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ep.4 謂れ無き罪

「私はね、一つ仮説を建てたんだ」


 ガーベラは背もたれに頬を預け、気怠そうに話す。


「ここはマギア魔導学園。大陸中の書物が研究目的で保管される場所。中には危険な本も当然ある」


 そのクマのある双眸は一向に泳ぐこともなくエリスを見続ける。蛇に睨まれた蛙。あらゆる反応が命取りになるような気がして、身動ぎ一つできない。


「特に外傷もなく人の命を奪うとなれば、ただの魔法では絶対にできない」


 ならば普通ではない魔法とは。


「魔導書、あるいは禁書。普通の人には扱えない魔法と禁じられた魔法。犯人はおそらくこのどちらかを使い、スケアバーテンを殺害した」


 そして。


「同居人である君の鞄から出てきた書物。ユーカリ先生に頼んで目録を見させてもらったよ。禁書だね、これ」


 淡々と犯人を追い詰めるようにガーベラは禁書を取り出していく。動かない体の中、鼓動だけが明確に響き渡る。息が荒くなる。どうすることもできない。袋小路に追い込まれた蛙は、ゆったりと蛇が這い寄るのを眺めることしか許されない。


「翼の書。魔法学黎明期の本だ。人を焚きつける言葉を並べ、その内容は飛行魔法という超高等魔法。呪文も発達していなかった時代だ。空を飛んだまま彼方へ消え去った人々が続出したという。ただ、この魔法で外傷も無しにスケアバーテンを殺すことは不可能だ」


 薄汚れた羊皮紙は風に揺れて、羽ばたく鳥のように震えている。鳥をあしらった表紙のその角は、まるで天空から突き放されたようにひしゃげており、二箇所にある深々とした爪痕が怒りと崇拝の念を生み出している。空を夢見た者たちの末路を思うと、目を閉ざし祈りを捧げたくなる。


「魔術大百科。これまた黎明期の魔法辞典。倫理的発達の乏しい時代。今なら唱えるだけで罪とされるであろう危険な魔法が多い。犯罪者たちのバイブルとも言える代物だ。ただ、全て精査したが、やはり外傷無しというのは難しい」


 分厚い背表紙に金の文字。厳かな雰囲気は誰もがつい手を伸ばしたくなるほど魅力的で、しかしその実、知識を詰め込んだ狂気そのもの。何気ない見出しの一つ一つが誰かの命を奪う呪文に繋がっているのだとしても、目を背け無知を装い誤魔化したい。


「ウ=ス異本。エロ本だ」


 場違いな響きに、エリスの顔が朱に染まる。緊迫した空気の中で、あまりに無意味で、あまりにくだらない。どう考えても無関係。欲望を満たす押絵の数々がここまで惨めを晒すのだから、顔を覆い即刻燃やすべき代物だ。


「そして、最後。これが厄介だね。偉大なる魔術師アレイスターの素晴らしき自伝。アレイスターという魔術師はかなりの自己陶酔者だと聞く。この本も彼の見栄が詰まって、危険な魔法が多く載っている」


 たった百年前の賢者の自伝。片方の口角を上げ腕を組む表紙の自画像は、暗い地下に幽閉されることを望んでいただろうか。尊敬と称賛を求めた男が手にした皮肉な結果には、目を伏せ弁明を求めたい。


「ただ、そんな彼でも外傷無しというのは難しいらしいね」

「なら……!」


 そんな中での希望の言葉。袋小路に降り立つ希望の糸にしがみつこうとする。


「ただし一つだけ、妙な呪文があった」


 ガーベラが指を一本立てる。糸に食いつけと上を向く白い指。それが罠に見えれば忌々しくも希望を突き放す。


「この呪文は妙なことに、自伝の中では何の記載もされていない。ただ一言、感謝のみが綴られていた。呪文自体も奇妙で、現存する資料がなく解読すらできない。だからつまり、『もしも』、という場合がある」


 確証のない言葉。可能性だけで疑われていることに心底腹が立つ。知らぬ魔法を調べることこそマギアの存在意義ではないのか。


 しかし無知なのはエリスも同様。昨夜は学園長の魔法と、鞄を側に持って来られた安堵でそれこそ死ぬように眠りについた。男女の絡み一つさえ目にした覚えはない。


「そんな。だ、だいたい私、ここにある本の殆どを読んでませんよ! 禁書庫に入ったのも一昨日のことですし」

「スケアバーテンが死んだのが昨日だ。時系列的に矛盾はないがね」


 エリスは苦虫を噛み潰した顔で口を閉ざす。これではまるで犯人だと疑われているようで不快だった。


「そんな顔するなよ。君への疑いはゼロではないだけで限りなく低い」

「そうなんですか?」

「ああ、今のところ1%だ。可能性が解読できない呪文だけならね」

「……1%なのにここまで疑うんですね」

「疑って損はないからね。間違えていたらごめんなさいでいいんだよ」


 いいわけがない。疑われている人間の気持ちを考えたことはないのだろうか。エリスは苛立つ気持ちを鎮めようと深呼吸をする。


(……そういえば、あの魔導書は)


 ガーベラが出した証拠品の中にはあの黒い魔導書がなかった。間違いなく他の禁書とともに鞄に入れていたはずだ。鞄の本を取り出したのなら、見つからないはずがない。


(……違う。魔導書は人を選ぶ)


