟に現出する。
ぶつかってきたのはこの蒸し暑い夜にも関わらず、ぼろっちいジャンパーを羽織った30代半ばぐらいのおっさんだった。血走った目をしていて、口の端には泡がこびりついている。とにかく小汚い。ここの景観には似合っているけれど。
そんな小汚いがむやみに図体のでかいおっさんのサプライズチャージにフラグが立つわけもなく、ぶつけた尻をさすりつつ鋭く睨み返す。が、それにも構わずおっさんは叫ぶ。
「おぉ!? なんだオメェ!? お、オメもあれが! アイツラ見でぇにオラさしょっぴぐっでが!?」
一体おまえは何を言っているんだ。
小汚いおっさんは相当にテンパったご様子で何事か聞き取れない訛でまくし立てる。ぶつけた尻をさすりつつ睨み返すが、まるで意に介せずおっさんは叫ぶ。
「冗ォォーッ談ッじゃねェぞ! オラもう鞄さはなしたでねが!出てぐがんな! こんな訳わがんね島さ、すぐ出てぐがんな! 邪魔したら食らわすっど、ゴラ!!」
錯乱したおっさんはやおら立ち上がり、蔵馬の前に仁王立ち。息をハァハァ荒げて見下ろしている。
これはちょっと、イヤかなりキモい。乱気流気味のおっさんのテンションに呆然とする蔵馬。
しかしおっさんはちびっ子のぶつかり稽古が余程気に入らなかったのか、月を背負ってふうふうはあはあ盛っている。そして唐突に暴発した。
「どがねがーッ!!」
「なまはげ!?」
男鹿半島からの刺客が突然のご乱心、蔵馬はどうする?コマンド?たたかう?にげる?無理だ、体制が悪い。どうぐ?鞄と晩飯でどうしろと魔法はMP足りないしまだ30になってないしあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
結局何一つ決められないまま、顔はやめて!売り物なのよ!という具合のなよっちい仕草で頭を庇う。
危うし蔵馬、入島初日、本当に路上で死──
──ごちゅり
水っぽい音がして、砕けた頭蓋がゴロリと転がった。
それだけでは無い。あらぬ方向を向いた腕、よじれた銅。ばた足のように痙攣を繰り返す両の足。
あまりに、あまりにも凄惨な光景。
何もここまでしなくても良かったんじゃないのか──と蔵馬は思う。自分が全くの無傷であることに、安堵すら忘れて。
そいつは、本当に突然に。
何を言うでもなく、また何をするでもなく。
ただ真上、ビル壁に切り取られた夜空から。
目の前に落ちてきて、それだけだった。
◆◆◆
忘我の淵を漂う二人の丁度真ん中、それは丘に打ち上げられた魚のように、それぞれのつま先に触れるかどうかの所までぐったりうねうね這い寄って。
ひたり。と──
男の足に、触れた。
元は整っていたであろう鉤状に曲がった五指が男の薄汚い足首にからみつき、掻き抱くような動きを見せている。
「う……うおおおおおおおおおおおおお!!!」
恐慌の雄叫びをあげて、おっさんはそれを蹴り払う。それ処か、今にも息絶えそうなほどかすかに揺れる指先を踏み潰す、踏み潰す、踏み潰す。それからそいつの頭を踏みんで潰して砕いてにじって、もう二度と、絶対に、金輪際触れられないように叩き潰す。偏執的な暴力をひたすらにひたすらひたすらひたすら繰り返しながら、獣の如き咆哮──。
「おごごホォッ、ガッ、カハッ……!」
血の滲むような咳を吐き出したところでようやく動きが止まった。
肩で息をする男の顔は夜暗の中にあってさえ青く、亡霊でも見たような顔つきだ。
もはや凶眼といって差し支えない両眼をぎょろりとむいて蔵馬を射すくめる。──怖い。
「何だってんだこの街はよォ! オラもう知らねえって言っでるでねが! 放っどけや! 駅ッ! 駅はどこさあるダァーーーーッ!?」
ンな事知るか、むしろ知りたいのは自分の方だ……! と言えない蔵馬をどうか許してほしい。
完璧に自分を敵と見なしている人間を相手に、サッパリ理解が追いつかないこの状況で何を言っても、何をしても信じてくれるはずがないではないか。
一体なんだって言うんだ、この廃墟も、おっさんも、突然目の前で死にかけているこの誰かも、全部全部、蔵馬の理解を超えて状況が推移しているというのに。だからこの状況を動かすのは自分じゃない、自分じゃなくていい、そのはずだ。
これ以上ないほどの他力本願ぶりを発揮しつつ蔵馬は扇風機よろしく首振り運転、おっさんはもはや、動くものなら全て敵と見なして今度こそ蔵馬に向き直る。誰でもいいから早く──! 今しもそう叫びそうになった、その時。
「あー駅行きたいんですか。ほんならココ、まっすぐね。んで吉田工務店ていうでっかい看板見えたら右。暫くしたら商店街出るから、そこのシャッター多めのしょっぱい方じゃなくて、金満臭プンプンしてる方に向かっていけばモノレール。You, Okey?」
恐慌の空気などどこ吹く風の、風鈴のように涼やかな音色。どこだ。
などとわざとらしく探すまでもない。
「Hi」
ご丁寧に挙手まで添えて、救世主は下から現れた。
「「うわ──あ……あああああああああああああああああ!!」」
おっさんと蔵馬見事なハモリがこだまする。全身の血のが一斉に引いて頭がクラクラした。それでもおっさん、一足先に立ち上がり、アゲアゲの血圧に任せて電光石火、商店街目指してひた走る。
キチンと道筋を復唱してるのがえらいね。
もうすっかり腰が砕けていた蔵馬はそれを見送り、とっ散らかった荷物の回収を図る。足腰がえらい事になってるけど気にしちゃいられない。むしろ、漏れてないからセーフだ……!
