Goodbye,Goodmorning part.1
夢。
夢にも色々あるが、蔵馬の場合、大抵は混ぜ物だ。
蔵馬が出会った人々や諸々の出来事。良かった事も、そうでなかった事も、はるか昔の出来事も、全然記憶にない事も、ごっちゃになっていちどきに襲ってくる。
怒涛と化した情報の波を、蔵馬は上手に泳ごうとする。なるべくなら良かった事の波に乗って、せめて夢の中ぐらいは楽しみたいと思う。
けれど、上手に出来た試しがない。いつもどこかで躓いて、その圧倒的な質量に飲まれてしまう。
ああ、またダメだった。
蔵馬はそう思いながら青白い記憶の海へと潜る。
その中を様々な人が海月のようにたゆたっている。蔵馬に気づくと、皆少しの言葉を残してどこかを目指し消えてゆく。
誰かが言った。
『死ねよ、糞野郎』
蔵馬は思った。
『そうだな、死んだ方がいい』
彼女は言った。
『ごめんなさい』
彼女は二度言った。
彼が死のうと思った時に一度。死んだ後にも一度。
『何故謝るのか』と問い返したかったが、その都度見せる涙に何も言えなくなった。
物言えず、触れられず。こんな自分を何と呼べばいいのか。
先生が答えをくれた。
『つまらん死に方をするから、亡霊になるんだ』
◆◆◆
カーテンの隙間を射貫いて蔵馬の瞼を灼く。懊悩をかき消す救いの光だ。
しかしそれは一瞬の事、起きたら起きたで次の苦しみが待っている。蔵馬の日常はそう言う風に出来ている。
カラカラに乾いた喉とびしょ濡れの身体。内蔵全てを燃やし尽くすような鼓動、夢の中で潜っていただからだろう、肺の中に酸素は残っちゃいなかった。
半ばベッドにしがみつくようにして寝ていたため、シーツの所々に皺が出来ている。
それを何とはなしに直していると、一筋熱いものが頬を伝った。
きっと、彼女の声を聞けたからだ。
それが嬉しいことなのか、悲しいことなのかは、考えられなかった。
◆◆◆
起き抜け早々シャワーを浴びて、それから洗面台を長い時間タップリと占領し、蔵馬は笑う。嗤う。哂う。
10分かけて顔中の筋肉をありったけほぐしてから今度は真逆の表情を作り上げ、これじゃナルシストだな、と自嘲してからようやく歯磨きに入る。
でも笑顔は重要だ。上手く生きてゆこうと思ったら、然るべき時、然るべき表情を作れなければならない。
亡霊が人間に混ざるなら、化け方を覚えろ──確かこれも、先生の言葉だ。
そんな事を思い出しながら口をゆすぎ始める頃になって、ようやく酩酊の海から浮上してきた神楽がヨロヨロ……というよりヨボヨボといった風情で自室から起きてきた。
と思ったら見えないボクサーに殴られたように突っ伏した。酒の味などわからぬ蔵馬からすれば、それ程美味い物かと首を傾げたくはなるが、大人の憩いに口をだすような真似はすまいとも思う。
ましてや昨日の深酒の原因の半分ぐらいは自分の不始末が原因だ。
「おはよう、神楽姉さん」
「おはよ。……ねー蔵馬、地面が起き上がったー」
「姉さんが倒れただけだよ。バカやってないで早く起きて」
「……無理。あとムクみまくってっから顔見んな」
おそらく惨劇が起こっているであろうご尊顔を片手で多い、もう片手でシッシと蔵馬を追い払う。
媚態には程遠い姿ながら、むき出しのなま足に天につきだした尻というのは青少年の眼に毒だ。 その辺りもう少し気を使って頂きたいものである。
なるべく見ないように視線を泳がせつつ、ミネラルウォーターをグラスに注いで目の前に置いてやると、両手をついて頭をあげようと試みる。……が、やはりというべきか、すぐにまた墜落した。
「……ちょっと」
「あー…まだちょっと三半規管さんが起きてくれない」
もぞもぞふりふりと小ぶりでアダルトな尻を揺らしながら姿勢のコントロールを試みるたはいいが、やっとの事で出来たのは間抜けなキャンパス・キスから大の字ダウンになっただけ。もう動きたくもないって感じだ。
「ん。やっぱ無理。ねーのませてー…」
「あのねえ……」
何甘えてんだこのバb……もといこのアラサーは。そういうのは頼むから彼氏とやってくれ──内心毒づいていると、
「あんた今、不適切な単語と非実在人物を思い浮かべたわね?」
半眼から覗く黒目は奈落の虚、迂闊な蔵馬を射すくめる。恐るべしアラサーの読心術。
「イエ、ソンナコトハナイデス」
