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ACCEPT  作者: 機動戦士ガンジス
プロローグ
2/20

誰かが一役演じねばならぬ。

当初の目的と全く同じ目的意識に回帰して、しかしそれまでの余裕は一切消え失せたまま、男は人々に用意された道を駆ける。

 左右を見渡す。携帯端末をかざして、写真や動画を取る者が居る。どこかに電話をかけて、大声で実況する者も居る。

 その少し上を見やる。窓から漏れ出る光。ネオンの極彩色。どこまで走っても途切れる事のない街灯の光。

 ぐるりどこを見渡しても、男が望むような闇など存在しない。ただ眩く、ただ人が溢れかえって、こちらを見ているだけ。それだけの事が何と恐ろしいのか。


 異界に迷い込んだような頼りなさに、思考も視界も揺られ続けてはや10分。

彼方から甲高いサイレンが聞こえた。ようやく警官隊のお出ましだ。

悪夢を漂うような感覚だった男の脳裏に『常識的な危機』に対する警鐘が打ち鳴らされ、背筋に緊張と冷たい汗が流れる。

 これはいよいよ覚悟せねばなるまい──。悪夢の結末がうっすらと予感できた。


 ……しかし男の焦燥とは裏腹に、彼ら公僕は男の存在を完璧に無視せしめた。

男の存在に気づいていない訳でも、はたまたそれ処ではない別の捕物がある訳でもない。

なぜなら聞こえてきた怒声が、


「おい、混雑のどさくさで痴漢とかするなよ!」

「眺めるなら行儀よく!気分が悪くなった物は救急隊が控えているので連絡するように!」

「現在捕物中につき、お急ぎの方は迂回をお願い致します!繰り返します、現在捕物中です!」


 という、この見世物の交通整理を促すアナウンスだったからだ。


 本来の追跡者に完全に無視され、再び理不尽な悪夢に迷い込んだ感覚が訪れた。

まるで意味が分からない。連中が己を捕まえに来ないというのならば、いつまでこうしていれば良いのか?

疲れ果て、逃走を諦めるまでか?全ての観衆が飽きるまでか?…それとも、悪夢の権化──『掌』に捕まるまでか?


 ──そうだ、『掌』。街の影から染み出すようにして現れたあの男が、今も追いかけてきているのだ。

一心不乱に、何の躊躇もなく、ただ淡々と迫り来る姿を思い出し、ぶるりと総身が震えた。

果たして今、自分はどの程度奴から逃れることができたのか──チラリ、後ろを見やる。


「あれっ」

思わず間抜けな声を上げて立ち止まってしまった。恐るべき巨大な気配をずっと背中に感じたまま走っていたというのに、それが全くの気のせいだったからだ。

再び視界に入れた『掌』の姿は豆粒のようであった。それどころか、よろめき、ふらつき、今にも力尽きそうでもあった。

距離にして200メートルは後方、彼方でよろめく針金のような体躯の男が、街灯の明かりと、観衆のかざした端末のフラッシュに照らされている。

 目を凝らして男の姿を見据えてみる。黒尽くめの上下に、ともすればボロ布のようも見える手型のマント。

ワサワサと揺れるカーリーヘアに顎鬚、顔は目元を覆い隠す、好事家からはカトーマスクと呼ばれるモノで覆われている。

 それらの特徴を統合してみると、大雑把に言えばゴッサムに居るコウモリ男に近い。……が、如何せん、実力というか体力は本物とは雲泥の差があった。

特に体格は貧相としか言い様がなく、ひょろ長い針金のような体つきにはどこにも精悍さはない。

大きく翻っていた禍々しい影は、もう殆ど歩くのと大差ない速さでは満足に風をはらむ事が出来ず、萎れてただのマントと化していた。

 その滑稽さに観衆の一部から失笑が漏れ聞こえ、中には『ガンバレー』などと無責任な応援も混じって非常に痛々しい。

それでも懸命に男目掛けて追いすがってくるのだ。脇腹を押さえて、苦しげに肩を大きく上下させながら。


あれが、あんなモノが、男を悪夢にいざなった元凶だというのか。


(──クソッタレが!)


困惑と屈辱に感情が爆ぜ、途端に凶相を浮かべた男が吠えた。


「てめぇら、そこをどけっ!」


 そもそも、茶番に付き合ってやる必要などどこにもないのだ。男は何を馬鹿正直に大通りをマラソンしているのか。


(付き合ってらんねぇよ──!)


 いつの間にやら出来上がった無言の約束事を打ち破り、男が観客の方に突撃する。

面貌は歪み、他者へと振りかざす暴力の喜びの笑みが零れた。

 遅まきながら標的と化した観衆の顔が引き攣り、人垣にほころびが生じた。誰も彼もが恐れ慄き、隣人を突き飛ばして逃げようと動きだし、今しも男が手当たり次第の強行に出ようと拳を振り上げたその時。


「──そこまでだ、下郎」


 そこで、二人目。

居並ぶ観衆の頭上より振りかかる、威厳を含んだ歌う様な低い声。

どよめきがおこり、男もそちらに視線を向ける──居た。瀟洒な店構えの花屋、その二階。バルコニー風の花壇。


 (……またかよ)


 思わず心中でツッコミを入れるほど馬鹿馬鹿しい姿に、男は頭痛さえ覚えてしまった。

悠然と高所に佇むその容姿は夜目にも華々しく、しかし夜の大都市には全く相応しくない。


(ナポレオン…いや怪傑ゾロ……ボクサー?)