 エリスは安堵の息を深呼吸に隠した。ならば、ガーベラには開くどころか、見つけることすらできないという事ではないのか。良かったと安心する。もし、魔導書まで見つかってしまえば疑いはさらに強まるだろう。


 それも、未だ理解できていない魔法。


 『シセルマジック』教科書にも辞典にも載っていない——解読できない呪文……なのだから。


「あの、その解読できない呪文ってどんなのですか」

「……それはあれかい? 私はその呪文を知らないですってアピールかい?」


 瞼を落とし疑るガーベラに慌てて否定する。


「違います! 本当に知りません! ただ、気になっただけです」

「ま、いいよ。憲兵たちもまだまだ時間がかかるみたいだしね」


 ガーベラは椅子から離れるとベッドに腰を下ろし、件の呪文を見せてくれる。自伝のほぼ最後のページにそれはあった。


『集え轟け琴弾 惑え貫け柘榴石』


 呪文に関する説明はなく、その文章だけが、白紙の海を鎮座する。文章だ。それは文章だった。現代の呪文は意味ある言葉の組み合わせ。文とはならないはずなのに。


 不思議だった。エリスは一目見ただけで、その文章に惹かれた。意味は一つもわからない。どんな魔法なのかもわからない。それなのに、声に出したい衝動に駆られる。


 気づけば口が動いていた。


「集え——んんんっ」

「こらこら、何読もうとしてるの」


 ガーベラに口を塞がれて我に帰る。知らない呪文を口にしてはいけない。わかっていることなのに、何故か読もうとしてしまっていた。


「今ので3%まで増えたぞまったく」

「ごめんなさい。つい……」

「ついだぁ? ……ううむ、確かに七五調だけども」

「七五調……?」

「七音と五音の組み合わせのことだよ。口にし易いだろ。だけど、どんなものかわからないんだ。無闇に唱えるなよ?」

「ごめんなさい……」


 エリスは再び謝る。七五調。語感がいい。それだけの理由で読んでしまったのだろうか。いいやきっと違う。そんな気がしている。


 頭の中の深層で警告音が鳴り響いている。読んではいけない。声に出してはいけない。まるで原初太古の時代から生物の本能に刻み込まれたような危険信号。読んではいけない。わかっている。声に出してはいけない。気づいていた。


 それなのに、何故こんなにも惹かれるのか。語感だけが原因では決してないはずだ。


 語感と言えば、シセルマジック。あの呪文も語感がいい。七文字だからだろうか。短い一言ということを抜きにしても、口にし易かったとエリスは思い出す。だが、アレイスターの呪文とは似ても似つかない。シセルマジックはまだ、現代の呪文様式に乗っ取っている。少なくとも、読んではいけないとは思わなかった。


(ガーベラさんはマギアの研究員。なら、もしかしたら、シセルの意味がわかるかも……)


 聞くべきか。しかし、どう説明すればいいのか。3%も疑われている状況。今聞けば、さらに疑いが増えるだろう。呪文について説明できないのだから。


 加えて禁書庫の本に飽き足らず、魔導書までくすねていたと知れば、今は何故か叱責も説教もなく、なあなあで終わっているというのに大目玉を食うやもしれない。


 怒られたくはない。疑われたくもない。やっと手にした魔導書を手放したくもない。

 だが、知りたい。エリスの脳内で理性と知的好奇心が悶々と闘っていると、客室の扉が叩かれる。


 直後入ってきたのは、国の紋章を胸につけた軍服の男。室内でスーツに外套の厚着女とは全く違う身の締まる出立ちは、誰がどう見ても憲兵だとわかる。


「やあ、憲兵の」

「部屋の調査は終了した」

「もうかい? 私としては嬉しいけどね。で、君たちの見解は?」

「一般人に話すことはない。それでは失礼」


 憲兵の男は、素っ気なく返して部屋を後にした。


「なるほどね。彼らは病死ということにするらしい」

「わかるのですか?」

「ああ、君に話を聞かなかったのがその証拠。だいたい奴らは魔法学に詳しくないんだ。それが国の治安維持部隊だなんて笑っちゃうね。奴らに真相解明なんてできやしない」


 所詮彼らは形式だけのお飾りさ。魔法絡みの事件は扱いたくないんだろう。そう笑ったかと思えば、何故あんな奴らをと学園長に対し不機嫌になる。忙しない人だ。


「さ、私たちも行こう」


 ガーベラが手を差し出し、反射的にとってしまう。最後に触れたのが冷たい石のような肌だったせいか、体温の低いガーベラの柔らかな手のひらも優しい温もりを感じる。


「えっと……私もですか?」

「もちろん。君はスケアバーテンと同部屋だろ? 色々聞きたいこともあるし、それに今のところ君が一番怪しいからね」

「えっ」

「当たり前だろ。私が学園に来て会った人物は少ない。その中だと君が断トツの3%だ」


 手に反して心は冷ややかに熱を失う。どうして疑われなくてはならないのか。無実だというのに。


 いや違う。証拠がないのだ。


 自分が無実である証拠。自分が犯人である証拠。それらがまだない。だからガーベラは疑うだけ疑っている。


 ならとエリスは決意する。


「だったら手伝いますよ。この事件の真相解明。誰がスケアを殺したのか」

「そう? 助かるよ」

「私が私の手で疑いを晴らします」

「…………」


 ガーベラはエリスの覚悟を静かに受け止める。そして魔導書を詰めたエリスの鞄を背負うと、これが手枷の代わりだと言わんばかりにエリスの手を引いて、二人、部屋を後にした。

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