get regret the over
「おっっっっっそいんじゃ、くらぁーーーーーッ!!」
パレス臣島1101号室、玄関。
帰宅が20時を回った蔵馬を襲ったのは耳を聾する一人鯨波の大音声。
おかしいな、部屋をマチガエタカナ。神楽姉さんがいないぞ。
ん? ああ、あの居間で猛っているアレですか。アレは乙事主神と申しましてな、荒っぽい気性ゆえ、近づかないほうがよろしいかと。
「ホラ、ぼさっとせんとさっさと入る!んで正座っ!!」
戦わなきゃ、現実と。
鞭打たれたようにそそくさ靴を脱いで入室、速攻でご対面。こちらにおわす方こそ何を隠そう、蔵馬の新教官、土間神楽嬢(永遠の23)であらせられる。
ばっさり切ったベリーショートにフレームレスの眼鏡。上下ジャージのバタ臭い格好だが、モデル体型の為かそれほど野暮ったく見えないのが救い。
しかし漂うアルコール臭とローテーブルに片膝立てて酒を煽る姿は長所を消して余りある。
蔵馬が覚えていた『髪の長い、優しかったお姉さん』のイメージは木っ端ミジンコに砕かれた。
酔いどれ従姉妹の前に据えられた蔵馬は、ただただその無念を飲み下し、眼前に吹き荒れる嵐に頭を垂れる。
何せ相手は目下泥酔中の祟り神系女子だ。下手に弄ると家庭崩壊を招きかねない。
曰く、神楽が職場から帰宅したのが18時過ぎ。少し遅れたかもマジゴメーン☆ってな具合でめかし込んだ格好のまま、エントランスで待機を開始。
……が、ちっとも来る気配がない。そして一時間が立ちますた。
心配して電話をかけれど繋がらず、気を紛らわすためにちょっとだけ…いやいやもう少し……行ったれコンチクショー!という経緯がわずか2時間の間に行われており、そこで何故酒なのかと甚だしく疑問に思い、しこたま叱られるかと思った蔵馬は胸を撫で下ろした。
同時に、この先目の前の酔いどれ保護者と上手く付き合っていく自信が無くなった。
けれども、さして親しくもなかった間柄でいきなり我が身を受け入れてくれたのだ。
現にカバンに入れてマナーモードだった端末には、20数回もの着信があったにも関わらず、蔵馬は全くそれに気付いちゃいなかった。
本日の反省点1。保護者に心配はかけないようにしましょう。
……だがそもそも蔵馬にとって携帯とは、Webを眺めたり、音楽を聞いたり、ゲームをするためのツールであり、どこぞの誰かからメールや着信といった用途で使った覚えは全く無い訳で、このボッチ少年に携帯を肌身離さず持つという概念が生まれるのはこれ以降のお話。
両親、神楽。以上が現在の蔵馬のアドレス帳の中身。実に胸の痛む話である。
◆◆◆
「あーもー……初日から心配かけさせんなよねー……。夕方には着くって聞いてたから早く引けてきたって言うのに、全く……」
疲労困憊のご様子の家主様は空になった一升瓶をうっちゃると、おかわりの二本目と空のグラスを目の前に据え、自分の分と併せてなみなみ注ぐ。
「よし、説教はこの辺にして飲むぞ!つき合え!」
「いやいや、僕まだ未成年だからね……代わりに酌ぐらいはするよ」
「えー、不良少年の癖にかったいなー。んじゃホレ、ちこうよれ」
今し方次いだばかりの二つのグラスを、さもつまらなそうを一気に開ける。
途端に機嫌が反転にこにこ笑顔。グラスを蔵馬の前に差し出した。
◆◆◆
飲みも飲んだり一升瓶が三つ。尚も4本目が現在進行形で胃空間に流出中。
ゆっくり確実にばら撒かれている。
まだ飲むのか……、と内心うんざりする蔵馬ではあったが、今のうちに覚えをもめでたくするに越したことはない。心底美味しそうに杯を空ける神楽の表情も、見ていて楽しくないわけではないし。
平和だ。緊張のし通しだった一日を終え、蔵馬も両肩からが抜けていくのが実感できた……と同時、名状しがたいファンファーレがリビング中に鳴り響く。
「ヤダ、何今の」
「……。」
日常に帰ってきたのを実感したのか、今度のは全く遠慮のないボリュームだった。
締まりのない子を持つと困ったもんだ。育ち盛りってのもあるけどさ。
