ep.5 知らない余罪
昨日の今日で懐かしい、学生寮の自室へとエリスは戻ってきた。一見して、荒らされた様子はない。本当に憲兵たちは調査をしたのか疑いたくなるほど、何もかもがそのまま。
開きっぱなしの窓も、シワのついたベッドも、死んだスケアも。学園長が回収した魔導書以外、何もかもがそのままだった。
「防腐処理。時間停止魔法だね。これは確かハムラサキ先生の魔導書かな」
ハムラサキ先生は、この学園で一番の古株だ。見た目はヨボヨボの爺さんで、蹴れば鞠のように飛んでいきそうなほど貧弱。だが、その実力は超一流。系統別選択授業にて拘束系統の魔法を教えている。
「……ガーベラさんってもしかして魔導学園の卒業生なんですか」
「うん、そうだよ」
「へぇ、なら魔導書もあるんですよね。どんな魔法ですか?」
「……5%」
「言いたくないなら聞きませんよ」
ただの雑談だというのにどうして隠そうとするのか。エリスはため息まじりにそれでと聞いた。
「それで、どうするんですか? 魔法捜査のやり方くらいは教えてくれますよね?」
「捜査っていうか、簡単な魔法をかけるだけだよ。まずはマジックアナライズ。これでかけられている魔法を分析する」
そう言ってガーベラはスケアの遺体に手を伸ばす。エリスは唖然とした。分析魔法は高等魔法。それも魔法を対象に行う魔法は超高等技術。魔術と呼ばれる分野の代物だ。
「どうやら四つの魔法がかけられているね。ハムラサキ先生の時間停止魔法。これは彼女自身の魔導書の魔法かな、魔力が同じだ。それから……」
「それから?」
「あとの二つはわかんないや」
「何なんですかそれ。肝心の殺害魔法どころかその系統すらわからないんじゃ意味ないじゃないですか」
「仕方ないだろ。この魔法は術者の知識に左右されるんだ。いくらマギアの研究員でも世界中の魔法を知っているわけではないし、それが魔導書だったら尚更わからない。……でも問題ないよ。本当に知りたかった魔力の質はわかったから」
ニヤリと笑って次の工程を説明する。
「そしたら探索魔法でこの魔力の持ち主を探す」
探索魔法。物を探す魔法。ちょうど昨夜にも使った魔法だ。これくらいならとエリスは安心するが、だがそれには探す物を一目でも見たことがなければならないことを思い出す。
「それでも持ち主を見たことなければ無理じゃないですか? それにそれが魔導書だったなら尚更難しいですよね?」
「そうだね。だから他の魔法も掛け合わす」
先ほどと同じようにスケアへ手をかざすガーベラ。
「サーチマジックアンノウンファクターレコグニションマジシャンリンクマジックマジシャンズハント」
「え?」
「探し出した魔力の持ち主を未知領域から視認できるようにし、術者を捉える魔法」
「長っ!」
複数の魔法を一つ呪文に収めている。学園長でさえ、そんなことはしなかった。魔法や呪文の技術。すなわち魔術。魔導学園の卒業生にして、魔術にも長け、魔法にも詳しい。エリスは何となく、彼女が調査員として来た理由がわかった気がした。
「後輩の前だから格好つけないと損だからね。……だけど、不味いな」
ガーベラの顔から笑顔が消える。真剣というよりは、次の出方を考えているような顔。そして、手の打ちようがなくなったと言わんばかりに不満げな息を吐き、向き直る。
「残念な知らせだ。探索魔法は探索するものが無ければ不発する」
「……不発したんですか?」
「今回は魔力の持ち主だ。判明していない二つの魔力。一つはかけられたのが古い。恐らくは数ヶ月くらい」
「古いものだとダメなんですか?」
「ああ。人に魔法をかけると、体内の魔力と結びついてその性質がどんどん変化する。状態異常魔法が時間経過で効き目が弱くなるだろ。それと同じ」
性質が変化すれば術者の魔力とは余りにも差が出てくる。そうなれば探索も追跡も困難だとガーベラは説明する。
「……でも、数ヶ月も前の魔法がまだ体内に残っているんですね」
