Under the Surface Part.3
この島に、闇は少ない。
理由は幾つかあるが、その最たる理由はやはり『発電島計画』の成功による物だろう。
島が動くエネルギーを電力に転換させる──そも『島が動く』と言う不思議よりも、特性その物に着目した際に生まれた計画だ。
愚者の夢と世界中に笑われながら、それでも島民達は夢の実現までこぎつけた。
おかげで今日、この島では電気は水よりも遥かに安い。
それらをふんだんに使い、島民達は己の住まう大地を必要以上の熱心さをもって飾り立てた。
その成果が最も映える時間が、もうじきに訪れようとしている。
時刻は日の入り間近の18時。
太陽と入れ替わるようにして、王島の摩天楼群からサーチライトが幾条も空を駆け、天を裂いた。それが、合図。
島内の動脈、ループラインが篝火を運ぶように駆け巡り、元より白けた光を放っていた家やオフィスの明かりは夜の帳の中で整然と並んだ星のように瞬いた。
更には楽島で色とりどりの原色が、この島を訪う者たちの眼を惹かんと輝度と彩度をくるくると変えて楽しませる。
彼方矛島では大灯台が、盾島では風車にまとわりつくようにして街灯がその姿を足元から照らす。
例えるなら地上に銀河が落ちたような、彼方まで燃え広がる圧巻の光景だ。
とりわけその中心地たる臣島に、蔵馬が望むような場所は一つしか無かった。
◆◆◆
その、唯一の闇の吹き溜まり──『臣島旧市街』。
『扇の中の虫食い』と評すには少々広いその区域は、周囲をぐるり照らし出されて異様な存在感を放っていた。
入口付近の建物は街の灯の中に煤けた壁面を披露して、いかにもみすぼらしい。が、一歩そこに踏み込めば景色は一変する。
一度足を踏み込めば、重く冷えた空気が底の方を這うように流れ、二歩目で辺りは闇に包まれる。
道幅は主だった通りでも細く、自動車同士が何とかすれ違えるかどうかといった所で、そこから無数に延びた通路の先は奇妙に捻くれ、先を見通すのも難しい。
それでも敢えて先を目指したならば、迎えるは朽ちた公園や崩壊した工場跡、物言わぬ墓石のような団地。
一つの街をぎゅうぎゅうに圧縮してような、歪の園が月の光を浴びて眠っている。
人々の理知と栄華の結晶の中にあって、これ程場違いな景観は他にはない。
──しかしそんな場所でも、都市伝説に言わせればまさに都であった。
◆◆◆
ストリートと旧市街の境目のビル、その屋上。もうすっかりお気に入りの場所になったそこで、タマは人に擬態することもせずダラダラしていた。
ここの所オソナエモノもとんと無く、空腹で仕方が無い。
それでも死なぬ我が身を不思議に思う事もなく、失敗したもんじゃ焼きのような姿で今夜の過ごし方を考えていた。
ゆるゆると吹く夜風が心地よい。群雲はのんびりと流れていて、藍の空に浮かぶお月様もまんまるで、それだけでも十分に明るい。大体いつもそうだけど、今夜の眺めも最高。
一方、地上の灯を見て思う。
──こんなにも明るいのだから、そこまで輝かなくてもいいのに。
強すぎる光はタマの全身の目を灼いてしまうから、そうっと慎重に目を眇めた。
眼下、影絵になった無数の人影が犇いている。今日も変わらず楽しそうで、眼前にあるはずの真っ暗闇など見向きもしない。
そのまま外縁部でも散歩するか、はたまた歌でも歌ってみるか──胸中の小さな寂しさを誤魔化す算段をつけた頃、眼下の景色に異変が訪れた。
突如鳴り響く無数の着信音。ざわめく人々。うねる群衆が一様に同じ向きに振り返る。
遠くの熱狂がうっすらと伝播して、空気が帯電しているように感じた。祭りの前の静けさ、とでも言おうか。
(……ああ、こりゃ)
時折ある光景だ。誰かが誰かに追い立てられていて、皆でそれを眺めて。
皆楽しそうだけど、どこか、何かが『厭だなあ』とタマは思う。
こういう夜には、決まって旧市街も荒れるから。
迷い込んだ者にその意図があろうが無かろうが、眠りを妨げられるのは何よりも耐え難い──そんな風に考えていた時期が、この幽霊モドキにもありました。
今は、少しだけ違う。
タマは考える。こっちにおいでと、手を伸ばすべきか。暗くて過ごしやすい夜に招待するべきか。
一人唸りながらも、遠くからやって来る人影に目を凝らせた。
──アレは。群から離れて、ただ一人走る小さな人影は。
(……クラマ君!?)
気付いてしまったら、もう矢も盾もたまらない。
全身で喜びを表しながら、タマは今しもこぼれ落ちそうなぐらい身を乗り出して、総身を震わせた。
どうか気付いくれますように。
どうかまた出会えますように。
祈りながら、念じながらのサイン。
ほんの一瞬、まばたき一つにも満たない僅かな時間──想いは半分だけ届いて、見事蔵馬は闇の中へ飛び込んだ。
しかし残り半分、本人的には精一杯の自己主張には目もくれず。
「むぅ」
これも光のせいだ、と憎々し呻いている内に、人影がもう一つ横切って行った。蔵馬と同じ服を着た、マスクを被った変な人。
もうすっかりヘロヘロのバテバテで、突き出した腕は力無い。間抜けな姿にどこかの誰かが笑う。
それでも足は止めぬのだ。目指す小さな背中までの距離は付かず離れず、逃げ水を追う旅人のような執念を感じる。
「なぁるほど」
それはそうだ、求めるなら会いに行かねば。
天啓を得たタマは取って返し、藍と黒の狭間に身を踊らせた。
高さにして約20メートル、虚空に響く風切り音──いつもの様にぐちゃりと着地。
ビクンビクンと笑うような痙攣を起こしながら向かった先に、目当ての物を探す。直ちに発見。
苔むすコンクリートとアスファルトの合間に、名も知らぬ草花が繁茂している。
そこへ飛びつくと、一気に貪った。青臭い汁が味覚を刺激。ぶっちゃけ不味い。構わず手当たり次第に放り込んで行く。
ついには苔すらも舐めとるようにして啜り上げ、そこでようやく名状し難い肉体が指向性を帯びはじめた。
肉塊が弾け、無数の細かな手足が花のように咲く。その隅々を慎重にコントロール。腕は腕に、足は足に。一つ一つを束ねてより合わせるイメージ。
程良い張りと柔らかい肌でくるまれた一対の手足が出来上がる。太すぎも細すぎもしないそれを曲げて延ばして、握って開く。動作よし。
続けて顔をぺたぺたと触っておおまかな造作を点検。
綺麗に削りだしたように薄くも熱くもない唇、高くも低くも大きくもない鼻梁。微風にもそよぐ猫っ毛。目もちゃんと二つ。多くも少なくもない。
そのまま肢体をなぞっていくと、乳房とも胸板ともつかぬ奇妙な膨らみがあり、なまめかしい腹を月光が舐める──そこで、点検完了。
尋ね人と出会った当初とそっくり同じ、男とも女とも取れる美貌の(多分)出来上がり。
「ん、ま、こんなトコでしょ」
納得したタマは、摘み取った生命に感謝の合掌、それからう~んと伸びを一つ。
沸き立つ心に踊らされ、たまらずタマは駈け出した。
きっと、ビックリするだろうな──。