「そういやアンタ、夕飯は?寄り道したのに食べてないの?」
「いや、まあその…色々ありまして」
よくよく考えたら、結構歩き回っているのだ。一片たりとも物を口に入れないと言うのもちょっとどうなんだろう。減量中でもあるまいし。
「色々ねぇ……。んーじゃ蔵馬、そこお座り」
「えっ」
「保護者が早々ネグレクトするわけにもいかんでしょうよ」
神楽はそう言うなり、意外としっかりした足取りで歩いて冷蔵庫の中身と睨めっこをすると、食材を片っ端から取り出してキッチンに向かう。
『あまりモンで、簡単なモンしか出来ないけど』と言う注釈を添えられた上での神楽の料理の手際は意外や意外、実に大した物だった。立ち働く姿をぼんやりと眺めている間にも、小皿が二品、三品と並んでゆく。中にはチャレンジするのも躊躇うような風体の郷土?名物?料理もあったけど、偏食は許さない感
じの視線を受けて渋々箸をつける。
これまたびっくり、実に美味い。特にこの、ザリガニみたいな謎の生き物は煮て良し焼いて良し刺身で良しと言った塩梅で、あまり食に頓着しない蔵馬でもぐいぐい箸が進む。その悉くがお酒の進む味というのはご愛敬。
8年前の思い出話とか、会わない間何をしていただとか、新天地の感想だとか、専ら訪ねるのは神楽の側で、手と口を動かす間にぽつぽつと返すのが蔵馬という図式で話題はすすみ、神楽にアルコールが充填されるにつれ、話はもっと生臭い方へと転がっていく。
古来より若人をからかう話題として最もポピュラーといえば、やはりコレしか無いだろう。
「んーで、そろそろ蔵馬もいいお年頃だけど、彼女とかいんの?」
で、出たー!親戚によるプライバシー侵害!
それまでのいい気分も吹っ飛ぶド直球のビーンボールに思わず箸が止まる。
いつかはヤラれるだろうとは思っていたけど、早すぎんだろ。
「別に。どうでもいいでしょそんな事」
「何だよー聞かせろよーいいじゃんそのぐらいさぁ」
「言いたくないんだよ、察してよ」
「ほっほぅ。言いたくないってことは、居たってコトなんだ?やるじゃんー」
ああ、嫌な感じ。観念して箸を置く。
視線は、合わせられなかった。気恥ずかしいし、そもそも人と目を合わせるのは得意じゃない。
「…──居たよ。もう別れたけど」
わお、と大袈裟なリアクションを取って俄然食いついてくる。
「やるな…! え? どんな子? 何年ぐらいつきあってた? やっぱクラスメイト?」
全くどうして女って奴はこの手の話が好きなんだろう。とりわけ年長者が若人の恋愛事情について耳聡いのには辟易する。
やれ芸能人なら誰に似てるかだとか、髪型はだとか、馴れ初めから何から全てを白状させられそうになる段になって、アレほど美味しく感じた料理の味までぼやけてきた。
「…もういいでしょ。そろそろ寝ないと。明日から学校だし」
箸を置き、立ち上がる。時計を見ればもう0時を回った所だ。
言外に、『お前ももう寝たらどうなんだ、酔っぱらい』的な拗ねた視線を送る。
しかしアラサーの分厚い面の皮はそんな事ではこゆるぎもしない。「真面目ねぇ」何てつぶやいて手酌でカパカパ開けている。
駄目だこりゃ。つき合ってらんない──。
空いた食器をかき集めてシンクに置くと、すぐさま踵を返す。
「あーそうだ、お風呂はいんなさい。臭いままガッコ行ったらモテないよ?」
「……朝入る」
どんがらぴしゃん。かちっ。ご丁寧に施錠までして引きこもってしまわれた。
「……地雷踏んじゃったかな」
まあ半分わざとだけど、と内心で舌を出し、蔵馬が立ち去った寝室の方を見るともなしに見る。
(──なんて言うか)
そりゃあ、最後に会ったのは8年も前のことなのだ。思春期を迎えれば大きな変化もあるだろう。だけど。
(難しい子になったわねぇ)
◆◆◆
社会人には貴重な休日、貴重な時間──何時間だって寝られるさ。飲み過ぎたんだもの。
だから、真昼間っからガンガン電話駆けてくるんじゃねー。
豪快に自転する視界の中、才色兼備という設定になっている車内では絶対にお見せできない姿で、わずか3メートル先の受話器を目指す。