「そうだね。相当術者の魔力が強かったのか、それとも魔導書による一種の呪いのようなものなのか。……ま、どうでもいいさ」
これは本件とは無関係だと早々に切り上げる。そのことに、エリスは釈然としない引っかかりを覚えた。マギアの研究員。偏見でしかないが、知識欲は高いはず。そうでなくとも、無関係と判断するのが些か速すぎるのではないか。
とはいえ、表れた謎に一つ一つ対処する暇がないのも事実。今優先すべきは、スケアバーテンの死の真相。数ヶ月前に誰かがかけた何らかの魔法が、その解明に繋がる可能性は確かに低い。
「そしてもう一つ。真新しい魔力。恐らくはここ数日。これがきっと彼女の死の原因とみて間違いない。だが——」
言い淀むガーベラ。エリスはその続きを静かに待った。
「だが、その魔力を帯びるものがない」
「ない? ないっていうのは」
「……魔法を使えば、どんなものでもその魔力が残留する。それが術者なら体内の魔力とも結びついて、常に魔力を帯びるようになる」
ならば魔導書の場合は。ガーベラは続けて説明する。
「それが魔導書の場合は、魔導書と魔導士にその魔力が残留する。元は魔導書の魔力だから魔導士からはそのうち消えてしまうけれど、これは魔導書も同じで数週間で消えてしまう。人とは違い魔導書は魔力を漏らさないんだ。だから残留魔力もいつかは消える。それでも数週間。言っている意味がわかるかい?」
魔力と人の関係は水の溢れ出すボトルだと聞いたことがある。魔法を使えば水が溢れ出し、ボトルの表面は濡れてしまう。ボトルはしばらく水を補給するが、満杯になったからといって補給が自動的に止まるわけではない。そのまま溢れて、ボトルの表面は濡れ続ける。これが、ガーベラの言う魔力を帯びた状態なのだとエリスは認識する。
同じように魔導書なら。もちろん魔法を使えば水が溢れてボトルは濡れる。だが、人と違うのは水、つまり魔力が漏れ出ないということ。故にボトルの表面は次第に乾いていく。
それでも数週間は濡れたままのはず。
スケアに魔法がかけられたのは、数日の内だというのに。
エリスは何となくわかったと頷く。
「重要なのは、この新しい魔力がここ最近のものだということだ。それなのに、魔力を帯びた術者も、魔導書も見つからない」
「そんなことがあり得るんですか?」
「さあね。……初めてのケースだ」
でも。そう呟いてガーベラはエリスに振り返る。その顔は何かを確信したことを感じさせる力強い眼差しを持っていた。
「やっぱりスケアバーテンは魔導書によって殺されている」
説明しようかと聞いてくるガーベラに首を振る。人は常に魔力を漏らす。たとえボトルの表面を拭ったところで、時間がそれほど経っていないのであれば探索追跡は容易。それができないということは、スケアに残されたものは外部に漏れ出ない魔導書の魔力だということ。
「でも結局、犯人まではわからないってことですよね」
「そうなるね。残念。お手上げだ。……ところで、そこの窓はいつから開いてるんだい?」
「え、えぇと昨日の朝からです」
へぇ。何かを思案するように呟かれた声にエリスはドキリとした。この窓がなんだというのか。
「確かスケアバーテンが死んだと報告したのは夕方。開きっぱなしの窓だと寝るには少し寒いだろうね」
「そうですね。位置的に顔に風が当たりますし」
それはエリスも疑問に感じ、スケアの死を発見する一助となったもの。自分と同じ推理をなぞっていると思うとどこか嬉しい。
「一昨日は、たしか、スケアバーテンも授業を受けていた」
「……はい」
「……となると、君がこの禁書を盗んだのは一昨日の夜ということになる」
「え、なんで」
エリスの反応に軽く笑ったガーベラは自分が言ったことを忘れたのかと言って窓の外を眺めた。エリスは思い返す。確かに禁書庫に入ったのが一昨日だとは言ったが時間帯までは言っていない。授業があったので、一昨日の放課後か深夜の二択にはなるが。可能性で言えば深夜の方が高いだろうか。