そこにかかる、空気を読まない明るい声。
「あー、あーあーちょい待ちジャスタ木綿。助けた礼ぐらいするよろし。というかですね、なんでこんな人来んの? おかしくない? どう思う? Bro?」
ロックオン……!知らん振りして逃げようとした蔵馬の背中が固まった。
「それからね、ちょっとばっかしはしたないお願い聞いてくれよplz。一仕事終えたばかりの僕にその手持ちのコーラを頭からぶちまけてはくれないだろうか?
ああ、飲みかけでも構わないし別に命までとろうってわけじゃない。要求を聞いてくれたら僕は消えるしここは一つ人助けと思ってこう、いっちょザヴァーッと派手に行ってみよう! ね?」
軽薄で陽気で、意味不明の要求だった。
主人の帰宅に全力で尻尾を振る忠犬のような、それでいて馴れ馴れしい笑顔を砕けた顔に浮かべ、ズルリ、と前進する。
蔵馬、フライ。思考が、フライ。
寂しん坊らしきそいつはそれを許さず、ペラペラになった手でペシペシと頬を叩く。
「んん……? 元気ないね? シゲキが強すぎちゃったかな? HAHAHA、なんせこのザマだもんねェ。それとも日本語ダメってコト? ンな訳はないよね?でも英語も試してみようかな?
Why are you~? ……ん! 返事がない! ただの屍のようだね!」
「ああもう、うるせェーッ!!」
理性に先んじて怒気がムネムネ緊急着陸、自分でもビックリの大声で目が覚めた。
衝動的に両手で突き飛ばし、勢い駆って距離をとる。ビシリと指さし、言ってやった。
「何だよいきなり訳わかんねぇ! 一方的にまくし立てるんじゃあないッ! それから!『元気ですか』はHow! are! You!だ! せめて意味が通じるように話かけなさい!」
「おお、突っ込んでくれたありがとう! てゆーかね、マジで時間無いのよ! こちとらケツカッチンな訳ですよ! 何故ならばっ! そろそろ補給じないどVery soonが ら だg あGurururururuあgrrrrrraばABABAAAっっっっばっあ」
「~~~~~~~~~~ッ!?」
「bAや”AAAAァアぐヴヴヴヴヴヴヴヴヴぁヴぁヴぁヴぁってヴぇVAVAVAVAVAVA」
唐突にそいつは身体をブルリと一つ震わせると、苦悶のような喜悦のような表情を浮かべ、膨張し──爆発した。
手。手。手。脚。唇。眼。無数の。沢山が一杯──ひとつひとつの形が美しい形状をしていながら、一回の肉の塊から無数に飛び出したそれは再びびちゃびちゃぐちゃぐちゃどろどろ混ざり合い、と元・人体が肌色の『何か』になり果てていく。もはや口らしきものは見当たらないのにもかかわらず、おぞましい声は延々と続き、不定形のグロテスクを目前に、蔵馬は恐怖を抱くことも、思考を飛ばす事すらもできずに、要求通りに手持ちのコーラのキャップを外しぶちまけた。
飲み口からあふれる弾ける炭酸。立ち上る人工的な甘い匂い。琥珀の液体が肌色にふりかかり、滲んで消えていく──吸収…いや、飲んでいるのか?これは?
痛くて苦しくなってきた胸を押さえつけ、その光景を前に立ち尽くす蔵馬を他所に、ゴクリゴクリと嚥下の音がわずかに聞こえ、濁音だらけの叫びが蔵馬の正気を揺さぶるのを停止した。
「aaaaaヴぃIいいいばああああとう。……ふう。いや実に美味かった。あの姿だと物乞いの一つもうまく行かなくてねぇ…」
すっきり爽やか人心地。ゲフッ、とはしたないゲップを漏らし、見事復元を果たしたグロ物体Xは礼を述べる。
ご丁寧に合掌してペコリ。つられて蔵馬もペコリ。
お粗末様でした。二人?して頭を下げて、それきり沈黙。
「じゃ、そういうことで!」
「……ああ、じゃあお元気で」
そそくさと踵を返すソイツをいと爽やかにお見送りして、蔵馬もそのまま何事もなかったかのように現場を去った。
いやあ、人助けをすると、とても気分が良い物だ。
◆◆◆
「そんな訳があるかーッ」
OK、蔵馬のメンタルが再起動したようだ。夜空に絶叫を反響させて元きた裏路地を全力で引き返す。
……居た。またしても上だ。立ち並ぶ廃ビルの一棟、その屋上。
すっかり五体満足の肉体を取り戻し、ご機嫌で歌なぞ歌っている。闇に紛れて生きているらしい。
「おいお前ーーーーッ」
歌っていたそいつがこちらを向く。自らを指で指し、『Me?』といった風情で小首を傾斜左45度。
そう君だ。というか他に誰も居ないんだ。察しろ下さい、お願いします。
とりあえず声をかけてみたけれど、続く言葉が見当たらない。どうしよう。一瞬ためらって。
今度はこっちが助けてもらう番だと気がついた。
「出口はどこですかーーーーーーッ」
そう、そこ大事。ここから出られないと亡霊じゃなくて仏さんになっちゃうからね。