「ふぁいもしもし……あ、和水さん?やーお久しぶりですー元気ですーはいー。え?ええ。まだ嫁いでませんー。そうですね。産まれてすいませんー」
急な一報に懐かしさがこみ上げたのもつかの間、初っ端からテンションをデクレッシェンドさせるような痛撃を頂き、思い出す。そうだった、この人割と天然だから、悪意なしにズケズケ物言うのよね……そう言うトコはちょっと苦手だったなぁとひとくさりする。
「英彦さんと蔵馬君はお元気ですか?あーそうですかぁ(↑)えぇ(↑)はいー(↑)……は?」
思わず地の、酒焼けして男らしいと評判の美声で問い返してしまった。
その自分の声にびっくりして、まとわりついていた眠気の残滓が消え失せた。
──ホケンシツトウコウ。
その音の連なりが脳内で意味を持った文章に再構成されるまで数秒。
保健室登校ってなんだっけ。あんまり良くない響きよね。
まるで己には縁のない響きに、首と眉根をしかめさせて耳をそばだてた。
「あの子、ちょっと学校で色々あってね。高校も受験しないって頑張っちゃって……私も英彦さんも、どう触れたらいいのか分からなくって……」
何だそれ、何を情けないことを──言いさして慌てて口を噤む。
逆に言えば、その名の通りおっとりまったりアラアラウフフが信条の和水おばさんですら手が着けられない程、触れれば切れるナイフみたいにとんがっちゃったってか?あのちんちくりんが?……俄には信じがたい。
「──でね、急に新都の学校なら通ってもいいって言い出して。私達は勿論反対しないし、行かせてあげたいんだけど、英彦さんも私もこっちのお仕事離れ
られないし、それでなくともあの人、生活能力もないし……」
ははあ、なるほど。そしてナチュラルボーンにノロケデスカ。ブチ転がすぞ……!
揺らめく胸の熾火を握りつぶし、しかし声音は平静を保つ。話は見えてきた。
「それでね、今日電話したのは、神楽ちゃんにお願いしたいことが──」
和水の、羞恥の中に期待が含まれた声が受話器越しに届く。しかし心は、既に決まっていた。
「いえ、大丈夫ですー(↑)、預かります。え?いやいや平気ですよー(↑)幸い独り身ですのでー」
そんな啖呵を切ったものだから、後には引けないし引くつもりもない。
どんな風に青春こじらせたかは知らないが、場合によっては泣いたり笑ったり出来なくしてやる。
……などと、勝手に一人で息巻いた結果、やって来たのは泣いたり笑ったりしそうにない能面めいた表情の新高校一年生。
あ、これはちょっと厳しいかも──それが第一印象だった。
思ったよりも大人びた顔だった。それでいてきかん気の強そうな目。神妙そうに伏せられているが、
大体考えていることは分かる。悪かったな、昔とイメージ間逆でさ(笑)──丈夫そうなショートの黒髪の旋毛を見ながら、心中で苦笑い。
真新しいブレザー姿だというのに全身から滲み出るのはただひたすらな倦怠感。
神楽とそう変わらない背丈はまだまだこれからの伸びしろを予感させたが、どういう訳かしなびて猫背になっていた。
総合的に見て、素材はまあまあ良し。
しかし何だろう、この名状しがたい面倒くささ。どっかで見たぞ。
つーか、大体クラスの2・3人はこの手合いって居たもんだけど──今となっては遠い過去、自らの記憶をまさぐると──ああ、イヤな奴を思いだしてしまった。
ジクジク痛み出した古傷は酒で洗い流すに限る。
ついでだ、この小僧の心を何とかして開いてしんぜようではないか──。
滅多に使いどころのない女子力(笑)をフルに発揮して、二人で卓を囲めば少しは距離が縮まるかも、何て考えはぬるいコーラより甘かった。
もそもそカチャカチャ、音も立てずに粛々と食べながら、神楽の言うことに反応はしても、蔵馬は自分から話にも言わない聞かない、こちらも見ないと一人日光東照宮を決め込んでいるその様子に、ちょっとムカッ腹がたってしまった。
もっと若者らしく!なんて押し付ける気はないし、別段神楽自身の事を無理して好きになって貰おうとも思わない。ただ、一緒に住む以上はルールとは言わないまでも、不文律はある。