「断崖絶壁。それにこの高さ」
「今度は何がわかったんですか?」
「……その前に、君が禁書庫に行った時、この部屋の施錠は?」
「してませんけど……」
なるほど。そう呟いたガーベラは何かを答えることなくそのまま窓を触り、床へと目を配らせ机を見たかと思えば、首を振りベッドの下に何かを発見したのか手を伸ばす。
「おや、こいつもか」
「何ですか。何か見つけたんですか?」
「ああ。見たまえ、ゴキブリだ」
ガーベラは嬉々として指に挟むそれを見せてきた。しなやかな彼女の白い指が、鳥の羽ほどの大きさのソレの腹部を平然と摘み上げている。
茶色がかった黒い殻は独特のぬめりと艶を持っていて、鈍く光を反射する。薄い羽は半ば裂けて背からはみ出し、今にも逃げ出さんと風に吹かれていた。節だらけの脚から生える繊細な毛の一本一本は、遠目からでもわかるほど無駄に鮮明に見えてしまい、網膜が脳へ焼きつけようとする。長い触角は力なく垂れ下がり、かすかに床の埃をつけていた。死んでいる。そう脳が認識しているのに、頭部の黒い二つの丸は何を考えているのかさえも知ることを許さない未知と虚無を観察者に押し付け、この世の醜さを混ぜ切った全身は死すら飛び越え蠢きださんとする生命力を醸し出し、白紙の認識へ幻覚と幻聴を交えて上書きする。
背中を虫が駆け上がり、頬をザワザワと撫でつける。アレイスターの呪文とはまた異なる本能への刺激。忌避。恐怖。そして、そんなものを宝物のように見せてくるガーベラへの激しい怒りが身体を支配する。
「おいおいどうした。威嚇する猫みたいになっているぞ」
「いいですか。それ以上こちらに近いてきたら、たとえマギアの人でも容赦はしません。殺します」
「物騒だな。安心しろよ、こいつはもう死んでいる」
そういう問題じゃない。喉まで出かかった言葉を吐き出せば、胃から込み上げる生温い栄養まで嘔吐してしまいそうで必死に堪える。そんなエリスのことなど知ったことではないと、ガーベラは笑顔で話し始める。
「今し方、分析魔法を唱えてみたが、どうやらこの子もスケアバーテンと同じ魔法がかけられていた」
「虫を子どもみたいに言うのやめてください」
「それがどういうことか気にならないのかい?」
気にならないはずがない。だが、脳は相変わらずガーベラの持つソレに意識が向き、いつ何時あろうとも逃げられるよう警戒心が働いていた。ガーベラの言葉を理解しようにも、どうしても無視できない邪魔者がいる。エリスはさっさと捨ててくれと懇願した。
「悪いがこれは立派な証拠品だ。後でハムラサキ先生に魔法をかけてもらおう」
そう言って胸ポケットへと優しく保管するガーベラ。
「絶対に抱きついたりしないでくださいね」
「いえーい」
「ほ・ん・と・に!」
「辛辣だなぁ。ま、とにかくだ。こいつは君のベッドの下にいた。そしてスケアバーテンと同じ魔法がかかっている」
そこから導き出される答えは何か。スケアを対象にした魔法ならエリスのベットの下にいたソレが死ぬのはおかしい。わざわざ追いかけ殺す必要もない。ということは、魔法の範囲はスケアからエリスのベッドまで及んでいた。なら、エリスが生きているのは何故か。
「つまり、君が犯人じゃない場合、犯行時刻は一昨日の夜。君がこっそり寮を抜け出した時間帯の可能性が高い」
一つ、真相解明に繋がる情報がわかった。魔法を唱え楽々犯人を探そうとしての失敗から一つ前身したわけである。しかし、エリスには気になる言葉があった。
「…………私が犯人だったら?」
「帰ってきてから登校するまでの間。それ以外ないね」
「で、でも、私が魔法を唱えたなら、私が死んでいないのはおかしいのでしょ?」
ガーベラはポカンと口を開け、ああと納得したように笑う。
「そういや一年生はまだ習わないのか。教えてあげよう特別授業だ。魔導書はね、魔導士が居ないとただの薄汚れた古い本なんだよ」
「はあ」