「……嘘こけ。つーか、居ねーわよそんなの。生まれてこの方食ったことも食われたこともねーわよ……うっ…グスッ……誰か食えよ……残すなよ……」
しまった参った致命傷。生臭い個人情報まで披露されて物凄く面倒くさい。ホントにこの人の元で大丈夫なんだろうか。
「ところでアンタ、えらい早いけど入学式何時からだっけ」
「九時からだよ。姉さん具合悪いなら寝てていいよ」
「そう言うわけにもいかんでしょー……おじさんとおばさんから写真頼まれてんだからさー……」
「勘弁してよ。お酒臭い保護者なんてガッコの方でもお断りだよ」
「んん……その点につきましてはまことに申し訳ない」
「水、ここ置いとくから。無理そうだったら本当に寝てて。今日はちゃんとケータイ出るようにする」
言うなり神楽の手元にペットボトルを置いてやると、蔵馬はネクタイの具合を見てから玄関へ向かう。
「あ。蔵馬ー」
「なに?」
「昨日言いそびれちゃった。高校入学おめでとう。それから、こうぎしまへようこそ」
「……うん」
「ガッコ、楽しんでらっしゃい。そんだけ」
みっともなく床にほっぺたくっつけてるくせに、神楽の顔は心からの祝福に満ちていて。
釣られた蔵馬は、あれほど練習していたどの笑顔よりも上手に、笑った。
「ありがと。うまくやるよ──」
「うん……?」
いささか咬み合わない挨拶を奇異に思いながらも、痛む頭ではろくに考えることも叶わず、ズルズル這いずってカラーボックスから薬箱をたぐり寄せる。
まだ時間に余裕はあるが、あまりゆっくりはしていられない。どうにか建てなおさねば。しかしまあ、今の蔵馬の笑顔といったら──。
「ンー……及第点ぎりぎり、かな」
中々に厳しい保護者殿であった。
◆◆◆
マンションのエントランスから玄関を抜けると、また少し高くなった朝の日差しが照りつける。
早朝の光の中、陰影色濃く顕になった新都の景色は昨夜の印象とはまた違い、圧倒的な立体感。
常ならば視野の殆どを地面に費やす蔵馬でさえもハッとさせる、それはそれは壮観な一大パノラマが広がっていた。
遙か前方左手に見える、全ギガフロート中最大面積を誇る盾島、その稜線の中程まで大きな白い風車がいくつも並んで休み無く回り続け、その隙間を縫うようにして陽光がチカチカと飛び込んでくる。南海特有の強い光に目を細めながら視線をゆっくりとと右手に向けていく。
蔵馬が立つ臣島の街並みが延々と彼方まで続き、遙か前方に澄んだ碧の海を抱き抱えた楽島。それを守るように士島がある。
さらに右手に、最長の長さを持つ半島、矛島。
長く伸びた先端に岬が三つあり、真ん中の岬には確か大きな灯台があったはずだ。
蔵馬は飛行機で島まで来たが、フェリーでの来島をする観光客や、近海で漁業を行う漁師達にとってはここが島の玄関口になるだろう。
それらの島々を、最新鋭のモノレール、「こうぎしまループライン」のレールが5つ、臣島駅を中心に東西南北、そして島の外周を円環状に繋いでいる。
もちろん車だって沢山走っている。そのほとんどがSUDO製のエンジンとバッテリーを搭載した電気自動車だ。
5割近くが臣島の後方、SUDO本社のある王島、そこから両翼に伸びる匠島・薬島へと向かって行進を始め、どこかの誰かが手順を誤り渋滞を生んでいる。
しかしそれすらも本土のそれとは違って見えるのは、島全体を包む青と緑の穏やかさのせいだろうか。
とにかく、見渡せばきりがない。
こんなにも広大で、華やかで。
小さな自分の存在など、芥子粒ほどにも感じられなくなるような圧倒的な景観。
何故ここが『新都』と呼ばれるのが、ようやく本当に理解できた気がする。というより、
(別の国みたいだ)
そして今日からここが、自分の住む国になるのだ。
神楽を除けば誰も、自分の事を知らない──その事にようやく思い当たった時に、一つの声が脳裏に蘇る。
『出来るさ、必ず出来る』『この街、面白いでしょう?』『楽しみなよ!』
「……楽しむ、」
柄にもないとは思う。
けれども、まあ。
人生とゲームと亡霊の先輩からのアドバイスだ。
「一人の時ぐらい、いいよね」
携帯にぶら下がったキャラ物のストラップに、そう囁きかける。
時刻を確認すると、まだ7時10分。学校へ行くには早すぎる。
跳ねるような足取りとは行かない物の、朝の街を楽しみながら駅へと向かうことにした。
とはいえ、昨日の今日だ。今度は迷わぬよう、メインストリートを真っ直ぐ行こう。