食事時は楽しく。会話も楽しく。そう、楽しくだ。
共に生活するなら、神楽はそこを最も重視する。多分、誰だってそうだろう。
互いの領分侵すべからず──そう言いたいのであれば、その領分というのを開陳してもらわなければ。
最初のうちは煩わしいだろうが、手間を踏まずに放っておけというのはムシのいい話。
実家ではどうだったか知らないが、ここではそうはいかない。甘やかすのと大事にするのは違うのだ。
初日からややカッ飛ばした教育方針ではあるが、親戚の大事な一人息子を預かるのだ。一丁立派に育てなければなるまいて。
しかし、それでも。
「……やーれやれ」
無意識のうちに出た嘆息は、やはりどこかで気を張っていたからか、それともこの先を思いやられてのことか。
やにわに立ち上がり、とうとう五本目に突入する。
「……あんな根暗っ子でもセーシュン出来てたってのに、あたしって奴は──」
もっと根の深い、喪女の哀れな喘鳴の吐息であった。
咽び泣く独り身の反省会という名の飲みは明け方まで続いた。
◆◆◆
引越し早々、取りも直さず急いだのがPCの設置とインターネットの接続だ。
年中かじり付くほど、というわけでもないけれど、やはり娯楽としてのウェイトは大きい。
ざっくりと無線LANの設定を済ませてしまうと、お休み前のくつろぎを得るべくネットの海を一通り泳ぎ回る。締めくくりに、受験以来休止していたネットゲームを立ち上げた。
『fairyland online』
汝、欲するならば妖を知るべし──と言うキャッチコピーの、人間と妖精、妖怪が強制する世界を舞台にしたMORPGである。
サービス開始から15年という大層古い代物ゆえ、景観やアバターはややバタ臭い印象は拭えない物の、今でも拡張パックが順調に開発され続けている長寿作品である。
一説にはこのサービスが続いていなければ、開発メーカーは遙か昔に借金背負って消し飛んでいたそうな。
ほぼ同い年のゲームのTipsに妙な感慨を抱きながらパスコードを打ち込んで、ログイン画面を通過。
モニタ上に蔵馬の操るアバターが現れ、次いでその周りに薄暗いテクスチャ空間が形成されていく。
操作可能になって左右を見渡すと、住み慣れたプレイヤーハウスではなく、薄暗い地下に出たことに気がついた。そうだった。受験前にささやかなイベントをこなしてそのままログアウトしたんだった。
久しぶりの操作感覚に、ぎこちない動きを見せながらダンジョンの中を走り回る。
そのうちアバターも体がほぐれてきたかのように軽快な動きを見せ、あっさりと地上出口にたどり着いた。そしてまっすぐに拠点マップを目指して駆け抜ける。目指すは蔵馬が所属しているギルド『ワイルドハント』の根城だ。
◆◆◆
たまり場にしているギルドに顔を出すと、居るのは一人だけだった。
ギルドのリーダー、ハクタクだ。
牛のようにまるまると太った巨体、眼球をあしらった趣味が悪すぎるライダースーツ、頭には角の生えたフルフェイスと、リアルでいたら確実にお近づきになりたくない感じである。
そんなアバターが大理石のフロアにしいた動物の毛皮の上ででゴロゴロと転がり回っている様は何の儀式かと首をひねらざるをえない。
ちなみに蔵馬の操るアバターは「イヌヒコ」という名のひょろ長い体つきの人間で、人民服にガスマスクという妙な出で立ちをしているのであまり人の事は言えなかったりもする。
そんな二人が出会った経緯は、まだゲームを始めて間もない頃、碌に操作もおぼつかず、「すいません、前はどっちですか」と道行くアバターに尋ねるほどの初心者だった頃の事。
そのトチ狂った風貌で誰これ構わず当たり屋行為をブチかます不審者アバターに声をかける者など全く現れず、一人集会所の壁の前に座り込んで『ぼっちだし、装備集まらないし、もういっそこのまま引退してしまおうか──』と考えていた折に突然現れてこう言ったのだ。
「キミ、下手くそすぎるね。それに友達居ないでしょ?」