「何にも書かれていない、何の役にも立たない本。そんな存在意義のない物に、人を選ぶ意志を持つ魔導書がなりたい思うかい?」
「……さあ」
「…………ま、つまりだ。魔導書は魔導士を守ろうとする。魔法の範囲内に魔導士がいても、効果が及ばないようにすることなど造作もないんだろう。ただその分、イレギュラーが起こることもあるらしいが……。とにかく、まだ5%だ」
「まだ5%って……」
まだ疑う余地はあるのだと平然と答えるガーベラにいい加減怒りが沸いてくる。事実無根。冤罪で疑われる身にもなってほしい。
「……さっき私が犯人だった場合の犯行時刻ですが」
「ああ、帰ってきてから授業に行く朝までの間だね」
神経を逆撫でするようなガーベラの声と言葉にいちいち腹が立つ。それに呼応するように次第に語気も強まっていく。
「だとしたら、私が禁書庫から出てすぐに殺したことになるじゃないですか! 言っときますけど、私が寮に戻ってきたのは朝。そんなこと…………する時間が……っ」
そこまで声に出して、何かが引っかかった。いや、そんなはずがない。昨日の朝の記憶が蘇ろうとするのを必死に拒む。
(昨日、私は禁書庫から出て、何をした? 何で、窓を開けた?)
いいや、違う。魔法は不発したのだ。メロウが妨害したのだ。そうに違いない。洗浄魔法と同じように悪戯で女子寮に忍び込んで。必死に否定する。合理性もない結論を並べ、納得しようとする。だが、脳裏に浮かぶ映像が、パズルのピースを勝手に当て嵌めて、最悪の解答を導き出す。
(残留魔力……まさか、浄化されたっていうの? フィルの魔法で、鞄の中の魔導書も。だから追跡できない)
辻褄が合ってしまう。シセルマジック。その魔法が、原因だというのなら。完全浄化の魔法が、帯びた魔力さえ浄化するというのなら。辻褄が合ってしまう。
(スケアを殺したのは——)
認めたくない。でも、もし、そうだったのなら。
「おや、どうしたんだい。エリスハウメア」
「いえ。ただ、立ちくらみが」
今の自分はどんな顔をしている? いつも通りに振る舞えているか? 今の発言に怪しいところはなかったか?
どうすればいい。どう振る舞えばいい。エリスは慌てる心を必死に沈めようとする。まだ、そうと決まったわけじゃない。本当にメロウが妨害した可能性だってある。死の原因は別にあるかもしれない。まだ、疑われても5%。仮に私が殺したとしても、フィルのおかげで証拠は全くない。大丈夫。大丈夫。大丈夫だと言い聞かせる。
落ち着いて、ゆっくりと、深呼吸をする。
冷静に悟られないように。その内を隠すように。
「とにかく、私がスケアを殺すなんてあり得ませんから」
「犯人はみんなそう言うよ」
「無実の人でもそう言うでしょ!」
それもそうかと楽しげに笑うガーベラ。時には真剣に、時には無邪気に。コロコロと表情の変わる彼女をエリスは少し疎ましく思った。それは、ガーベラが探偵のように事件を解決に導こうとしているから、今になって湧き出た感情なのかもしれない。そのくせのらりくらりと時折にしか真剣味を感じさせないからなのかもしれない。
全くの無関係だと思っていた時には気づかなかった感覚。今は枷をつけられ監視されているような不自由さをエリスははっきりと認識できた。
これから、ガーベラの前では一言一行に気を配らなくてはならない。たとえ、犯人ではなくともだ。犯行が可能で、矛盾点がない。真実はどうあれ疑われたのなら言い逃れできないのだ。
エリスはチラリとガーベラを伺った。エリスの内情など知るよしもなく、緊張感のないヘラヘラ顔。無性に腹が立つ。ガーベラ。ガーベラプランテスト。マギアの研究員。憲兵が無能と化した今、事件を調査しているのは彼女だけ。彼女にさえ疑われなければいい。
エリスはゆっくりと目を閉じる。もうすっかり心は平穏を取り戻し、迷いは全てなくなった。
疑いを晴らすこと。目的は変わらない。そのためになら、どんなことでも。