 鍛えあげられた逆三角形の肉体を、貴族めいた朱色のフリルに押し込めた青年。

その目元はマスクで覆われ、両手は何故か8オンスのグローブ。これも当然朱い。

オマケにその手には一振りのステッキ──歩行補助目的の物ではなく、紳士が持つに相応しい、黒い光沢と精緻な象嵌が施された趣きのある代物だ。

 それをバルコニーの廊下に突き立て、まるで王者の肖像画のようなポーズでこちらを見下ろしている。

貴族なのか紳士なのかボクサーなのかサッパリ分からない。おそらく本人の中ではそのどれもが正解なのだろう。

己のアイデンティティを全て身につけてみたらこうなった、異論は認めない。

 そう言わんばかりの自信に満ち溢れた態度と声を聞きながら、男は自分の役回りに思い当たってしまった。


 正義の味方が悪を挫く。分かりやすいシナリオ。

少しだけ捻ってあるのは、どのヒーローが悪を裁くかの競争であること。

 それを街ぐるみで楽しむイベント。警察すらもグルだ。

そして自分は、そのヒーロー共の『餌』。


 恐ろしくて悔しくて腹が立って、実に馬鹿馬鹿しい。

誰も本当に男の事を『脅威だ』など見ていない。街中全てが、馬鹿が捕まる所が見たいだけ。


 そしてそんな茶番にノコノコと乘せられた自分は、愚か者以外の何者だというのか──。


 男の衝撃などには全く意に介せず、淡々と己の言いたいことだけを告げる第2の男。


「貴様の悪行は全て見ていた。罪を認め、投降せよ。さすればれ貴様にも幾許かの慈悲をくれてやろう」


 朗々と歌い上げるように一息で言ってのけて、睥睨。そうとしか言い用のない冷たい目。


「…はぁ」

「…何か言うことはないのか」

「…はぁ?」

「貴様の言い分を聞こうというのだ、下郎。…やむを得ぬ事情があるというのなら──見逃そうではないか。そう言っているのだ」

「……はぁ…」

 苛立ちを含ませながら赤貴族が更に言い募る。が、男は流れにまたしてもついていけない。思考が現状に追いついたと思ったらこの有様だ。

 男としてはこの場を一刻も離れたいのだが、観衆の視線、赤貴族拳闘士の視線、背後の痛々しい掌男に対する声援、周囲の環境が男の所在を隠してはくれない。

 もう何だか必死になって逃げるのも馬鹿馬鹿しくなり、いっそ警察に自首して、この見世物から解放されたいという思いさえしてきたが、眼前の男を要求を無視すれば、それすら叶わぬ恐ろしい目に合うかもしれない……そう思わせるだけの眼力と迫力が赤貴族にはあった。


 借金苦。生活苦。むしゃくしゃしてやった。いまははんせいしている──赤貴族の言う『やむを得ぬ事情』を何とかひねり出そうとして、そのどれもが自らの中で却下された。

第一、男は役者でも芸人でもない。いきなり演壇に立たされて上手に踊れと言われてもその、何だ。


(無理だっつうの…!)


 数多の視線に貫かれてへどもどと戸惑う姿は最早哀れでしかなく、先ほど襲われた者でさえ、何とも言えない憐憫めいたものを男に向けていた。


「──3分間待ってやる。それまでに返答をよこしたまえ」

 あくまで、男は何か言わなければならないらしい。それが赤貴族拳闘士のジャスティス。

処でそれは、まるで…と男が口にしかけたとき、観衆の中からツッコミが入る。

「…完璧に悪役のセリフだよな、あれ」

「つーか赤すぎじゃねあいつ」「ふwくwのwセwンwスwwwww」「これがホントのあかさんて奴だな」「だれうまwwwww」

「誰あれ?新人?」「いや、アレだよほら朱童グループのとこの──」

「ああー次男の方か。…ていうか待たずにとっとと捕まえろって(笑)」


誰かの発した一言で、ドッと沸き上がる観衆達。すっかり弛緩した空気は最早捕物の空間ではなくなっていた。


「下郎ッ!!悪人なら悪人らしくもう少し気合を入れろ!そうでなくてはこの私がわざわざ出張った甲斐が無いではないか!」

「うぇえ!?」

 眼光鋭く叱責してくる赤貴族の怒りは本物だ。それにしたって、男にとっては理不尽すぎるこの展開はいかがな物か。

それから、実にどうでもいい事だがまだ3分たっていない。

「うぇえ!?ではないッ!…よもや、何の覚悟も矜持もなく狼藉を働いたというのではないだろうな…?」

「えーー…いや…その…」

「…消えろ。貴様ごときに私が出るまでもなかった。コレなら警察にでも任せておくべきであった…」

 一人慚愧に堪えないといった風情でバルコニーでオペラ風に語る怪人の思考回路はまるで読めない。

まだ何もそれらしい台詞も態度もとっては居ないが、既に興味があさっての方向に行ってしまった赤貴族は、絡んでくる聴衆相手に漫談めいたやり取りを繰り広げている。


「はぁ…じゃお言葉に甘えまして」


 すっかり街の空気に毒された挨拶を残して男が去ろうとするが、応える者は居ない。

観客の興味は最早赤貴族いじりに向かってしまっており、居酒屋の3次会めいた空気が周囲を支配していた。


 アレほどの注目を浴びた人物が、今や一人。

得体のしれない敗北感はあれど、それはもういい。

とにかく男はその日を糧を得ることができたのだ──……。

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