なんたる罵倒、なんたる仕打ち。只でさえメンタルにダメージが蓄積している状態でコレは、今すぐ回線切って何とやらと同義ではないか。
ざっくり傷ついたティーンズハートを抱きしめてログアウトボタンをおそうとすると、
「ウチに来ない?」
まるっきりヤクザの手口で誘われた。馴れ初めはまあ、そんな所。
彼は何かにつけちょっと浮いた、ネトゲですらぼっちになりがちな連中をかき集めているようで、蔵馬の他にも、いかにも協調性のなさげな出で立ちの連中がギルドフロアのそこかしこで屯していた。
『ちょっとしたサロンみたいなもんさ』などと嘯いていたが、しかし彼が連れてきた他の連中は3日もすれば姿を消す。
実際の所はギルドのメンバーリストには籍が残っているし、話してみると割合気のいい連中ばかりだったから、フレンド同士でどこかに繰り出しているだけなのかもしれない。尤も、そんな雰囲気になれるまでは阿片窟に迷い込んだ気分だったけど。
さて、いつまでも不思議儀式を眺めていても埒があかない。
「しばらくー」
なんて気安い挨拶をしながら、その彼だか彼女だか分からない謎の人物に近づいていく。
するとレジュームから復帰したかの如く機敏な動作で立ち上がり、巨体が大地を揺らすエフェクトがモニタ上を走り抜けた。
「やあ、何だか久し振りだね。てっきり辞めちゃったかと思ってたよ」
「受験とか引っ越しとか、色々あったしね」
「ああ、そうか。てことは受かったんだ? おめでとう、お疲れさま」
「うん。ありがとう」
「これで君もご近所さんかあ。どう? この街面白いでしょう」
そう、どうやらハクタクはこの島在住の生命体らしい。リアルでは自宅の警備を少々というのが本人ソースのプロフィール。
事実いつログインしてもいるのだから、後半の方はまず本当の事だろう。
しかし『面白い』と言える程に愛着がある癖に、引きこもっているのは何故だろう。
「どうかな。まだよく分からないよ。落ち着かない」
「夜通し騒がしいのは認めるけどね。大丈夫、そのうち慣れる。君も楽しんだらいい」
「それ、同じ事言われたなぁ」
「へぇ?誰にさ。君ってば普段からぼっちアピールしてる癖に、コミュ力きちんとあるじゃないか」
彼?の毒々しい物言いはいつもの事、苦笑してやり過ごすしながら、その誰かさんを思い出す──。
改めて考えるに、とても信じられない体験だった。
やっぱりアレは夢だったんじゃ無かろうかなんて思う反面、普段誰かが喋るのに任せている蔵馬にしてはいいネタかもしれない。話して見てもいいいだろう。
ネットの海で交わされる情報は虚実の境目がつかない。ソースが確かとさえ思えない情報も、人の俎上に乗ればさも真実のように聞こえてくることがあるのは今も昔も変わらないのだ。
この話もそんな与太の類として受け取って貰えればありがたい。
が、反応は蔵馬が思ったよりも劇的だった。
「……それ、本当?」
アバターが全身を震わせ、嘶くような動きを見せている。びっくりした、と表現しているようだ。
「いや、だから今さっき起こった出来事なんだってば」
「ふンむ。作ってる訳じゃなさそうだね……。君、運がいいかも」
◆◆
臣島中央2丁目から7丁目、通称「旧市街」に幽霊が出る、と噂になる切欠になったのは、今からおよそ1年と少し前。
いかにも何か出てきそうなロケーション、しかも『観光地の』と来れば肝試しに行ってみようとなるのは自然な流れ。
頭の軽そうなプリン頭の男二人が、血相変えて交番に飛び込んで、咳き込むようにして訴えた。
──空から人が降ってきた、と。
ただごとならぬ証言に、慌てて現場に駆けつけた警官だったが、不思議な事に事件は現場で起こっていませんでしたとさ。
良かった、デスダイバーは居なかったんだ。そういうわけでプリン二人はアルコールチェックと尿検査を受けてそのまま直帰。
よくある戯言としてこの一見は処理された。
ところが、その日以来、『何かが降ってくる』という問い合わせが何度となく続く。
その目撃例は数えること十数例、『DQNカップルのDV現場に飛び込んで、DVを引き受けた』『飯をタカられた』etcetc……姿形でさえ男であったり女であったり判然としないまま、苦情ばかりが増えてゆく。ついに巡査さん意を決して件の場所へ立ち入ると、そこには。
「あのねお巡りさん、最近ココ、人がいっぱい来て寝れないの。ちゃんとしてくれなきゃ困るわけよマジで? ね? というわけであばばヴェロベロヴァー」
男とか女とかそんなチャチなもんじゃあ断じて無い、もっと恐ろしいものと邂逅を果たしたその警官は、今では正気を失い自宅で療養している──というのが、現在伝わっている内容である。
その『幽霊』の正体は、島でかつて起きた凄惨な事件の犠牲者の怨霊であるとか、妖怪・つるべおとしの末裔であるとか、はたまた蔵馬の考えたのと同様、島原産の生き物であるとか、諸説あるがどれも根も葉もない噂にすぎない。噂が広がるにつれ、ある者は恐怖し、ある者は興奮し、ある者は疑い、ある者は
偽り、そしてある者はそれらの証言を編纂する。
どこかで伝達に齟齬が起こり、ノイズが増殖して裏返り、徐々にその本質は変容し──。
最終的には『なんか居るのは間違いないよね、多分』というところで落ち着いた。
◆◆
「──結構有名な話?」
「うんまぁ、それなりに。幽霊ネタは他にも幾つかあるけど、コレは別段人が死ぬわけでもなし、どっちかというと話題としては地味な方」
そんな物だろうか。
フツー幽霊騒ぎが地元で起これば、もう少しホットトピックだったり、はたまたタブー視されたりされるモンじゃないのか。
「ま、他にも色々いるし、何かと話題に事欠かない街だし? どっちでもいいじゃない。みんなが居ると思えば居るってコトでココはひとつ」
「ハクタクはどう思うのさ」
「僕?……僕個人としてはそうだな、一応居るって事にしておこうかな。何せ君の初めてのすべらない話だからね」
「妙な信用のされ方だなぁ。そんなに僕って滑ってるかな」
「ん、て言うか──あ、やっぱいいや。君が傷つくXD」
「何だよ、気になるな :(」
「世の中には自分で気づくべき事って言うのもあるモンさ」
「今日のハクタクは妙に絡むね」
「僕みたいな人種はね、遠いトコから他人に石を投げて反応を見るのが趣味って人が多いんだよ」
「やな奴。引きこもってるからそう言う性格になるんじゃないの?w」
「その通り。外を闊歩できる自由がある君が羨ましいよ」
「え?」
そこで、聞き返さなければよかった。そうすれば単なるノイズとして流せたのに。
知らなくてもいい事を知った時ほど──沈黙というものは重くて冷たい。
ごめん。と、そこで言うべきか。それとも話題を変えるべきか……長い逡巡をしている間、ハクタクは一方的に話しかけてきていた。
今のは無かった事にしたいと態度が雄弁に語っている。
耳慣れない単語や真新しい知識をいつものように面白おかしく、毒々しく語ってくれているというのに、ちっとも上手く返せない。
意味在る文章を構築できない。やがてハクタクの方も疲れたのか、また少しの沈黙が流れた。
「さてっと、狩りでも行こうか。君が居ない間に、結構新種増えたんだぜ」
「……うん、ああ、いや──明日が入学式なんだ。悪いけど、今日は挨拶だけってコトで」
「それもそっか。じゃ、時々でいいからインしてくれよな。君が居ないと僕は結構本気で寂しい」
「うん、また近いうちに」
「またね。 ノシ」
蔵馬がログアウトの操作を行っている間、ハクタクはずんぐりした腕を振って見せ、それから背を向けて元のゴロゴロ体操に戻る。どうやら本当にやる事がなさそうだった。
ベッドに身を横たえると、猛烈な後悔が襲いかかってくる。
ダメだな、僕は。すぐに余計なことを言ってしまう。そんなだから彼女も傷つけてしまうのだ。
今のままでは、やはり人並みに『楽しんで』生きるなんておこがましい。
もっと上手に、もっとみんなのように生きられなければ──。
明日はいよいよ入学式。
こんなに暖かいのだ、きっと桜は拝めないだろう。
そんな事を考えながら蔵馬は目を閉じた。